作品情報
長谷川郁夫の『吉田健一』は、大佛次郎賞で評価された作品です。
大佛次郎賞の受賞作として記録されている『吉田健一』について、作品単位で刊行情報を確認した。単行本等の書誌が確認できた場合は ISBN を補完し、雑誌号や掲載媒体の識別子は作品の識別子として採用していない。
書籍情報
- 出版社
- 新潮社
- 発売日
- 2014-09-30
- ページ数
- 653ページ
- 言語
- 日本語
- サイズ
- 16 x 4 x 21.7 cm
- ISBN-13
- 9784103363910
- ISBN-10
- 4103363916
- 価格
- 5500 JPY
- カテゴリ
- 本/文学・評論
独自の透徹した文学世界を築きあげた吉田健一。その稀有な生涯と作品を語りつくした決定版評伝! ケンブリッジ留学時の知的な冒険。河上徹太郎との美しい師弟関係。中村光夫、福田恆存、大岡昇平、三島由紀夫らとの鉢ノ木会での交遊――長い文学修行を経て、批評、随筆、小説が三位一体となった無比の境地に到達、豊穣な晩年を過ごした人生の達人・吉田健一の全貌を、最晩年に編集者として謦咳に接した著者が解き明かす!
レビュー
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期待通り
吉田氏の人柄がよく分かり、大変興味深く読ませていただきました。
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有爲子
長谷川さんが小沢書店の店主だとは。にしても、吉田健一を書くといつて30年。この30年は長谷川さんにとつて必要な「時間」だつたと思ふ。「交遊録」を縦糸に時間の流れを横糸にして紡ぐ読書の時間は大變樂い。何頁から夷斎先生が顔を出すのか。教養といふ言葉がまだ活きていた時代が懐かしい。衒學もまたこのような世界を垣間見させてくれる。さあ歸つてヴァレリーを讀まなければならない。
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ユニークな文士、吉田健一の詳しい評伝で、楽しめる
私は幾つかの作品を読んでいるが、吉田健一に親しむために、この詳細な評伝を読んだ。昭和の文士たちの生態を彼の交友圏で考えると、著名なホテル、酒場や料亭で、酒と珍味を味わいながら、仲間と会合を持ち、旅先でも仕事もするが、それ以上に交友と酒肴を楽しむ高等遊民、特権階級ということになる。岩波知識人という言葉があったが、それは岩波に丸抱えで仕事をした特権的知識人のことであった。本書を通読して、なぜ吉田健一が偉いのか、私には分からない。しかし、吉田健一がいかにユニークな愛すべき文士であったかはよく伝わってきた。かつての文科系の大学教授たちは学会もほどほどに観光と宴席へと急いだかもしれないが、それは高等遊民の真似事であったように思われる。しかし、それは旧き時代の遺物となった。その遺物をどう評価すべきか、評価は難しい。
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「吉田健一」という対象が困難なのか…。
つ、つまらん。と云いつつレヴュー長いのに評価は「普通」。 一体、この投稿者は何がしたかったのだろう…で思い出しました。 本当の「絶筆原稿」がどれか知りたかったのです。判明せず。 最近、伝記ジャンルの書籍を読むようにしているのですが、 これはつまらん。著者の長谷川郁夫氏、御自分の作と思わずに 読み返してみて頂きたい。といっても、長谷川氏の責任では ないのでしょうね…。吉田健一氏の読者であれば、読む前に 気付くべきだった…。「吉田健一評伝」がつまらなくなることに…。 同氏の環境を捉える上で、政治的状況に詳しく言及するのは、 伝記作品として、非常に誠実な態度であることは云うまでもありません。 文士のどんちゃん騒ぎなら、どこかで読んだり聞いたりしてますものね。 ただ、少しばかり角度がおかしい。吉田氏は典型的な「大政治家の息子」 を演じきりました。それはもう、見事なまでに。 