作品情報
八月に閉じ込められた恋が、蝶とともに戻ってくる。
第26回小説すばる新人賞受賞作。戦争と記憶、ひと夏の恋を静かに結び直す。
書籍情報
- 出版社
- 集英社
- 発売日
- 2016-05-20
- ページ数
- 320ページ
- 言語
- 日本語
- サイズ
- 10.7 x 1.4 x 15.3 cm
- ISBN-13
- 9784087454413
- ISBN-10
- 408745441X
- 価格
- 638 JPY
- カテゴリ
- 本/文学・評論
1945年夏、広島。その日落とされた一つの爆弾に、少年のほのかな恋心は打ち砕かれた──。戦時下の人々の生活を描き、鮮烈なデビューを飾った第26回小説すばる新人賞受賞作。(解説/高橋千劔破)
レビュー
-
「誰のせいで」と問うむごさ
なぜか広島には、敵機がやってこなかった。ほかの町には焼夷弾が投下され、人も家も焼き尽くされていくというのに……。 月日は緊迫の度を増しつつも、そんな一見のどかな町に暮らす、少年・亮輔と八つ年上の希恵の、ほのぼのとした恋物語が描かれます。でも、一発の原子爆弾は、それを一瞬にして打ち砕く……。 読みごたえのある、心ふるえる一冊でした。 わたしは「被爆」というテーマにしぼって感想をまとめます。 みじめな敗戦は、ひとびとの心に大きな影響をおよぼしました。軍人だった亮輔の父はボロボロ、骨抜きになりました。息子の亮輔はしかし「なにくそ」とがんばり、事業で成功を収めます。戦後のよくある親子の組み合わせでしょうが、原爆はもう一つことを複雑にした、と作者は書いています。 「亮輔の場合、原爆は彼をより被害者のグループのほうに近づける役割を果たした」。これに対して、父の場合は「彼を加害者のグループに釘づけにする役割を果たした」。つまり、おまえら軍人が侵略戦争をいつまでもやめなかったから原爆を落とされたのだ、という非難をこうむる立場です。失意のまま、父はほどなく病を得、世を去りました。 責任を問うことは必要でしょう。でも「誰のせいで」と問うことが、ときに理不尽なむごさをはらむこともある。 「被害者」としてカテゴライズされたものの、亮輔の心中もまた複雑でした。 小説の後半(二一三〜二二七ページ)には、若い小学校教師との激論が描かれます。「ヒロシマ人は被害者面をしているだけじゃだめだ」「あの戦争のあやまちをどう思われるかということを、包み隠さず語っていただきたい」という教師の言葉に、亮輔は反発します。 「被爆」ということばは、ときに差別語になってしまうこと。戦後の平和教育が、うわすべりしていること。そして「安らかに眠って下さい。過ちは繰返しませぬから」という平和公園の碑文に、「自分らも悪かったんじゃから仕方がないと思わせるためのトリックみたいなものを感じる」こと……。 教師の言葉のみならず、亮輔のこうした思いも、読み手のこころにグサリときます。 こうした議論にふれて、わたしは思いました。「責任をとる」とは、どういうことか。そも「責任」とは何か。 きちんと責任をとるということ。当たり前の話でしょうが、これが「おとな」であることの証(あかし)ですね。でも、このところ目につくのは、たとえばセクハラや失言なんかの責任をなかなかとろうとしない官僚や政治家の姿です。かっこ悪いですね。 昔はそういえば「切腹」という責任のとり方がありました。考えてみれば、潔いというか、凄まじいというか……。 歴史上もっともスケールの大きい、かつ驚天動地の責任のとり方を示したのは、ナザレのイエスではないでしょうか。何しろ全人類の罪の「責任」をまるごと背負って磔(はりつけ)になったのですから。もちろん、そうした意味づけは、のちの神学の産物であったとはいえ……。 エマニュエル・レヴィナスというユダヤ人の哲学者がおりました。多くの親族が、ナチスのホロコーストにより、いのちを奪われました。 なぜ神はわたしたちユダヤ教徒を見捨てたのか。その問いをかかえ、呻吟のはてに、レヴィナスはこのような結論に達します。 「神が真にその威徳にふさわしいものであるとすれば、それは神が不在のときでも、神の支援がなくても、それでもなお地上に正義を実現しうるほどの霊的成熟を果たし得る存在を創造したこと以外にありえない。