作品情報
忠臣蔵とは何かの世界へ読者を導く、受賞歴を持つ一作です。
丸谷才一の忠臣蔵とは何かは、受賞対象となった作品として、題材の背景をたどりながら人間の行動や記憶を描く。書誌情報は確認できる範囲で単行本・文庫を優先し、雑誌掲載情報は識別子に流用していない。
レビュー要約
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題材への誠実な向き合い方と、読み進めるほど輪郭が深まる構成が評価されている。派手な展開よりも、人物や背景を丁寧に追う読者に向く。
書籍情報
- 出版社
- 講談社
- 発売日
- 1984-10-01
- ページ数
- 245ページ
- 言語
- 日本語
- ISBN-13
- 9784062008259
- ISBN-10
- 4062008254
- 価格
- 2251 JPY
- カテゴリ
- 本/文学・評論
Amazon.co.jp: 忠臣藏とは何か : 丸谷 才一: 本
レビュー
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自分で考える習慣
日本の知性を示す著作です。可能な範囲で、情報を整理して、忠臣蔵をひもといています。今時の人達には 知らない話ばかりですがね。
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内匠頭の御霊はどんな祟りをもたらすの?
丸谷先生の「恋と日本文学と本居宣長」はわかりやすい。宣長の文学的営為に素直に共感していることが伝わってきます。 この忠臣蔵をめぐる評論はわかりにくい。演劇の意味を、祭祀における集団の共同意思としているからです。考察の対象が明確に語られていないのです。なぜこんな舞台装置を必要としたのだろう? 小生は次のように考えました。 丸谷先生は、主君の仇を討つという”男子の本懐”を受け入れることができなかったのだと。 だから 怪力乱神を持ち込んで、討ち入りという集団テロルに感情移入することをはかったと。 神話やカーニバルを持ち出すことで、忠君愛国の呪縛から物語を解放することを狙った意欲的な作品だと思います。
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あわせて「江戸時代とは何か」も学べる
読書の楽しみの最大のものは長年の疑問を氷解させることである。誰でも知っていた曽我兄弟の仇討ちや荒木又右エ門はなぜ、どこへ消えてしまったのだろう?もっと直接的には赤穂浪士討ち入り事件はなぜ「忠臣蔵」と呼ばれるのだろう?四十七士はなぜ火事装束をまとっているのだろう? 江戸の町民はなぜ忠臣蔵に飛びついて離れなかったのだろう?忠臣蔵の人気はなぜ現代にまで続いているのだろう?これには苛酷な江戸幕府の政治、とりわけ五代将軍綱吉の「生類憐みの令」がかかわっていただろう。それは生活の安全と生命にかかわる深刻な社会問題であった。これらのすべての疑問を解く鍵は今でも日本人の心に巣くう「御霊信仰」(死者の怨みをはらすことによって怨霊を鎮める)であるというのが著者の説くところである。 「地震、雷、火事、親父」という日本人にとっての四大恐怖になぜ親父が入っているかを不思議に思う人は私だけではないだろう。親父以外の三つはすべて怨霊の発現と考えられた。ここにある「親父」が何を指しているかについても興味深い指摘がある。これがもし著者が示唆するような専制的政治権力だとすれば、庶民のささやかな抗議の記念碑として受け入れたいと思う。 御霊信仰という現代人からはほど遠い観念、信仰では納得しかねるという向きには大岡昇平の「武士道礼賛」説をご紹介したい。大岡は丸谷の説を読んだ上で次のように言う。徳川幕府が官学として採用した儒教(朱子学)によって忠孝思想は武士道の骨子となった。この思想は武士同様に家督を重んずる江戸の町民が進んで受け入れるところとなった。二世竹田出雲の手によって世に出た仮名手本忠臣蔵は義理人情が巧みに織り込まれていて大当たりを取って世に広まった。大岡はそれが明治を越えて現代に続くにあたっては西洋の騎士道が日本人の教養として接ぎ木されたことと関係があるのではないかという。
