日本の文学賞

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中原中也 (講談社文芸文庫 おC 1)

野間文芸賞

中原中也 (講談社文芸文庫 おC 1)

大岡昇平

『中原中也』は、大岡昇平による文学作品。1974年の受賞作として、題材を絞り込んだ表現と、人物や土地、時代の手触りを読者に残す構成が評価された。

戦後文学人間存在社会

作品情報

中原中也は、限られた形式の中に時代と人の気配を刻む作品。

『中原中也』は、大岡昇平による文学作品。1974年の受賞作として、題材を絞り込んだ表現と、人物や土地、時代の手触りを読者に残す構成が評価された。 受賞歴の文脈では、派手な要約よりも、形式に合った語り口と読後に残る問いが作品の核になる。

レビュー要約

  • 読者の受け止め方は、題材の珍しさや語り口の強さを評価する方向に寄る。作品の背景を踏まえて読むほど、構成の意図や余韻が伝わりやすい。

書籍情報

出版社
講談社
発売日
1989-02-06
ページ数
366ページ
言語
日本語
サイズ
10.8 x 1.3 x 14.8 cm
ISBN-13
9784061960374
ISBN-10
4061960377
価格
1095 JPY
カテゴリ
本/文学・評論/詩歌

中原の不幸は果して人間という存在の根本的条件に根拠を持っているか。……人間は誰でも中原のように不幸にならなければならないものであるか。……深い友情から発した鋭い洞察力と徹底した実証的探究で、中原中也とは何か、文学とは何かに迫る第1級の評伝。野間文芸賞受賞の『中原中也』から「中原中也伝――揺籃」「朝の歌」「在りし日の歌」を収録。

レビュー

  • 良好な状態

    説明通り折れやシミもなく良い状態だった。感謝

  • 評論的。歴史的有名女性の周りの人

    長谷川さんを、近所に居る痛いおばさん扱いしてるとこが最も面白い。まあ、美人の証拠はあるみたいやけども、と、厳しい親戚の子的に大岡さんは彼女を描く。描かれるその後も痛い。こういう人は今でも腐るほど才能者の周りにいるだろう。本人の意図とは関わりなく、詩的な世界の産婆になるのだ。 長谷川泰子さんと作者は友達のようで、関係者に近しい作家による評論。中原の評論は現在でもできますけども、本書は成立当時、ギリギリにしか成立しないタイミングで現れた、かつ面白いです。

  • 中原と悪友でもあった著者の中也への旅。

    中原中也とはどんな詩人だったか、大岡氏にとって中原中也とは何だったのか、中原中也と彼に多大な影響を受けた人々と創られた詩がどのように共鳴しているかが面白く読めます。

  • 亡くなる八日前

    大岡昇平氏は、中原論を口述筆記してもらいます。 早くに死んだ仲間について、全集編集にも参加し、思い出を語りつくしてきた大岡氏でした。 書店で立ち読みして、しん、としました。 横浜の港の見える丘公園での、エンターテインメントについての講演も聴きに行ったことがあります。 ずっと、中原氏にかかわり続けられたなあ、と思いました。昭和の最後のクリスマスに亡くなりました。 中原氏の詩と生き方を回想するうちに、大岡氏はヴェルレーヌから受けた印象を思い出すのです。

  • 人間は誰でも中原のように不幸にならなければならないものであるか

    大岡昇平にとって、「中原中也」とは何だったのか、それを知りたくて本書を手にしたが、少なくとも大岡昇平にとって、その問題は、「未完」のままに終ったようだ。 中原の短い生涯を丹念に追いながら、中原の歌を堪能できる。 本書の特異な点は、「主人公」・中原中也とそのまわりにいた人々の多くが、作者自身の友人・知人でもあったということだ。そして作者・大岡昇平自身も、重要な「脇役」として本書に登場する。これは、中原中也という対象を、「客観的に記述する」人物としては、最もふさわしくない人物であるかもしれない。しかし、作者・大岡昇平は、手紙や遺稿、ノート断片などの資料や聞き取り、現地調査など、本書執筆のために並々ならぬ労力を費やしているように見える。より客観的な「実像」に迫るために。 しかし、あるいはそれだからこそ、本書がまるで、大岡昇平の「私小説」のようにも読めるのだ。本書には、大岡昇平の、若き日の心情があふれている。それを回想する、懐かしむ大岡昇平の心情があふれている。 なぜこれほどまでに、大岡昇平は中原中也にこだわったのか? 大岡昇平も中原中也も、小林秀雄と身近に交際した。一方の大岡昇平は小林秀雄的なものに「飲み込まれ」我を失った。そうしてのち、やっと、戦場で「小林秀雄の呪縛」から解かれる。他方、中原中也は、大岡昇平とは比較にならないほど「身近に」小林秀雄と交際したが、小林に「飲み込まれる」ことはなかった、なぜなら中原には、確固とした何かがあったから…、とこのように大岡昇平は考えて、その何かを探し続けたのではないか、それは自分自身の存在を確かめることでもあった。 大岡がみずからに問うたのは、「人間は誰でも中原のように不幸にならなければならないものであるか」という問いである。この問いは大岡昇平にとって、死の瞬間にあっても解かれることのなかった問いだったと思う。私たちも、若かった自分を振り返るとき、死を見つめるとき、この問いが自分自身の問いとして、思い出されるのかもしれない。それゆえ人は中原中也の歌に魅かれるのだろう。 (なお私は、山崎行太郎氏の卓抜な小林秀雄論『小林秀雄とベルクソン』に収録されている「大岡昇平論」(「ベルクソン哲学とその影」)を読まなかったら、本書を手にすることはなかっただろうことを付記しておきたい。)

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