作品情報
名もなき死者たちの記憶から、草原に刻まれた暴力の歴史を掘り起こす。
上下巻で刊行された大部のノンフィクション。単一識別子のため代表として上巻のISBN/ASINを採用し、下巻も参照に含める。モンゴル人が受けた暴力を、聞き取りと資料から歴史のなかに位置づける。
書籍情報
- 出版社
- 岩波書店
- 発売日
- 2009-12-18
- ページ数
- 300ページ
- 言語
- 日本語
- サイズ
- 13.5 x 2.7 x 19.5 cm
- ISBN-13
- 9784000247719
- ISBN-10
- 4000247719
- 価格
- 4650 JPY
- カテゴリ
- 本/ノンフィクション/歴史・地理・旅行記/歴史/東洋史
下巻同時発売
楊海英(よう・かいえい) モンゴル名オーノス・チョクトを翻訳した日本名は大野旭.1964年,内モンゴル自治区オルドス生まれ.北京第二外国語学院大学日本語学科卒業.89年3月来日.国立民族学博物館・総合研究大学院大学博士課程修了.博士(文学).静岡大学人文学部教授.主な著作に『草原と馬とモンゴル人』(NHKブックス,2001年),『チンギス・ハーン祭祀――試みとしての歴史人類学的再編』(風響社,2004年),『モンゴル草原の文人たち』(平凡社,2005年),『モンゴルとイスラーム的中国――民族形成をたどる歴史人類学紀行』(風響社,2007年),『モンゴル人ジェノサイドに関する基礎資料(1)――滕海清将軍の講話を中心に』(編,風響社,2009年)などがある.
レビュー
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知られざるモンゴル人大虐殺の歴史
副題の「内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録」を同時代として証言す る書。まさしく虐殺の草原だった内モンゴルの内情を知らしめる。著者(より正 確にはその親の世代)の体験はあまりにも生々しく、文化大革命がどのような運 動であったかを、「証言及び著者の記憶」に基づいて記してある。 冒頭では「人物紹介」として、本書に登場する人物が50名以上も略歴と共に 写真付きで示されている。内モンゴル人民革命党の草創期から、文化大革命の終 焉までの記録。 「はじめに」で、内モンゴルの歴史がまとめて記述されている。そこには、 「ここに一つ、隠されつづけている人道に対する犯罪がある。一九六〇年代の中 国文化大革命中におこなわれたモンゴル人大量虐殺事件である。当時の内モンゴ ル自治区の全人口は一三〇〇万人で、そのうち、モンゴル族の人口は一五〇万人 弱だった。…中国政府の公式見解によると…二万七九〇〇人が殺害された。拷問 にかけられて身体的な障害が残った者は一二万人に達するとされている。…平均 してほとんどすべてのモンゴル人の世帯から少なくとも一人が逮捕されていたこ とになる。…まさに全モンゴル民族にもたらされた災難で、ジェノサイドだった」。 「中国文化大革命中の一九六七年から一九七二年にかけて、中華人民共和国と 『各少数民族の兄貴』を自認する漢族が、同じ国に住む『弟たるモンゴル人』を 大量虐殺した」のであるという。 中国にある内モンゴル自治区は日本の三倍の面積を持ち、「モンゴル人が歴史 的にずっと住んできた地域の一部が、中国人(ママ)たちに占領され、中国の領土 に組み込まれたために、『内モンゴル自治区』という存在が誕生した」のである。 中国籍のモンゴル人は五〇〇万人であり、自治区の全人口の二〇パーセントを 占める。この「内モンゴル」については、私自身はほとんど知識がなかったが、 あらためてその地域の広大さと人口に驚く。 内モンゴルの成立過程に日本の果たした役割も大きい。傀儡国家=満州国の成 立とその崩壊により、ソ連から中国は内モンゴルを手に入れた、とある。「内モ ンゴル自治区の出現は、日本が満州国の経営を途中で放棄した結果の一つ」なの だろう。 「中国において、(中国)共産党は『モンゴル人たちは対日協力者』だと断罪 し、民族自決のための(モンゴル人の)歴史も『祖国を分裂させようとした行動 だ』と批判し…一九六七年から一九七〇年にかけての四年間は、大規模なジェノ サイドが内モンゴルの草原で発動された」。 