日本の文学賞

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安楽死を遂げるまで

講談社ノンフィクション賞

安楽死を遂げるまで

宮下洋一

安楽死を選ぶ人々とその周囲を追い、死の自己決定をめぐる現実を描いたノンフィクション。海外取材を通じて、制度、家族、医療倫理の複雑さを浮かび上がらせる。

安楽死医療倫理自己決定海外取材

作品情報

死を選ぶ人のそばで、何が問われているのかを見つめる。

小学館から刊行され、のちに文庫化された受賞作。感情的な賛否ではなく、現場の具体的な声から安楽死の問題を考えさせる。

レビュー要約

  • 受賞作としての着想や題材の明確さが評価されている。流通情報が限られる作品では、選評や書誌情報を中心に確認できる。

書籍情報

出版社
小学館
発売日
2017-12-13
ページ数
356ページ
言語
日本語
サイズ
14 x 2.8 x 19.5 cm
ISBN-13
9784093897754
ISBN-10
4093897751
価格
2490 JPY
カテゴリ
本/文学・評論

京都「安楽死」事件を考える上での必読書 安楽死、それはスイス、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、アメリカの一部の州、カナダで認められる医療行為である。超高齢社会を迎えた日本でも、昨今、容認論が高まりつつある。しかし、実態が伝えられることは少ない。 安らかに死ぬ――。本当に字義通りの逝き方なのか。患者たちはどのような痛みや苦しみを抱え、自ら死を選ぶのか。遺された家族はどう思うか。 79歳の認知症男性や難病を背負う12歳少女、49歳の躁鬱病男性。彼らが死に至った「過程」を辿りつつ、スイスの自殺幇助団体に登録する日本人や、「安楽死事件」で罪に問われた日本人医師を訪ねた。当初、安楽死に懐疑的だった筆者は、どのような「理想の死」を見つけ出すか。第40回講談社ノンフィクション賞を受賞した渾身ルポルタージュ。 【編集担当からのおすすめ情報】 ALS患者が「安楽死」を求め、担当医ではない医師2名がそれに応じるという嘱託殺人事件が京都で起こりました。なぜ事件は起こったのか ?日本の「安楽死」を巡る状況とは? 事件を考える上で必読の一冊です。

レビュー

  • 「死」についてこれほど身近に感じさせられた本はない。

    ...遅れて読んだけど、この本はすごい。 著者がスイス、オランダ、ベルギー等で安楽死の現場に立ち会った際の状況が細やかに描写されていて、かなり引きこまれた。 日本人と欧米人の考え方の違いも取材を通して浮き彫りにし、考察しているので、ある意味で比較文化論にもなっている。 著者は、「自らの意思で」死んでいく人を目の当たりにして、止めなくてよかったのかと自問自答する。それも自然な反応だろうと思う。 読む人は、著者の立場に自分を重ねて葛藤するかもしれない。自分だったらどのような死を迎えたいか考えるかもしれない。 病院で薬漬けにされ、治る見込みもないのに生かされるよりは、「もう生きていたくない。このまま死にたい。」という患者本人の意思を尊重して安楽死をさせてあげるほうが良いと思う。 人権という見地から考えてもそのほうが望ましい。生きることは権利であって、義務ではないと思う。 しかし、安楽死を選ぶ人たちは、家族関係が良好でない場合が多いという医師の発言もある。 ほんとうに回復する見込みがないのか、本人が幸せに生きれる可能性はないのか、その判断には恣意的な要素も絡んでくる。 著者の取材で登場する、スイスで自殺幇助の仕事をするプライシック氏も、まだ実行すべきではなかったと悔いたケースもある。だから難しい。 終末期医療だと高齢者の話が多かったけど、取材では、29歳で脳腫瘍を患って尊厳死(安楽死)を選んだ女性や、49歳で重度の精神疾患に苦しんで安楽死を選んだ男性もいた。 まだ身体は健全に動くのに、認知症に苦しんで命を絶つ人もいた。だから、安楽死の問題は決して「身体の衰えた」「高齢者」の話だけではないのだと思った。 また、最後のほうで30代の日本人女性の話も書かれている。彼女はプライシック氏の自殺幇助団体に登録している。読む限り、彼女は死ぬ必要がないという著者の意見に同感する。 しかし、死にたいという思いを抱え続けながら、解離性障害と判断した医師からさらに追い打ちをかけるようなことを言われ、そうした不幸のなかで簡単な励ましなどは役に立たない。彼女の今後も気になるところだ。 各国の安楽死についての認識や法的整備の現状を知る上でも、死について考える上でも、この本はぜひ勧めたいです。

