作品情報
笑いオオカミは、題名が呼び込む世界を手がかりに、人や時代の輪郭を静かに浮かび上がらせる。
『笑いオオカミ』は、津島佑子による小説。喪失と家族の記憶をたどりながら、戦後を生きる人びとの孤独と連帯を描く長編。 受賞作としての読みどころは、題材の珍しさだけでなく、人物や出来事を通じて時代の空気を伝える点にある。読者は、物語や論述の進行に沿って、背景にある社会や価値観の変化までたどることができる。
書籍情報
- 出版社
- 新潮社
- 発売日
- 2000-11-01
- ページ数
- 388ページ
- 言語
- 日本語
- ISBN-13
- 9784103510062
- ISBN-10
- 4103510064
- 価格
- 326 JPY
- カテゴリ
- 本/文学・評論/文芸作品/日本文学
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レビュー
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津島佑子の原体験と戦後の混乱期
16年前に書かれた小説を今頃読みました。 戦後の混乱期を背景に12歳の少女とその父親の死に出くわした17歳の少年の旅の物語です。 実際に起きた事件などを横糸に織り込みながら話は進みますが、 津島佑子の父親のいない家庭、兄の存在と死などの原体験が強烈な縦糸として際立ちます。 ただ主人公の少年と少女はしっかりと名作と言われる「ジャングルブック」と「家なき子」を 共通の知識として持っていることが、少し笑えます。 私はどちらも読んだことがないのでこれから読みます。
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羊頭狗肉竜頭蛇尾
スタートは文学味も豊かで面白いが、途中から事件簿的な性格を表すにつれて質が落ちていく。 結末はもはやくだらないと言っていいほど低質。 狙いは悪くないが、思い入れが先走るばかりで小説としての出来はよくない。 安直な視点移動は楽で便利なだけに作品を安っぽくしてしまってやっぱりダメということもこの作品からわかる。 楽で便利だからこそだろう、深みに達するまで追いつめるものがない。
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自分の子を喪失した「私」の、子の死の超越願望
私が津島佑子の本のなかでもっとも好きな本です。いままで12回読みました。 この本のプロトタイプは同著者の『真昼へ』のp136にあるので、アマゾンでそれもぜひ合わせて買ってしまいましょう! 『笑いオオカミ』は、少年が少女を連れ去り、時空間を超えての旅行をするという内容になっています。その旅行は“死んでから再生”をくり返す(7回もくり返す)旅で、物語は最後、1959年から現代に1947年生まれの少女を連れ去って、出現させるところで終了します(変な書き方となっていますが、本当にそうなってます)。 時空間が錯綜しているけども、最初からそれを頭にいれて読めば、とても刺激的な物語となっています。錯綜しているのは、同著者の『真昼へ』のp136を読むとわかりますが、わが子の死を超越させようとする強い願望がそうさせているのでしょう。 最初の時代設定は1959年。12才の少女の前に孤児院からでてきた17才の少年が出現します。少女は上野駅界隈で、真新しいセーラー服とカバンを売り払い、薄汚い緑色のシャツと野球帽を買って身につけたところから、二人の不思議な旅が始まります。 列車で北上をすると同時に、1959年から時間もどんどん遡り、終戦直後の死の世界へと迷い込みます。最初の死としてコレラの隔離船のなかに迷い込んで死にます。そして次の章では列車のなかで眠りからさめ再生します。ほかにも野犬に襲われたり、乗っていた船が機雷で沈没したりしますが、どんどん、“死んでから再生”します。 少年は少女を誘拐した、とされ警察に補導されます。その後、少女が見る風景は(p382)、“…化粧の濃い女たちは人形のように見える。白い唇。黒い唇。青い唇。ポックリのように底の厚いサンダルや、かかとの高いつっかけをはいている。スニーカーをはいている人も多い。スカートを極端に短くした制服姿の高校生もいる。頭に電線のようなものを巻きつけている人。ぴかぴかひかる小さな携帯電話を耳に押しつけて、一人で話をしている人たち。どの体も揺れ、ゼリーのように震え、溶けかかっている。輪郭がはっきりしない。赤ん坊が泣いている…”
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生命体の、飛び散るしぶき
私たちのように地球に生まれてくる生命体は、誕生と同時に、必ずそこに死を含めていなければならない宿命を持ち合わせている。この"死"あるいは"終わり”の時は見えなくて、だからこそなのだろうか、私たち人間たちは、すぐ隣に潜んでいるらしい”彼岸の世界”を恐れ、そしてあこがれを抱いている。 「ヒトの命・ムシの命」”いんなあとりっぷ”の中でも語られているように、「生き物というものは地球のエネルギーのしぶき」のようなものであり、「これまでに死んだ無数のムシたち、ヒトたちは”命”の海に戻っただけ」なのだとする、津島佑子の生命体の「可逆の可能性」を、『ジャングル・ブック』(Rudyard Kipling)から連想される「ジャングルの思想」と幾層にも重ね合わせて描こうとした文学的意欲が津島佑子という芸術家の現在ではないだろうか。 私たちの「生」は、ムシたちの「生」に比べて何ら優れているものではない・・・ ただ、私たちは「アケーラ」や「モーグリ」たちのように、その「生命体の、飛び散るしぶき」を見つめ、 そして描くことのできる"眼"を持っているだけなのである。 その"眼"が捉えた"命"と"可逆の可能性"こそが、この『笑いオオカミ』なのである。
関連する文学賞
- 大佛次郎賞 第28回(2001年) ・受賞