作品情報
不合理な世の中に生きる女性たちの静かな心の叫びを、全三話で描く短篇集。
スマホを見ながら歩く人を受け入れられない感覚から出発し、社会のなかで抱える違和感を女性たちの声としてすくい上げる短篇集。
書籍情報
- 出版社
- 集英社
- 発売日
- 2023-07-05
- ページ数
- 176ページ
- 言語
- 日本語
- サイズ
- 13.4 x 1.9 x 19.4 cm
- ISBN-13
- 9784087718362
- ISBN-10
- 4087718360
- 価格
- 1760 JPY
- カテゴリ
- 本/文学・評論/文芸作品/日本文学
第74回芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞 芥川賞受賞第一作。 公私共にわたしは「いい子」。人よりもすこし先に気づくタイプ。わざとやってるんじゃなくて、いいことも、にこにこしちゃうのも、しちゃうから、しちゃうだけ。でも、歩きスマホをしてぶつかってくる人をよけてあげ続けるのは、なぜいつもわたしだけ?「割りに合わなさ」を訴える女性を描いた表題作(「いい子のあくび」)。 郷里の友人が結婚することになったので式に出て欲しいという。祝福したい気持ちは本当だけど、わたしは結婚式が嫌いだ。バージンロードを父親の腕に手を添えて歩き、その先に待つ新郎に引き渡される新婦の姿を見て「物」みたいだと思ったから。「じんしんばいばい」と感じたから。友人には欠席の真意を伝えられずにいて……結婚の形式、幸せとは何かを問う(「末永い幸せ」)ほか、社会に適応しつつも、常に違和感を抱えて生きる人たちへ贈る全3話。 【著者略歴】 高瀬隼子(たかせ・じゅんこ) 1988年愛媛県生まれ。東京都在住。立命館大学文学部卒業。「犬のかたちをしているもの」で第43回すばる文学賞を受賞。2021年『水たまりで息をする』で第165回芥川賞候補に。2022年『おいしいごはんが食べられますように』で第167回芥川賞を受賞。
レビュー
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最高の芥川賞作家
物語のなかに自分を見ました。 多くの女性がこの気持ちの中で生きていることを 知ってもらえる素晴らしいきっかけになります。 読んだところで男性からしたら不気味で理解できないだろうけれど。 絶対に彼らには理解できないんです。 違う生き物だから。 違うのだから向こうのルールにこちらが合わせることを平等といってはいけないのです。 だからこそ、社会のルールを決める人が座る椅子に、男性と同じかそれ以上に女性が多く座れるようになることが大切なんです。 次の世代のために、協力して、歯を食いしばって、 その椅子を手に入れにいこうと気持ちを新たにしました。 本当におすすめの一冊です。
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共感もあるし、突き刺さるもののある
歩きスマホのように弱い人に皺寄せがくるという現実は実感できますし、主人公の気持ちにも共感できるとこもあります。 それ以上に印象が残るのは、それぞれの作品の主人公の性格や思考。関わりたくないタイプです。 一方で、 ・自分に害を与えた人を祟る気落ち ・相手の気持ちを勘違いしていた ・自分の拘りで友人を失ってしまう 程度の差はあるとはいえ、自分にもあてはまるところもあり、読んでいて暗い気持ちになります。 道徳の教材のようにも感じました。
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好き嫌いを超越した作品。男はこの作家が描く女性を正視できない気がします。