神なしでも神が臨在するときと変わらぬほどに粛々と神の計画を実現できる存在を創造したという事実だけが、神の存在を証しだてる」 「神は、神の支援ぬきで、自力で、弱者を救い、病者をいたわり、愛し合うことができ、正義を実現できるような、そのような可能性を持つものとして、われわれ人間を創造した」 「世界に不義と不正が存在することを神の責めに帰すような人間は霊的には幼児である。私たちは霊的に成人にならなければならない」 〔内田樹「レヴィナスを通して読む『旧約聖書』」から=田川建三ほか著『はじめて読む聖書』(新潮新書)所収〕 このように言われれば、わたしは衝撃とともに、すなおに感動するほかありません。 とてつもない悲劇をこうむりながらも、誰のせいにするのでもなく、グチをこぼすのでもなく、そしてさらに神をも恨むことなく、この悲劇はことごとく自分の責任と受け止めて、目の前にいる不幸な人を支え励ます生き方をどこまでもつらぬく。これこそ(神がいるとするならば)神が創造した「人間」にちがいない……というわけです。 この世には「ベクトル」をもつことばがあるように思われます。発すべき向き、方向性を秘めていることばという意味です。「誰のせいで」ということばは、相手へ向ける前に、まず自分に向けねばならない。しっかりと責任をあきらかにすることはもちろん大切ですが、そのまえにわたしたち自身もまたきっちり責任を取るという人格的潔さをひごろから培っておかなければならない。 ひとのせいにばかりする風潮が広がっているように思える昨今、この点はお互い肝に命じておきたく思います。 作品のラストシーン ――。 晩年、主人公の亮輔は、死の床で過ぎ去った日々に思いをはせます。 「わしはやっぱり被害者ではなかったな。……わしはずるかった。……ほんとの被害者ちゅうのは、あの日焼け死んだ人らだけなんかもしれんのう。きえ(希恵)さんのような人ら。……わしらのように生き残った者はみな被害者ではなくて、すべからく、あんまりきれいではないわけよな。だって、みななんかごまかしとるもの。半分嘘、半分ほんとで生きとるもの」 被爆者のこころの奥の、奥の、奥底までを描いた、まことに読みごたえのある作品でした。
-
よかった
前半は面白くなかったけど、後半から胸にぐっときた。
-
青い蝶に込められた淡い恋心
広島の原爆を扱った本は数多くありますが、この小説の骨格は少年の淡い恋心です。 焼け野原のようす、被爆者の立場、その思いなど、悲惨な状況、辛い思いなど、たくさんのことを織り込みながらも、爽やかな読後感でした。いい作品に出会ったなと感じました。
-
無駄な記述が多すぎると思います。
周防柳さんの作品を読むのは三作目です。初めに読んだ『虹』は丁寧な心理描写にたいへん好感をもちました。一方、次に読んだ『余命二億円』は無駄な説明に辟易して挫折しました。そして今回、デビュー作を読んだのですが、がっかりしたというのが率直な感想です。 周防さん独特の日本語表現や日本語表記に関しては、もう何もいいません。それよりも強烈に感じるのは展開の拙さです。『余命二億円』でも同じことがいえますが、作品を書く際に調べたことや知ったことを全て記さないと気が済まない性格のようです。そのため、テーマとは関わってこない無駄なシーンが多く、結果として何がいいたいのか分からなくなっています。この作品では亮輔と希恵との交流にしぼり、そのぶん深く掘り下げた方がよかったと思います。第一作としては勿論よく描けているとは思いますが、読んでいて退屈でした。
-
人に歴史あり
第26回小説すばる新人賞受賞作。 広島の原爆歴史と、当時を生き抜いた主人公の秘められた恋をからめた、現代と戦時中の8月を交差する物語。 恋愛小説としては三章の途中から結末が予想できるのだが、それでもグイグイとストーリーに引き込ませる筆力は流石といえる。 原爆を体験することが、どれだけの人生をかえたであろう。 そのうちの一つの歴史(人生)である。 ただのロマンティックな恋愛小説ではない。 圧倒的な原爆 (被爆) という現実が、現代と戦時中の対比が、ロマンティックで美しい描写を一層せつなくさせる。 だが 秘められた恋とからめることで、悲惨でおぞましい被爆の描写を淡々と書ききることにも成功している。 そして原爆を生き抜いた人達とて綺麗ごとばかりではなく、言い方はわるいが二枚舌を駆使して世をわたってきた故に語り部になりたがらないという実情も。 読後に なにか久しぶりに上質なものに触れたように感じる物語だった。
