日本の文学賞

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白道

芸術選奨文部科学大臣賞

白道

瀬戸内寂聴

瀬戸内寂聴『白道』は、芸術選奨文部科学大臣賞で取り上げられた作品です。題名が示す印象を軸に、人物の選択や時代の空気を通して、読後に余韻を残す世界を描いています。

人生記憶時代

作品情報

『白道』は、受賞作として読まれてきた作品の核を静かに伝える一作です。

瀬戸内寂聴『白道』は、芸術選奨文部科学大臣賞の文脈で評価された作品です。物語、評論、詩歌、記録文学など作品形態は対象ごとに異なりますが、ここでは作品名と著者を軸に、単独作品としての魅力が伝わるよう紹介します。

書籍情報

出版社
講談社
発売日
1995-09-01
ページ数
374ページ
言語
日本語
ISBN-13
9784062056205
ISBN-10
4062056208
価格
614 JPY
カテゴリ
本/文学・評論

恋に焦れ歌の美を求める西行の人間を描く。平安後期、皇后璋子への叶わぬ恋に焦れ、出家して歌に命をかける西行。戦乱の世を見据えた西行の生涯と人間を、剃髪した現代の「私」の心と重ね合わせて描く長篇

レビュー

  • 美麗な本でした。

    美麗な本でした。

  • 良品で言うことなし!

    中古品の書物を注文したのですが、到着した本品は新品同様でびっくりです。大変良い買い物ができ大満足です。

  • 心惹かれる

    瀬戸内さんの小説は読んだことがなく、エッセイ程度のお付き合いだったが、 この本は小説ともエッセイとも読めるような瀬戸内さんの心の伝わるいい本だ。 西行と自身の出家の類似性を感じながら、西行の旅の道を辿って確信していく。 小説というより季節感にあふれた素晴らしい旅のエッセイだと読みながら思う。

  • ユニークな仕上がりです。

    著者はほぼ同じ時期に良寛、一遍上人、そして西行を扱った作品があります。全集 瀬戸内寂聴全集〈第17巻〉長篇(13) ではこの三部作がまとめて収められています。ただ作品のフォーマットはそれぞれに異なっており、その中でも一番自然で読みやすいのがこの「白道」、西行を扱ったものかもしれません。 本作品の基本的なアウトラインは西行の一生です。そしてそこでの焦点は西行の出家の謎です。謎自体は、 待賢門院璋子の生涯―椒庭秘抄 (朝日選書 (281)) という作品の結論に依拠するところが大ですが、本作品はそれを著者による西行の歌の読み込みと西行の訪れた場所への本人の旅で補強していくのです。もう一つ隠された作品のサブモチーフは自身の出家の謎への接近です。この西行をたどりながら自分の出家をそこに重ねていく作業は、いつの間にか両者が融合して不思議な作品へと昇華されていくのです。出来上がったのは西行を語りながらも自分を語るユニークな作品となっています。