  • 丁寧な取材に積み重ねられた冷静な文章で考えさせられる

    死ぬときはコロッといきたいと思いますが、 コロッといく場合、死が突然やってくるので自分も家族も心の準備ができません。 癌などで死まで少し時間が持てる場合は準備はできますが、 痛みや苦しみを感じる時間も長くなります。 この本を読んで、安楽死と尊厳死のちがいや医療関係者の精神的負担を知りました。 議論ができない日本で法整備は難しいなと感じました。 著者が読者を誘導しないように冷静な文章で書いているので、 一緒に考えながら読むことができました。

  • 迫真のルポだが、取材対象に飲み込まれていないのは立派。

    「積極的安楽死」「自殺幇助」について欧米日6カ国を取材した骨太のルポ。 実際に「自殺幇助」を引き受けている医師とともに自殺の瞬間に立ち会うなど著者の取材力は強力である。ただ、(多少強引な取材は許容範囲にしても)「『絶対に書くな』と彼は言ったが、私は書くことにした。(p.368)」という箇所にはどうかなとも思ったが。 何カ所かコメントとして「違和感」「分からない」「混乱して」等の表現が出てくる。また、自分の取材のスタンスとして「世の中の物事には必ず裏と表がある。……バランスを失ってはならない。(p.388)」と述べる。それぞれの取材先に「食い込み」つつも、常に「一歩離れた」姿勢で取材対象を観察しているのだろう。その姿勢は、「安楽死」等への賛否が明らかで、その裏付けとしての好事例のみをレポートする姿勢より信頼できる。 本書を読んで、私もさまざまに気持ちが揺れたが、今のところ、状況によっては「安楽死」や「自殺幇助」が容認される事例はあるかもしれないけれど、それを法制化するのは問題だろうと考えている(日本で言う「尊厳死」≑延命治療/延命措置の中止については本書のテーマでないので触れない)。 一箇所だけ。p.331に「青木が傍聴席に立って」とあるのは、被告席、あるいは証言台だろう。

  • 安楽死を遂げた宗教観については大きく触れていない

    漠然としていた安楽死についての自分自身の考え。 この本を読んで何かしら自分の中で明らかになる点があるかと思ったが、そうではなかった。これは著者に対する批判でもなんでもない。ただ、自分自身でももっと考える必要があるということに改めて気づかせてもらった。 国民性という一つの境界線とともに、宗教観もまた人の死生観に影響する要素だと思う。自分はクリスチャンであり、聖書に基づいた死生観を持っている。宗教というものは(多分)それぞれにその宗教を信ずる者の死生観に(大きな)影響を与えるものと思う。 しかし、この著書においては宗教に関して深く触れることはなかった。 今、この本を読み終わって、多くの宗教が存在する今の世界で、宗教を誠に信じる人々がこの安楽死、尊厳死に大きく関わる自分の命の権利をどのように考え、自分の命の終末をどのように迎えようと、または迎えたのか。 そんな、宗教との関係性について新たな著書が出るならば、是非手にとって読みたいと思う。

  • 自分の答え

    素晴らしい本に出会いました。ここまで自分の思考の奥底まで考えさせられる本はなかなかありません。私なりの答えが見つかりました。

  • 安楽死の事例の単純枚挙であって哲学がない。

    主にヨーロッパにおける安楽死の事例を紹介している。末期がんや神経難病が理由の安楽死だけでなく、認知症や躁うつ病による安楽死、はては親の承認に基づく幼児の事例まで取材している。 著者は安楽死の是非に関して中立的である上に、取材すればするほど「わからなくなる」と告白している。しかし、「わからなくなる」とは言いながら、本書には思索のあとが見られない。単に事例を単純枚挙的に紹介しているだけであって、哲学的な営為を行っていない。 何か考えているとすれば、「死は誰のものか」をちょっとだけ問題にしていることであろう。著者はヨーロッパでの死の「個人主義」に戸惑っていて、死は個人の周辺の人々(家族や友人)のものでもあるのではないかと考えている。この点でヨーロッパの個人主義文化と日本の集団主義文化を対比させている。しかし、この文化論はあまりにも stereotypical であって、文化の複雑さに気付いていないように見える。第一に、例えばフィリップ・アリエスによれば、中世フランスにおいては死は公的なものであって、家族が死に瀕すれば通行人を死の床に招いたりした。逆に日本では特に戦後に儒教の伝統がかなり弱まってきて、個人主義化が進んできている。第二に、臓器移植と「脳死」の専門家によると、フランスでは個人が生前に移植拒否の意志を明示していなければ、脳死した身体は公共的な医療資源として移植医療に回される(つまり死は公的である)のに対して、日本では個人(またはその家族)が移植に明示的に同意していなければ臓器が摘出されない(つまり死が自己決定的である)。著者の死の文化の類型化は短絡的であると言わざるを得ない。このような短絡は、多分異文化の中で生活している人々に起こる現象なのであろう。 なお、本書もまたノンフィクションらしく文章が大げさであってベタベタした印象を与える。特に女性の発話を日本語に翻訳する際に、「~なの」のようにことさらに女性的な表現に置き換えているのは読んでいて気持ち悪い。 しかし総じて、ヨーロッパでの安楽死の事例を知るには良い本なのであろう。最後に、武田砂鉄の解説文には落胆させられた。砂鉄ともあろうものが、テレビの映像にだまされている。

