日本の文学賞

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悪意の手記

三島由紀夫賞

悪意の手記

中村文則

死に至る病から生還した男は、生への憎悪と悪意に飲み込まれ、ついに親友を殺す。人はなぜ人を殺してはいけないのか、罪を犯した人間に再生はありうるのかを、加害者の手記という形で突きつける問題作。

悪意殺人罪と再生内面独白

作品情報

親友を殺した男の手記が、生と悪の境界を問い詰める。

中村文則の初期単行本。『新潮』掲載作をもとに刊行され、第18回三島由紀夫賞候補作となった。文庫版もあるが、受賞候補時点の単行本 ISBN 9784104588039 を優先して記録した。

レビュー要約

  • 加害者の内側へ深く潜る語りに引き込まれるという反応がある一方、暗さと倫理的な不快感を重く受け止める読者もいる。中村文則初期作品らしい悪の凝視が強い印象を残す。

書籍情報

出版社
新潮社
発売日
2005-08-30
ページ数
170ページ
言語
日本語
ISBN-13
9784104588039
ISBN-10
4104588032
価格
1430 JPY
カテゴリ
本/文学・評論/文芸作品/日本文学

私は人を殺した。そのことが私の人生にこれほどのものをもたらすとは知らずに……。死と悪をテーマに、現代の青年の心理を克明に描ききった衝撃の問題作。

レビュー

  • 罪は許されるのか

    この「悪意の手記」は、中村文則さんのデビュー作「銃」から「遮光」を経て出された第三冊目の小説ということになる。しかし、私が読んだ順番は「掏摸」が最初で、その後「悪と仮面のルール」、それからデビュー作「銃」に戻り、私を救った「何もかも憂鬱な夜に」を経て、「遮光」「教団X」「あなたが消えた夜に」「土の中の子供」「王国」と遠回りして、この「悪意の手記」に至っている。 この作品にたどり着くまでに時間がかかったのは、ストレートな題名にその悪意の正体に触れてみる勇気がまだなかったことと、題からドストエフスキーの「罪と罰」が連想され、既にそのテーマには触れている気がしていたので、まだ必要になるまでは読まなくてよいと敬遠していたからだ。しかし、私の本好きの友人に中村文則さんを薦めたところ、先にこの本を読まれて、とてもよく出来ているから読んだほうがいいと逆に薦められ、また最近読んだ姜尚中さんの「悪の力」でも、この「悪意の手記」が引用されていたため、そろそろ読む時期が来たのかなと思い、手に取ることにした。 読み終わって、やはり今読むべき作品だったなと感じた。 小説を読むのにも、タイミングというものがあると思う。読む時期ではない時に読むと、何も心に引っ掛からず、場合によっては嫌悪すらする。しかし、ここぞという時期に読むと、心を救われたり、ずっと息詰まっていた問題の解決の糸口が見えたり、読んで本当に良かったと愛着が湧き、その作品が自分の中で旗印となる。 ではいったい、そのタイミングはどうやって見つけるのかと問われれば、それは常にアンテナを張っているしかない。それを強く欲すること、その想いがあれば自然とあちらからこちらへとやってくるだろう。そうとしか答えられない。 そして、この「悪意の手記」も、向こうからやって来てくれた作品だった。 この小説には、人を殺してしまったことに苦しみ、それでも生きる意味はあるのかともがく姿が描かれている。なぜ、それをテーマに描いたかはあとがきを読めば理解できるだろう。 私も以前、「なぜ人を殺してはいけないのか」というテーマで短い小説を書いたことがある。 だから、中村さんが人を殺した側から描いてみたいと欲求した気持ちも少しは理解できるような気がする。私も彼らの中に何が生じたのか知りたかったし、それは自分とは無縁ではないと思われたから。でも、私のアプローチの仕方は自殺を経験したものとしてのアプローチであり、殺人への衝動に苛まれたもののアプローチではない。だから、中村さんが描くほどに濃密なものにはならなかった。でも、同じ虚無が死の衝動を呼び寄せるのだということは理解できる。この「悪意の手記」の主人公の中にも生じた、世界への憎悪と虚無感、それはおそらく自殺者の中にも同じく芽生えるものだと思える。 この「悪意の手記」は、手記1、手記2、手記3の三部構成になっている。この三つの中で、私が強く心を揺さぶられたのが手記2であった。 手記2は、人を殺してしまっても、それに苦悩しない人間になるために、あえて悪に、より深い闇に沈んでいこうとする主人公が描かれる。その過程の描写も痛々しいのだが、その中でも戦慄を覚えたのが、主人公が幸福を与えてくれる可能性のある女性に出会うも、それを許さない自分が生み出す幻覚と対話する場面である。この場面は、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」で、イワンが自分で生み出した幻覚である悪魔と対話する場面を想起させる。ここで幻覚が主人公に指し示す真実は絶望的だが、この場面を描ききる中村文則さんの決して自分から逃げようとはしないその真摯なまなざしに頭が下がる。 手記3で出てくる幼女を殺して平気でいられる少年は、この主人公のように人を殺した罪に苛まれてはいなかったと思われる。そういう人間はおそらく身体性を欠いている。おそらく自分のことすら他人事のようで大切にできない人間なのだろう。しかし、この主人公はその種の人間ではなく、「生きる」という意味と死が訪れるまで真剣に向き合っているひどく真面目な人間である。たとえ人を殺してしまったとしても、真面目にその意味と向き合うことができるのなら、殺してしまった人間の分まで生(の苦しみ)を実感しようとするならば、それはある種の償いであり、生きる意味はあるのだと思う。 殺してしまった人間に、幸福は許されるのであろうか。 これは、現実に在る殺人者たちに常に問いかけられている問題だろう。 この罪は許されるのか。許されないとするなら、どんな罰を受けるべきなのか。 果たして、他人が与える罰は本当に罰になるのか。 罪を犯した人間に与えられるべきものは、本当はいったいなんなのだろうか。 この作品で与えられた命題は、おそらく中村文則さんが後に書いた他の作品に受け継がれている。 それは、「何もかも憂鬱な夜に」でも見られるし、「あなたが消えた夜に」にも描かれている。私がこれから読もうとしている「最後の命」にも、おそらく徴があるだろう。 これはおそらく、中村文則さんが死ぬまで書き続けることなのかもしれない。 闇を抱かない人間は、おそらくいない。 虚無を知らずに終わる人間も、おそらくいない。 なぜ人は、罪を意識するのか。悪を抱くのか。そして、光を求めるのか。 簡単に答えの出ない、この矛盾した世界を生きることの意味は何なのか。 私も、あきらめずに、できるだけ真摯に向き合っていきたい。

