作品情報
『翼はいつまでも』は、川上健一の作風が凝縮された受賞作。
昭和の地方都市を舞台に、野球、音楽、淡い恋を通して少年の成長を描く青春小説。大人になる直前のきらめきと痛みを、まっすぐな語り口で包み込む。
書籍情報
- 出版社
- 集英社
- 発売日
- 2001-07-26
- ページ数
- 304ページ
- 言語
- 日本語
- ISBN-13
- 9784087752915
- ISBN-10
- 4087752917
- 価格
- 2251 JPY
- カテゴリ
- 本/文学・評論/文芸作品/日本文学
野球部で万年球拾いのぼくは、ある夜、運命の曲と出会った。ビートルズ。そして大人の男になろうと自転車で一人旅に出た湖で初恋を知る。感動の書き下ろし! 第17回坪田譲治文学賞受賞作。
レビュー
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言葉にできない。
ビートルズが関係すること、夏の青春物ということで読みました。読んでる最中は話に感情移入して、読み終われば余韻に浸り、幸せで甘酸っぱく、言葉でうまく表現できないけど、出会えてよかったと思える一冊です。
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うん、いいと思う!これぞ青春小説だ!
第一章の始めのあたりまでは、 ???、これ大丈夫か?と思う位、読んでいて失敗したかなと思ったけど 野球部の部員が相撲部の試合に応援に駆り出され 部内に不穏な空気が流れるあたりからだんだんと面白くなった! こんな先生って本当にいるのか? と自分の過去と照らして思い出したが、本当に理不尽極まりない 今の時代であれば、体罰云々の前に、 人権を無視したとても教師と思えないような教師が何人か出てきます。 なんかそれが逆に、主人公への感情移入が出来、どんどんと読み進め行きます。 第二章が特に良かった。 セックスがしたくて十和田湖に野宿に行く、何とも単純な動機がまた 中学生っぽくて、でも、こんな単純で純粋な中学生って今いるのか?? とも思い笑ってしまいます。 そこでの同級生との出会い、彼女が抱えた過去や才能。 仲間たちとのやり取り。 転向が決まった同級生との別れの場面では読んでいて涙が出そうになりました。 別れの間際、「キスがしたい」と言い出した主人公の発想には、とても驚かされ、それが何とも良かった。 とても素敵な作品だと思う。 文章は、なんか稚拙な印象を受けたけど、それがこの作品の世界観とマッチしていて 逆に良かったように思えました!!いい作品ですよ!!
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感動しました
感動しましたとありきたりな言葉でしか表現できないことがもどかしいです。青春の時に心を重ねることのできる、夏に読み返したくなる一冊になりました。いい本に出会いました。
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50前のおっさんが泣きまくりました。
普段ネットの書き込みは滅多にしないが居てもたってもいられず、書きました。 これは平平凡凡な純な男が世界の一流一女性音楽家を作り出した話です。 その娘は才能があったが多くの困難やトラウマを抱えて本当の人間との心の根っこかららの繋がりを持てずにいた。 当時のその女子中学生の心を開けたのがクラスメイトの主人公神山。どこにでもいる一見しょうもない男との心の交流。 書中のエピソードが私の心を掴んで離さない。 彼女のトラウマに苦しむ打ち明け時に二人で手を強く握り合ったこと、嘘を言わないと約束したがためにキスしたいことを打ち明けねばならなかったが彼女もオッケーだったこと、雷雨の中「斎藤が好きだ」と絶叫したら蔭で聞いていた斎藤が「私も神山君が大好き」と叫んだこと、別れるときに嘘を言わない約束を詰問したら「神山君が好きだから」との斎藤の答えたこと、クラスのつまんない一女子が実は凄い才能の持ち主だったこと、、、いろいろありすぎて書ききれません。 兎に角これは中年になっても(30年後の同窓会が泣きのクライマックスなので)楽しめる青春小説の傑作です。つまらない中年生活を送っていて青春恋愛小説で泣きたければ、これを是非どうぞ。
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成長物語として「座り」が悪い
