作品情報
私小説の現実感を越えて、幻想と求道の感覚へ踏み込む谷崎賞受賞作。
講談社文芸文庫『田紳有楽・空気頭』に収録され、谷崎潤一郎賞受賞作として読み継がれている。講談社公式と NDL で文庫版の ISBN を確認でき、紙書籍の ISBN-10 を ASIN として補完した。
レビュー要約
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現実の細部から不意に異界へ踏み込む感覚が強く印象づける。私小説でありながら、内面と外界を同時に揺るがす独自性が評価されている。
書籍情報
- 出版社
- 講談社
- 発売日
- 1990-06-05
- ページ数
- 298ページ
- 言語
- 日本語
- サイズ
- 10.8 x 1.1 x 14.8 cm
- ISBN-13
- 9784061960831
- ISBN-10
- 4061960830
- 価格
- 1980 JPY
- カテゴリ
- 本/文学・評論/文芸作品/日本文学
あくまで私小説に徹し、自己の真実を徹底して表現し、事実の奥底にある非現実の世界にまで探索を深め、人間の内面・外界の全域を含み込む、新境地を拓いた、“私”の求道者・藤枝静男の「私小説」を超えた独自世界。芸術選奨『空気頭』、谷崎賞『田紳有楽』両受賞作を収録。
レビュー
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SF好きの必読本
私は40年来のSF愛読者ですが、この「田紳有楽」も出版された時、SF評論家の紹介により、知りました。 まさに『知の遊び』と『想像力』満載のこの本はSF愛好家にオススメです。
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水木しげるに漫画化してほしかった!土俗的マジックリアリズム小説の傑作
マジックリアリズム小説の文学的な定義というのはそれなりにあるのだろうとは思うのだけど、自分にとっては「現実の中に何食わぬ顔をして土俗的な摩訶不思議なものが居座っている」小説のことなので、そういう意味で本作は紛うことなきマジックリアリズム小説である。 あくまで自分にとってはだけど。 主人公は弥勒菩薩である。 弥勒菩薩といったら、五十六億七千万年後に人間界に降臨して衆生を救済してくれるありがた〜い菩薩である。 なのに本作の弥勒菩薩は現代の日本に転生しており、あろうことかモグリの骨董屋に身をやつしているのだ。 面白すぎる。 自分はこういう土俗的マジックリアリズム小説に飢えていたので狂喜乱舞してしまった! 本作には付喪神よろしくグイ呑みだの抹茶茶碗だのといった陶器が登場して自分語りをしたりもするのだけど、こういうのもメチャクチャ楽しい! 本作に登場する人格を有する陶器たちはみな名品のニセモノである。 さらに言えば弥勒菩薩もホンモノだかどうだかわかりゃしないのである。 どうも藤枝静男はホンモノとニセモノがごた混ぜになっている世界を描きたいらしい。 藤枝静男は本業が眼科医で、30代という働き盛りで終戦を迎えている。 ある意味では日本は終戦を境に価値観が大混乱を起こして何がホンモノで何がニセモノなのか分からない社会になってしまったと言えるのかもしれない。 藤枝静男がニセモノを描くことにこだわったのもその辺に理由があるみたいなのだけど、本作を発表したとき藤枝静男は既に60代であり、良くも悪くも価値観が大きく変わってしまった日本社会に対してどこか達観しているというか、フッ切れたところがあるようにも感じる。 その証拠に(?)、本作において藤枝静男はニセモノを否定的に捉えるのではなく、山川草木悉皆成仏、この世のすべてはみな仏、ホンモノでもニセモノでもええじゃないか♪と言わんばかりの大乗的な賑やかな祝祭空間を描き出している。 なんとなく、この土俗的な大らかさが自分は水木しげると通じるものがある気がして、水木しげるが漫画化した「田紳有楽」を読んでみたかったなあ、と思ってしまった! 併録されている「空気頭」の方も、自分の考えるマジックリアリズムとはちょっと趣が違うけれどなかなかにトンデモない小説だった。 いちおう自分のことをありのままに語る私小説という体裁を取ってはいる。 だけど読み進めるうちに、とてものことに事実をありのままに語っているとは思われない異様な世界が展開していく。 虚にあらず、実にあらず、虚実入り乱れて読者をケムに巻き翻弄するブッ飛んだ下ネタ幻想小説とでも言うのか。 こちらの作品も水木しげるならすっとぼけた漫画にしてくれた気がする。 いや、この異様な世界はつげ義春のような人に漫画化してほしかったという気もする!