  • う~ん

    期待していたほどではなかったけど、大江健三郎はこういうの好きなんだろうなぁ~。

  • 自分の弱さと向き合う

    中村文則さんの作品は、自分の弱さに徹底的に向き合う勇気と言うか覚悟をもたらしてくれます。 今グダグダと思い悩んでいることを放り出すのは簡単なことだが、逃げずに向き合い、自分の弱さを認めて克服したい、そんな想いにさせてくれる話でした。

  • 明晰な文章は素晴らしいと思った。

    ○心理を明晰な文章で書き続ける作者の力は見事なものだと思う。謎めいた表現や詩的な表現に頼らず、誰もがその意味を理解できる完全に共有された言葉を使うので、その文意は明瞭であり、それでありながらその描写は新鮮でたしかにそんなこともあるのだろうと納得させるだけの力もある。抒情や詩情というものは逃げのひとつなのかもしれない。 ○しかしながら、ストーリーは唐突すぎるかな。深刻な独白を成立させる前提としてこのような物語が必要だったということだろう。現実には、このような境遇の主人公がこのように明晰な言葉を操ってこれだけの独白をできるとは思えない。この作品は基本的には著者の独白なのだが、そのままではエッセイに終わってしまうから、必要な前提を置いて物語という体裁を取ったということなのだろう。

