作品情報
死者は本の中で転生し、作家は活字の森でその声に出会う。
森茉莉を「森娘」として活字の森に呼び出し、語り手の作家がそのイメージに翻弄されながら向き合う幻想的な小説。文学上の死者との遭遇を、猫、森、言葉の迷宮を通じて変奏する。 死者は本の中で転生し、作家は活字の森でその声に出会う。
レビュー要約
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濃密な文体と文学的な憑依の感覚が強く印象を残す。独特の語りに引き込まれる読者がいる一方、奔放な連想を追う集中力を求める作品でもある。
書籍情報
- 出版社
- 講談社
- 発売日
- 2001-07-01
- ページ数
- 267ページ
- 言語
- 日本語
- ISBN-13
- 9784062107273
- ISBN-10
- 4062107279
- 価格
- 174 JPY
- カテゴリ
- 本/文学・評論/文芸作品/日本文学
猫たちを拾った森で、“彼女”に会った―― 文豪の娘にして耽美の祖?!森茉莉と最前衛作家の運命的遭遇 ……彼女、彼女、彼女、この故人のこの活字の世界での名をいきなり「森娘」と命名する。本名森茉莉をそのまま使わないのは、決まってる。私の描いているこの故人が、どう考えても本物の森茉莉とはずれた人物だから。鴎外と志けの娘、では決してないから。私が知っている森娘は、……「贅沢貧乏」という1冊の本の中に住まった1体の妖怪だ。私という作家の雑念と思い違いがそこにこごった、活字の怪でしかない。「作家は死んだ時その本の中に転生する」――本文より
笙野頼子(しょうのよりこ) 1956年、三重県生まれ。立命館大学法学部卒業。81年、「極楽」で群像新人文学賞、91年、「なにもしてない」で野間文芸新人賞、94年、「二百回忌」で三島賞、「タイムスリップ・コンビナート」で芥川賞を受賞。他の著書に『居場所もなかった』『硝子生命論』『増殖商店街』『レストレス・ドリーム』『母の発達』『パラダイス・フラッツ』『太陽の巫女』『東京妖怪浮遊』『説教師カニバットと百人の危ない美女』『窯変小説集時ノアゲアシ取リ』『てんたまおや知らズどっぺるげんげる』『渋谷色浅川』『愛別外猫雑記』、エッセイ集『ドン・キホーテの「論争」』等がある。
レビュー
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守るべき世界観 起こり得るべき孤独感
森茉莉といえば同性愛の小説世界であったり、森鴎外の娘であったりと、その奇異かつ豪華な経歴を 目の前に本質を見誤りがちな作家である。本書は、そうした世間一般(と呼ばれる)が塗り固めた 森茉莉評価をひっぺがし、その本質に容赦なく迫ってゆく。文中で呼ばれる森娘は筆者いわく 森茉莉本人では決してなく、あくまで「森娘」という文士の森の妖怪? である。その晩年の有様を 強く印象づける独居生活や、生き別れとなっていた息子たちとの濃密な関係、森番編集者の悲喜 こもごもの回顧録などを巧みに織り上げ、丁寧に仕上げられた評伝となっている。 ――と言っても、笙野頼子は「女性作家同士の特異な憧憬」「同業者に寄せる陰険な反骨精神」などに 流されるタマではない。この作品をつらぬく独特のコミカルさと毒とが、実に的を射ており心地よい。 目の前に森娘の霊魂が降りてきた如くに思わせる描写力が、行間に濃く深く漂う。 (筆者がイタコに思えてならないのであってっ!) 評伝という切り取り方、その切り口の鮮やかさも特筆される。男性上位・女性蔑視の昭和文学界にあって 森娘が男性作家の暴論に立ち向かう姿はここちよい。これは筆者である笙野頼子にも共通するスタンスだ。 ブスや変人には何を言い浴びせても許される、という思考パターンが、昔から日本文学界に蔓延していた 事実が哀しくも分かる。しかも正論は、たいてい「コッチのほう」にあるという事実。 ともかく昭和当時、たとえ暴論でも男性作家にだって文士としての矜持はあったと知れる。一方で笙野頼子が 挑む現代文学の論争相手は、それが作家や文化人と名乗っていても、昭和時代とは比較対象にすらなり得ない 男性が多い様に思う。ただの粘着気質のオッサンか。そうであっても、そのことに絶望しても、丁寧に モノゴトのすじを通そうと日夜努力する笙野頼子の戦いに、徒労がつきものという分かりやすさ。文学が 終わったのではなく、男性作家が終わった、という事ではなかろうか。 森娘は、父鴎外から受け継いだ血統によって独自の文学世界を手中に収め、その代償に誤解と孤独を得た。 笙野頼子は、文学へと注ぐ無償の愛によって至高の作品世界を手中に収め、その代償に論争と疲労を得た。 そして、森娘には父との思い出がある。笙野頼子には愛猫たちがいる。「守るべきもの」を持つ人は いつの時代も、どんなことがあっても強い。
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泣けた・・・泣けたよ〜〜〜!!
