作品情報
『真昼なのに昏い部屋』は、受賞作として選ばれたこの作品は、作者固有の語り口で人物の感情や場面の緊張を描く。
受賞作として選ばれたこの作品は、作者固有の語り口で人物の感情や場面の緊張を描く。短い題名の奥に、時代や人間関係の変化に触れる読み味がある。
レビュー要約
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設定や語り口の個性を評価する声がある一方で、展開の癖や文体の濃さを読む人によって重く感じる場合もある。
書籍情報
- 出版社
- 講談社
- 発売日
- 2010-03-01
- ページ数
- 205ページ
- 言語
- 日本語
- サイズ
- 19.5 x 13.5 x 2.2 cm
- ISBN-13
- 9784062161053
- ISBN-10
- 4062161052
- 価格
- 2251 JPY
- カテゴリ
- 本/文学・評論
せめて、きちんとした不倫妻になろう。 満ち足りているはずの生活から、逃れようもなくどんどんと恋に落ちていく。 恋愛を、言葉の力ですべて白日の下にさらす、江國作品の新たなる挑戦! 私は転落したのかしら。でも、どこから? 会社社長の夫・浩さんと、まるで軍艦のような広い家に暮らす美弥子さんは、 家事もしっかりこなし、「自分がきちんとしていると思えることが好き」な主婦。 大学の先生でアメリカ人のジョーンズさんは、純粋な美弥子さんに心ひかれ、 二人は一緒に近所のフィールドワークに出かけるようになる。 時を忘れる楽しいおしゃべり、名残惜しい別れ際に始まり、 ふと気がつくとジョーンズさんのことばかり考えている美弥子さんがいた――。 恋愛のあらゆる局面を、かつてない文体で描きつくす意欲作!
江國 香織 (えくに・かおり) 一九六四年東京生まれ。 一九八七年『草之丞の話』で毎日新聞社主催「小さな童話」大賞を受賞。 二〇〇二年『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』で山本周五郎賞、二〇〇四年『号泣する準備はできていた』で直木賞を受賞。 「409ラドクリフ」(一九八九年フェミナ賞)、『こうばしい日々』(一九九一年産経児童出版文化賞、一九九二年坪田譲治文学賞)、『きらきらひかる』(一九九二年紫式部文学賞)、『ぼくの小鳥ちゃん』(一九九九年路傍の石文学賞)、『がらくた』(二〇〇七年島清恋愛文学賞)、『つめたいよるに』『流しのしたの骨』『神様のボート』『東京タワー』『ウエハースの椅子』『間宮兄弟』『スイートリトルライズ』『赤い長靴』『左岸』など作品多数。 小説のほか童話、詩、エッセイ、翻訳作品で幅広く活躍している。
レビュー
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お奨め
バッチリ
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小鳥のような
籠の中の小鳥に恋をしたジョーンズさん。 外の世界に飛び立った美弥子さんには、差程の魅力を感じなくなって行くんだろうな。 哀しくも美しい世のさだめですね。 江國さんの文章がとても好きなので、この小説もとても愉しめました。
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不倫は悪いことなのか
どうして不倫してしまうのか、結婚相手へ(結婚相手から)の接し方や態度などから誰でも起こりえることなのかもしれない
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引き込まれる
「きちんとしていると思えることが好き」な主婦とアメリカ人の中年男性との恋愛模様。グイグイ引き込まれた。
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繊細な文体がすばらしい