本書(上巻)はⅠ部「日本刀をぶらさげた連中」…日本的教育を受け、日本に 親しくしていたモンゴルの知識人たちが、いかに中国の支配の元に生きてきたか を記している。 Ⅱ部「ジュニアたちの造反」では、知識人たちの子どもたちが、文化大革命時に 中国共産党の既得権益者たちへ「造反」したこと。そして力によって粛正されて いった歴史を論ずる。 上下巻で十四人が、そのモンゴルでの実態を怒りをこめながら証言している。 「はじめに」でさえも、まとめるのが難しいほど内容が濃い。著者は「私たち モンゴル人はまだ完全に冷静に語れないのである」。 思いがけない事実も提示される。孫文への批判もそれだった。 「孫文は何よりも漢人たちの民族主義を最優先に考えていた。…そもそも『韃虜』 たるモンゴル人やチベット人たちに合法的な地位を与えようとはしなかった…モ ンゴル人たちに残されたのは、歓迎せぬ漢人入植者との共生だった」。このよう な孫文への否定的評価は初めて知ることであり、衝撃的だった。 中国の教科書的歴史ではなく体験者の歴史では、一九三〇年のモンゴル知識人 の主張、「漢人が支配する中華民国よりも近代化のすすんだ日本を『よりよき奴 隷主』として選ぼう」というものは、モンゴル知識人層の思想を代弁したもので あろうと述べられている。日本の植民地支配の苛烈さを思うとき、この「よりよ き奴隷主」という形容は胸に迫る。 一九四五年の内モンゴルの解放時には「モンゴル人民共和国の一部となる」こ とをめざし、モンゴル人民革命党は再建された。しかしながら、当時の世界政治 においては、米ソの思惑が全てを決定し、スターリン・ヤルタ会談によってその 夢は砕かれる。「内モンゴルはまだ中国の植民地でありつづけた。…中国共産党 が日本軍崩壊後に生じた権力の真空状態を利用して進出してきた」。 やがて東モンゴル人民自治政府の樹立とその解消。全てに中国共産党の利益の 元にモンゴル人の自治は窒息させられる。中華人民共和国の成立(一九四九年) よりも早い段階で「内モンゴル自治区」は成立していたのだが。 著者は文化大革命に先立つ「反右派闘争」(一九五七年から)についても詳し く記す。内モンゴルでは文化大革命は即座に実行された。つまりは、毛沢東批判 への批判弾劾、投獄、虐殺は内モンゴルではタイムラグなしにおこなわれた。内 モンゴルの指導者は、毛沢東路線に従わぬことで徹底的に弾圧された。この当時 は鄧小平も劉少奇も(後に反革命として処罰されるのだが)、その毛沢東路線に 沿って内モンゴル指導部を糾弾している。最初にターゲットとされた原因の一つ に、「地政学的見地」がある(北京への道のりが平坦かつ容易)という。 「序章」では、「社会主義中国は、貧しい人々の味方」という実に辛辣な意味 をこめたもの。著者の父母・祖父母の話。普通の牧畜民が「若いころは中国共産 党と社会主義を信じて一生懸命に働いた…しかし、文化大革命が始まると父が… 『搾取階級の牧主』に分類され…さまざまな迫害を受けた」。 にわかには信じがたいこともある。中国共産党が「ケシの栽培は見事に成功し た」。つまり麻薬の製造を組織的におこなっていたという。この件についてはこ れが正しい情報なのかを調べる方法がなかった。 「批判闘争」で痛めつけられる祖母を著者は確かに見ている。文化大革命によ る出身成分による露骨な差別により、家族全員が異なった「階級的身分」とされ る。中国共産党のこの一連の無意味な身分差別政策と、専門家を否定する農業推 進政策は、後の「密植」などの非科学的な愚行に繋がっていくのだろう。 現実によって理論を立てるのではなく、理論によって現実を歪曲するその醜悪 な思考回路を彷彿とさせる。 凄惨な「批判」による虐殺が、著者の母から祖母から語られる。 あまりにも衝撃的な内容だが、プロレタリア文化大革命という名の大虐殺をモ ンゴル人の目から見た光景がここにある。 極めて貴重な記録であり、おすすめする。
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ギフト用です
贈った相手の方はとても満足をしていました。書店では見つからず助かりました。
