日本の文学賞

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野蛮な読書

講談社エッセイ賞

野蛮な読書

平松洋子

平松洋子が一年に読んだ本をめぐって綴る読書エッセイ。沢村貞子、山田風太郎、獅子文六、佐野洋子、川端康成など、多彩な本を泳ぐように読み、読むことの身体的な快楽を言葉にする。

読書エッセイ食と身体感覚日本文学書評

作品情報

本の海を泳ぐように、読むことの野蛮な快楽を味わうエッセイ集。

第28回講談社エッセイ賞受賞作。料理や暮らしをめぐる文章でも知られる著者が、読書を身体的な経験として捉え、無類の本読みの時間を軽やかに記録する。

レビュー要約

  • 取り上げる本への距離が近く、読むことを味わうような文章の流れが読者の関心を次の本へ向ける。

書籍情報

出版社
集英社
発売日
2011-10-05
ページ数
296ページ
言語
日本語
ISBN-13
9784087714241
ISBN-10
4087714241
価格
1760 JPY
カテゴリ
本/文学・評論/エッセー・随筆

これも、健啖。読書の快楽を味わい尽くす! ドゥマゴ文学賞受賞から5年、食と生活のエッセイストとして活躍する著者が、読書の魔力をがぶり味わい尽くした名随筆。獅子文六、池部良、沢村貞子…昭和から平成へ全103冊の芳醇をご賞味あれ。

レビュー

  • 机上の学術的、文学的読書ではなく、

    生活の中の一部としての読書の実感を言葉にしたくて、「野蛮な読書」はそんな本ではないかと、買ってみました。仕事や家事が終わった後の一休みの時間、レストランの待ち時間、電車の中、寝る前のベッドの中、悲しかったり悔しかったりしてアタマがグチャグチャになった時の正常に戻るための時間。そんな時、(How to ものでなく)好きな本を持ち出して読むと精神が正常に戻ります。読書ってありがたい。そんな本はわたしの血となり肉となり、一緒に生活している仲間、なのです。 この本を読んで、昔敬遠した開高健の短編、エッセイ、「ベトナム戦記」他5冊と池部良の「ハルマヘラメモリー」他2冊を手に入れて読みました。いま世界のどこかで起こっている戦争を、身近な事象として知ることができる「文学」を探していたのです。どんなドキュメンタリー映画より戦争の実戦細部の怖さ痛さを知ることができましたし、それにも拘らず、読書の楽しみと充実感を味わいながら、読むことが出来ました。

  • 書を捨てずに町に出た著者の魅力的な読書指南

    気になる著作を多くものしていらっしゃる平松洋子さんですが、分野としての食エッセイにあまり興味を持てなかったので、これが初めて読んだ本になりました。 これは紹介される個々の本のお薦めかそうでないかを問題にする書評集ではなく、読書を生活の中の楽しみとしてどう取り入れていくかの指南書といえるエッセイ集です。メインとして俎上に上げる本について、過去の評や同じ著者の他書との比較を盛り込みながら、さりげなくも深く掘り下げていながら、その過程の平松さんご自身の思考の流れだけでなく、行動もしっかりと描かれています。 書を捨てずに町に出たことで、一層読書の楽しみを広げている様子は非常に魅力的で、まさに読書指南とはこうあるべき、という良書です。 ただ、断食道場で出会ったアラサー女子(平松さんはこんな表現はしていませんが)が宮本常一を読んでいたというのはちょっとできすぎな気がするのですが、アラサー女子への偏見でしょうか...

  • 本や読書体験をめぐるエッセイ

    本や読書体験をめぐるエッセイ。 ものすごく多くの本を読んでいて、いろいろなことに詳しいのが読んでいてわかる。もちろん、そうしたことをひけらかしているわけではない。 たくさんの言葉を知っていて、それを使って表現しているのだが、途中まで読んで、文章がうまくないのがわかった。もう少しなのだ。言葉の使い方が自分のものになっていない箇所がある。編集者がきちんと指摘してやればうまくなるのに、と思う。 棟方志功は「わだばゴッホになる」と言ったそうだが、その棟方が初めてゴッホの「ひまわり」を見たときの言葉。「何ということだ、絵とは何とすばらしいものだ、これがゴッホか、ゴッホというものか!」 4年間の大工事の末、帝国ホテルが完成したのは大正12年9月1日。関東大震災の日だったそうだ。 など、興味深いことも書かれている。 本書で言及された本は巻末に一覧になっていて、刊行年、現在入手可能な版元が載っているのは親切。 読みたいと思ったのは、 『拳闘士の休日』トム・ジョーンズ、河出文庫 『ピアノの音』庄野潤三、講談社学芸文庫 『異人たちとの夏』山田太一、新潮文庫

