日本の文学賞

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追いついた近代 消えた近代: 戦後日本の自己像と教育

毎日出版文化賞

追いついた近代 消えた近代: 戦後日本の自己像と教育

苅谷剛彦

戦後日本が近代化の遅れをどう意識し、追いついた後にどのような自己像を失ったのかを、教育政策と言説の変化から読み解く社会史・教育社会学の著作。参照すべき近代モデルを失った社会の現在を考える。

戦後日本教育社会学近代化自己像

作品情報

追いつく目標を失った戦後日本の自己像を、教育から読み解く。

岩波書店刊。教育政策文書や知識人の言説を手がかりに、敗戦後の日本が欧米を参照して自己を形づくり、やがてその参照軸を失う過程を分析する。第74回毎日出版文化賞受賞作。

レビュー要約

  • 教育を通じて戦後日本の思想的変化を描く射程の広さが評価されている。近代化の成功が次の参照点を失わせたという問題提起が、現在の社会理解にもつながる。

書籍情報

出版社
岩波書店
発売日
2019-09-26
ページ数
412ページ
言語
日本語
サイズ
14.8 x 2.9 x 21 cm
ISBN-13
9784000613620
ISBN-10
4000613626
価格
3850 JPY
カテゴリ
本/人文・思想/教育学/一般

西欧に追いつき,追い越す――.明治以降の近代化と敗戦を経て,1980年代に「追いつき型近代」を達成した日本は,どのような自己像をもち,社会の変化に対応しようとしてきたのか.本書では教育政策を過去と未来をつなぐ結節点ととらえ,政策文書や知識人・研究者の言説を繙き,現在につづく問題群の原点を抉り出す.著者渡欧以降10年来の力を注いだ意欲作.

苅谷剛彦(かりや たけひこ) 1955年東京都生まれ.東京大学教育学部卒,同大学院修士,ノースウェスタン大学で博士号取得(社会学).東京大学教育学部教授を経て,2008年よりオックスフォード大学教授.専門は社会学,現代日本社会論.主な著書に,『大衆教育社会のゆくえ――学歴主義と平等神話の戦後史』(中公新書),『階層化日本と教育危機――不平等再生産から意欲格差社会へ』(有信堂高文社,2001年大佛次郎論壇賞奨励賞),『教育改革の幻想』(ちくま新書),『教育の世紀――学び,教える思想』(弘文堂=ちくま学芸文庫増補版,2005年サントリー学芸賞),『教育と平等――大衆教育社会はいかに生成したか』(中公新書)など.

レビュー

  • 教育とポストモダン

    衝撃的な結果や真理が待ち構えていませんが、 深い洞察と素材の扱い方が精妙巧緻で何かの糧になるかと思い購入。 改めて検証プロセスの重要性を再確認させて頂きました。 以下、拙い感想に過ぎませんが…。 キャッチアップ式で、欧米に追いついた途端に参照点が無く行き先不明の漂流者に なってしまった感があります。自己啓発やスピリチュアルが流向するのも放り出された 個人の暗中模索の同時代的(自己責任時代)な印象を受けます。目下は先行き不透明な グローバル化とネオリベ化の反動を喰らった方針になり舵取りは難しいですし、 正解は無いといったポストモダンの消費論、無限回廊な自己探しゲームに陥りがちです。 (『ゲーデル、エッシャー、バッハ―あるいは不思議の環』を想起させます。) こんなところまで影響を与えているとは思いもしません…。 混迷な世ですのでますます産業寄りの学歴社会になる感はあります。