何不自由なく、真面目に毎日を過ごしている人妻が、中年のアメリカ人と不倫関係に陥るという物語。 これだけだと、日本と外国とを問わず、これまで山ほど書かれてきたテーマである。 江國さんは、瑞々しく美しい文体と、デリケートな感受性で、 古来書かれてきたこのテーマと勝負する。 例えば、主人公の美弥子さんが不倫相手となるジョーンズさんと初めてのキスをするシーン では、次のように描写されている。 「いましがたのキスは、美弥子さんがこれまでに交した、どんなキスとも違っていました。 水みたいに新鮮で、おそろしいほど直接的で、心臓にまで流れ込むようなそれだったという意味です。」 古来多くの作家が書いてきたテーマに、文体と描写だけで新しい1ページを付け加えようと するのは、なかなかできることではない。 そして江國さんの今回の試みは成功を収めたといってよいのではないだろうか。 また、他のレビュアーの方の御指摘通り、ラストシーンで、 美弥子さんの今後が必ずしも幸福でないことが暗示されているのが余韻を残している、
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心がざわめく
丁寧に読み聞かせるような文体から、心の動きが手に取るようにわかります。 ときめく気持ちもぐんぐん伝わってきます。 夫の足りない面も、マヌケさも、不遜さもわかりやすい。 自分の行動に「なぜ」と思ってしまう主人公には、ちょっとイラッとさせられます。 思わず似たような「いい奥さん」の知り合いを思い浮かべてしまい、苦笑です。 あの地域の魅力と「イケナイ恋」をからめた作品として、小川糸の『蝶々喃喃』との 対比が面白いかもしれません。
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お前は逃げられまい
江國さんの向かう方向に期待しています。以下、考えたことを。すかした言葉の綾にしかなりませんが。 江國さんにはおそらく、書きワケル、という意識が強くありません。ものにしても事柄にしても、そして(特に!)ひとにしても、「初めに輪郭ありき」ではないのです。江國さん自身、今回は説明的(Descriptive)な文体、と仰っているのにもかかわらず、作品の言葉はなぜか「もの」としての働きを果たしているように感じられます(尤も、「もの」(Object)なしに輪郭はアリエナイこと、「初めに『もの』ありき」なんて、現実の世界ではアタリマエですけれどね)。 その結果、全体が緻密なモビール(MOBILE Sculpture、「動く彫刻」)のように見えるのです。読むとか鑑賞するとかよりも、立ち会うべき「もの」としてです。そうやって合理的に(この作品にはこれまでの江國作品にはないくらい、合理性が潔癖に貫かれている、つまり「当然」ということが率直に綴られているのです)吊りさがったものどもから上へ上へと辿っていくと、江國さんに繋がっています。逆の視点から見れば、江國さんはその腕でマリオネットを操ろうともせず、そして実際操らずに吊りさげるにまかせている(それでも当然マリオネットは動きますし、おそらく江國さんもそのことを知っているのでしょう)、とも言えます。 最近の江國作品は、ともすれば単なる「浮き世離れした無難でつまらない不倫小説」と受け取られてしまっていて、僕はそれが残念でなりません。退屈だとか不気味だとか、「共感」できない、不満だとか言うひとは、この面から読んで、いや、立ち会ってみてください。そして、覗きこんでいる江國さんの顔を、見てみてください。きっと、「お前は逃げられまい」でしょう。 補足1 この作品が中央公論文芸賞を受けたそうです(2010年8月18日)。だからってイイってわけじゃないだろう、だいいちエンターテインメント用の賞なんだし、と言われればそれまでですが。興味は持っていただきたい… 補足2 内容面のヒントとして、ひとつだけ。「美弥子さん」は多分また、さらに「世界の外」に出てしまわなくてはならなくなる、そんな風に思えます。「ジョーンズさん」のような人が、いつまた現れないだなんて限りませんから。「ジョーンズさん」は、一人ではない! ……「ジョーンズさん」とはもしかしたら、作品という「鳥籠」の外にいる、読み手の各々であるかもしれないのです。その時僕たち読者は、「ジョーンズさん」のように「たぶんこれで良かったのだ」と平気な顔をして言うことが、果たしてできるものでしょうか。
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10頁読んで、
『がらくた』と同類か、の予感がはしったところで読み収めました。つきあえない。
関連する文学賞
- 中央公論文芸賞 第5回(2010年) ・受賞