日本の文学賞

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わるもん

すばる文学賞

わるもん

須賀ケイ

父を家から追い出した家族のなかで、純子だけが父の行方と「有罪」の意味を追いかける。第42回すばる文学賞受賞作。

家族労働地方女性

作品情報

家族のずれと罪の感覚を、静かに掘り下げる。

第42回すばる文学賞受賞作。2019年に集英社から単行本刊行。

書籍情報

出版社
集英社
発売日
2019-02-05
ページ数
152ページ
言語
日本語
サイズ
13.4 x 1.8 x 19.4 cm
ISBN-13
9784087711776
ISBN-10
4087711773
価格
1485 JPY
カテゴリ
本/文学・評論/文芸作品/日本文学

【第42回すばる文学賞受賞作】 ――純子ちゃんもあるやろ、お父さんに有罪だしたこと。 硝子職人の父はいつの間にか「箕島家」から取り除かれてしまった。工場(こうば)で汗を流して働く以外は縁側から動かず、家族を見なかった父はどこへ行ったのだろう。 笑顔が増えた母、家には寄り付かない姉の鏡子と祐子。ときどき現れる「ミシマ」さんという男性。純子だけが母の視線を受けながらずっと家にいる。大好きなレーズン、日課の身長測定、ビーカーで飲む麦茶、変わらない毎日の中、あるときから純子は父の「コンセキ」を辿り始める。 日本のどこかで営まれる家族の愉快でちょっと歪んだ物語。 【受賞のことば】 蝶でも活字でもなく、白球を追う少年だった。だから自然と将来は阪神の四番ときめていた。やがて白球はバスケットボールにとって代わった。甲子園で虎党からやじられることも、カリフォルニアのオラクルアリーナでダブネーションから大歓声を浴びることも、自分にはどだいむりな話だということは早々に悟った。 でも物語のなかでは、どちらもかなえることができるらしい。小説については伝言ゲームに似ている、と最近思いはじめている。頭のなかにあるイメージの断片を抽出し、言葉に変換して、ひとつの意味のある文字列にしていかなければならない。「さっさと期限切れのセキュリティソフトを更新しろ」と訴えてくるパソコンに向かって、伝えるべき言葉を必死で探りながら、ああでもないこうでもないと奮闘する。 そうして、その言葉は編集者に伝わり、読者に伝わる。空は青い、と伝えても、赤だったり、白だったり。受けとられ方はさまざまだ。そこが小説のおもしろいところなんだろう。いまはこの伝言がはじめて読者まで届くことがうれしい。 うまく変換できるか悩んでいる私が、それでもいま正しく伝えられる言葉があります。編集部のみなさま、選考委員の先生方、この選考に関わられたすべての方へ。 心から、ありがとうございました。 【著者略歴】 須賀ケイ(すが・けい) 1990年京都生まれ、京都在住。龍谷大学社会学部卒。今作で第42回すばる文学賞受賞。

レビュー

  • 第42回すばる文学賞作品

    第42回すばる文学賞受賞作品。堀江敏幸、江國香織選考委員推薦。 ガラス屋さんを営む家族の主人公〝純子〟目線で語られる物語。 ビーカーでお茶を飲み、物事の道理が理解できない不思議な純子の視点にあわせて、極力説明描写が省かれた文章で、水面に浮かぶボトルシップのようにゆらゆらと不安定に揺れながら物語は進んでいきます。 家族の嫌われ者の父親、少し意地悪な姉妹、近いからこそ厳しい母親に囲まれて、純子は自由気ままに生きています。 タイトルの「わるもん」が読み始めは父親のことを指しているのだと多くの読者は思うでしょう。でも読み終わったとき、果たしてこの物語の真の「わるもん」は誰なのだろうと考えさせられました。そのまま父親なのか、姉妹か、母か、純子自身か。読者にとって受けとり方は変わると思います。 昨今、何につけても他人を気にして生きている我々現代人にとって、主人公純子の誰にも媚びず、断らず、気の向くままに行動する生き方は、新鮮でハッとさせられます。彼女はまるで他人の評価を気にしていません。だからこそいま読まれるべき価値がある一冊でした。

  • 技巧を凝らしすぎているような気がする

    ○すばる文学賞受賞作であるから、専門家の目から見れば佳作なのだろうと思うが、私はあまり好きではなかった。 ○よく計算されているとは思う。前半を読んだあたりでは物語の設定も登場人物もよくわからないところがあって読者は不安を感じるほどだが、これも計算したところだろう。物語上の大事な象徴的意味を負わされたいくつかの言葉(灰汁、探偵、レーズン、船、額縁、地層、押し入れ)が全編を通じて響きあうところなども面白いしかけだと思う。その結果、二度読んではじめて作品全体がはっきりとわかるような作品になっている(実は、二度読んでもわからないところもある)。そうなると作者に弄ばれているような感じがして、読んでいてあまり楽しくない。 ○なお、物語全編が認知障害を持つ知的障害者であると思われる主人公の視点で語られるのだが、ここで知的障碍者の視点を借りる必然性はあったのだろうか。

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