書籍情報
- 出版社
- 筑摩書房
- 発売日
- 2008-03-18
- ページ数
- 204ページ
- 言語
- 日本語
- ISBN-13
- 9784480804112
- ISBN-10
- 4480804110
- 価格
- 2391 JPY
- カテゴリ
- 本/文学・評論
Amazon.co.jp: チュ-バはうたう : 瀬川 深: 本
レビュー
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表題作しか読んでないけど
今更ですが読みました。 私はアマチュアで、15年もチューバを吹いている女、つまり主人公と自分を重ねて読める、数少ない人間のひとりです。 だからこそ、主人公の彼女の感じた痛みにも、喜びにも、共感しながら読むことができました。 違うのは、私がずっと楽団に所属しているのに対し、彼女は、なにもなくとも、チューバ吹きでい続けたことです。 彼女は私より強く、私の諦めたことをなおも希求し続けています。 主人公の淡々とした自己紹介のすぐあとに提示される、彼女のチューバ吹きとしての矜持を述べた文。 彼女は私より強い心を持っているから、私が言いたくても、思おうとしても言葉にならないことを、ズバリと述べてくれます。 それだけで目頭が熱くなりました。 チューバ吹きは、本当に報いられない役割です。 吹いたものでないとわからない感覚かもしれないけれど、それでも、の先を、このお話が描いてくれいている気がします。 楽器を表題にしているから、趣味小説かな、と思って入りますが、それだけじゃないです。 主人公は女性ですから、当然女性であるがゆえの悩みにもぶち当たります。 チューバで武装しようとも、結局は女。 懐に、まるで影と光のような男たちが潜り込んできます。 女の役割も、ついでに、善良な市民、社会人としての役割も、ちゃんと彼女にのしかかっているのです。 みんなが、調和を得るために、いろんなことをあきらめる現代です。 自分も、ロールモデルに従うために、みえないカーストの調和を乱さないように、いろんなことを諦めています。 彼女はどうやら美人のようですが、あまり見目よろしくない自分ですら、若い女が、人生を定期的に削ってチューバをやるってことは、ちょっとだけ、そこら辺を、ひっかきまわしてしまうんですよね。 それでも。 このお話を読み終えて、チューバの力強い音を頼りに生きてきた自分も、少しだけ報われた気分になりました。
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高揚感のある小説
この本で作者が目指すのは開高健のドキュメンタリー小説が持つ一瞬の高揚感なのでしょう。作者は文末の【参考文献】として開高健の『輝ける闇』を挙げていますが、スタイルとしては『オーパ!オーパ!』です。「チューバはうたう」のチューバは、そのためのモチーフです。この本に収めた他の2本の短編では、それぞれ東南アジアの旅行(「飛天の瞳」)とプラネタリウム(「百万の星の孤独」)を主題に選んでいますが、小説のスタイルは同じです。このように考えれば、作者がチューバを演奏し楽器として理解している必然性や、Muzicanti aurri のモデルになった東欧の楽団が、本当に作中に描かれたように演奏するのかどうかは、必ずしも問題ではありません。まぁ、開高健の場合は、ベトナム戦争に従軍したり、北米‐南米を一気通貫に釣り歩いたりして感動を実体験している訳ですが。架空の実体験によって開高健をめざす作者としては、高揚感の心理分析が眼目になります。「チューバはうたう」では、魅力的な女性主人公の自己分析が成功しています。Muzicanti aurr iのモデルになったという Fanfare Ciocarlia の演奏は、You Tube の NPR Music Tiny Desk Concert で聴くことが出来ます。NPR Music Tiny Desk Concert というシリーズを You Tube で見つけたのは、この本のおかげです。やはり音楽の持つ本質的な高揚感は、各自で音楽を聴くのが筋です。開高健を読んで釣りに行くのと同じです。小説を代償行為とするなら文句を言ってはいけないのですが、実体験を省略している分だけ文句を言いたくなる気持ちは分かります。しかしこれは才能のある著者の良く出来た小説です。出来の悪い小説はほかに沢山あります。
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すっごい違和感
この本出版されてすぐ買ったんだけどすっごい違和感あって「つん読」しといたんですが、 ほとぼりも冷めた頃なのでレビューしましょう。 あ、ほかの方のレビューみたいに「文学好きの文学評」なんて書けないし、 ずっとTuba吹きの物理の人の評です、大目に見てね。 で、読んでみてのすっごい違和感ですが、作者絶対Tuba吹けないし理解もしてませんよ。 管楽器の演奏ってもっと体育会的肉体的快感追求行為ですよ。 特にTubaは和音ベースでありリズムセクションベースです。 もっと単純に他の楽器を和音的に支えている実感、リズム的にリードしている実感が支配的です。 そのことに全く触れずに音楽の理解が進行するなんてあり得ません。 断言!! それに遮蔽物の全くない屋外で進んで音出しすることなんてありません。 (トランペットの衆が時々やることはありますが・・・) 低音楽器は適度に反響する環境じゃないと音が分散してやせ細り「自己陶酔できません」 書かれていることがあり得ないことばかりで変なファンタジーにしか見えません。 それが変に音楽論的で哲学的な表現になっているので一言で言って 意味不明 そんな本でした。 きわめて少ないTubaを題材にした文学と言うことだけで☆ふたつです。 追伸 Tubaなどの最低音楽器(Base)を「大地」に例える方がいます。 ハッキリ申し上げて「間違い」です。 音楽です、Baseは動きます。 動かない「大地」なんかに例えないで下さい。 まだマンモスタンカーやタイガー戦車に例える方がマシだと思います。
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文学賞!