芥川賞受賞以降、女性の毒の怖さが癖になってこの作家の作品を読んでいますが、「いい子のあくび」は芥川受賞作よりも毒に満ちています。 読みながら、女性は皆人間関係のある人にこんなことを思っているのかとゾッとしたり、自分の知り合いにこんな女性がいるかもしれないと想像したら、怖くて何も言えなくなると感じながら読みました。 登場人物が抱く違和感や、疑問や理不尽に対する義憤や不満、憤りにはとても共感できるのですが、そのあとから出てくる思いを表現する言葉には、やはり「嫌~」な感じ、背筋がほんの少しぞくっとする感じが否めません。 でも、読まずにはいられない作家さんです。 Wikipediaで調べると、「おいしいご飯が食べられますように」よりも2年早く2020年に「いい子のあくび」が雑誌で発表されています。 個人的には、この作品こそが芥川賞に相応しいと思います。 高瀬さんの作品を読むたびに「女は怖いわ」と思わされてしまいます。 高瀬さんの感受性と視線も怖いですね(笑)
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評判通り最高か。
めちゃくちゃ面白かった。読んでよかった。自分は。 というのもこの小説は小説初心者やビジネス本とか啓発本メインに読む人に突如として受け入れられる可能性が低いなーって思います。 読んでて気持ちが明るくもならないし。 友達とかにもあんまり勧めたくない、自分が主人公に共感してる内面を知られたくないし。 正直「おいしいごはんが」を読んだ時 これが芥川賞??面白いのかなんなのかわからないかも… なんのメッセージ? と思ったことをはっきりと覚えていまして、こちらも若干の共通する雰囲気を感じます。でも私自身が「おいしいごはんが」以降イヤミスもたくさん、人間の内面にフォーカスした系のもたくさん読んで 経験値積んでからの「いい子のあくび」読了だったのは全く素地が別で。 面白かったー! つまり読む人を選ぶと思いました。面白いと感じられる人間はそう多くない気がしています。追加で高瀬さんの本買い集めました。刺さる人にはその刺さったものが引っ張ってもなかなかに抜けないくらい深く刺さると思いました。
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この作品を描いてくれてありがとう
まず、「ぶつかり男」が確実にこの時代のこの日本社会に存在していることを描いて残してくれて高瀬さんありがとうと思いました。 女性なら、経験ある人が多いんじゃないでしょうか。 突然、避ける間もなく見知らぬ男が明らかに「自分を選んで、狙って」突進してきて、明確な意思を持ってぶつかってこられること。酷い時は急に殴られること。本作でも描かれてるように、特に駅周辺。私も幾度も経験あります。 私も直子と同じです。彼氏といる時にぶつかられることなんて一度もない上、彼氏にぶつかり男の事を話すると「そんな奴いるの!?俺一度もぶつかられた事なんてないよ」と言う。当然です。彼は背格好が逞しい背の高い男性。私は「大人しそうな見た目で、狙っても反撃してこなそうと判断された」女なんだから。 直子の気持ち、めっちゃくちゃ分かるんです。 私もつい先日、彼氏と会う直前、1人でいた時にぶつかり男の攻撃に遭いました。 さも、「自分は急いで早足になってるだけ、だからたまたま当たってしまっただけ」みたいな素振りでそいつは去って行きましたが、同じ事、警察や全身刺青だらけのいかつい男にあなたやりますか?絶対遠目でチラッと確認してむしろ避けながら歩くよね?と思います。 攻撃するのも、鬱憤晴らしも、必ず相手見てやってる。ニュースでよくある「誰でもよかった」なんて、嘘中の嘘。 私も、女性ばかり狙って立て続けにぶつかり行為をしてる奴らや作品内の改札ぶつかり舌打ちクソサラリーマンに対して、直子と同じようにに心で呪詛を吐いた事も、自宅の出入り時等常に警戒しながら生きなければいけないこの身にも、そうしなければいけないこの社会にもうんざりしたこと何度もあります。直子、わかるよ。 分かるなんて雑な言葉で共感してしまうのも申し訳ないけど、直子がこの物語で経験した事、全部同じではなくとも似たような事沢山私も経験あるし、たぶんこの国で女をやらなきゃいけない人は、多かれ少なかれみんな思い当たる経験あると思う。 直子は自分の心の動きやそのように心が動いた背景に非常に自覚的で、自分の一挙一動をつぶさに観察しジャッジしていて、「自分は猫被ってる」と強く思ってるけど、誰でもみんな常に大なり小なり嘘ついて猫被って社会生活を営んだり、「このコミュニティではこのキャラ通すしかないんだ」と無理しながら生きたりする事もあるだろうし、「どうもこの人相手だとこういう自分になっちゃうんだよな」って、キャラ作ってるわけじゃないんだけどこうなっちゃう、っていうのもすごく分かる。 