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現代アラブの社会思想 (講談社現代新書 1588)

大佛次郎論壇賞

現代アラブの社会思想 (講談社現代新書 1588)

池内恵

現代アラブ世界の思想状況を、終末論とイスラーム主義を軸に読み解く新書。宗教思想、政治運動、大衆文化を横断し、危機意識が社会にどのように広がるかを描く。

アラブ社会イスラーム主義終末論政治思想中東

作品情報

アラブ世界の現在を、思想と社会の重なりから読み解く。

講談社現代新書の一冊。アラブ世界の終末論的想像力とイスラーム主義の広がりを、歴史的背景と現代社会の双方から論じる。

レビュー要約

  • 学術的な論点を新書の読みやすさに収めた点が支持されている。宗教と政治の絡み合いを単純化せず、背景を知るための入口として読まれている。

書籍情報

出版社
講談社
発売日
2002-01-18
ページ数
256ページ
言語
日本語
サイズ
10.6 x 1.1 x 17.4 cm
ISBN-13
9784061495883
ISBN-10
4061495887
価格
1012 JPY
カテゴリ
本/人文・思想/宗教/イスラム教/一般

なぜ今、終末論なのか。 なぜ「イスラームが解決」なのか。 学術書からヒットソングまで渉猟し、苦難の歴史を見直しながら描く「アラブ世界」の現在。 終末論の地層――イスラーム教の古典的要素にさかのぼることのできる要素の上に、近代に入ってから流入した陰謀史観の要素と、現在に流入したオカルト思想の要素が、いわば地層のように堆積して、現代の終末論は成り立っている。そして、イスラーム教の古典終末論の要素にも、また積み重ねがある。イスラーム教はユダヤ教・キリスト教から続く「セム的一神教」のひとつである。ユダヤ教とキリスト教が発展させた終末論体系を基本的に継承しており、両宗教から受け継いだモチーフがかなり多い。その上に「コーラン」や「ハーディス集」によってイスラーム教独自の修正や潤色が加えられている。――本書より

■池内恵(いけうちさとし) 1973年、東京生まれ。1996年、東京大学文学部イスラム学科卒業。東京大学大学院総合文化研究科博士課程を経て、2001年4月よりアジア経済研究所研究員。イスラーム政治思想史、中東地域研究が専門。共著に『民族主義とイスラーム』――アジア経済研究所、『非・西欧の視座』――大明堂――など。

レビュー

  • 勇気ある名著、今飯山氏の「ハマス本」と合わせて読まれるべき

    現在、各方面で名を売っている著者の大学院修了まもない頃の作品である。著者のイスラム思想研究からのイスラムへの共感と愛情、それにもかかわらずイスラム現代思想のどうにもならない閉塞感があからさまに描かれる。これは国連ビルへのアルカイダのテロ攻撃の直後に書かれたもの。著者の苦しい思いが伝わってくる。 しかし、著者への共感はここまでである。一般の、特に中東問題に関心のなかった日本人として、あの中継をテレビで見て深刻なショックを受け、あの数千人の同盟国アメリカ一般市民(後に日本人も含まれていたことが判明)を思って涙が出て止まらなかった。 「アメリカよ、原水爆で報復せよ‼️」 強くそう思った。たパールハーバー攻撃、それは明らかな戦争挑発に対する最前線基地への攻撃で一般市民を巻き込まない配慮を伴っていた…その報復が2発の原爆ならば、何万倍も悪質なそれもテロに対する反撃は核兵器こそ望ましく、また将来への教訓にもなろう。今考えればイランの核開発以前にタリバンを徹底的に殲滅すべきであった。 歴史はそのようにならなかった。アメリカはボスのビンラディンこそ殺害(道義的には処刑)できたが、イスラム国、ハマスなどより凶暴で不道徳なテロ集団の跳梁を許すこととなった。 著者もこの本で描いているように、イスラエルの女子中学生へのテロ殺人、その犯人を英雄視するようなものが当時のイスラム思想の主流で有るならば、彼らは人類の敵、少なくとも近代市民である日本国民の敵であるというしかない。 これを書いているのは2023年12月30日、イスラエルへのハマスのテロから約3月後である。それを受けて著者の後輩の飯山陽氏の「ハマス本」が出版され、ベストセラーとなった。この本は著者によってこそ続編として書かれるべきものであった。それは将来、消滅し博物館にのみ残る「イスラム」への挽歌となりうるものになろう。またそうなることを望む。 最後に、著者の現在の政治的姿勢は日本人として否定的に評価せざるを得ない。著者の不可解なイスラムへの共感の底には、愚劣極まる国連=united nation=旧連合国史観への同調があるのではないか?それは著者と同年代の数名のいわゆる「国際政治学者」達にも共通するものであると思う。

