作品情報
海辺の時間の中で、男女の孤独が静かに揺れる。
『タタド』は、小池昌代による短編集。海辺の家に集まる中年の男女を描き、穏やかな時間の底にある孤独や官能を浮かび上がらせる表題作を含む作品。詩人らしい感覚の細やかさが特徴。 受賞作としての焦点は、人物の感情や時代背景を通じて、読者に余韻のある問いを残す点にある。
レビュー要約
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設定や語り口の独自性を評価する声がある一方、題材の重さや余白の多さをじっくり受け止める読者向けの作品と見られている。
書籍情報
- 出版社
- 新潮社
- 発売日
- 2010-01-28
- ページ数
- 185ページ
- 言語
- 日本語
- サイズ
- 10.5 x 0.8 x 15 cm
- ISBN-13
- 9784101307817
- ISBN-10
- 4101307814
- 価格
- 204 JPY
- カテゴリ
- 本/文学・評論
波の音を聞くと、遠い土地に流れ着いた流木のような気分になる――。海辺のセカンドハウスに集まった地方テレビのプロデューサー夫婦と友人二人。五十代の男女四人は浜辺に落ちた海藻を拾い、庭に実る猿の頭ほどの夏みかんを頬ばり、ワインを飲んで、心地よい時間を過ごす。翌朝、四人の関係は思わぬ「決壊」を迎える(川端康成賞受賞・表題作)。日常にたゆたうエロスを描く三編。
レビュー
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謎めいた題名ですが
「おもしろい」に尽きます。「タタド」の意味は、インターネットで小池昌代を検索して、やっと知ることができました。
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文人画のような小説
川端康成賞受賞の表題作「タタド」を含む短編3作を所収。 小池さんの小説を初めて読んだが、「才能っていうのは こういうことね」と思う。いい小説を読みました。 もともとは詩人であるということも関係しているだろうが、 これは、職業作家ではなく才能あふれる文人の作品で あるように感じる。 登場人物の心の動きや発言が、一瞬突拍子ないように 思うのだが、次の一瞬、そこに普遍を感じる。 小池さんは、どんな設定でも、即興で小説を作り上げ ることができるのではなかろうか。 決してサラサラっと書いた小説ではないだろうが、 サラサラっと、生々しい情景や真実を穿つ言葉を 描き出している、と思えてならない。
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純文学を書こうとしている
表題作を読んだ。川端康成文学賞受賞作である。題名の意味が分からない。検索するとどうやら下田の多々戸浜というところらしいが、読者には分からない。そういうタイトルの付け方がいいのかどうか、疑問である。 中身は、中年の夫婦に、男女一組が混じり、海の家と称する別荘でうだうだするだけである。面白くはない。詩人だという偏見で言うのではないがやはり散文ではなく散文詩に近い。よくないのは、こう書けば純文学短編として評価されるだろうという意図が透けて見えるところだ。死んだ金魚をトイレに流すという会話で、猫ととり違えるところが、わざとらしくて良くない。志賀直哉みたいなものを狙ったのかもしれない。
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次の作品も読んでみよう。
まずは表題作、これがあきれるほど普通の話。岩のような風貌の男とその妻が所有する海の別荘にそれぞれの知人が招かれて過ごす一泊の話なのだ。でも、そこにはほのかな官能がたゆたい、糸のような緊張がある。何気ない時間が過ぎていくのだが、水面下で進行している何かがラストでいきなり噴出する演出が秀逸だ。 次の「波を待って」は海水浴にきている家族の話。主人公である亜子の視点で語られる話は、思考の縦列としてどんどん読まされてしまう。五十にしていきなり波乗りに目覚めてしまった夫と、海を怖がる息子の時雄。この三人の関係が亜子の思考の上で動きはじめる。ラストの黒い波の反復が最悪の結果を象徴しているようで怖い。 ラストの「45文字」も奇妙な男女の関係が描かれる。仕事にあぶれブラブラしている緒方が街でばったり会ったのが、かつての同級生横山。彼はいま編集の会社を自分で経営していて、緒方に仕事を手伝ってほしいと持ちかける。美術全集の絵につける45文字のキャプションを書いてほしいというのだ。仕事を引き受けた緒方は横山のマンションに泊まりこむことになるのだが、そこにいた横山の妻もかつての同級生サクラダだったのである。もっと生臭い話になるのかとおもいきや、これは結構爽やかな作品だった。45文字のキャプションに固執する緒方が、なんにでも45文字の説明をつけようとしてしまうところがおもしろい。そういうことって、普段でもよくあるではないか。というわけで、三篇軽く読んでしまったのだが、まだこの作家が好きかどうか判断つきかねている。次の作品に判断をゆだねよう。
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詩人が描く物語
小池昌代の「タタド」です。詩人が描く世界感はやはり独特です。自分の心の襞を覗かれているような、見つめられているような気分になります。3つの短編が収められていますが、どの物語も時空がずれているよな物語です。ありそうで絶対無い世界なのです。それは正に詩人だからこそ生み出せた世界感なのです。 その世界感を感じることが、即ち物語を理解することにつながります。その時空のズレを「楽しむ」ことが作者の提示した世界なのです。そのズレを楽しんでみましょう。
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他者は自らによって存在し、自らは他者によって存在する
別荘という非日常空間の中で、男女4人がワインに酔い、アロエ化粧水を塗り、夏みかんを頬張り、...ってあたりはパジャマパーティ、まるでおとなの童話って感じだ。そして一夜が明け、朝食を摂ったあと、ふとしたきっかけから、「何かが決壊したとスズコは思う。始まった以上、それは止められない。終わりが始まっているのかもしれなかった」っていう不条理劇のような結末。現実における関係性と、自らの妄想の中の理想、欲望としての関係性って、皆、全然違っているはずだと思うんだけど、流れとか何かのきっかけで現実と妄想の関係性がスイッチのように切り替わることがあるかもしれないっていう可能性。 これって他者からの認知、働きかけのコードが変われば関係性も変わる、つまり他者ってものが自らの規定によって存在するものであるように、自らは他者によって存在しているっていう。 表題作以上にそのことを考えさせてくれるのが「45文字」。この作品はまるで「夢の情景」だ。自らの過去として引っ掛かっていた人物と偶然再会し、いきなり一緒の生活が始まってしまう、夢のような辻褄のあわなさ。この展開が何とも魅力的。 陸上の補欠選手だったあの日の自分。そして「補欠という生き方」に対して、「あの一日、おれは確かになにもしなかった。だが、なにもしないという、すばらしい営為をしたんじゃないか」って肯定的に考えられるようになったのは、サクラダが補欠の自分に声をかけてくれたから、つまり他者が「補欠」の自分を認めてくれたからこそなのだ。久々に出会った緒方の「おまえ、作文、得意だったろ」「おれは、すきだったぜ」「ユーモアがあって、すごく面白かった。おれは忘れられないよ」って、思いもかけない言葉。これ当時聞いてたら主人公の人生は変わってたよね。言葉って、言った本人は忘れてしまうかもしれないけど、その言葉がその人を生かし続けるってこと、あるんだよな。
関連する文学賞
- 川端康成文学賞 第33回(2007年) ・受賞