日本の文学賞

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鞍馬天狗とは何者か: 大佛次郎の戦中と戦後

芸術選奨文部科学大臣新人賞

鞍馬天狗とは何者か: 大佛次郎の戦中と戦後

小川和也

「鞍馬天狗とは何者か」は、対象に粘り強く近づき、個人の経験と社会の構造を結びつけて描くノンフィクション。具体的な現場から時代の歪みを浮かび上がらせる。

ノンフィクション社会記録

作品情報

「鞍馬天狗とは何者か」は、対象に粘り強く近づき、個人の経験と社会の構造を結びつけて描くノンフィクション。

「鞍馬天狗とは何者か」は、対象に粘り強く近づき、個人の経験と社会の構造を結びつけて描くノンフィクション。具体的な現場から時代の歪みを浮かび上がらせる。

書籍情報

出版社
藤原書店
発売日
2006-07-01
ページ数
246ページ
言語
日本語
ISBN-13
9784894345263
ISBN-10
4894345269
価格
3080 JPY
カテゴリ
本/歴史・地理/日本史

《鞍馬天狗とは何者か?》 【焦土の中に現れた「国民」的ヒーロー】 1923年、関東大震災により、首都・東京は焦土と化した。鞍馬天狗が「国民」 の前に姿を現したのは、その翌年のことであった。それは、第一次世界大戦とい う総力戦とともに、歴史の地平に姿を現した大衆の時代でもある。 以後、鞍馬天狗は大衆の支持をうけ、新聞・雑誌・映画・テレビといったマ ス・メディアを通じて、「国民」的ヒーローとして活躍した。『鞍馬天狗』シ リーズは戦後の高度成長期のただ中の1965年まで、四十二年の長きにわたって書 き継がれ、全四十七作品が誕生している。 鞍馬天狗が活躍する舞台は幕末維新期で、彼は倒幕派の志士である。時代小説 の架空のヒーローが世を捨てたニヒリストか、体制擁護者が多いなかで、鞍馬天 狗は反権力を貫き、体制を変革しようとする徹底した個人主義者・自由主義者と いう点で特異な位置を占める。 【鞍馬天狗の生みの親】 この鞍馬天狗という人物を作りだしたのは、大佛次郎(1897-1973)である。 その経歴は、一高・東大から外務省条約局へというエリート国家官僚の道を歩み ながら、ドロップ・アウトし、大衆作家となったという特異なもので、フランス 文学を中心とするその教養のレベルは極めて高い。 大佛は軍靴の響きが少しずつ高まりつつあった1930年代に、『ドレフュス事 件』『ブゥランジェ将軍の悲劇』というノンフィクションを書いている。これら の作品は、日本の軍国主義の台頭を痛烈に批判したもので、井出孫六氏は大佛を 「つねに醒めた理性と知的余裕」の持ち主と位置づけている。戦後は『パリ燃 ゆ』『天皇の世紀』といった、日本文学において稀有で重厚な歴史叙述を手がけ た。大佛は震災の翌年に二十七歳で作家としてデビューしてから、73年に七十五 歳で亡くなるまで、新聞・雑誌の第一線で書き続け、時代小説・現代小説・ノン フィクション・随筆・戯曲・少年少女小説など、散文のあらゆるジャンルで活躍 した。その業績が称えられて、死後、朝日新聞社により「大佛次郎賞」が設けら れている。 【戦時下の大佛の「空白」を埋める】 鞍馬天狗のように戦前のヒーローで、戦後も生き延びた例は少ない。例えば、 戦前のヒーロー、楠木正成は「軍神」として崇められたが、戦後は見捨てられて しまった。軍国主義の下で支持されたヒーローの多くは、戦後民主主義のなかで 消える運命にあったのである。 敗戦は「国民」の意識を大きく変えた。にもかかわらず、戦前の鞍馬天狗とい うヒーローが、戦後も読者の支持を受け続けたのはなぜだろうか。その秘密は、 作者である大佛があの戦争をどう捉え、どう行動したのか、その実態のなかに隠 されているに違いない。 ところが、「満州事変」以降、殊に太平洋戦争下における大佛の思想と行動に は、「空白」が存在する。 この「空白」はとりわけ随筆に代表される。戦時下の大佛の小説やノンフィク ションは戦後、あらためて活字化されているものが多いのだが、随筆は165篇の うち、二十七篇しか公刊されていない。特に太平洋戦争中のものは戦後ほとんど 公刊されず、42年と44年に限ってはすべて未公刊である。これは、いったいなぜ なのだろうか。 そこで、封印を解くように未公刊の随筆を読んでみると、そこには、これまで の大佛のイメージを覆す衝撃的な事実があることが判明した。大佛の戦時下 を知る重要な資料として、すでに『敗戦日記』(草思社、1995)が刊行されてい るが、この日記は、大佛の「空白」を埋めることで、より深く理解できる。 このように、本書は、戦時下の「空白」を埋めることを通じて、大佛次郎とい う作家の実像に迫り、また、鞍馬天狗という作中人物が、この作家と「国民」に 対してもつ現代的意義を探るものである。 (小川和也−おがわ・かずなり/日本思想史・近世史)