「文学」好きの方におすすめ。ジュブナイル小説的に若い人たちの冒険や成長を描くような小説や、最近の 「吹部」ブームの小説とかを求めると、これは全くそれではない。音楽も丁寧に描かれているのだが、 よく分からない場所のよく分からない音楽を敢えて中心に据えている。 最初から最後まで「私」の独白。若いときのチューバとの出会いから、現在までの間の様々な心情や 交流、「個人」主体の(普通のよくある合奏ではない)音楽への情熱が丁寧に描かれる。非常に整っているし、 読みにくくもないし、破綻もなければ不条理も不合理もないので、ケチはつけようがない。 ラノベや「ストーリー」的な本ばかり読んでいると、こういう「文学」をつまらなく感じてしまう。純文学の 「文学賞!という感じ」の一言に尽きる。昔の文学で舞台を現代にしたという感じだろうか。SFとか ミステリーとか、わかりやすいストーリーがある本ばかり読んでいると、もちろん、色々こまめに伝わっては 来るのだが……文学だなぁ、と思った。こういう作家と作品は、商業的には厳しそうだが、いつの時代まで 生き残れるだろうか……
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自問し続けることの大切さ
なぜ、私はチュ-バを吹くのか? この自問が、反復されます。 しかし、「応えは」きちんと、在ります。 でも、日々の暮らしの節目や要所で、この自問を繰り返す意味とは? ◇ 「確認」をとるためです。 自分と自分自身の対話をする中で、社会の渦に巻き込まれ自分を見失うことに抗う証として、確かめるのですよ、人は。 ◇ その応答を自ら確かめるために、「問い」というカタチを必要としたのです。 極めて個別性、独自性が「オリジナル」に際立つ中編小説です。
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すべての音を貫いて、地平はここに作られる。
清冽で鮮烈な印象を残す小説だ。 野卑にならない程度の切って捨てるような文体が、テンポよく引っぱってくれる。 久しぶりにのめるように読んだ新人作家である。 チューバの魅力にとりつかれた主人公(26歳・女性)が、これでもかと 言わんばかりに、チューバの音を語り、なぜ吹くのかを省み、内から 突き上げられるようにのめりこむ自己をどうにかことばにしようとする。 捉えがたい内からの欲求に揉みしだかれ、チューバと自己のスタンスを語る。 中学1年で偶然にも出逢ったチューバを手ほどきしてくれた訥弁の先輩。 高校時代の吹奏楽部では、思う音楽に向かえないと、あっさり見切りをつけた いきさつ。 チューバが咆吼するかのような、バルカン半島のジプシー音楽「ベッサラビアの婚礼」 との衝撃的な邂逅。 それから、黒帽子のクラリネット吹きとの出逢い。 インディペンデントのクラリネット吹きがインディペンデントのチューバ吹きを見いだし 自分の我楽多樂團に引き入れるさまは、ある意味アイデンティティーの ぶつかりあいでもあり、彼らの技量が素晴らしいゆえにその何でもありめいた 音楽が妙に魅力的なのだ。 かつて、オーボエ吹きとフルート吹きが我が家にいた。 来る日も来る日もロングトーン。取り憑かれたような日々があったことを思い返す。 「ならば、私が、吹いてやる。」 チューバのベルから世界へと放たれる音楽は紛れもなく、私の中から湧き出てくる 私の音楽だと言い切る小気味よさ。 紙面から音が立ちのぼってくるかのごとき勢いに圧倒されるラストだ。 他に「飛天の瞳」「百万の星の孤独」の二篇の短篇。 この人はどこか捕まえどころのない遠い思いを描くのがうまい。
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チューバ吹きが期待して読むとがっかり
チューバ吹きとしてとても気になったので読んでみましたが、専門的なことや「それそれ」みたいなネタは一切出てきません。表題にありながら、楽器に対する愛情はなさそうで、音楽エッセイとして期待して読んだら残念な感じがします。それ以外の箇所も透けて出る作者の性格が見える感じでした。。。ちょっと残念。
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なぜ。
なんでチューバなの? 主人公の母親のことばではない。 手前のことで申し訳ないが、わたしが息子に言ったことばだ。 高校入学と同時に吹奏楽部に入った彼は、チューバを吹くことになったのだ。 楽器を演奏したい者のほとんどが スタープレイヤーを目指しているのではないだろうか。 吹奏楽でのチューバの立場は、ほんとうに縁の下の力持ち。 ただひたすらにベースを刻み続ける、だけだと思っていた。 ところが親バカなものでチューバが主役の曲や演奏を探してみたら これが思いのほかたくさんあるのだった。 チューバに対する認識を新たにしているときに、この本に出会った。 これは、チューバを知り尽くしているひとにしか書けないよなぁ。 「なぜ?」という質問に軽々しく答えることなどできないほどに チューバが自分と同化しているのではないかとさえ思えてくる。 ラストのライブの臨場感、ここまで文字の力で音楽を聴かせるとは恐れ入った。 さてこの作品、シカラムータの大熊ワタルに捧ぐ、とある。 この本を読んでチューバに興味を持った方は、 是非そちらのHPもご覧いただきたい。曲にも触れていただきたい。 チューバは礎であり、黒土であり、大地であり、 その上に空の丸ごとと、空を飛ぶ鳥たちを支えるのだ。
関連する文学賞
- 太宰治賞 第23回(2007年) ・受賞