日本の文学賞

← ホームに戻る

塚本 哲也

つかもと てつや

Tsukamoto Tetsuya

プロフィール

性別
男性
生誕
1929-04-29 (群馬県館林市)
死没
2016-10-22 87歳
国籍
日本
言語
日本語
居住地歴
群馬県館林市(生地) → ウィーン(オーストリア) → ボン(西ドイツ) → 東京(日本) → 群馬県(ケアホーム移住)

経歴

職業
新聞記者, 作家, 大学教授
活動期間
1954年〜2016年
所属
毎日新聞社, 防衛大学校, 東洋英和女学院大学

学歴

東京大学
経済学部
期間: 1950s
卒業年: 1954
国: 日本
1954年経済学部卒業

受賞歴

日本新聞協会賞
1963
対象作品: 毎日新聞連載「学者の森」(共同執筆)
主催: 日本新聞協会
結果: 受賞
講談社ノンフィクション賞
1987
対象作品: ガンと戦った昭和史:塚本憲甫と医師たち
主催: 講談社
結果: 受賞
大宅壮一ノンフィクション賞
1993
対象作品: エリザベート:ハプスブルク家最後の皇女
主催: 大宅壮一賞選考委員会
結果: 受賞
オーストリア共和国文化功労勲章
1965
主催: オーストリア共和国
結果: 受章
オーストリア共和国有功大栄誉銀章
2000
主催: オーストリア共和国
結果: 受章

受賞・候補エディション

  1. 第四代国立がんセンター総長・塚本憲甫の生涯を軸に、日本のがん医療が昭和期にどのように形づくられていったかを描くノンフィクション。医師たちの研究と臨床、患者との関わりを重ね、病と社会の歴史をたどる。

    がんと向き合った医師たちの足跡から、昭和日本の医療史を浮かび上がらせる。

    632ページ
    がん医療昭和史医師と患者医療ノンフィクション
  1. 受賞作: エリザベート ハプスブルク家最後の皇女

    エリザベート ハプスブルク家最後の皇女は、塚本哲也によるノンフィクション作品。歴史上の人物や社会の動きをたどり、時代の変化と人間の生き方を重ねて描く。

    エリザベート ハプスブルク家最後の皇女は、塚本哲也の作風と主題が凝縮された受賞作品です。

    ノンフィクション歴史人物

作品

代表作

フィンランド化:ソ連外交の論理と現実

1978年 政治・国際関係

ソ連外交の戦略と周辺国への影響を論じた入門的解説書。

冷戦外交政策ソ連

ガンと戦った昭和史:塚本憲甫と医師たち

1986年 ノンフィクション・医療史

塚本憲甫と医師たちの活動を通じて昭和期のがん医療の歩みを描くノンフィクション。

医療史家族史社会と医学

エリザベート:ハプスブルク家最後の皇女

1992年 伝記・歴史

ハプスブルク家の皇女エリーザベトの生涯とその時代背景を詳述した伝記。

ハプスブルク王室史19世紀ヨーロッパ

マリー・ルイーゼ:ナポレオンの皇妃からパルマ女王へ

2006年 伝記・歴史

ナポレオンの皇妃マリー・ルイーゼの生涯とその転機を追った伝記。

ナポレオン王室史ヨーロッパ近代史

メッテルニヒ:危機と混迷を乗り切った保守政治家

2009年 伝記・歴史

メッテルニヒの政治的手腕と19世紀ヨーロッパにおける役割を論じた評伝。

保守政治ヨーロッパ外交史

全著作

  • フィンランド化:ソ連外交の論理と現実
  • ガンと戦った昭和史:塚本憲甫と医師たち
  • 平和ドイツの時代
  • エリザベート:ハプスブルク家最後の皇女
  • わが青春のハプスブルク:皇妃エリザベトとその時代
  • マリー・ルイーゼ:ナポレオンの皇妃からパルマ女王へ
  • メッテルニヒ:危機と混迷を乗り切った保守政治家
  • 我が家の昭和平成史:がん医師とその妻、ピアニストと新聞記者の四重奏(カルテット)

作家による翻訳

  • ゲルハルト・ダンプマン『孤立する大国ニッポン』翻訳(TBSブリタニカ、1981年)

作風・主題

文体
事実に基づくノンフィクション的筆致歴史的・伝記的叙述を重視する文体
頻出モチーフ
ハプスブルク家とヨーロッパ王室史医療と家族史冷戦時代の外交と政治

健康

  • 脳出血
    2002-2016
    2002年に脳出血で倒れ右半身麻痺となる。リハビリを経て左手での執筆を再開。

評価・遺産

新聞記者・ノンフィクション作家・大学教育者として、戦後日本のジャーナリズムと歴史叙述に貢献。オーストリアなど欧州史に関する著作で学術的・大衆的評価を得た。

豆知識

  • 旧姓は木村。実兄の木村裕主も作家で、兄弟で同じ文学賞(講談社ノンフィクション賞)を受賞している。
  • ウィーン留学経験と欧州各国の取材経験が、後年のハプスブルク関連書籍につながった。
  • 2002年の脳出血後、右半身麻痺となったが左手でパソコンを打ち著述活動を再開した。