遠いリング
『遠いリング』は後藤正治によるノンフィクション・評論系の作品。人物、社会、歴史、文化を題材に、対象を具体的な叙述でたどる。
作品情報
『遠いリング』は、後藤正治の表現を講談社ノンフィクション賞の文脈で読むための重要な対象である。
『遠いリング』は後藤正治によるノンフィクション・評論系の作品。人物、社会、歴史、文化を題材に、対象を具体的な叙述でたどる。
書籍情報
- 出版社
- 講談社
- 発売日
- 1989-12-01
- ページ数
- 454ページ
- 言語
- 日本語
- ISBN-13
- 9784062040891
- ISBN-10
- 4062040891
- 価格
- 477 JPY
- カテゴリ
- 本/スポーツ・アウトドア/スポーツ
第12回(1990年) 講談社ノンフィクション賞受賞
レビュー
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人生ってなんだろうね
後藤正治さんのノンフィクションが好きで読んでいます。後藤さんの作品を読んでいると人の幸福とは他人と比べるようなものではないし、まして金があるかないかという問題ではないと感じます。
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ボクシングは夢を見ること。幻想を見つづけること。
ボクシングはハングリーな精神がなければ(試合)斗争ができないとしていた。 しかし「ハングリー」だけではすまない なにかがあるようだ。 「同じ体重、同じ腕 そして裸で斗う。」 <素質について> ボクシングにおいて素質の占める割合は確かに大きいだろう。 けれども、たとえば陸上競技における短距離ほどは 決定的なものではないはずだ。 百メートルを12秒でしか走れないものが いくら努力を重ねたところで10秒で走るのは不可能であろう。 けれども、ボクシングは長距離レースであり 先頭との差はいつかは詰めていくことができる。 「正直いって、私もボクシングは素質だと 長年思ってきたんですが、奥田を見てちょっと考えが変わりましたね。 素質で持つのはせいぜい一年ですね。 最後には努力を積み重ねている選手が勝ちますね。 もちろん限度はあるにせよでしょうが。」 「ボクシングは夢見ることを 抜きに維持することのできないものである。 その夢の中身や程度はそれぞれ違うし、その夢の実現度はほとんど問題ではない。 たとえその夢が実現したところで、あまり変わり映えのしない日常 があるだけなのかもしれない。であるならば、次の夢を乗せていけばいい。 ともかく夢を見続けることが必要なのである。 ボクシングを続けるとは、 いわばどれだけ幻想を抱くことができるかどうか という能力にかかっているようにも思えるのだ。 そういう夢や幻想を抱くことができなくなったとき、 ボクサーははじめてリングから去ることができるのではないだろうか。」 「少しの差が、ときに微差の熱戦に、ときには大差になってあらわれる。」 エディという男は実に文学的存在である。 力道山がエディを日本につれてきて、そして日本にフリーランサーのトレーナーとして生活する。 生活もつねにボクサーと一緒に生活する。ヘビースモーカーである。 しかし「伝説」の人になればなる程、ボクサーにとって暗示にかかりやすくなる。 *今時の若者に、のびさせるためにどうあればよいのか。 日本人がやろうとする「意志」がなによりも大切である。 =ほめること。評価すること。= ある意味で、ボクシングで脚光をあびなかった人も、 ストリーとして「脚光」をあびさせていることに、大きな興味がある。
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さすが後藤正治氏
この作品には際立った特徴が二つある。 一つは、全く古さを感じさせないこと。ボクシングというスポーツの持つ不思議な力のためか、それともスポーツに情熱を傾けること自体に普遍性があるためなのか。 二つめ。グリーンツダジムに所属する、一般にはほとんど無名の選手を多く取り上げていながら、彼らの魅力を十分に引き出し読む者に共感を与えることに成功していることである。 登場人物のひとりひとりに、ボクシングに対するあふれるような思い入れがあり、後藤氏もそれにはまりながら取材を続けてゆく。もし氏にもっと時間があったら、もし日本中のジムを回ったとしたらどれほどの作品を産み出すのだろうかとちょっと怖くなるくらいである。 久しぶりに、読み終わった後にもっと読み続けたいと願った作品集である。ボクシングに興味のある方は、ぜひ手に取っていただきたいと思う。
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名もないボクサー達を描いた作品。優れた聞き手が生んだ傑作である
大阪のグリーンツダジムに所属するボクサー8人の姿を描いた作品。‘89年に講談社から単行本で発売された作品を文庫化したものである。 8名のボクサーのうち世界王者になった井岡弘樹以外は無名の若者であるが、皆それぞれに事情があり傷を持っている。世界チャンピオンでもなければボクシングだけでは生活できない。それでも彼らは何故ボクシングを続けるのか。ボクシングとは彼らにとって何か?ということが、彼ら自身の言葉で綴られている。 著者は’87年から2年に渡ってジムや試合会場に通い続けるのだが、決して取材のための取材は行わない。著者が練習を何度も眺め、試合を観戦し、彼らと雑談を繰り返すうちに、徐々に彼らが打ち解けて心を開くようになり、著者の質問に気負いを持つことなく自然に答えている様子が目に見えるようである。本当に優れた聞き手だと思う。 そして取材の時期にも配慮がなされている。彼らが試合に敗れた場合、著者は時間を置いてから彼らにその試合のことを訊ねる。その方が、彼らがその試合で何を得、何を失ったかを知ることができるといった面もあるだろうが、これは著者の優しさである。 著者にはこの作品をドラマチックなものにしようなどという気負いは全くなく、彼らを映す鏡のごとく、等身大の彼らを描き出そうとしたはずである。だから、この作品は地味といえば地味である。しかし、普通の若者の悩みや喜びを描き出すのにドラマチックである必要はまったくない。地味だからこそリアルであり、何度も読み返すことが出来るのである。素晴らしい作品である。 なお、この作品に登場する「谷内均」というボクサーのその後は、著者の「咬ませ犬」という作品集で読むことができる。これもいい作品集である。