自ら国政を志すことがない場合は、こうするしかない、という見本の如く。 長谷川氏による、本書の最後半の一文、吉田茂氏の逝去の際の 「政治の現場と言葉の世界と、まるで異なる方向を辿りながら、この父と子 の関係は、一つの作品といえるほどの高みにまで昇華され、完璧な円環を 閉じたのだと思う」との表現は「吉田茂の息子」への最高の讃辞でしょう。 しかしながら、そこに文学者「吉田健一」氏本人は存在していません。 引用文献の「傍点筆者」が何箇所も登場するのですけれども、 傍点ではなく、もっと吉田健一氏の内面に踏み込んで貰いたかった。 想像で良いのです。生まれたときから「歴史的人物」に囲まれつつも、 それを特権と感じることの出来ない人もいます。それは孤独なことです。 長谷川氏の「想像」であれば、その内容は多分当っていた筈です。 通常の伝記として描かれて面白い人とそうでない人がいる! 吉田健一氏は後者であった!久々に御本人の著作を読もう、と思いました。 「東京は水の都のかすみかな 万太郎」の一句に始まる本書。 このかなり迂遠な書き出しは、著者の長谷川氏の苦心の末と存じます。 ここで万太郎の肝いりで開店の「はせ川」話につながるわけなのですが、 「俳句は余技」の同氏、ある意味で天才俳人でもあるので、水関係なら もっと凄い作があるではないか…。著者が律儀過ぎたのかしら? ともあれ、本作で「吉田健一」氏を知ることになる方もいらっしゃる筈。 その足を引っ張るのは本意ではない…☆2にしておりましたが、☆3で。 ただ、本書を読むだけでは、何故吉田氏が(残念ながら一部の)人々を 魅了するのか伝わりにくいかも。1977年に物故した英文学者の伝記が 2012年に刊行されるということ自体、本書は、同氏の魅力の優れた傍証です。 と、ここまで書くうちに良い本に思われてきた(笑)。☆4でもいいです…。
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吉田健一という巨大な怪物に挑みたくなる稀有な評伝
吉田健一の文章をひとつもまともに読んだことのない人間が、なぜ彼に興味をもち、こんな大部な本を読む気になったのか。自分でもなかなか説明がつかないが、ともかく、この書物を紐解きながら、文学の源泉とでもいうべきものから、新鮮な飛沫がとんできてふいにわたしの貌をさわやかに濡らしたのだ。これは久しくなかったことである。いや、これはそんな吞気な事態ではなかった。殆ど救済ともいえるものであったのだ。そのことの詳細はここではふれないが、瀧口修造的に絶体絶命の救済であったと言ってもいいくらいのものだった。外周ばかりの説明であるが、未だ吉田氏について何を語れるわけでもないのだ。それは、昨日購入した、池澤夏樹個人編集による<日本文学全集>(河出書房新社)の[吉田健一集]を読了してから語ることにする(それにしても全30巻中9巻しかない現代文学の1巻を使っていることに快哉!)。 たとえば、これは、実は先の『吉田健一』のなかで、長谷川郁夫が次のように書いていたことに端を発するのだが…。「「現代詩手帖」一誌が変革の時代の読者を惹きつけて、極端に尖鋭的な編集をとっていたのに対して」「ユリイカ」は「おおらかに詩の世界の裾野までも対象とするものだった」という文言。これに反応したのだ。たしかに、吉田さんの「世紀末のヨオロッパ」が創刊号から掲載された、伊達得夫の遺志を継いだ「ユリイカ」はおもしろい雑誌だった。それは、高山宏の評言をまつまでもない。しかし、だからといって、「現代詩手帖」が情況におもねっていたということは断じてない!長谷川さんは、けっしてそのようには書いていないのだけれど、そんなふうに受け取ってしまったので、早速、我が家の68~69年の「現代詩手帖」を引っぱり出してきて、検証のために読み始めたら、やはり無類におもしろいのだ。当時の編集長の八木忠栄氏の『編集長日録』をもとに、原稿をもらっていった順に読むなどしていると、さらにそのヴィヴィッドなことに参ってしまうのだ。
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