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ぜひ!
とにかく読んでみてください! もっと多くの人にこの作品を知ってほしいです ちなみに作家の川上弘美さんも「田紳有楽」を紹介してました
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飛んでます
私は「空気頭」という短編により深く感嘆しました。「田紳有楽」も面白いのですが、あまりに突飛すぎて私には少し規格外でしたが、「空気頭」の方は凄いです。 冒頭に私小説であることが示唆され、なお私小説には私見だが2種類のもの(分かりやすく端折るなら、リアリズムと入れ物としての形態としての私小説の2つ)があり『私のは後者である』ということわりがあって始まるのです。最初は妻の結核の看病から始まり、今の私の自分の日常、そして回想へと連なってゆくのですが、その境目がとても微妙で、文章から文章への区切れがとても曖昧に感じます。もちろん曖昧模糊にしているのだと思いますが、その技術が素晴らしく、読みふけっていると意識が埋没してゆく錯覚に陥ります。そのうえで、とてもおかしな仕掛けがあって、それがまた凄かったです。 自身は医者であり(眼科医、どうやら本当のようです ウィキ調べ)、医学的知識を述べながらも客観性を残しているように見せ、その上でとても背徳的でどうしようもなくストレートな表現を用いて吐露します。 後は読んでいただくしかないのですが、この作品が発表されたのが昭和42年、そんなに昔じゃない気もしましたが結構前のことですね。これは凄いと思いました。私小説であり、告白ものであり、幻想ものであり、なんだか勝手なカテゴライズを拒否するかのようなものでした。 「田紳有楽」もかなり凄い飛び方ですが、これはもうSFみたいな感じですし、インドも入ってますし、湯呑もアレですし、凄いです。ただちょっと飛びすぎな感じで私の好みは「空気頭」でした。これを映画にしたら、多分かなりのカルト映画に出来そうです。ただ、シュールさとスケールの大きさは「田紳有楽」でしょう。私の読書体験で言いますとちょっと安部公房さんに近いテイストかもしれません。 変わった読み物を求めている方にオススメ致します。
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なんというか
とにかくすごい。こんな作家がいたんだね。 私小説の極みかと思わせておいて幻想の世界に連れていかれる。
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『田紳有楽』良い。
"『先輩ー。弥勒さんじゃありませんか。こんなところで今ごろ、何をしていらっしゃるのです』私は不意に名を呼ばれて顔をあげた(中略)本物の地蔵が藤のステッキを突いて叢を踏みながらこちらに近づいてくるではないか。"1990年発刊の本書は虚実のあわいに遊ぶ、独自の心境作品『私小説』 個人的に主宰する読書会ですすめられて、著者の本は未読だったこともあり手にとりました。 そんな本書は静岡県"藤枝市"出身にして、眼科医院を営む傍ら、小説を書き続けた著者の谷崎潤一郎賞受賞の『田紳有楽』、芸術選奨文部大臣賞受賞の『空気頭』の二作品。モグリの骨董屋にして弥勒菩薩の化身、磯碌億山を中心に金魚と恋をするぐい呑みだのチベットへの旅だの摩訶不思議な御伽噺のような前者『田紳有楽』、妻の果てなく永い闘病生活と戦後の混乱の中での女性遍歴を描く辛く重たい後者『空気頭』が収録されているわけですが。 医者という生業からか、または著者の性格なのか。テキストからは相手に対する冷徹な観察眼、そしてどこか自分を突き放したような硬質さを感じて新鮮でした。 一方で、昭和の匂いがどちらも濃密な収録二作品だと『田紳有楽』の輪廻転生的な無常感、その上でのニセモノ、イカモノたちの下世話感のある語りが割と好みでした。 『私小説』に興味のある誰か、昭和を感じさせる作品を探す方にオススメ。
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読むことの至福
藤枝静男の幻想小説は、これと「欣求浄土」あたりで頂点に達する。医師らしい医学知識が、上すべりすることなく幻想の世界にうまく重なっているといえ、読者はことさらな意味を求める必要なく、その奇妙な世界を漂えばいいのだ。
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構成
この文庫から空気頭が四部構成から、なぜか三部構成となった。 つまり一部と二部の間の○が消え、章が繋がっているようにみえる。 意図したことか間違いか、出版社に聞いたが返答なし。 研究者間では有名な話。
関連する文学賞
- 谷崎潤一郎賞 第12回(1976年) ・受賞