書籍情報
- 出版社
- 河出書房新社
- 発売日
- 2006-11-17
- ページ数
- 192ページ
- 言語
- 日本語
- ISBN-13
- 9784309017907
- ISBN-10
- 4309017908
- 価格
- 1100 JPY
- カテゴリ
- 本/文学・評論/文芸作品/日本文学
第43回(2006年) 文藝賞受賞
1989年岐阜県生まれ。2006年、高校在学中の17歳の時に、『ヘンリエッタ』で第43回文藝賞を受賞しデビュー(選考委員:角田光代氏、高橋源一郎氏、藤沢周氏、保坂和志氏)。本作が2冊目の単行本となる。
レビュー
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水のような空気とは
「水のような空気」を表現しているこの物語の文体は常に穏やかな筆致で描かれており、一見すると内用が薄く見えるが、ただ内用が薄いのではなく、水のような空気を表す為の意図的な薄さではと思う。 登場する3人の女性にもそれぞれおかしな癖があるが、薄く表現されている為、とても異常なものに感じさせないテクニックを感じる。 なおこの作品は 【第43回(2006年)文藝賞】受賞作
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ただいま、ヘンリエッタ
『ヘンリエッタ』です。 ヘンリエッタとは、作中に登場する擬人化された家の名前です。 わけありの女ばかり三人で暮らすモラトリアム、最高の居場所です。両親をさん付けで呼ぶ主人公は屋外に出ることを恐れ、だから学校にも行ってません。謎の(?)男友達を持っているあたりに象徴されています。 花見、七夕、クリスマス、初詣といった四季のイベントを描く中で、主人公は牛乳屋さんに興味を持ったり、といった小さな伏線がいくつも出てきて、物語が進みます。 文章は、擬音語を多用しているのは特徴ではあるでしょうが、特に巧いというほどではないにしても、水のような空気というヘンリエッタという特殊舞台を特徴的に描き雰囲気を出しています。 後半、三輪車と一緒に拾われてヘンリエッタに来た女の子が少し登場し、主人公がヘンリエッタから出ていく日の可能性が示唆されます。他のキャラもですが、割と単純に変化が示されてします。もちろんそれが欠点ではなく、特徴と言うべきですが。 癒しの物語であるからには、癒された後がある、ということを示しているのでしょうか。
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面白くはあった、でも。
著者の文章能力に疑問が残った。 良かった点は皆さんも仰る通りオノマトペや全体の流れるような空気感である。 しかしディテールが粗雑過ぎる。牛乳屋さんに会う度、「ほおに赤くできたニキビ」にばかり気を取られるところは主人公の性格や心情からか、と多めに見てもよいのだが、「馬鹿みたいに〜」と言う例えを不特定の人物に対して言い放つ様は、言動主である主人公の言語能力を通り越して著者の文章能力における稚拙さを読者に印象付けることのできるかっこうの餌になってしまっている(少なくとも僕は釣られた)。 主人公の親や、高校を不登校になったと言う設定もまた粗が目立つ。 見知らぬ女(あきえさん)に連れ去られた娘に対して仕送りを送ったり、現実味のない物語とは言え、あまりに酷い、有り得ない設定。 せめて大学でぼっちになった女子大生の設定にしておけば良かったし、あるいは身内関係全面無視の方向で良かったと思うのだが。 完成度は高い。だが、この著者は、夢見心地でありたい、そんな物語が自分の隣に存在することを許せてしまう社会不適合読者をターゲットに作品を書き続ける以外、もう作家として成長する余地など残されてはいないのだろう、と一読者の僕は感じた。
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半分で終ってしまった感じ
不確実を楽しむ事が出来たと言うのが、この本の感想です。 起承転結という論理で言えば、結!?といった形で読んだ人に寄って かなり感想が異なると思います。 高校生作家さんの本としては、形にとらわれず新鮮でした。 お勧めシュチエーションとしては、複数人読んだ中でディスカッションを楽しめる 様な環境の方ですとかなり良いと思います。 作者と一緒の学生さんやその親の方に読んでもらいたいと思いました。
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買いです。