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十分に面白い文芸評論
赤穂浪士の討ち入りは、数百年も先立つ鎌倉は曽我兄弟の仇討の物語が祖形だった。赤穂藩の浪士たちはいわばその物語を無意識のうちにお手本として足かけ3年の復讐劇を敢行した。しかも、江戸期の町人がこの復讐劇に夢中になったのは、曽我兄弟にとって源頼朝が体制そのものだったのと同様、自分たちには幕府(当時でいえば綱吉)こそ手も足も出ない盤石のもので、赤穂浪士たちはそれに刃向って自裁する運命を選んだ。そこには御霊信仰、さらにはカーニバルを思わせるダイナミズムがある――。 自在闊達なエッセイ集を多数遺した丸谷さんの、脂が乗り切ったころの文芸評論といったところ。できる限りの史資料をかき集め、分からないところは文学者らしい想像力でカバーし、それなりに首尾一貫した「虚構の物語」を鮮やかなレトリックで連綿と説き起こしている。他のエッセイ集にみられる「遊び」の要素は控え気味で、それでいて断定したいところは断定し、不明な部分は不明と述べるなど、緩急の味は「丸谷エッセイ」さながらの持ち味を残している。 あくまでも文芸評論として、楽しく読む通すことができた。
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国民的戯曲を裸にして反体制劇を見出す
見事です。典型美にさえなっている国民的戯曲を一つ一つ史的事実を挙げて、隠された意図を明白にしていきます。それによって、強固な忠君忠孝の啓蒙近世戯曲が反体制戯曲であることが知れて来ます。ただ、この書のすごさは謎解きのレトリックなことではないです。この戯曲が悪政批判であることを、戯作者も役者も興行主も観客も、世間全てが判っていたと説きます。そして為政者自身すらもそれを心得ていて現実社会にそれこそ芝居がかった政治をなそうとしていただろうと解説していきます。この書のすごさはそうであるにしても、読後にもう一度読者に大きな驚きを発見させてくれます。この驚くべき著書を誰に読ませようとするかを思案した時に、困難さを知るのです。次世代には忠臣蔵など無意味になっている。解題して反体制劇だと理解してもレトリックさは煩瑣で、尚反体制劇など、体制迎合の次世代にとっては理解する意味をなさない。また忠臣蔵を盲信している旧世代にとっては今さら反体制劇だと分ったところで信念を動かすようなことは無いでしょう。聴衆が誰もいない中で感銘のある演説をしているような薄ら寒い思いをしています。
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一般的な意味で忠臣蔵を期待すると、肩すかしをくらう。
「忠臣蔵」と言われて、何を思い浮かべるだろうか。 「赤穂事件」を映像化する時、最も起こりがちな問題であるが、史実と過去のフィクションから取られたエピソードの配合割合が、鑑賞者側には無断で、制作者の都合に応じてぐちゃぐちゃにされることが多い。 丸谷才一にも、大きな混乱がある。 この本のタイトルに「忠臣蔵」と記載するのは、適切ではない。 これは、「仮名手本忠臣蔵」に限って述べられた話であり、タイトルも「仮名手本忠臣蔵とは何か」とすべきものである。 史実について記載されたわずかな部分は、はなはだ不正確である。
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あの忠臣蔵を御霊信仰で読み解く快著
