作品情報
佐伯一麦の受賞作『渡良瀬』。
本項目は『渡良瀬』について、受賞記録と書誌確認をもとに整理した作品情報である。識別子は受賞作そのものを収録した図書に限って採用し、雑誌号や関連記事の番号は除外した。
書籍情報
- 出版社
- 岩波書店
- 発売日
- 2013-12-26
- ページ数
- 336ページ
- 言語
- 日本語
- ISBN-13
- 9784000259408
- ISBN-10
- 4000259407
- 価格
- 2420 JPY
- カテゴリ
- 本/文学・評論
茨城県西部の町にある配電盤製造の工業団地。28歳の南條拓は、東京の電気工としてのキャリアを捨て、ここで一工員として働き始めた。昭和の終焉も間近なざわついた空気のなか、渡良瀬川近くの乾いた大地に新天地を求め、妻、三人の幼子とともに越してきたのだ。――『海燕』連載の未完長篇小説がついに完結、単行本となった。
レビュー
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すばらしい
初めて手にとりました。 優しくて誠実で手の中で大事に温めていたいようなすばらしい作品でした。 自分のすぐ近くに広がっている世界のような気がして、すっと物語の中に入ってしまいます。 もっと広く知られるべき作品かと思います。大事にしたいです、こういう作品。
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四半世紀のタイムスリップ
作者の電気工事の職人時代と、仙台に移り住んで作家業に専念した時代はほぼ読んでいましたが、 この配電盤工場勤務時代は抜け落ちていました。 昭和の終わり、若者が車に全財産をつぎ込んでいた時代の1年です。 そして渡良瀬遊水地が時に埋没し始めた頃でしょうか。 この時代も執筆活動はしていたようですが、連載を掲載していた文芸誌が廃刊になり、未完成のままだったそうです。 私も文芸誌に作品を追う程の贔屓の作家は無く、また文芸作品から遠ざかっていた時でもあり、 今読むとタイムスリップしたような懐かしさがあります。 しかし、配電盤工の話を長々と語り何が面白いのか。 私は若い時、電気工事の仕事を1年以上手伝う機会がありましたので、 ケーブルの匂いも、硬さも、銅線の鈍い光沢も分かりますが、 知らない人にはどうなのかしらと心配になります。 勿論家族の微妙な表情、長女の全緘黙症の発症と治癒は重要な柱です。 しかし登場人物のモデルとして書かれる家族はたまったものではないでしょう。 もう25年前の話になるのですね。 私には面白かったです。
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読みたかったので感動した
図書館が休館しているので、古書を購入できるのは嬉しい。きれいな状態だったので気持ちよく読みました。
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多くの人に読んで貰いたい
いつもは小説を読み返すことはほとんどないのですが、この小説だけは何度も読んでいます。 執筆、出版までに長い断続と時間がかかったことが、この小説を豊かにしたのだと思っています。 文庫本も出て嬉しい限りです。
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良い
とても良い
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渡良瀬に日常の意味を学ぶ
佐伯一麦著「渡良瀬」(岩波書店) 家族が生きること職場で働くこと、そのなかで自分も生き生活すること、夫婦の行き違いを直すのではなくうけとめて生活すること、気にくわなくとも気にいるように心持ちをかえるのではなく、それが向かう方向にしたがうこと、そうして一日がはじまり終わり、妻と異なる部屋で寝酒の焼酎のお湯割りをのみながらとこにつくこと、飲み屋の「さと」にいっても自分よりも二つほど上のヤクザと結婚したおかみと世間話をしながら安酒をのみながらおかみの安らかさをねがっていること、古河駅で自転車をあずかるおばちゃんのだれにもかけるかわりばえしないコトバに励まされながらそれに安堵感を意識すること、古い鉄棒を届けにくる小っちゃな工場主の並木さんの好意が好意というよりも拓一家との自ずからの交わりのなかから流れ出たような心のあらわれであるように感ずること、庭につくったその鉄棒に自分が最初につかって前回転をすると子供たちのよろこぶ声に拓もひそかに慶び、いつもは声を忘れた優子が鉄棒でうまい前回転やスカートかなにかで固定して何回もまわるときの妹の夏子のねーちゃんうまい!