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義烈千秋 天狗党西へ

歴史時代作家クラブ賞

義烈千秋 天狗党西へ

伊東潤

『義烈千秋 天狗党西へ』は、伊東潤による受賞作品。受賞記録と公開書誌から、作者の表現上の特色がまとまった作品として整理できる。

受賞作書誌確認作者の表現

作品情報

伊東潤の受賞作『義烈千秋 天狗党西へ』。

本項目は『義烈千秋 天狗党西へ』について、受賞記録と Amazon JP、NDL OPAC、出版社・書籍情報サイトで確認できる書誌をもとに整理した作品情報である。識別子は受賞作そのものを収録した図書に限って採用し、雑誌号やシリーズ全体の番号は除外した。

書籍情報

出版社
新潮社
発売日
2012-01-27
ページ数
418ページ
言語
日本語
サイズ
14.4 x 3.2 x 19.7 cm
ISBN-13
9784103318514
ISBN-10
4103318511
価格
1012 JPY
カテゴリ
本/文学・評論

Amazon.co.jp: 義烈千秋 天狗党西へ : 伊東 潤: 本

レビュー

  • 著者の筆力に圧倒される傑作。 日本人なら、教養としても必読の書だ。

    あまりにも切ない物語。 見てきたように語れる著者の作品の中でにあっても、際立つ白眉だ。 「愚挙」「捨て石」といわれる水戸天狗党の挙兵。 悲惨すぎる末路へと、物語は冷酷に進んでいく。 しかしたとえ結果的に愚かな行為だったとしても、そこには生きている人たちがいて、信頼関係を築き、見えない未来に向けて熱い想いを燃やしていたのだ。 著者はそれぞれの思惑を、またそれぞれにやむにやまれぬ背景を、丁寧に説いていく。したがい読み手は、登場人物たちとの信頼関係に巻き込まれてしまう。 何度、この本を中途で閉じたことだろう。 未来を知るとは、これほどつらいものなのか。 できれば、彼らが幸せな段階で時が止まってほしい……そう願いつつも、やはりこの本の締めくくりには納得できる。

  • 現在につながる部分が弱い気がします。

    何故 水戸にはご一新後になって偉くなった人が誰も居ないのか?水戸市住まいの私にとっては凄い謎でした。 第9代水戸藩主徳川斉昭(烈公=地元ではコッチの方が通りが良い)公が、水戸学つまり尊皇攘夷を主体とした朱子学もどきを、士農工商別け隔てなく教育し、逆らう者は身分が高い家の人間だろうが閑職に追いやる等々 自分が御三家の中にいる筈なのに北畠顕家あたりから進歩してない学問と歴史を藩内に叩き込んだわけです。 攘夷に逆らう奴が居れば そいつを脱藩して叩き斬る、その仲間は藩こそ違え「水戸学」を一緒に学んだ連中でした。 ご一新が終わって見れば京都でテロリストとして働いてても中村半次郎とかは ちゃんと生き残ってるし、腹芸で乗り切った賢い君主も殊の外多かったと思います。 ところが尊皇攘夷の尖兵であり 徳川最後の徳川慶喜の実家である水戸藩からは 只の一人も「元君」になりおおせた人物はいません。 其の謎が この本で少し解けたような気がします。 士農工商雁字搦めで270年過ごしてきて既得権益だけで偉くなっていた連中の「烈公憎し」が火を吹いたのですね。 天狗党も最初から全員合議の上で押し出したわけはない。大きく分けて4つの連中の寄せ集めでした。 筑波山に立てこもるならまだしも そこで何故「攘夷の志を慶喜公に伝えん」と周りの進歩も考えず一致団結して京都に向かおうとするのかな? ご存知の通り徳川慶喜は圧倒的な大兵力を抱えているのに鳥羽伏見の戦いでは「錦の御旗が出たぞ〜」というとアッサリ尻尾を巻いて部下を置き去りにして江戸に逃げ帰るという腰抜けっぷりで有名ですね。錦の御旗を効果的に運用した足利を見習えとも言いたい。しかも「錦の御旗」の現物は誰も見たことがなく薩長で自作したものですよ! そんな人物に認めてもらっても数時間で反逆罪になるだろうと察せ無いのかな? 結局能登半島の付け根というか現在の福井で全員投降したところが「ニシン倉」に放り込まれ 切腹も許されず、桜田門外で主君を殺された彦根藩の連中が片っ端から斬首ですよ。中には高位の武士もいたのに……. このタイミングを利用したのが水戸に残っていた「反烈公」の連中。自分らに逆らった気に食わない連中を親兄弟から妻子供まで水牢に叩き込んで大虐殺。結局この指示を出した奴は明治二年になってから捕まって自分も斬首刑になりました。 結局ご一新のころには水戸藩には多少なりとも有能な人間が誰もいなくなっていたという有様だったのです。岩波から出ている「幕末の水戸藩」という有名な本が有りますが アレは文才のあった侍の奥様が書かれた本なので一体何がおきていたのか解らない本でも有ります。 現在 梅で有名な偕楽園の隣に目立たない地味な建造物があり「義烈館」と表札が掛かっています。コレこそが福井からバラして持ってきた天狗党の押し込められた「ニシン倉」なのです。中には彼らの書いた文章で難を逃れたものが展示保存されています。もし水戸に来られる都合の有る方はご覧になって下さい。 未だに侍を斬首した冤みは残っていて、小生が中学か高校の時に仲直りした筈の彦根市から「白鳥」が10羽程送られた事が有ります。ところがこの白鳥たち一週間も生きていませんでした。クビから「天誅」の木札を下げられ千波湖畔に並べられていました。結局犯人は捕まりませんでした。