  • 健筆・健啖に、わたし、おののいたんです。

    食文化と暮らしのエッセイストとして活躍する、平松洋子。子供の頃から本に慣れ親しんでいる彼女が、「一歩も動かないのにどこかへ行ける」「本は時空間を突破する魔法の絨毯」……そんな風に、読書の魅力と魔力を独自の視点で描いた名随筆。 口語多用の軽やかな文体と大胆な比喩、鋭い分析と弾けた妄想。それらが渾然一体となった旨みが滲み出ている。そこから伝わってくるのは、著者が本の放つ魅力によって読む場所を選べる真性「本の虫」であること。開高健の『戦場の博物誌』をハンバーガーショップで読むくだりは、その最たるものだ。 随所で綴られる、食にまつわるエピソードがまたいい。無類の食道楽・獅子文六を「がじがじ齧ってみる」妄想や、女優・沢村貞子が26年間もつけていた『わたしの献立日記』をめぐる話は、ページをめくるたびに読書欲と食欲がミックスダブルスで襲ってくる。 個人的に興味深かったのは、第二章「わたし、おののいたんです」での宇能鴻一郎の段。宇能独特の一人称独白体で紡がれた、あの(むかしお世話になった)艶かしい言葉に、著者の見立てで新たな官能が注入されている。その他、山下清、池辺良、室生犀星、虫明亜呂無、坪田譲治、山田風太郎、佐野洋子など全103冊の本の旅へ、新しい発見を道連れに、味わい深〜くエスコートしてくれる一冊だ。

  • 視点が卓抜

    数々の書籍が取り上げられているが、その関連が筆者の視点からは連続しており、まるで連句のようにつながっている。これについていくスピード感がこの本の醍醐味だと思う。かなりの範囲の書籍を網羅しているのでそのそれぞれを読んでいるとその面白さが倍増すると思う。

  • 知識不足だと楽しめない

    うーん。絶賛されていたため読んでみましたが… 内容が難しすぎるし、年配の方しかわからない役者さんがでてきて残念ながら楽しめませんでした。

  • 「食」の名人は、「読」の名人でもあったのです。

    見事な選択、見事な配列、見事な文章。 夢中になって貪り読んでしまった。こちらのほうが「野蛮」過ぎるくらいに。 本書は三章からなる。 一章は「贅沢してもいいですか」。二章は「わたし、おののいたんです」。 三章は「すがれる」。……以上を譬えれば、3つの絶品コース料理のよう。 まず一章は、能登半島への冬の旅や、伊豆での断食一週間ツアーなど、 非日常の中で、開高健、南伸坊を、あるいは、正岡子規を、読みふける。 帰っては、都市生活者として、森茉莉、幸田文の両雄を、さらりと並べる。 シメとしての田辺聖子、庄野潤三。周知の大作家の魅力を再認識させる手際。 一方、添え物のように紹介される、叶恭子(打ち誤りに非ず)や、太宰治。 イジワルなのでなく、真価を引き立てさせる配膳の妙、というべきか。 第二章は、荒川洋治という先達を前菜に、宇能鴻一郎、池部良、獅子文六。 いわば、ジビエも牧牛も養殖魚も回遊魚もありの、オールメインディッシュ。 食と性は同根とはいえ、「こんなにウマかった(巧かった)のか!」と驚くのみ。 シメは沢村貞子。平凡なようで、一品ごとに手数をかけた非凡な惣菜そのもの。 天下無敵の名文を味読させつつ、女優晩年の陰翳にふれる繊細な分析。 そして第三章。室生犀星、虫明亜呂無、池内紀、山田太一、深瀬昌久、 古屋誠一、ロラン・バルト、丸太祥三、三浦哲郎、棟方志功、佐野洋子……。 佳肴もある、珍味もある。単一素材としてはおよそ箸が延びない品もある。 しかし、著者ならではの絶妙の盛りつけによって、相互に妙味が引き立つ。 いったい、本好きにとって、好きな作家や愛読書を賞賛されるのは嬉しい反面、 「自分がいちばん知ってるのに!」と憤るアヤウサも、あるだろう。 だが本書は、違う。名人の庖丁さばき同様、対象のイチバン美味しいところを、 達意の筆で描き出してくれる。せっかくの好物を台無しにされる不満は、皆無。 むしろ今まで味わってきた食材の想像以上の滋味に、ほとほと唸ることになる。 さらに、今まで喰わずギライだった名品逸品の勘どころを、かくも鮮やかに 玩味させてもらうありがたさ。本書の意義は、ここにある。 名文はしかし、並べてくれた他者の著作にだけ仕込まれているのではない。 そう、著者自身の名言を、ほんの一口分だけ挙げれば……、 「生きるというのは、いつも宙ぶらりんなのだ。いつだって宙ぶらりんの状態 だから、なにごとか勃発すればあたふたおたおた、そこをなけなしの経験やら 知恵やら動員してどうにか波間を渡ってゆくのが人生というものだろう」(p278) これは、最後半に出てくる言葉。このあと、本書の大トリである山田風太郎の、 至高の文章が紹介される。それは……それはどうか、皆さんご自身で、ご賞味を。 ちなみに、紹介される山田の著書は『あと千回の晩餐』。御馳走でした。

  • 上質の私小説のような読書エッセイに脱帽

    ■大変、質の高い読書随筆である。 ■日々の暮らしや取材旅行の描写の中に豊かな読書体験が克明に綴られてゆく。それは優れた書物紹介であり、深い分析さえ成されるのである。 ■名文の随筆としても、読書をめぐる私小説としても読むことが出来る。こんな形式の書評集を書き得るとは並みの技量ではない。 ■とりわけ凄いのが、宇能鴻一郎についての考察「わたし、おののいたんです」。いやもう、腹を抱えて大笑いしました。

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