という賞賛の声にこたえる優子のひそやかな笑みとそれをみる拓の充足したしあわせ感、本所さんの気むずかしさが時間とともに気むずかしさが本所さんの仕事の魂と家族とのつながりをつくる原点でもあるように感ずるとそれは気むずかしいといってはならないもっと別のキャラクターをあらわしているということそして拓も共有できる心持ちになること、パチンコ狂の原口さんの願いとかなえてやりたいと一緒に栗橋にあるストリップを見に行き、そこでおそらく女体をみながら妻の幸子の身体ではなく幸子の心のなかにある何かを思い出し、娘の優子の病の安寧や夏子や雄一の一日がどうであったかにまで思いめぐらしながら一心にみる原口の顔を軽蔑しながらみるのではなくただちらとみてそれ以上の感情ももたずにハラ口とともにそこにいること、制御盤を無機質な盤ではなく工場で働く人のつくりだしたものであって美しさをみとめる心とあたまの仕組みの不思議さを大事にしながら仕事をすること、制御盤の失敗を叱責されてもそれをつぎへの戒めとしてその失敗の濡れ衣だけを晴らし、失敗したかもしれない誰かの名前など言わずにまた当人にそんなそぶりを見せないまま職場でいきること、赤川さんの工場ではたらく中年の女性である宮原さんの制御盤の配線の配列のみごとさと時間の早さにここにもこんなに立派な仕事を自然とてがけることのできる普通の主婦がいたんだという驚きと感激をしずかにしまい込みながら、そのことをわすれないようにすること、高校をでたばかりのはすっぱな増川のはすっぱさに嫌気がさすのでもなく仕事のヘルプをお願いしてそれをなんとかこなす方になんだかわからないが快さを感じて、彼女がつとめる夜の風俗のお店であったこともそれはそれというかたちでうけとめ職場の誰にもいわず、そのことの値踏みをしながら増川さんをみたり評価することなくときには増川の表情になんともいえぬ若さをみてそこに喜びとはべつの快ささえかんじながらともに職場ですごすこと、毎日五〇〇円となにがしかの一〇円だまをふところにして工場ではたらくことのつまらなさ味気なさなんぞは感じてはいるはずであろうともそれよりももっと気にかけることがあるかのように生活すること、臨時工の拓をのぞいた工員が一.五ヶ月の暮れのボーナスをもらっているのにそれをみじめだと一瞬に感ずるとしても本所さんが今年高卒で銀行にはいった娘のボーナスよりすくないときいて一歩も二歩もひいたあきらめでなくあきらめること、工場のおばさん沼田さんの拓への問いはそれ以上にまですすませないでほどよいところで拓への心の重荷になるほどのところにまですすまずに終わること・・・・・このすべての間にも昭和天皇の病状と古河周辺地域で刻々とすすんでいく行事の自粛ムードに気にかけそれに便乗して祭りが中止されることにがっかりもする拓という主人公と自粛の蔓延にやなにおいを感じていること、息子の川崎病によるぜんそくは古河への引っ越しですこしずつなおったといってもまだまだ心配だから横浜まで川崎病の講演会に参加し帰りのエレベータのなかで偶然あった講師の先生に川崎病にかかっている二歳の息子を、天馬空を行くように育てたいといい、先生からああそれはいいですねえ、ぜひそうなさってくださいといわれ、ただそれだけなのに息子の将来に光りがみえたように私に感じさせること。 このようなことどもが、主人公拓の生活圏、仕事圏をつくりだしている人びとの姿だ、そのなかで流されずながれて、問いにハッキリとした解答をだすことはないが自分が進む道という深いところではなく浅いところでもないような解答を考えながらだして、主人公の拓は生きているように思う。 さて、以上のメモから本書への評論がスタートする・・・・・・ (二〇一四年六月一八日午後三時六分 書斎)
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欠点のない主人公
大変立派な長編私小説である。作者28歳の、天皇死去の前後、宮崎勤事件の前兆を背景に、古河で配電盤工として働く著者自身と、妻と、緘黙症を病む長女、川崎病の長男など三人の子供のことが克明に描かれている。配電盤の描写は素人には分かりにくいので、飛ばしながら読んだ。だが読了して気になるのは、主人公つまり作者自身が、あまりに立派な人間として描かれていることだ。小説の新人賞をとり作品集も出しているがもちろんそれで生計は成り立たないから配電盤工をしているが、人望も厚く、読者から反発をかうような行動もしない。欠点がないということ、それが欠点といえば欠点である。
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