  • 異なった思考をする人々を理解するために

    自分とは違う論理・思考をする人を理解することは難しい。 自分の考え方・論理から自由になることが困難だからである。 最近、イスラムとキリストという2つの宗教がぶつかっているが お互い自分の思考回路から自由になれない、と感じている。 自分自身もイスラム的思考・イスラム教の思想をまったく知らず 同時に理解もしていないため、理解努力の一環で読んでみた。 読了した今もなお、彼らと彼らの宗教を理解できないでいるが、 なぜ理解できないかその理由は理解できた。日本で第一線で活躍する イスラム学者として、今後ますます重要な位置を占めるであろう 著者の名作と感じた。

  • 後半は正にアラブ版「トンデモ本の世界」だったが・・・。

    最初からフランスの「トンデモ本」の作家がアラブ各国でもてはやされている場面を取り上げたり、エジプトの権力におもねる歌手を笑い者にするくだりには思わず笑ってはいけないと思いながらも笑ってしまった。 そして後半の始めの辺りで米国の大学がそのようなアラブの「トンデモ本」を大真面目に買っているというくだりを読んだ際には、日本の「トンデモ本」も集めているのではないかと思い、アメリカという国の「知的好奇心」の凄さに思わず慄然としてしまった。この知的好奇心がアメリカという国の強さなんだなあ・・・(現在のアメリカの政権とその 支持基盤からはその欠片も感じられないが、それは我が国の現状も同じか)。

  • 共存はありえるのか

    結構読みにくい本です。この作品の論旨をたどるには相当の基礎知識が必要とされます。特にナセルの非同盟運動、70年代前後のパレスチナゲリラの運動があまりにも印象が強く残っている私には。著者は、袋小路に陥っているアラブ社会の知的状況をその状況的な並びに本質的な矛盾を中心に描きます。そして私たちとは隔絶した他者を赤裸々に描いていきます。所詮はイスラム世界においては、穏健派も過激派も、イスラムと非イスラムの価値的な平等を是認することがないという著者の指摘は絶望的ながらも慧眼です。日本のメディアにはこの悲劇的な対立の認識が根本的に欠落しているようです。fallaciのrage and prideとの併読をお勧めします。

  • 著者若かりし頃の本で、終末論書の部分はいかがなものかと思われるものの、社会思想史は参考になる。

    本書の発刊は9.11テロ直後ということもあって、イスラーム社会の閉塞感や欧米との対立の説明が中心である。 前半第1部の社会思想史は参考になった。 スエズ運河国有化(1956)で高揚したアラブ民族主義が、第3次中東戦争(1967)の惨敗で挫折した際、まず急進マルクス主義が、その敗北の責任をプチブルジョワ政権に帰し、政権を打倒して世界革命をリードしようとしたが、文化大革命の失敗、中越戦争、ポル・ポト大虐殺で世界革命論は打撃を受け、足元でもPLOの現実路線転換により基盤を失う。 他方、「イスラーム的社会が実現できれば、諸問題は解決できる」と考えたグループもいた。彼らは楽観的に『運動』で実現できると考えたが、悲観主義者は、社会に対して直接的な攻撃を仕掛けることにより変革しようとする「原理主義者」として分派したという流れである。 しかし、後半第2部の終末論は、ユダヤ教、キリスト教の終末論からの発展過程など面白い所もあるが、いかがなものかと思う記述も多い。 湾岸戦争(1991)を契機にアラブ世界では、国際社会は「善と悪の闘争」であるとする終末論が流行し、今回の「悪」はユダヤとその後ろ盾である米国だというのである。読者はエジプトに行ったことはないし、エジプトで終末論が流行したのは事実なのだろうが、だからといって「イスラーム教徒が(終末論は教義として信じているにしても)それらの流行本の内容まで信じている」とするのはどうなのだろうか。まあ、近著『イスラーム国の衝撃』(文春新書、2015年)にそのような記述もないということは、軌道修正したのかもしれないが。本書の発刊から10年以上経つのだから、改めて分析してほしいものだ。

  • 評価に値する記述

    よく整理された価値ある情報として読むことが出来る書物。私の智の領域を拡げることに役立っている(と本人は期待している)。

  • 良書。

    現代のアラブ社会の思想状況について広く目配りした本。 現代っていっても2002年だから、この本の内容が今現在そのもののアラブ社会にそのまま通ずるのか、地域差はどうなのか…などいろいろ思うところはありますが。 でも他のアラブ・イスラーム関係の本にはない視点から切り込んだ良書だと思います。

  • 一気読み

    日本では馴染みの薄いアラブ世界思想が興味深く纏められていた。一気に読めた。

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