  • 1980年代以降の教育行政の迷走原因を追究

    日本の教育行政の迷走ぶりを、明治維新以降の近代化キャッチアップ政策によって強固に習慣づけられたエセ演繹思考によるものとしている。 戦前・戦後の教育成果を帰納することなく延々と続く、「日本の教育には○○が足りない」言説。 これこそが日本の教育を迷走させている、という主張は大変分かりやすく、納得できた。 思考力・判断力・表現力や、主体性、というものが喧しく教育業界に求められているが、本当にそれが「足りない」のかという根拠が曖昧であるとは常々感じていた。 そして提示されるのは大抵PISAの結果だけ。 政府の政策だからさぞ調査されているのだろうと考えていたが、この本を読んで、自分は「忖度」していただけだと、見たくない現実を突きつけられた。 「変える」と声高に叫びならも、日本の教育が実態レベルでは大して変化してこなかった理由もよく分かった。 そもそも「変える」と言っているその内容が空疎であるため、名称は変わっても何を変えるかも、なぜ変えるのかも曖昧であり、結局は変える必要がない、という解釈に落ち着くからだ。 本当に、今回の大学入試共通テストを含む高大接続改革は、日本教育行政の悪癖が遺憾無く発揮された駄作である。 この暗澹たる現実を本当の意味で変えるには、本書で指摘されているように、日本の現実と実績を真摯に観察することに尽きるのだろう。 大変勉強になった。

  • 作者の熱い思いが伝わってくる本です

    なぜ日本の教育改革がトンチンカンなものになってしまうのか、その原因を各種の言説から検証した本。 作者の苅谷教授の過去の作品はどれも資料やデータを丹念に収集・分析したものであり、このような言説を取り扱った研究は珍しい。 日本が欧米に追いつき、参考とすべきモデルが消失した中で、先の不透明な未来に対応するための教育を行わなければならないとの認識に立っているにもかかわらず、依然として横文字を用いた中身のない教育改革を繰り返している日本への絶望が感じられる。確かにアクティブ・ラーニングとか横文字を使いながら主体性を模索する教育を主張している時点で情けなくなっている。 エセ演繹思考にしがみつき、経産省や米国に洗脳されたコンサルに翻弄されている文科省の役人や教育学者への痛烈な批判が感じられます。 遠い英国の地より日本の教育の行方を嘆く作者の熱い思いが伝わってくる本です。

  • この理知的な文章

    苅谷氏の文章は豊富な資料に裏打ちされ、その資料の解釈が説得力満点です。このような素晴らしい筆力をもつ方の本は何冊か読みましたが、自分が頭が良くなったような錯覚に陥ります。 教育問題を考えるときに、彼の本や思考は最大限参考になります。 この本は現代の浮遊している教育界の現状を的確にとらえ、現場の教員への想いに至ります。 指導要領をバイブルのようにしている方々が教師は聖職になってしまわないように。このような本を読むべきだと感じます。

  • 良書

    日本と近代主義と教育の関係を明らかにする良書

  • 早く届けていただき満足しています。

    内容は言うまでもなく、よかったです。著者の先生の洞察は素晴らしいです。

  • 教育から社会を見るスタイル

    近代と現代の社会の定義を教育を見ることによって明らかにしながら、その現代社会において何を論点とするべきなのか、その論点の解の方向性は何かを気づかせてくれる本 キャッチアップ型の社会から、日本が独自の世界観を作り出していかなければならないとなったときの葛藤が見えてくる。課題の整理の仕方として面白いようには感じたが、解自体については最後に少し示された程度であった。 今後、その解に関しての考察が深まったものを出版していただくことを期待して4つ星とします。

  • キャッチアップ型近代化終焉後、方向を見失った日本の近代化

    日本は後発型近代化をどのようにして進めたのか。キャッチアップ型近代化である。経済を前景にし、外部の参照点に照らして、欧米に追いつこうと目標を立て、その実現に努めてきた。しかし、1980年代に経済的に欧米に追いつくと、キャッチアップ型近代化の終焉が意識された。これまで、外在する近代を措定することで、それに照らして日本という近代社会を捉えようとしてきたからである。日本に目を向ける場合でも、先進-後進、普遍ー特殊といった外部の基準との比較・距離の測定によって、自らを理解しようとしてきたからである。「徹底的に近代内部の視線」で自らの近代を捉えようとしたのではなかった。そのような近代理解の経験を持たないまま、キャッチアップ型近代の終焉が意識されたため、近代は消され、それと同時に外来の視点も取り除かれてしまった。 高度に抽象化された見解が展開されているため、内容の理解に時間はかかるが、とても参考になった。

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