森茉莉好きから流れ着いて読みました。 茉莉じゃないのね、とにかく森娘。 森番(編集者小島千加子)にすがりつく、しがみつく森娘。 「のんきなマリア」「美の世界に遊ぶマリア」という 自己をアピールしたかった森娘。 パッパと巴里の思い出を反芻し続ける森娘。 生活能力まるでナシ、食いしん坊の森娘。 まるでストーンズのような 圧倒的なドライブ感で叩き出す言葉が 彼女の、そして著者自身の夢を、歓喜を、孤独を、絶望を、 「書く人、書かずにいられぬ人」の凄絶を リアルに可憐に描き出していく。 笙野頼子かぁ。これほどスゴイとは知らんかったバイ。 今まで森茉莉のことを書いてるいろんな人ので ピンときたこと一度もなかった。 (へんなやおい系、うすボケたロマン系ばっか。) ま、柴田錬三郎なんか踏み潰してるのは当然として(ほんっと下劣だもん!) あたしがほんっとにイラっときてた 中島梓の下劣な侮辱本歌取りを 叩きのめしてあってスっとしました、ホント。 笙野頼子、タダモノじゃないね!!さっそく他のも読んでみましょう!!
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男親=社会との闘争の視点
自分はかつて栗本薫(中島梓)のファンで彼女の著作で森茉莉の存在を知りました。しかしそれはあくまでも当時稀少だった同性愛をテーマにした作品の著者というだけで、森茉莉そのものは変わり者の小説家、くらいに考えていました。 この本では中島梓のそんなスタンスが完膚なきまでに粉砕されています。 森茉莉があまりにも巨大だった父、森鴎外にコントロールされていたこと、 それゆえに「お茉莉が泥棒でも大事な娘だ」と思われておらず、父の意を受けて架空の世界で自分を守るために作品をつむいでいたことなど、著者の視点を得てはじめて思い至りました。 森茉莉という仮面を通して著者の実像もよく見えてきます。 父=社会的構造、男根主義的文藝世界と常にまっこう勝負をして圧勝してきた著者ならではの素晴らしい評論であり、オマージュであり、哀悼歌でもあります。 弱きものとされてきたこども、女性、マイノリティからの胸のすくような反逆の書として、私は拍手喝さいを送りたいと思いました。
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文学に予習は必要か
森茉莉のことは知っている。有名な方(森鴎外の娘とは知らんかった)ですから、しかし、読んだことはありません。 この作品は、森茉莉に関する小説だ。笙野が批評している森茉莉は実在した森茉莉とは違うので、森娘と作中ではなっているが、森茉莉だ。 さて、ではこの作品を読む前に森茉莉を読んでおくことが必要か? 結論として、必要である。(僕は笙野という名前だけで、図書館で借りて読んだので、これがどういう作品か、つまり、森茉莉について書かれた作品かどうか知らなかった) さて、文学にはあんがい予習が必要である。たとえば、村上春樹を読むにしても、レイモンド・チャンドラーやヴォネガットやトーマス・マンを読んでいたほうがいいし、舞城や佐藤友哉を読むにも、その村上春樹やサリンジャーを読んでいたほうがいい。 まぁ、面白いですけどね、普通に。ラストの猫の話もすばらしいですし。
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全国の森茉莉ファンの皆様、おすすめです
アベレージ森茉莉ファンには読みにくいコミカルな文章で初めは辛かったのですが、30ページ位我慢するとぐんぐん引き込まれていきます!圧巻は「キバレンによるマリアの肖像」で、森茉莉ファンでも原文を読んだことが無かったのですがこの本で全文読めます。(目を覆うような駄文です。これで文学の評論のつもりなのか?)笙野さんは全文引用するや否や、前後左右からボコボコにボコッて下さったので胸がすきました。
関連する文学賞
- 泉鏡花文学賞 第29回(2001年) ・受賞