  • 生きることを定義できないと死ぬことを定義できない。個別的な死に対する見解は出うるが定義はできない。

    生きることを定義できないと死ぬことを定義できない。しかし、生きる意味を定義できる人なんて、いるのか?いや いないだろう。 つまり、死ぬとはどういうことか?という定義は、絶対にできないことになる。 そこがスタートだから、尊厳死、安楽死、自殺幇助、そういった死をあつかう議論では、 フラストレーションをいだいて終わるのが運命のようなものだと思っている。 ただし、死とは何か。一般的な定義は不可能だが、個別的な解は出ることがある。 ほとんどの人は死がこわいから、解をださずに、問題を先送りして、死がせまったときにオロオロして暮らすことになる。 本書は、例外的に、個別的な解を出した人にスポットライトを当てていく。 生きる定義が個人によって違うから、死ぬ定義も個人によって違うのは当たり前であり、非情に共感できる死がある反面、許せない死、意味のわからない死など、納得できないものに対しても、分け隔て無く、死に対する個別的な結論が紹介される。そして、そこに対して、筆者の個別的な、しかし揺れ動く死生観が、押しつけがましくなく、明確に表現される。文章には、必ず「私は」という主語がある。そこに誠実さを感じた。 新聞のように、主語もない、書いている人の顔が見えない文章では、個別的名「死」を扱うことができない。だから自分は尊厳死などをあつかう問題について、「〜は議論を呼びそうだ」みたいな、新聞おきまりの結論をみる度に、怒りを抱く。そんな自分のような人には、筆者と死について「精神的な相撲」をとることができる、がっぷり四つで「死」という、普段考えたくない範囲について、知的な筋力をつけられる、間違いなく良書である。 批判を言うとすれば、日本的な「死は家族にも所属する」という考えに、欧米在住の筆者は、一種のあこがれのような感覚を抱いていることに違和感が強かった。絆、つながり、のような美談でとらえられる日本の村社会は、 「長男の嫁」「村八分」「出る杭は打たれる」など、近年日本では克服すべき、悪しき人権蹂躙の風習と表裏一体の危険な要素を含んでいることが認識されてきている。そのような、日本における村社会の絆、みたいな幻想が、もし死生観まで蹂躙しているのであれば、それは集団による人権の迫害であり、克服すべきものであると考える。全然美談ではないと思う。 「それもまた、あなたの個別的な死生観でしょ?」と御批判をうけるかもしれないが、 「個」ー「個」が、死生観でぶつかるのはよいと思うが、「集団」ー「個」が死生観でぶつかることには、ナチスの障害者安楽死計画のようなおぞましさと、どこかでつながっている気がして、ここは譲れない点だ。批判させてもらう。家族、村社会は個人の死生観に介入すべきではない。 もう一つの批判としては、医療の進歩が人間を傷つけることが増えたからこそ、尊厳死をえらび、「医療に傷つけられない権利」が叫ばれているのだから、「医療の暴力性」についてもっと専門的な人間に話を聞いてみるべきであったろう。直腸から出血したが、放射線治療で治った例についても紹介されていたが、医療的な監修をうけたとは言えない文章であり、医療の「暴力性」と「有効性」を天秤にはかるための材料が、そこにはほとんどない。 実際には、末期癌なのに心臓マッサージで肋骨骨折して吐血して死ぬ人、重症な方が数日生き延びるための透析(そのためのカテーテル挿入、出血、痛み)。など、尊厳死が広がる背景と、医療の暴力性は切っても切り離せないものである。そういった医療に傷つけられた人間の取材をしないと、尊厳死については片手落ちだと思う。これは、インタビューを主体としたルポルタージュの限界か。

  • 臨場感がすごい

    テーマがテーマだけに、ここまで踏む込んだ取材に基づくレポートは素晴らしいと思います。

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