川上健一氏が本書を書くのに10年間のブランクを要したという「屈託」に興味がそそられる。「子供の頃を思い出して泣いた」という感傷的な読後感が多いが、少し分析的に論評してみよう。センチで何が悪いと言われる向きには余計なことかも知れないが... 1)物語はケネディ暗殺(1963年11月22日)の年に始まり、終章の中学卒業後30年目(1995年)の同窓会で終わる。野球少年たちは1963年当時中学2年生の14歳だから、生年は1949年になるが、川上氏も同年生まれである(1949年8月7日)。物語は作者の実年齢に添って進み、中でも語り手の神山久志は30年後に物書き(脚本家)になっているという設定だから、さしずめ作者の分身だろう 2)その「終章」であるが、なぜ作者はこのような「おまけ」をつけたのだろうか。読者が小中学生ならば、30年後の同窓会シーンは不要でむしろ邪魔だ。従ってこれは児童文学ではなく「回顧小説」である。軸足を大人に置き、中年読者に過ぎた昔を思い返らせて泣かせる小説である。願わくは文学的にも評価される物語に仕上げたかった作品である。作者の「10年間のブランク」を越えるにはこのくらいの野心はあったはずだ。これが「終章」を加えた意味だと読める、 3)小説にはBildungsroman(教養小説、成長小説)というジャンルがあって名作も数多い。では本書をそういう意識で評価したらどうだろうか。優れた成長物語に必須なのは、多彩な大人の登場である。例えばケストナーの『飛ぶ教室』では、“禁煙先生”や“正義先生”のような、少し崩れてしまった大人たちが、少年たちの「反面教師」のような側面も見せつつ、中学生たちを見守る。これが作品に奥行きを与えている由縁だが、本書はどうだろう。登場する中学教師たちは揃いも揃って抑圧的で暴力的であり、「大人は命令し、服従させる」だけという生徒の不満が多用されるように、学校全体が腐っている。例外的に新人の音楽担任・小林先生のような人気のある教師もいるが、「姉」のようであっても教師としての矜持は明らかではない。もう一人の例外としての神山少年の父-息子を危機一髪のシーンから助け出す-は重要な役割を果たしながら、月光仮面的なカリカチュアの域を出ない。このように大人が書ききれていないので、そのぶん物語に「深み」が生まれない。 4)座りの悪い小説でもある。ストーリーは突然、第一章の「あり得る話」-リアリズムから、第二章の「ありえない話」-ファンタジーになってしまう。第二章は、童貞を捨てるためのキャンプ行き、天才少女に変身した斉藤多恵との出会い、自殺志望の中年女性との出会い、同級生たちとの再会、田口先生との出会い、どれもこれもが偶然性に満ち、場当たり的な理由が付けられ、読者は話について行くだけになる。この構成は何なのだろう。回顧小説として泣きを誘うのだったら第二章はいらないし、ファンタジーとして夢を見せるんだったら第一章はいらないのではないかと思う。第二章で唯一注目される部分は、斉藤多恵の「いまの大人みたいにはならない」と言う決心、女流作家が神山少年に「黒と白との間には灰色もある……それが世の中だってこと」という諭す言葉。常に負けか勝ちかの世界にいる野球少年には特に示唆的で「成長小説」的言葉であるが、この伏線はその後生かされているように見えない。 5)三章仕立ては据わりが良いと言われる。リアリズム-ファンタジーと進んだ後で、終章(第三章)で期待されるのはリアリズム的「回収」の筈であるが、ここではファンタジーの延長のまま行ってしまった。もともととってつけたような8頁の終章は短すぎるのである。同窓会の出席者たちは45歳だから、働き盛りの真っ最中である。様々な世過ぎがあるなかで、彼らは中学生の頃に批判した大人たちとはどう違う成長をしつつあるのか。白と黒の間の数限りない「灰色」のどの辺にいるのか、そういった経緯が少しでもあれば、物語に深い陰影が施されるはずだった。特異な個性的人物としてあれほど書かれた阿部貞子はどうなってしまったのか。同窓会に居るのか居ないのかすら判らないというのは何故か。ここも据わりが悪い。 6)厳しい批判になってしまったが、感心したところも多々あった。特にビートルズの使い方が上手い。All My Loving の歌詞が多恵との別れのシーンで全て使われているのには全く驚いてしまった。斉藤多恵について言えば、一人転校してきて一人去って行くという筋立ては『風の又三郎』ではないが、児童文学の定石を外していない。 7)これだけの長編なのだから、2冊仕立てにして、同窓会に至るまでの野球少年(少女)たちの生き様をもっと書き込んで欲しかった。そうすれば中途半端感がなくなる上に、『次郎物語』や『赤毛のアン』と堂々と比べられる「成長小説」になった筈だ。惜しい。
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懐かしい気持ちになれます。
私は50過ぎのおっさんですが、読むとなんか懐かしい気分になれました。私の感覚ですと、中学生というより高校生の物語としてとらえるとよりすんなり読むことができました。今の子供たちはこんなことできるのか?こんなふうに人を好きになれるのだろうかと考えてしまいました。とても面白く読みましたが、最後は少しやりすぎかなと。その分星ひとつマイナスしました。
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ど直球な、青春モノ。
主人公は14歳の中学三年生。野球や恋や、色々あるけど、ビートルズナンバーにのって、成長していきます。 ピュアな気持ちを味わいたい貴方に。
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面白いです!
読みやすい文体で思わず一気に読んでしまいました。何か懐かしい子供時代が思い浮かびます。
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