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読んで考えてください。
中国の非情さを訴えましょう。内モンゴルだけではなく、ウイグル自治区・チベット自治区等への中国のしてきたことを、広く世界に知らせましょう。
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読むべき
読むべき
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少数民族弾圧はチベット、ウイグルだけでない
中国共産党による内モンゴル自治区の蒙古族弾圧・同化政策の歴史を描いた、2011年司馬遼太郎賞受賞作。著者は内モンゴル出身、日本に帰化し現在静岡大教授、夫人は日本人。 毛沢東の発動した文化大革命は、劉少奇はじめ党内反対勢力を粛清することが目的だった。 この時期内モンゴルでは、ソ連やモンゴル人民共和国の”修正主義国”との戦争に備え、反対勢力になり得るモンゴル人たちを弾圧・同化し、漢人の意のままに動く地方政府に作りかえる政策が進めているさなかでもあった。 ソ連・アメリカ間の密約で内モンゴルは中国に引き渡されたことから悲劇が始まる。漢人の大量入植、それに伴う牧草地の農地転換、おとなしいモンゴル人は次第に圧迫される、共産党はモンゴル人同士を争わせながら政府機関から現地人を排除していく。文革が発動されると、漢人のモンゴル人蔑視と相俟って、拷問、レイプ、虐殺が頻発する。おびえながら暮らすモンゴル人・・・、まさにジェノサイドだ。 現地調査、長老へのインタビューや写真等、著者の実証的態度が素晴らしく、本問題に取り組む熱意が行間に溢れ出る。 登場人物が多い、名前が馴染みにくい、日本文がこなれていない(編集者の責任?)等のマイナス要因で、上巻はスムーズに進まなかったが、下巻は具体性のある内容、上手な語り口に引き込まれ一気に読めた。あまりにむごい暴力場面は衝撃的、寝付けないほどの興奮を覚えた。 正統を装い国内不満を外に逸らす政策で延命を図る権力党、暴力的体質は今も変わっていないと著者は指摘する。特に媚中・親中政治家必読。 story telling(特に前半)を整理し、日本語に手を入れて文庫化、長く読み継げるようにしてほしい。
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終わりなき文化大革命
文化大革命とはいったい何だったのか――内モンゴルに住むモンゴル族の視点からこの問いに答えたのが本書である。その答えをひと言で表せば、文化大革命とは虐殺だった。内モンゴル生まれの著者による本書は、文化大革命とその前後の政治弾圧を生き延びた当事者たちの証言にもとづく、内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録だ。上下2冊に分かれた本書は4部構成で、上巻はそのうちの第1部と第2部が収められている。 文化大革命ではモンゴル人の大量虐殺が中国共産党の主導でおこなわれた(304ページ)。そもそも文化大革命は内モンゴルから始まったのだというが、それはどうしてなのか。遊牧民族を営むモンゴル人と農耕生活を営む漢人の間にはそもそも「文明の衝突」(23ページ)があった。また、モンゴル人には対日協力という過去の罪があった。中ソ対立が深まるなかで、修正主義国家(ソ連とモンゴル人民共和国)と陸続きの内モンゴルは戦略的に重要な場所であり、信用ならないモンゴル族がその地を占めているのは中国共産党にとって都合が悪かった(280ページ)。中国共産党にとってモンゴル人の虐殺は当然の成り行きだったのだろう。 内モンゴル自治区の最高司令官だったウラーンフー(雲澤)がたどった運命は、当時の内モンゴルの情勢を理解するうえでとても示唆的だ。ソ連への留学経験も持つウラーンフーは正真正銘の共産主義者で、漢族の共産党幹部による教唆もあって、内モンゴル東部の知識人たち(「日本刀をぶら下げた連中」)を打倒した。ところが後に、ウラーンフーは自分自身が「前門飯店会議」でつるし上げられて失脚する。中国共産党は後に、ウラーンフーを含む内モンゴル西部の「根元から紅い延安派」と東部の「日本刀をぶら下げた連中」の対立が大量殺戮の原因だったと主張した。