レビュー

  • 無理に擁護しなくてもよいのでは。

    嵐寛十郎主演の映画か、少年向きに書かれた本の内容が小生の「鞍馬天狗」についての記憶のすべてである。そこでは鞍馬天狗についてのイメージはあるが、明確な記憶はない。「パリ燃ゆ」は、学生時代、60年安保の直後、「朝日ジャーナル」に連載されていたのを断片的に、読んだ記憶がある。ガンベッタが気球に乗ってパリから脱走する所などが記憶に鮮明であった。なぜか先日、「パリ燃ゆ」を読んでみたくなり、図書館で借りて40余年ぶりに通読した。マルクスが絶賛したという「パリ・コミューン」であるが、今読んでみると、これは普仏戦争の中で生じた徒花のようなものであり、その後の第三共和制にもほとんど影響を与えていないのではないか?(余談ではあるが、この時代、ジョルジュ・サンドがルアンに引き篭もっていたことを本書で知った。) さて、本書の趣旨である。軍国主義に対して批判的であったという大佛次郎の通説に対し、戦時下における言説を発見して大佛次郎の戦争協力・戦争責任を洗い直すということのようである。 しかし、著者のいう「あの戦争」、1931年の満州事変から1945年までの十五年戦争を単純に日本の侵略戦争と捉えるのは無理があるのではないか?このような史観に立てば、軍の行動や軍に協力することは悪になってしまう。そしてこの時代を語るには、ロシア革命とその後のソ連のコミンテルンの動きにも注目・理解しなければならないだろう。 戦後、大佛次郎は東京裁判を傍聴して南京事件などを知り、ショックを受ける。しかし、当時はGHQ占領下の「閉ざされた言語空間」のなかの出来事であり、東京裁判での提訴内容などについては検証が必要である。イデオロギー的に評価するのではなく、もっと時代背景を考慮した等身大の大佛次郎像の理解が重要なのではないか? 大佛次郎は冷戦終焉を待たずに1973年に逝去している。 大佛次郎の分身である「鞍馬天狗が、戦後憲法と民主主義の火が揺れている今日、再び姿を現すとすれば、それは、護憲派の志士であるに違いない」と著者は言うが、冷戦終焉後の現在まで、大佛次郎が生きていたとすれば、全くこれとは違った別の鞍馬天狗が現れたことであろう。 本書により、大佛次郎の著書をもう少し読みたくなった点を評価して星2つとします。

  • 「大衆小説」家としての大佛次郎

    大佛次郎の「戦争責任」を未再刊の作品群を読み解くことによって描き出し、その思想と行動の源泉を(私小説の傾向を強める日本の近代文学の中にあって)「大衆小説」家として、常に「国民」とともにあるという同胞意識の中に求めている。大佛の描く(或いは彼自身の分身たる)鞍馬天狗という存在は、独りの「個」としての存在でありながら、その「個」は社会化されたものである。 戦後民主主義の中でもたらされた高度経済成長は、国民意識の私生活主義化をもたらすが、鞍馬天狗に傾注する小川は、そうした時代の流れには批判的である。一方、「滅私奉公」、つまり「私」を棄てて「祖国」に献身するような愛国心は、さらに危険なものである。「「私」的欲望を超えて「自由」という「大義」に飛び込む覚悟」といった言葉に表れるような、「個」として在りつつも「自由」を追求することが、大佛の精神を引き継ぐことであると言えようか。大佛次郎を通して、戦中・戦後の政治・社会を考える書でもあり、興味を引く論点は数々あり。

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