日本の文学賞

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岡田 桑三

オカダ ソウゾウ

Okada Sozo

ペンネーム: 山内光俳優として使用した芸名

プロフィール

性別
男性
生誕
1903-06-15 (横浜市)
死没
1983-09-01 80歳
国籍
日本
言語
日本語
居住地歴
横浜市 → ドイツ(留学) → モスクワ(視察・旅行) → 北鎌倉(晩年)

経歴

職業
俳優, 映画プロデューサー, 舞台美術, 写真家
活動期間
1926年〜1983年
所属
日活, 松竹, 日本プロレタリア映画同盟, 国際光画協会, 日本工房, 東方社, 東京シネマ / 東京シネマ新社, EC日本アーカイブズ(ECJA)
所属団体
日本プロレタリア映画同盟, 国際科学映画協会(関係), 東方社(創設メンバー)
影響を受けた人物
セルゲイ・エイゼンシュテイン, ウラジーミル・プドフキン, ワシーリー・メイエルホリド(メイエルホリド), エドゥアルド・ティッセ(撮影技術)
影響を与えた人物
多くの映画人・写真家・美術家

学歴

神奈川県立横浜翠嵐高等学校
期間: 〜1922
卒業年: 1922
国: 日本
在学後に渡欧
カイザー・ウィルヘルム芸術アカデミー(留学)
舞台美術アトリエ
期間: 1922-1924
国: ドイツ
舞台美術・映画・写真の技術を学ぶ

受賞歴

菊池寛賞
1961
主催: 菊池寛賞選考委員会
結果: 受賞
プノンペン・アジア映画祭グランプリ
1955
対象作品: ビール誕生
主催: プノンペン・アジア映画祭
結果: 受賞
シンガポール東南アジア映画祭特別賞
1955
対象作品: ビール誕生
主催: シンガポール東南アジア映画祭
結果: 受賞
ヴェネツィア記録映画祭 最高科学映画賞
1958
対象作品: ミクロの世界 -結核菌を追って-
主催: ヴェネツィア記録映画祭
結果: 受賞
国際科学映画協会 モスクワ大会 名誉賞
1958
対象作品: ミクロの世界 -結核菌を追って-
主催: 国際科学映画協会
結果: 受賞
国際科学映画協会 プラハ大会 名誉賞
1960
対象作品: マリンスノー -石油の起源-
主催: 国際科学映画協会
結果: 受賞
科学技術功労賞(作品・製作組織として)
1962
主催: 東京シネマ(受賞主体)
結果: 受賞
朝日文化賞(東京シネマとして)
1965
主催: 朝日新聞社 / 朝日文化賞
結果: 受賞

受賞・候補エディション

作品

代表作

ビール誕生

1955年 記録映画 / 産業映画

ビールの原料と発酵、製造工程を追った産業記録映画。東京シネマ製作、岡田桑三が製作に関わった作品で、国際映画祭での評価を受けた。

産業発酵食文化科学教育
翻訳
  • ビール誕生

ミクロの世界 -結核菌を追って-

1958年 科学映画 / 記録映画

顕微鏡的視点から結核菌や微生物の世界を描き、科学教育的に構成された記録映画。国際的にも評価を受けた作品である。

医学細菌学顕微鏡科学教育
翻訳
  • ミクロの世界 -結核菌を追って-

マリンスノー -石油の起源-

1960年 科学映画 / 教育映画

海中の堆積物やマリンスノーの観察を通して、石油の形成や地球科学的過程をわかりやすく説明する教育的記録映画。

地球科学海洋教育堆積学
翻訳
  • マリンスノー -石油の起源-

マリン・フラワーズ — 腔腸動物の生活圏

1975年 科学映画 / 展示映像(マルチスクリーン)

刺胞動物(腔腸動物)の生態を美しく記録した映像詩。3面マルチスクリーン版として沖縄海洋博で公開され、高い評価を受けた、晩年の代表作。

海洋生物生態学展示映像自然美
映像化・舞台化
  • [マルチスクリーン(3面)] マリン・フラワーズ(3面版) (1975)
翻訳
  • マリン・フラワーズ — 腔腸動物の生活圏

陸の人魚

1926年 劇映画(サイレント期)

1926年公開の劇映画。岡田は俳優として「山内光」の芸名で出演した作品の一つに数えられる。

サイレント映画人間ドラマ
翻訳
  • 陸の人魚

全著作

  • 陸の人魚(1926)
  • 鉄腕記者(1927)
  • けちんぼ長者(1928)
  • 春琴抄(1935)
  • ビール誕生(1955)
  • ミクロの世界 -結核菌を追って-(1958)
  • マリンスノー -石油の起源-(1960)
  • マリン・フラワーズ — 腔腸動物の生活圏(1975)

翻案

  • マリン・フラワーズ(3面マルチスクリーン展示)

作品の翻訳

  • ミクロの世界 -結核菌を追って-
  • ビール誕生
  • マリンスノー -石油の起源-

作風・主題

文体
写真的・視覚重視の記録映像科学的説明を重視する教育的構成プロレタリア映画運動に基づくドキュメンタリー志向
頻出モチーフ
科学と教育自然観察(海洋・微生物)産業と技術の記録写真的構図と実証的観察

健康

  • 群発性動脈瘤
    晩年(1970年代〜)
    闘病生活が長くなり、制作活動に影響を与えた
  • 脳梗塞(死因)
    1983年
    1970年代後半からの入退院の末、1983年に死亡

評価・遺産

岡田桑三は俳優としての出発から、写真・映画運動に関与し、のちに東京シネマを設立して科学映画を中心に多くの国際的受賞作を生み出した。プロデューサーとしての業績により科学教育映画の発展に貢献し、多くの映像資産は東京国立近代美術館フィルムセンター等に寄贈・保存されている。

記念館・博物館

  • 東京国立近代美術館フィルムセンター(所蔵・保管) 東京(所蔵・管理)
  • 科学映像館(NPO)での公開保管 ウェブサイトおよび所蔵拠点(NPO)

関連学会

  • 国際科学映画協会(関連)
  • 下中記念財団(関係)

資料所蔵先

  • 東京国立近代美術館フィルムセンター(東京)
  • 科学映像館(NPO)でのデジタル公開・保存
  • 法政大学大原社会問題研究所(関連フィルムの所蔵)

大衆文化への影響

  • 週刊朝日(1964年12月11日号)の表紙に登場
  • 東京シネマ作品は国内外の科学映画祭でしばしば取り上げられる

豆知識

  • 俳優時代の芸名は「山内光」。
  • ドイツ留学やモスクワ滞在を通じてエイゼンシュテインらと交流し、影響を受けた。
  • 東方社の創設に参加し、プロパガンダグラフ雑誌『FRONT』の流れにも関与した。
  • 東京シネマを創業し、科学映画を中心とする多数の短編を制作、国際的に受賞歴がある。
  • 東京シネマの完成原版は多くが東京国立近代美術館フィルムセンターに寄贈された。
  • 晩年は群発性動脈瘤で闘病し、1983年に脳梗塞で死去。