第1部と第2部は主に、「日本刀をぶら下げた連中」とその子供たちの証言を中心に、当時、内モンゴルで起こったことがまとめられている。 「前門飯店会議」ではウラーンフーの犯した「罪」が長々と述べ立てられたが、過去の罪をあばくのは中国共産党にとって造作もないことだった。かつて共産党に称賛されたことが後には同じ共産党によって非難される。こうした「過去の清算」(35ページ)は典型的なやり方だった。過去を自由に作り変えられるのは真の権力者の特権で、中国共産党のやり方はジョージ・オーウェルの『1984年』を思い起こさせる。また、事前に落とし穴を用意しておくことも頻繁にあったようで、政治的謀略の多用こそが中国共産党の政策的な特徴だったらしい(254ページ)。 習近平がウイグル族への弾圧について「一切容赦するな」と指示していたことがニューヨークタイムズで報じられたことは記憶に新しい(NYT Online, November 16, 2019)。中国政府は「敏感な問題に関する文書の公開」に対して憤りを示したらしいが(CNN, November 19, 2019)、怒る権利があるのは弾圧されているウイグル族のはずで、中国が憤りは筋違いだろう。文化大革命には少数民族に中国文化を強制する文化的ジェノサイドの側面があった(81ページ)。中国共産党による支配が続く限り、「文化大革命」は終わらないのかもしれない。
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漢民族の暴虐を知らしめる書籍である
『墓標なき草原(上・下)』楊海英 岩波書店 2009年12月18日 漢民族の凄まじいまでの内モンゴルでのモンゴル人の殺戮の日本統治時代が終わった後から文化大革命までの記録である。民族の自決を謳い、民族の共存を標榜したスロ−ガンとは裏腹に中国共産党の下での内モンゴルでのモンゴル人の弾圧の記録でもある。中国共産党の漢民族の支配はチベット、ウイグルに限らず内モンゴルでも行われたことを我々に知らしめてくれる。 これまで文化大革命は漢民族の間で毛沢東の権力奪回を目的とした階級闘争として語られてきた。しかし、文化大革命は少数民族の間で最も過酷だったと言われているが、それを明確にした記録が明らかにされてなかった。その意味でこうした事実が明白にされたことに本書のもう一つの意義がある。そして少数民族への弾圧は何も文化大革命のみではなくそれ以前の中国共産党の支配から始められていたことを明らかにしたことがもう一つの意義である。 この書については異議もある。それは「はじめに」と題する部分で『近代日本がモンゴル人の草原に触手を伸ばしたがゆえに、モンゴル人の領土が中国に占領されたのである』という部分(3頁)には異議がある。日本がモンゴル人の草原、つまり満州などを支配したのは事実であるが、それがために中国が内モンゴルしたのではない。日本なくしても中国は内モンゴルを占領したのである。筆者はチベット、ウイグル、旧満州の朝鮮自治州の漢民族による支配と民族浄化を見ていない。漢民族の中華思想に基づく覇権主義こそが他民族の支配を生んできたのである。その意味では筆者の分析は甘い。 なお、日本統治時代には内モンゴルには近代化が図られ内モンゴル人の知的水準の向上をもたらしたこと、中国とは異なり殺戮もなく人々が平穏な生活を送っていたこと、が本書でもこのことが指摘はされているが、もっと強調されてよい。こうした点にも筆者の日本に対する偏見が感じられる。 これらのことを除いても本書は中国共産党(中国共産党というより漢民族と言った方が正確と思われる)の少数民族の弾圧と殺戮を理解させてくれる意味で貴重なものである。
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読むべき
漢族とモンゴル族の間の戦争や紛争は、異なる歴史的時期において暴力と犠牲を伴っていました。これは主に異なる民族間の権力闘争や戦争行為であり、単なる人種間の「虐殺」とは言えない気はしなくはないが... あんまり知られていない歴史を知ることができ、読むことがおすすめです。
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