  • とても27歳とは思えない深み

    中村作品を読むのははじめてだけれども、 親友のK、というアルファベットは は夏目漱石の「こころ」を彷彿とさせ、 全体に漂う雰囲気は太宰治を彷彿とさせた。 今までのシリーズや、中村氏の他作品をみていて 芥川龍之介作品を意識しているのはわかったけれど、 自分としては太宰治の雰囲気に近く、言ってしまえば 明治文学の現代版、という感じがする。 目を背けたくなるような話の連続なので、 読む人は読むというタイプの作品だと思う。 とくに「手記1」の闘病患者の心の有り様を まるで自分が体験したかのように引き込まれる。 全く普通の人間が多感な時期に突然、 生死をさまよう体験をにしたら、 きっとこのような思考になるのではないか、むしろ 自然な精神崩壊っぷりだと思った。 不条理な暴力的体験をした人は、共感する部分は 多いのではないかと思う。 思考世界の場面は宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を彷彿させ、 実際にキリスト教の思念も盛り込まれ、 それは「手記2」にも生きてくるエピソードになっている。 アニメや漫画に例えると、 エヴァンゲリオンや「ヒミズ」に近い感じがするので、 好きな人にはお勧めしたい1冊ですが ちょっと勇気がいるジャンルです。 もしカバーが書店でよく見かける漫画家コラボなんかでイラストが 描かれていたら、手に取る若年層は多くなるのでは、 とか考えましたが、自分は太宰作品が読みきれない人にとっては 短い方に入る話だと思いますが、 ちょっと大変かもと思います。 他の方のレビューのように、言われてみればラストは 手記1・2に比較すると、きれいにまとまりすぎている感は あるけれども このような重いテーマを、無駄な言葉を一切無く、 読み手にとってはわかりやすい現代の小説として 描いた作者の頭の中はどうなっているのだろう、と 凡人の自分には思えました。 読後、 今より充実していて 今より本に夢中で、 たくさんのことを考えていた頃の自分が 蘇ってくるような余韻に浸りました。 とにかく、若い作者が、 夏目漱石や太宰治にまるで、 素手で喧嘩を売るように挑んだ、 荒々しくもみずみずしい印象と 勇気や才能に賞賛以外の言葉が見つからない。 中村氏に拍手を贈りたいです。

  • 悪い奴でも、生きていい。

    中村文則さんの「土の中の子供」がなかなか面白かったので、私はこの『悪意の手記』を読みました。結論から言うと、『悪意の手記』はストーリーに緊張感があり、「土の中の子供」以上に面白く読めました。 『悪意の手記』の主人公は、15歳の時に「TRP」という恐ろしい病気にかかり、病室で世界を憎悪します。彼は残念ながら心が弱かったので、憎悪から抜けきることができませんでした。彼は奇跡的に退院した後も世界を呪い続け、魔がさして殺人を犯します。その後も彼は悪意に囚われ続けた人生を送り、手記を続けます。この小説から発される陰鬱なオーラを、ぜひ多くの人に体感して頂きたいです。 私はこの小説を最初に読んだ時、何という生への呪いに満ちた物語なんだろうと恐怖を覚えました。しかし、改めて読み直すと、この小説の主人公の生もそれなりに祝福されているように思いました。彼の病気が治った時に病院の人々や家族は彼を祝福しましたし、「青い服の少年」の幻影が言う通り、彼は無意識的に自己防衛をしていた節があります。そして主人公の刑罰が軽かったので、彼にもそれなりに生きる権利が与えられていたんだなと思います。 この小説は陰気な小説ですが、「世界を呪っている人や悪いことをした人でも、生きていいんだよ」と遠回しに生を肯定する小説でもあるように、私は思いました。

  • 再生

    中村文則「悪意の手記」を読了。重いテーマをしっかりと描こうとする意図がしっかりしている良作。人を殺すことはなぜいけないのか、そしてその罪は贖罪されるのか、罪を犯した人間は赦されるのか、赦されないのか、どのようにしたらよいのか。生きるとはどういうことなのか。このテーマに真摯に向かった作者の姿勢がうかがえる。テーマがテーマだけに、読者に重くのしかかってくる。その重さを噛締めながら、物語の世界に読者は入っていく。物語の最後に作者は再生の一歩を記している。それがこの物語の救いになっている。

  • 憂鬱だが悪くない憂鬱感

    中村文則の小説は読む人を選ぶ。合わない人には全く合わないのだろう。 僕はこの著者の作品を読むたびに、心を作品の持つ世界にさらわれる気がします。 新作が待ち遠しい作家の一人です。本作もいつも通り、読んで損はない作品。

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