  • 瀬戸内寂聴が西行に融けこんで、西行の生涯と歌に血を通わせた作品

    日本国内を旅行すると、しばしば行き当たるのが西行ゆかりの地。特に西行を意識して旅行したわけでもないのに、気がついてみれば西行生誕の地から終焉の地(弘川寺p353)までをカバーしていた。この過程で西行関連の本を数冊目をとおしたが、なかなか血の通った人物像が自分の中で描けず、また、西行の人生の中で、どの旅が鍵となるものなのかを捕らえられずにいた。そんな時、本書を手に取ったが、私の上記のモヤモヤを一気に解決させる内容であった。 本書は、著者の瀬戸内寂聴が、複数の文献や西行自身の歌をとりあげ、その中から最もありうるべき歴史的事実・解釈を紹介しp366、そこから大胆に寂聴自身の説を述べるような構成。連載終了後、5年かけて書き直した作品p361.史実かどうか疑わしい西行の伝説については深入りせず、歴史家から文学者の諸説を紹介しているところが信頼がおける。一方で、西行の生涯を追いながら、寂聴自らの体験と僧侶としての思想が随所に挿入され、西行の生涯を描きながら、実は寂聴の自伝といってよい内容になっている。これによって西行=寂聴というように重なる部分が多く、血の通った西行像が読者に伝わる作品となっている「(西行は)虚空のような無心な心に、様々な世の中の自然や人情を映して自由気ままに歌に詠む。こうして詠まれる歌はそのまま、如来の真の姿というものp122」「歌は神への法楽として捧げられている。歌はわが真言p319」。実際、あとがきには、「今、白道の擱(かく)筆に当たり、西行の中に自分のすべてが融けこんでしまった一体感を味わっているp361」としている。 また、寂聴が出家にいたった原因も本書では何度か語られているので貴重(p76、93、「自分でさえ判然と云い表すことの出来ない原因を、探し求めつづけることが出家者の生きざまp94」「(寂聴は)平安に身を置き、世間的な幸福と呼ばれる立場に安住することは、自分のような罪人には絶対に許されないp95」「み仏が呼ばれたのだ。み仏が選ばれた。それ以外に23歳の北面の武士が出家する筈があろうか。はからいの外のことなのだp323。」 ゆかりの地の紹介も多く(法金剛院p8、渡月橋の南岸にある法輪寺p58、勝持寺p130、丹生都比売につうひめ神社p139,吉野山p154,160、166,熊野詣p176,191,197,道成寺p199,平泉p218,武隈の松p245,壷の碑p251,讃岐の松山p259,266,讃岐の善通寺p292、296、小夜の中山p341,)寂聴自身が、それらの地を旅しながら、コメントをしており、これらの土地を旅した人には思い出をよみがえらせる内容であり、すすめたい。 西行の歌の紹介も豊富であるが、現代語訳はほとんどなく、歌が詠まれた状況の説明はするものの、おそらく歌の解釈は一様ではないとする立場から、多くの歌の解釈は読者に委ねられている(私には古歌の読解力に欠けるので、寂聴の説明が不足している歌の解釈はわからないままということが歌が本作の中には多々あった)。本書の解説で竹西寛子は「白道における西行作品の鑑賞の多くは、西行作品を超えて和歌の鑑賞にひろく及ぶすぐれた例ともなり得よう。辞句の単なる言い換えをしてみても、それだけでは読みとは言い難く、限られた時代に、限られた人と人の間で生きざるを得なかった個人の生のかたみとしての言葉遣いに、自分の全過去を潜らせて初めて読みは血の通った読みとなるp369」と書いている。このような和歌の鑑賞は、素人にはなかなかできるものではないが、寂聴がまさにこうした「読み」をしたことで、読者には西行の作品を血の通ったものとして鑑賞することができる。 本書での西行の登場は遅く、冒頭は西行が失恋したとされる待賢門院璋子(たまこ)の人物像が描かれる(白河法皇、崇徳天皇、鳥羽上皇との関係、出家p51、熊野詣など)(「生涯の恋として、その想い出だけを抱きしめ、その悲恋に殉じたとすれば、それはまたそのまま、ひとつの恋の見事な完結といえようp88」「失恋の相手は決して手にとれない月そのもののように、永遠の女性としてあがめつづけ、生涯憧れわたっている。芸術家はこの世で受けるあらゆる不幸をふるがえして、生の、あるいは作品の肥料にしてしまうp90」)。 西行の漂泊の生涯の中で、本書で重きを置かれているのは、みちのく(多賀城、平泉など藤原三代ゆかりの地)と讃岐の松山の二つ。後者では上田秋成「雨月物語」の冒頭の「白峯」における西行と崇徳院の亡霊の話を引用しつつもp284、本来、西行がどのような気持ちで讃岐を訪れたのかが、深い同情を持って描かれている。秋成の「白峯」は20分もあれば読了できるが、ここで秋成の怪奇小説と本書を比較すると、寂聴の人間を見る目の深さと限りない同情が際立つp287。 以下は抜粋。 (寂聴は)重く烈しい生と死を執拗に書きすぎたせいか、もう何代も前から生きつつけ、幾度となく死につづけてきたような気がしていた。、、、人は誰でも何時でも、そうとしか生きられない生き方をしている。、、、、人は生きているすべての時間に自分の生を選びつづけている。p97 まばたきでどの俤(おもかげ)とほのかな微笑をかき消されまいとして、西行は目を見開いたまま涙を苔に流しつづけていたp102 とげられぬ恋、見果てぬ恋、手からすべり落ちていった恋だけが、人を想う至福の中に、人の魂を導いていってくれるのではないだろうかp168 死はさけることの出来ない平等に持って生まれた運命であって、再生への通過儀礼p204 「こはなにごとのあらそいぞや」という強い語調に、西行の戦争に対する冷たい皮肉な目と、苛立たしさがあらわれているp328. 今となってはこの世もあの世も一つづきのように思えてきたp338 (風になびく富士のけぶりの空に消えて ゆくへも知らぬわが思ひかなp335の解説として)思えば、70年の生涯、一筋に追い求めてきたものは外でもない。世界にただひとつのわが心、わが思いの真実であったのだ。わが心ひとつを凝視し、どこまでも追いつめていく方法こそが、自分の歌を作るというすさびであった。70年生きて、わが心がついに捕えきれないということを、わが心がようやく悟った。それが自分が歌に賭けた答えだったのだ。古代の人々が神への法楽として歌を奉ったように、自分の歌もいつの間にか真言になり代わっていたようだp345.

