菊池寛賞
1回登壇
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第14回(1960年) 受賞
いしい もきち
Ishii Mokichi
| 学校 | 学部 | 学科 | 学位 | 期間 | 国 |
|---|---|---|---|---|---|
| 東京帝国大学(工科大学) | 工科大学 | 機械工学科 | — | 〜1912 | 日本 |
| 第一高等学校(旧制) | — | — | — | — | 日本 |
| 年 | 賞名 | 対象作品 | 部門 | 主催 | 結果 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1939 | 東日・大毎印刷賞 | — | — | 東日・大毎印刷賞運営団体 | 受賞 |
| 1952 | 藍綬褒章 | — | — | 日本政府 | 受章 |
| 1960 | 菊池寛賞(第8回) | 『大漢和辞典』の原字作成 | — | 公益財団法人日本文学振興会 | 受賞 |
| 1961 | 科学技術庁長官賞 | — | — | 科学技術庁 | 受賞 |
| 1962 | 紺綬褒章 | — | — | 日本政府 | 受章 |
諸橋轍次編『大漢和辞典』の刊行に用いる写植原字を依頼され、病気を理由に一度断るものの最終的に承諾して約5万字に及ぶ写植原字を独力で作成。8年の歳月をかけて全13巻の刊行に向けた原字を完成させ、1960年に刊行が完了した。
写植機用に独自にデザインした明朝体やゴシック体などの書体群。写研設立期から作成され、写研書体の基礎を築いた。DTP時代に入っても評価・継承される書体を多数残した。
写真植字機の共同発明者で写研を設立し、写植の実用化と写植用書体の制作を通じて日本の印刷・文字文化に大きな影響を与えた。特に大漢和辞典の原字作成や石井書体群はその評価を確立した。