講談社エッセイ賞
こうだんしゃエッセイしょう
講談社が主催し、エッセイを対象とした文学賞。
- 創設年
- 1985
- 主催
- 講談社
- カテゴリー
- エッセイ・随筆・紀行
- 選考方式
- 公募
- 受賞対象
- プロ
- 開催頻度
- 年1回
- 発表時期
- 9月頃
- 賞のステータス
- 終了
説明
講談社エッセイ賞(こうだんしゃエッセイしょう)はかつて講談社が主催し、1985年に創設されたエッセイを対象とした文学賞。以降年1回毎年9月に講談社ノンフィクション賞と同時に発表され、受賞は選考委員の合議によって決定されていた。受賞者には正賞として記念品、副賞として100万円(2015年時点)が授与されていたが、2018年度をもって終了した。
賞品
- 主賞品
- 記念品
- 賞金
- 1,000,000円
選考情報
選考プロセス
| 段階 | 審査員 | 通過率 | 発表 |
|---|---|---|---|
| 最終選考 | 岸本佐知子、酒井順子、東海林さだお、坪内祐三、林真理子(2015年時点) | — | 毎年9月に発表 |
関連の賞
- kodansha-nonfiction-award
公式情報
https://www.kodansha.co.jp/about/nextgeneration/archive/22495過去の受賞者
地方で暮らす著者の身体感覚と生活の違和を、率直で乾いた笑いを交えて綴るエッセイ集。私的な痛みや居場所のなさが、独特の語り口で読者に届く。
おしまいの地に立つような心細さを、笑いと痛みで書き留める。
小泉今日子が原宿の街と自身の記憶を行き来しながら、家族、恋、猫、出会った人びと、生と死を綴るエッセイ集。アイドルとしての時間だけでなく、変わり続ける街に重ねた個人の生活史が静かに浮かび上がる。
原宿の黄色いマンションを起点に、街の記憶と小泉今日子自身の時間が交差する。
『言葉を離れる』は、横尾忠則による作品で、この回の受賞対象として確認される。賞の記録、公開書誌、販売書誌を照合し、単行本または文庫として確認できる情報と、確認できない識別子を分けて整理した。
受賞記録からたどる『言葉を離れる』の作品情報。
ジェーン・スーによるエッセイ集。年齢、女子性、見栄、恋愛、働くことをめぐる自意識を、鋭い観察と自虐を交えた語りでほどき、女性の生きづらさを笑いに変える。
女子であり続けることの滑稽さと切実さを、辛口に笑いながら肯定する。
作家・小川国夫のそばで過ごした日々を、妻の視点から静かにたどる回想記。創作と生活、看取りと記憶が交差し、文学者の晩年を身近な時間として描き出す。
文学者のそばにあった暮らしと別れを、銀色の月のように静かに照らす。
歌人・河野裕子の乳がん発病から最期までを、夫である永田和宏が記した闘病と相聞の記録。短歌、家族、看病の日々が重なり、愛情だけでは支えきれない苦悩まで率直に描く。
歌を詠み続けた妻と、そばにいた夫の十年の記録。
腰痛やアトピー、乳がん治療、ヨガ、乳房再建など、著者自身の身体の変化をめぐるエッセイ。身体に振り回されながら、女性性や生き方をユーモアと率直さで見つめる。
身体の不条理に振り回されながら、著者は自分の感覚をもう一度つかみ直す。
イタリア各地で出会った人々と暮らしを十の景色として描くエッセイ。家、食卓、老い、家族、孤独といった日常の細部から、イタリアの人間模様を立ち上げる。
十の家と風景から、イタリアの日常にひそむ人間の厚みが見えてくる。
『背中の記憶』は、具体的な人や出来事を追いながら、記憶、社会、制度のあり方を描くノンフィクション。個別の経験から広い時代の姿を照らし出す。
『背中の記憶』は、長島有里枝の受賞対象作として読者に届いた一作。
『大向うの人々 歌舞伎座三階人情ばなし』は、具体的な人や出来事を追いながら、記憶、社会、制度のあり方を描くノンフィクション。個別の経験から広い時代の姿を照らし出す。
『大向うの人々 歌舞伎座三階人情ばなし』は、山川静夫の受賞対象作として読者に届いた一作。
『六本指のゴルトベルク』は、青柳いづみこによる小説作品。人間関係を軸に、地方文学を重ねながら、受賞作としての個性を示している。
『六本指のゴルトベルク』は、青柳いづみこの受賞歴を語るうえで重要な小説作品。
パリと東京を往復してきた画家が、二つの都市の時差、記憶、街角、人々の姿を文章と写真で描くエッセイ集。言葉より早く溶け合うイメージと感覚を通して、都市の変容を濃密にとらえる。
パリと東京の時差から、失われた街角と記憶の輪郭が浮かび上がる。
『屋上への誘惑』は、小池昌代による著作で、講談社エッセイ賞の受賞作として位置づけられる。受賞時の評価を軸に、個人の感覚や時代の空気を作品の形式に引き寄せて読ませる一作である。