  • おもしろい。

    予想を超える面白さでした。知られざる史実があり、迫力がありました。

  • 水戸藩はなぜ回転維新の先頭に立てなかったのか。

    タイトルの「義烈千秋」には義公光圀と烈公斉昭の志は千秋に続くという意味が込められていると著者は述べている。 「千秋に続く」とは「永遠なれ」であろう。「君が代は 千代に八千代に………」と同意義かな。 幕末、明治維新。西南の雄藩では下級武士層から幾多の英雄を輩出したのだが、わが故郷の水戸藩からは一人の英傑も生まれず、血みどろの内ゲバばかりがまれている。あれだけの熱き魂のたぎりがあったのだ。タイミングに間違いがなかったらと思えば、この悔しさ、この切なさ。これぞ、幕末史上、最大の悲劇だ。 水戸藩はなぜ回転維新の先頭に立てなかったのか。吉村昭『桜田門外ノ変』、山田風太郎『魔群の通過』を読んでいくつか印象深かったことがある。 幕藩体制の根本秩序に尊皇攘夷理論を置くのが光圀以来の水戸学であり、幕末に全国的規模で展開した尊皇攘夷論の基礎になったものだ。だがその虚構性が露呈したとき西南列藩は倒幕という実践にすり替えたのだ。水戸藩は尊王敬幕でありつづけ、御三家という立場からも倒幕へと発想の転換ができなかった。また攘夷実行と声高に叫んでも、具体的には横浜討入り程度の矮小化された実践イメージであり、実態は烈公・斉昭様のご遺志に殉ずるという抽象理念先行の美学、言葉遊びの攘夷に自己陶酔したものとしか思われない。 徳川斉昭の下で改革政治に登場した者が天狗と呼ばれ、尊攘激派を中心とした天狗党は、斉昭没後に力を得た保守派とくに諸生党と激しく対立した。天狗党も一枚岩ではない。藤田小四郎の筑波派、武田耕雲斎の武田派、江戸にいる藩主・慶篤から調停のために派遣された松平大炊頭の大発勢、さらに田中愿蔵率いる超過激ゲリラがあって解決能力を欠いたバラバラ集団であった。本著によれば「天保10年(1839年)の水戸藩家臣団名簿には3449人の名が記されている。しかし慶応4年(1868年)にはそれが892人に減っている」とされるように、主導権争いの殺し合いにより人材が払底してしまったのだ。水戸藩にとって幕末とは藩士同士が血で血を洗った殺戮の歴史に他ならない。 なんたる愚行!幕末、明治に活躍できる人材などすでにこの世にいなかったのである。 『魔群の通過』でもむなしさだけが残ったが、本著でさらにダメ押しされることになったのだ。 「攘夷か、開国か。困窮する故郷のために男たちは結集した!幕末最大の悲劇『天狗党事件』を描ききる歴史巨編」 横浜開港により安価な綿糸や綿織物が大量に流入、茨城の木綿栽培農家は壊滅的打撃を受けていた。伊藤潤は冒頭、郷士身分の木綿農家の親子に「このままでは(一家心中の)悲劇が繰り返されるだけです。われらは草莽にすぎませぬが、なんとしてでも、われらの力で幕政を正さねばなりませぬ。」と語らせ、筑波山へ向かわせている。そして、藤田小四郎は「幕府に横浜を鎖港させ、攘夷実行を促すべく、全国の有志に参集を呼びかける」激をとばす。伊東潤は天狗党の蹶起を深刻化する経済危機を打開するための義挙と解釈しているようにみえる。しかし、読み進めば「素志を一貫させるのだ」と藤田小四郎らは悲痛の叫びで軍全体を鼓舞するのだが、「素志」の意味合いもぼけて、どこまで本気で実質を語っているのか?わたしは疑問視せざるをえなくなってくる。 「一人また一人。開国の激浪にあえぐ水戸藩から決起した、貧しくも屈強な義士たち。若き首領藤田小四郎(藤田東湖の一子)、不敵の軍師山国兵部、剛力の怪僧不動院全海、異端の剣鬼田中愿蔵………。強大な追討軍と決戦を重ねつつ、中仙道を一路京へ………。行く手を阻むは険しい山河、因縁深き彦根藩、豪雪の峠、そして未曾有の悲運。最強にして清貧の義士と謳われた天狗党の血と涙の行軍の全て」 伊東潤は膨大な関連資料を消化し、詳らかにこの事件を追っている。特に行軍途中に展開された諸藩との戦闘に関連する叙述、加賀藩に投降した後の始末記は山田風太郎『魔群の通過』よりもはるかに忠実に史実を挙げ連ねている。ロマンというよりノンフィクションに近い語りだった。 しかし、史実に重点をかけたぶん、人物が描けていない。軍資金稼ぎのための強奪、放火で人々から恐れられていた田中愿蔵、はじめから倒幕強硬論で先を読めた男だった。この田中愿蔵だけは光っていたが、藤田小四郎、武田耕雲斎すら個性がどこにあるのか読めないほど人物は平板であった。天狗党の家族を皆殺しにする諸生派の首魁・市川三左衛門。捕縛後の志士たちにサディスティックな処分を下した幕府軍大将の田沼玄蕃頭。天狗が憎んでも憎みきれないこれらの人間性にも触れていない。 伊東潤の歴史小説は始めてであるが、史実を淡々と語る作風がそこにあった。 現代的意義はどこにあるかなどと主張する素振りを見せない方なのだろうか。 伊東潤はこの物語で天狗党の精神を美しいものとし、義挙を後世に伝えるべき悲劇としたかったのだろうか。 そうではなく見通しを持たなかったものたちの歴史的愚行としたかったのだろうか。 ただ、わたしには太平洋戦争の終わり、一億総玉砕という狂気の沙汰に似た思いが残った。