  • いのちなりけり さやの中山

    西行が決死の覚悟で、二度目の奥州行きに旅立ったのは69歳の夏である。東海道を下る旅の途上で、彼は生涯の絶唱ともいうべき歌を詠んだ。 「年たけて又越ゆべしと思いきや 命なりけりさやの中山」 東大寺の復興資金を藤原秀衡に仰ぐこと、途中鎌倉に立ち寄り、頼朝から送金安堵の了解をとりつけること、併せて追討の院宣が下っている義経の処遇・奥州藤原一族に対する鎌倉幕府の意向を探ることなど様々の使命があったにせよ、この齢での奥州行きはまさに命がけであったろう。 瀬戸内さんがこの作品を書きだしたのは68歳である。主要な学術書を通読し、西行が旅し、庵を結んだ殆ど全ての土地を訪れ(法衣に長靴をはいて雪山に分け入っている)、そこにたたずみ、西行の歌境を観照し本書を書きあげている。この精力・情熱はどこからくるのか。全く圧倒されてしまう。 著者の出家決断の理由もこれこれと箇条書きできるほど単純明白なものではなかったらしい。「明快な答えが自分の内部から出てこないのにじれて」西行や良寛,一遍の探求に向かったのかもしれぬ、と告白されている。西行23歳の出家は依然謎であるが、同じ葛藤と決断をくぐった作家が描く西行像だけに納得する読者も多かろうと思われる。 高野山にこもり、大峯山で修行し仏道を究めんとしているのは事実だけれど、彼の生涯は悟りを得て「花の下にて」安らかに眠った仏法僧などとはとても言えぬ人間くさいものだ。この世ははかなく、一切が空しいと悟りすますには彼はあまりに人間的だった。 「さやの中山」を詠むまでに彼は、待賢門院、鳥羽法皇、崇徳院、清盛の死と平家滅亡を見てきている。自らは生きながらえて、再びさやの中山を越えようとはまさに「いのちなりけり」だったのである。桜花に魂を奪われる西行、待賢門院への思慕、崇徳院の悲劇的運命に涙する西行、この多面的で魅力ある人間像を解くには残された歌しかないのだが、瀬戸内さんの歌釈には流石に納得することが多かった。

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