『屋上への誘惑』は、小池昌代の表現が受賞によって広く注目された作品である。
『慶応三年生まれ七人の旋毛曲り』は、坪内祐三による著作で、講談社エッセイ賞の受賞作として位置づけられる。受賞時の評価を軸に、個人の感覚や時代の空気を作品の形式に引き寄せて読ませる一作である。
『慶応三年生まれ七人の旋毛曲り』は、坪内祐三の表現が受賞によって広く注目された作品である。
『ああ言えばこう食う』は、阿川佐和子によるエッセイ。受賞対象となった作品で、題名が示す人物、場所、記憶、社会的状況を軸に読ませる。
ああ言えばこう食うは、エッセイとしての輪郭と阿川佐和子の関心が重なる作品。
『ボタニカル・ライフ 植物生活』は、いとうせいこうによるエッセイ。受賞対象となった作品で、題名が示す人物、場所、記憶、社会的状況を軸に読ませる。
ボタニカル・ライフ 植物生活は、エッセイとしての輪郭といとうせいこうの関心が重なる作品。
『ロンドン骨董街の人びと』は、六鹿茂夫の随筆・ノンフィクション的文章を対象とする賞で評価された作品です。題名が示すモチーフを軸に、人物の行動や時代の空気を通して主題を立ち上げる作品として読めます。
『ロンドン骨董街の人びと』は、受賞時の評価対象となった主題を読者に印象づける作品です。
『魔女の一ダース』は、米原万里による刊行情報が確認できる作品で、講談社エッセイ賞の受賞作として知られる。エッセイ・文学賞の領域で評価された一作で、題名が示す主題や人物の動きを軸に読ませる。
講談社エッセイ賞で評価された『魔女の一ダース』は、作品名の印象を手がかりに読者を引き込む。
『ブタの丸かじり』は、対象となる文学賞で評価された作品で、題名が示す主題や人物、時代の手触りを軸に読ませる一作です。
『ブタの丸かじり』は、受賞対象として記憶される作品の個性を備えています。
『本が好き、悪口言うのはもっと好き』は、対象となる文学賞で評価された作品で、題名が示す主題や人物、時代の手触りを軸に読ませる一作です。
『本が好き、悪口言うのはもっと好き』は、受賞対象として記憶される作品の個性を備えています。
池内紀による『海山のあいだ』は、kodansha-essay-awardの受賞対象となった作品です。単行本として確認できる識別子は見つからないため、作品内容を中心に扱います。
池内紀の『海山のあいだ』を、受賞作としての文脈から紹介します。
『生半可な学者』は、アメリカ文学の翻訳者・研究者として知られる柴田元幸が、文学と学問、翻訳と読書のあいだを軽やかに行き来するエッセイ集である。専門性を堅苦しく閉じ込めず、半端さや脱線を知的な楽しさへ変える語り口が魅力になっている。
学者らしさから少し外れた場所で、文学を読む楽しさが息づいている。
『本のお口よごしですが』は、古書店主でもあった出久根達郎が、本と古書をめぐる話題を自在に語るエッセイ集である。古い本の匂いや来歴、読書人の癖を、親しみやすい筆致と洒脱な観察で描き出す。
古本の棚から、読書と暮らしの小さな逸話が次々にこぼれ出す。
狩猟をめぐる経験や人との交わりを、軽妙で滋味のある文章で綴る伊藤礼のエッセイ集。自然、酒、友人、獲物への視線が混ざり、生活の余白を楽しむ語りが広がる。
狩猟と酒と友人たちの時間が、軽やかな文章の中で泡立つ。
『アニバーサリー・ソング』は、永倉万治の随筆集である。記憶の片隅に残る古い歌に出会ったような懐かしさを、憂愁とウィットを交えた十二篇に織り上げている。
古い歌をふと思い出すような懐かしさが、都会的なウィットと憂愁に包まれる。
吉行淳之介が白内障と診断され、人工水晶体移植手術によって視力を取り戻すまでを描いた体験記。身体の変化、医療への不安、見えることの回復を具体的に綴る。
視力を失いかけた作家が、手術と回復を通して見ることの意味を捉え直す。
景山民夫のエッセイ集『ONE FINE MESS 世間はスラップスティック』。テレビ、芸能、都市生活の空気を背景に、世の中の混乱を軽妙な語りとスラップスティックな感覚で描く。
世間の騒がしさを、笑いと批評のテンポで切り取るエッセイ集。
戦中戦後の記憶、政治、文化、私生活の葛藤を、野坂昭如らしい過剰な熱量と皮肉で綴るエッセイ集。転びながらも闇に向かって言葉を撃ち込む姿勢が題名に込められている。
『我が闘争 こけつまろびつ闇を撃つ』は、野坂昭如の問題意識を作品の形で伝える受賞作です。
旅、街、音楽、出会いの断片を、硬質で乾いた文体でつなぐ沢木耕太郎のエッセイ集。異国の通りに立つ身体感覚から、時代の空気と個人の孤独を浮かび上がらせる。
『バーボン・ストリート』は、沢木耕太郎の問題意識を作品の形で伝える受賞作です。