  • 落涙しそう。

    水戸藩内の尊王攘夷思想は、後世から振り返れば時代の趨勢に背を向ける遅れた姿勢であっただろうが、当時の日本を思う純粋な志で苦境を戦い無残な最期を遂げた志士たちに涙が出そうになった。ただ常陸の国の地理上、著者が勘違いしているような記述があり、もう少し現場をしっかり把握しておいたほうがいいなと思う箇所があった(全体の流れにはなんの影響もなかったけれど…)。

  • 重い物語だが興味深い

    表題のとおり、重い物語です。幕末の知られざる歴史を活写して私の知らなかった水戸藩の幕末の状況を教えてくれました。ただ、面白いと言うにはあまりに悲惨な歴史です。水戸藩の武家の内ゲバはすさまじく、有為な人材が殺し合いを続けたあげくに藩士の半分以上(数字忘れましたが本書末尾に書かれてます)が無力化されてしまう様子は凄まじすぎます。日本の明治維新は流血少なかったように思っていたのですがとんでもない、フランス革命のような抗争と流血があったのですね。立派な作品ですし、読者に伝えようという作者の意欲と配慮も感じますが、やはり理解しにくいのは作者のせいではなく、天狗党の騒動そのものが訳が分からない、時代の変動の荒波に翻弄された人々の一連の動きであったせいです。よって速読は難しく、丁寧に時間をかけて読むべき本です。なお、ネットでWikipediaなどを見ながら、また、読後に同じ主題を扱った山田風太郎の「魔群の通過: 天狗党叙事詩」を読むと、天狗党の争乱がより分かりやすくなりました。伊藤潤さんはコンサルタントから転じた小説化でしたよね。視点と主題への切り込みが鋭く、私たちが表面的にしか知らなかった史実にスポットライトを当て、歴史の中に埋もれそうな、でも埋もれてはならない厳粛な事実を教えてくれる好きな作家です。

  • 御礼

    かねてから、読んで見たい本であり、中古本とはいえ、新品同様の商品を手配して戴き、大いに満足しております。

  • 政治運動の末路

    少数派に転落した集団がいかに弾圧分裂していくか その過程が小説で描かれている 少数派の悲哀が書かれています

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