作品情報
子どもたちの手記は、原爆が奪った日常と、なお言葉にしようとする痛みを伝える。
広島で被爆した少年少女たちの声を集めた手記集。大人による解説ではなく、子ども自身の記憶と言葉によって、爆発の瞬間、家族や友人の死、負傷、避難、戦後も続く苦しみが語られる。長田新の編集は、原爆を歴史上の出来事に閉じ込めず、子どもの生活と感情を通して読み手に向き合わせる。
レビュー要約
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1951年刊行の広島の少年少女による原爆体験の手記集として確認できる。
書籍情報
- 出版社
- 岩波書店
- 発売日
- 2010-08-20
- ページ数
- 320ページ
- 言語
- 日本語
- サイズ
- 13.5 x 1.5 x 19.5 cm
- ISBN-13
- 9784000073271
- ISBN-10
- 4000073273
- 価格
- 104 JPY
- カテゴリ
- 本/文学・評論
1945年8月、広島・長崎に投下された原爆による災害は、史上かつてない惨事として、今日もなお深い爪あとをのこしている。自らも広島で被爆した編者が平和教育のために編集した広島の少年少女達の真率な原爆体験記は、エスペラントをはじめ世界各国で翻訳され、全世界に感銘をよんだ。希有の記録。(全2冊、解説=沖原豊)
レビュー
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原爆-核兵器が残した人々の苦しみを知ってほしい
大切な命を惨酷に奪い取ったあのきのこ雲が残したものを世界の人に知ってほしい
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命のつながり
上下巻 読みましたが わたしは原爆が落とされたとき 小さかった子どもがなにを見 なにを感じたが すなおに胸に飛び込んでくる上巻により深く揺さぶられました。淡々と語られる悲惨な光景にもまして 胸を打つのは肉親への想い そして命の瀬戸際でひとはなにができるのか …… ひとのうつくしさとはなにかが胸に残りました。 なかでも 田中清子さん(当時8.9歳)が 似の島に行く船で会った少女の お弁当のエピソードは忘れられません。わたしは小中学校で語りのボランティアをしておりますが このものがたりは子どもたちの心にも響くようでじっと顔を伏せ泣いている子が毎回おります。感想に 文章にはない わたしの命のかわりに生きてということ 命のリンクと書く子どももおりました。 佐藤朋之さん(当時4歳)の おとうちゃんの話も沁みいるものがありました。佐藤さんは1980年 自殺なさったそうですが 「原爆の子」に文を寄せた子どもたちのその後の人生に思いをはせると なんともいえないものを感じます。 アメリカ大統領としてはじめてヒロシマを訪れたオバマさんは謝罪をすることはありませんでした。アメリカの原爆投下の大義名分は「戦争の早期終結のためやむなく…」です。けれども 1945年5月には 駐ソ大使を通しソ連に連合国側へ降伏が打診されておりました。日本はもう戦える状態ではなかったのです。1945年7月 トリニティで原爆の実験が行われ わずか3週間後にヒロシマにウラン型 ナガサキにプルトニウム型の原爆が落とされました。それは実験でした。戦後 被爆者が呻き苦しんだ比治山にABCC (原爆障害調査委員会)の建物が建てられましたが 被爆者の治療はせず ただ調べ膨大な資料が持ちかえられました。中国で日本の731部隊がしたことも根はおなじです。戦争で死ぬということは国に殺されることです。そして国に仕えるひとたちの中にはひとの心など捨ててしまうひともいるのです。というかひとの心を捨てずにはできないのでしょう。 ヒロシマ ナガサキ では その年のうちに40万人が生きながら焼かれあるいは苦しみの末に亡くなりました。この本に載っているのはそのなかのごくわずかの死 どのように死と向かい合い その死を家族がどう受け止めたか …. の記録のようにわたしは思いました。 願わくは 装丁をもうすこしなんとかしてください。
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- 毎日出版文化賞 第6回(1952年) ・受賞