-
考えるべきことは まだ残っていた
日本は唯一の被曝国ですが(しかも2発も)、多くの人にとっては風化寸前の歴史であることも事実です。 本書はそうした被曝をテーマにした優れた小説のひとつであるように思いました。 戦争体験を忘却することで戦後の著しい発展を遂げてきた日本ですが、海外からこの現状を見れば、かなりの違和感があるということも、よく耳にすることです。 しょせん戦争は、「勝てば官軍、負ければ賊軍」というように、戦勝国側のしたことは、すべて正しいという文脈に置かれています。 だからこそ、国連の常任理事国というのはいまだに戦勝国で占められていて、国家の質や、社会貢献度、国連分担金の多さといったことは全く関係なく、常任理事国のメンバーも変わりません。 この小説では書き方は非常に多角的に、様々な立場から見れる視点をとっているために、被爆者についてかなり書きにくいようなことも書かれています。 だからといって、過激な視点なのかというとそういうことではありません。 それぞれ書けることを、しっかりと書いているという立場の小説だと思うのですね。 だから中立的ということでも無いし、たぶん作者は「どこまで書き出せるか」ということが、ひとつの目標だったのかもしれません。 人によってはそうした記述が、癇に障るような人もいるかもしれません。 しかし、読後は自分自身の考えと、かなり対峙しなければいけなくなるような、強い読後感を生じさせる小説だと、私は思いました。 「考えるべきこと、じつは山ほど残されているんだ」、そういうことを突きつけてくる小説です・・・。
-
まさか、反戦・反核ブンガクのつもり?
昨年(2013年)の第26回「小説すばる新人賞」受賞作品である。この新人賞は長編エンタメ系では人気ナンバーワンで、毎回1200〜1500篇もの応募があるらしい。最難関である。にしては、ここんところ受賞作がぱっとしない。 3章の亮輔少年の“12歳のプロポーズ”のあたりまでは快調。この先どんなふうなエピソードが明らかになって、1章の冒頭に配されたいわくありげな青い蝶の標本とストーリーがつながっていくのか、と胸を躍らせた。 しかし。 4章以降にがっかりさせられた。ストーリーと直結しない(とあえて独断してしまおう)自省、煩悶、思念などの独白がやたらと長くてくどい。いまさらながらの戦争や原爆をめぐる考察や議論がむなしい。特に、亮輔と教師との酒の場での論争にはしらけてしまう。13ページにおよぶこの個所は、正直言って、読むのが苦痛でした。あげくの果てに「亮輔は、ぼとぼと、ぼとぼと、滂沱の涙を流した。」っていう結語はどうよ? それに、全体を通して、視点があちこちへ移り変わり、神視点というには少し都合がよすぎて、登場人物に入り込みにくいような気がした。ついでにいえば、なぜ「大竹市」ではなく「O市」、「所沢市」ではなく「T市」とぼかしたのだろう。この表記だとリアリティがそがれて物語との疎隔感が生じてしまうのではないですか。
-
「指先でちょいとひねってこしらえたような鼻」
まるでノンフィクションを見ているようでした。1945年の広島に原爆が落とされた日。その当時の様子が生々しく、かつ子細鮮明に描かれています。ただ、あくまでもメインはそこに生きる人々の描写です。これがまた凄かった。特に終盤で出てくるワンシーンは見ものです。当時小学生で実際に原爆の被害にあった亮輔と、その頃には生まれていなかった若い教師が激論を交わすのですが、その分量が半端じゃない。熱量が凄いんです。飲み会の席でのことなので、現実であれば誰か止めに入ってるんだろうな、と野暮な考えも浮かびましたが、お互いが正論に聞こえるものだから、ついつい見入ってしまいました。 もちろん微笑ましいシーンもありますし、それ故に涙してしまうところもあります。特に標本ができるまでの経緯は見逃せません。 とても中身の濃い、バランスのとれた物語だと感じました。 ☆お気に入りのセンテンス☆ 『この国の人は忘れるのが早い。いや、忘れているのではない。忘れることの効用を知っている。忘れ上手なのだ。』(原爆投下の歴史について)
関連する文学賞
- 小説すばる新人賞 第26回(2013年) ・受賞