読み始めてすぐに気付く題名の「ヘンリエッタ」が何の名前か、それがこの物語を起動させる力になっています。それぞれが心に欠損した部分を持つ三人の女性が主人公で、展開は結末まで含めて目新しいところは特別ありません。それでも、最後まで一気に読ませるのは、この高校三年生の作者が持つ、優れた言語能力に拠るところが大きいような気がします。しかし、この年齢でこの手の小説を書いてしまったら、もう書けなくなってしまうのではないでしょうか。そういった、ある意味作者の手を離れた完成度を有した作品であると思います。場面展開を減らして、うまく話をまとめたら、演劇のいい脚本になるような気もします。
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発想はおもしろい。
ヘンリエッタとは〈家〉の名前で、登場人物たちはことあるごとに「ただいま、ヘンリエッタ」などと言っている。また時にヘンリエッタは擬人化され、「ヘンリエッタに押し出されるようにして、外へ出た」とも書いてある。なるほど〈家〉主体の物語である。そしてその〈家〉には、「水のような空気が流れている」という。 まず感心したのが、その「水のような空気」をヘンリエッタの中だけでなく作品全体にも(つまり読者に現前させる形で)つたえていることだ。「水のような空気」と口では簡単に言えるが、それでは具体性がまるでない。ではどうやってそれをつたえればよいかというと、作品のネジを少しずつずらしていくより他ないのである。『ヘンリエッタ』を見えみると、なるほど見事にずれている。みーさんは好きな人ができると金魚を飼いはじめ、あきえさんは三輪車を盗んでくる。もっというと「わたし」は両親のことをさん付けしており、(ヘンリエッタの中での)「わたし」の名前であるまなみとは、あきおさんが独断と偏見でつけたものだ。著者はつまり、話を〈虚構〉で埋め尽くすことによって「水のような空気」を現前させようとしている(正確にいうと話は途中からどんどん縺れ、〈虚構〉ではなくなっていくのだが、しかし「水のような空気」を現前させているのは、やはり少しずれた世界――蹉跌をきたした〈虚構〉――なのだ)。また、本来ならばとかく命取りともなる安易な比喩が〈虚構〉によってプラスに転じていることもいわねばならない。つまり、水のような空気を説明する際に「水のような空気」のと書いた時点で水のような空気が現前している、ということだ。そもそも「水のような」だって安易な比喩である。しかし水のような空気をコトバで説明するのは不可能で(小説で、なら可能だが)、有り体に書いてしまったほうが却っていい場合もある。それにこの小説は下地が(曲がりなりにも)〈虚構〉であり、「〜のように」の連発は〈虚構〉に帰依するから(大衆文学だとこれは単に「雰囲気を壊す」こととなる。そのあたりが純文学の強みか)別段問題もない。寧ろよい。 しかし残念だったのは、最後のほうになって話が途端に現実味を帯びてきたことか。高校を不登校になったとか、そんな話はいらない。私としては、〈現実〉からはいっさい乖離した、〈虚構〉で埋め尽くされた世界がよかった。――それにしても何かと小説を〈現実〉に繋げたがるのは、やはり当節の風潮なのだろうか。
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センスは良いが生ぬるい
まったく現実感のない絵本のような小説。確かにセンスは良いし、年齢のわりには文章も巧い。が、やはりどうしても既視感が否めない。あと、この手の作品は、徹底的に現実感を排除するか、もしくは作者の本当に訴えたい心の叫びを何処かに紛れ込ませるものだが、どちらにもなりきれていない中途半端な印象も残った。破綻した親子関係や不登校などを持ち出すのであれば、それに対する主人公のもっと深い心の声が聴きたかった。もしそれが、作者の現実生活での周りの大人たちへの遠慮から書くのを躊躇ってしまったのだとしたら、作家としては覚悟が足りないと思う。
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絵本を見ているみたい
傷を背負った、主人公の女の子・まなみが、世間から隔離されたような異空間である、ヘンリエッタと名づけられた家で、四季を通して成長していく姿が描かれている。ヘンリエッタとヘンリエッタの住人たちが起こす、ノスタルジックで象徴的な出来事が、かわいい絵になって目に浮かんでくるようでした。特にみーさんの恋と魚の取り合わせがすごくマッチしていて気に入りました。
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