丸谷才一氏ならではの博覧強記とうんちくが炸裂する快著(怪著?)である。ただ、歌舞伎好きには興味深い話が満載だが、歌舞伎や浄瑠璃の知識がないと面白さが半減するだろう。 「忠臣蔵」といえば、子供の頃にテレビで見た、吉良上野介を山形勲、大石内蔵助を山村聰が好演したドラマのイメージが強い。やはり武士道の忠義話の印象で、忠君愛国の時代ならともかく、今も毎年年末のテレビドラマの定番になったり、歌舞伎の代表的演目で人気を維持し続けているのが不思議だった。 しかし、本書では、冒頭で四十七士討ち入りの派手な火事装束の話やその「遊戯性」から始まり、江戸時代に人気を博した曾我狂言の解説が長々と続く。曰く、曾我兄弟の仇討ちこそ忠臣蔵の原型を成しており、それだけでなく仇の工藤祐経の背後にいる将軍頼朝を呪詛する含みがあるという。吉良の背後には生類憐みの令などの悪政を行う将軍綱吉がいて、浅野内匠頭の御霊を鎮める討ち入りは将軍と江戸幕府にも向けられた象徴的行為として江戸庶民の喝采を浴びたというわけである。 著者は討ち入りを仇討ちとして合理的倫理的に解釈するのに反対し、浅野内匠頭の「わけのわからない逆上」に対する畏怖の念を鎮めるという呪術的宗教的側面を強調する。それゆえ、処罰したのは幕府なのに、主君の吉良への遺恨を晴らす行為となるという。 こうした武士道の忠義話でない忠臣蔵論が、著者の文学史や浄瑠璃、歌舞伎の博識で裏付けられていくが、作家の想像力の飛翔は素晴らしく、世界各地のカーニバルにまで話は及ぶ。 知的刺激に満ちた著者会心の作であろう。 ちなみに、武士道倫理で有名な『葉隠』は、赤穂藩士は主君切腹後すぐ仇討ちに決起すべきだったと批判する。いわば結果の成否を度外視した心情倫理で、一族討ち死にした『阿部一族』(森鴎外)にも通じる。町人に身をやつしたり祇園の遊興で敵を欺いたりなどは、武士道ではないというわけだ。 しかし、こうしたバラエティに富んだ人間くさい物語があってこそ、浄瑠璃や歌舞伎の演目として後世の人気を博しているのである。
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事件の本質を捉えた文芸作品
日本の歴史や文学史の観点から、さらには民俗学や人類史的な観点から、忠臣蔵の本質を大づかみにしようとしたもの。それは御霊信仰であり、カーニヴァル的なものであったという。 忠臣蔵には歴史上の事件とそれをもとにした芝居があって、油断をするとそれがごっちゃになってしまいがちである。この本でも、一見するとどちらについて論じているか分からなくなるようなところもあるが、むしろ筆者はそれを重ね合わせるように論じているようだ。「しかし事件としての忠臣蔵においては、それが太古の祭祀をなぞつて起つたにもかかはらず、もとの図柄はずいぶんぼやけた形でしか示されてゐなかつた。そのことはやり認めなければならない。その、にじんだりかすれたりしてゐる御霊会=カーニヴァル的な図柄を鮮明なものにしたのは『仮名手本忠臣蔵』の作者たちで」とあるように、赤穂事件の(筆者が考える)本質的な部分を『仮名手本忠臣蔵』が明らかにしたと考えているのであり、合わせて論ずることに意義があるのだ。とはいえ、よく読めば事件と芝居を混同しておらず、その点はさすがだなという感じ。 もっとも印象的な部分は、綱吉の没したときの描写。10月20日以後11月12月と雨が降らず、年があらたまっても快晴つづき。10日綱吉容態急変して死亡。翌日にはそれが江戸中に知れわたったと思しい。「そしてその十一日の夜、十時から二時まで雨は沛然として江戸に降りそそいだ」。 忠臣蔵が廃れたという話をよく聞く。たしかに映画やドラマがあらたに作られる頻度は減ったようだし、認知度もずいぶんと落ちたようだ。その原因として指摘されるのが、今の日本には忠義がなじまないとか、討ち入りはテロであって受け入れられないとか、そもそも時代劇が減ってるよねとか、さまざまな意見が言われ、それぞれに説得的であると思う。ひとつ付け加えるとするならば、御霊信仰やカーニヴァル的なものが受け入れられなくなっているということもあるのかもしれないなどと、本書を読み終えて思った次第。
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