日本の文学賞

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豊田 正子

とよだ まさこ

Toyoda Masako

プロフィール

性別
女性
生誕
1922-11-13 (本所(東京、現・墨田区))
死没
2010-12-09 (東京都内の病院) 88歳
国籍
日本
言語
日本語
居住地歴
四つ木(現・葛飾区)での小学生時代 → 東京都内(生涯の大部分)

経歴

職業
随筆家
活動期間
1937年〜2010年
影響を受けた人物
鈴木三重吉(綴方教育の影響), 大木顕一郎(教師・指導者)

受賞歴

日本エッセイスト・クラブ賞
1986
対象作品: 花の別れ 田村秋子とわたし
主催: 日本エッセイスト・クラブ
結果: 受賞

受賞・候補エディション

  1. 受賞作: 花の別れ-田村秋子とわたし

    女優・田村秋子との交流を軸に、舞台に生きた人の姿と別れの記憶を綴る随筆。豊田正子らしい率直な語りで、人物の気配と時代の空気を残す。

    女優・田村秋子との交流を軸に、舞台に生きた人の姿と別れの記憶を綴る随筆。

    238ページ
    随筆人物記演劇別れ

作品

代表作

綴方教室

1937年 随筆 / 児童作文学材

小学生時代に書かれた作文を収めた書籍。出版後ベストセラーとなり映画化や朗読レコード化が行われた。

子ども時代教育貧困
映像化・舞台化
  • [映画・朗読レコード] 綴方教室(映画化作品)

私の支那紀行 清郷を往く

1943年 紀行文

戦時中に中国視察に派遣され、清郷などを描いた紀行記。

戦時紀行中国

おゆき

1964年 長編小説(母を描いた作品)

自身の母を描いた長編。第1部・第2部がある。

家族女性史貧困と生活

文革礼讃の書(不滅の延安を含む)

1967年 紀行文 / 政治的随筆

文化大革命期の中国に渡航した記録や礼讃的記述を含む刊行物。

中国文化大革命政治的立場

花の別れ 田村秋子とわたし

1985年 随筆 / 回想録

女優田村秋子との再会とその死までを描いた作品。日本エッセイスト・クラブ賞受賞作。

友情芸能界回想

生かされた命 リハビリを受けながら

1996年 随筆 / 回想録

脳梗塞後にリハビリを受けながら執筆した作品。闘病と回復の過程を綴る。

病と回復高齢期生活の再建

全著作

  • 綴方教室(中央公論社、1937)
  • 続綴方教室(中央公論社、1939)
  • 粘土のお面(中央公論社、1941)
  • 私の支那紀行 清郷を往く(文体社、1943)
  • 芽ばえ(理論社、1959)
  • おゆき(理論社、1964)
  • プロレタリア文化大革命の新中国紀行(五同産業出版部、1967)
  • 花の別れ 田村秋子とわたし(未來社、1985)
  • 生かされた命 リハビリを受けながら(岩波書店、1996)

翻案

  • 綴方教室(出版当時に映画化、朗読レコード化)

作風・主題

文体
随筆的回想的率直で語りかけるような文体
頻出モチーフ
戦争とその記憶貧困と労働女性の生活と友情中国体験

健康

  • 脳梗塞
    1996-10(発症)以降
    リハビリを受けながら執筆を続けたが、身体に不自由を抱えた
  • 閉塞性黄疸
    2010-12(死去時)
    死因となった

評価・遺産

子ども時代の文章で世に出てベストセラーとなり、戦後は随筆家として長年活動。中国体験や戦争体験を作品に反映させ、晩年もリハビリを続けながら執筆を続けた。地域の研究会などにより再評価が進んでいる。

資料所蔵先

  • 豊田正子関連資料(葛飾区などの地域資料)

大衆文化への影響

  • 『綴方教室』のベストセラーと映画化での影響

引用

  • 共産党は貧乏人の味方だと思っていたがそうではなかった
    出典: 『花の別れ 田村秋子とわたし』 (1985年)

豆知識

  • 小学生時代の作文が『綴方教室』に収められベストセラーとなったが、当初の印税は著作名義の関係で豊田には入らなかった。
  • 大木顕一郎に養子にされた時期があるが、後に養母(大木夫人)との関係は決裂した。
  • 1970年代以降、多くのテレビ番組やワイドショーに出演した。