私もそうです。生活費のために意識的に演じてるときもあれば、別に今はキャラ作る必要ないんだけどこうしてるのがなんか座りいいんだよなって自然となってしまうことも。 これってたぶん、桐谷だって圭だって望海だって大地だってそうだよねきっと。 直子が大学生だったのは3年前とあるけど、社会人3年目くらいの若手の女性社員に社会が求めてくる嫌な事全てを直子頑張ってやってる。「こうしなきゃいけないの腹が立つけどでも自分もなぜかそうしてしまう」のも分かる。 「身綺麗で」 「いつもニコニコして」 「時には賢く立ち回れ(でも周囲が嫉妬したり俺のプライド傷つけられた、と反感買わない程度の頭の良さに留めて)」 「時には無知で無垢な天然女を演じ」 「上司に要請されたら文句言わずホステス役を全うする」 こういうの演じないといけないとか、何?と思いながらも、直子はやはり観察眼がすごくて、「軽んじられることと軽減されることが同時に起こる場面や、ある面を評価されることと消費されることが、同じベクトルで発生することがあった」 直子はここに気づけることそれ自体がすごいと思う。 というか高瀬さんのこの表現秀逸すぎて。。。!!脱帽 私は同じような思いをした時にここまでモヤモヤを言語化出来ませんでした。なんだこれおかしいじゃん、と思いつつ、あ、でもまあそういう風にしてくれる感じならそれでもいいか、とも同時に思ったり。 多分、大地も存分に演じてると思う。「明るくまっすぐで子供思いの良い先生!」みたいなものを。 心の中では大地も合わない保護者や職場の人に毒吐きまくってるんじゃないかな。 大地と直子が違うのは、たぶん大地はそういう自分の心の動きや感情の理由をいちいち考えたり自覚しようとする習慣がないだけだと思う。「んだよあいつむかつくな」って思ったり同僚と飲んで愚痴るだろうけど、でも、それだけ。そこだけ。 直子みたいに、なぜ自分はこう感じるのかとか、別に深く考えてないだけで、顔出し実名じゃ絶対言わないけど、心の中だけで思ういや〜な事も、考えたりする事きっとあると思う。 直子はやや大地のこと買い被りすぎてる。 大地、正義ぶる時は正義ぶってても隠れてしっかり浮気してたり他にも普通に嘘ついてたりと相当ずるくて卑怯な面もある、けど直子が辛い時はちゃんとお見舞いにはくるというような、直子や大多数の人と同じで色んな矛盾が同時に自分の中に存在する普通の人間。直子が言ってた「こっち側」も「あっち側」もないと思うな。(でも、直子はそれも十分理解しているんだろうと他の様々な描写から感じる) 直子、私も同じ気持ちで構内をさっさかさっさか、ぶつかってきそうな人がいないか、急に自分めがけて突進してきそうな気配がないか、いつも警戒しながら歩いてるよ。 直子の怒りや悔しさが痛いほど分かるよ。 ラストシーンの一連に関して。直子の行動や考えに対して誰が何言おうと関係ない、私は直子の味方したいし気持ちに寄り添いたい。 高瀬さん、私も直子とほぼ同世代で、今回描かれてる同じような経験をし続け、直子と同じように積年の怒り恨み悔しさでたまりませんでした。でも、直子の静かな、同時に燃えるような叫びに救われる思いがしました。 うまく言語化出来ないのがもどかしいですが、とにかく「いい子のあくび」を描いてくれて感謝の気持ちでいっぱいです。 自分は「弱そうで言い返したりやり返してこなそうな女」の見た目を元々しているし、その見た目を「強そうに」するために色々試行錯誤しましたが変えるのにも限界があるので、絶対またいずれ見知らぬ他人から駅周辺で「こいつは避けてやらなくてもいい奴」あるいは「意図的に軽く攻撃しても大丈夫そうな奴」認定され、ターゲットにされるのは分かってるんです。でも、そういう風に「雑に扱ってもいい奴」と見做されどうしても心の置き所がなく苦しい時、この作品を戦友みたいにまた読み返したいと思います。 このレビューをご覧になってるかどうかは分かりませんが、この作品を生み出してくださって本当にありがとうございます。
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ぞくぞくする程の深淵で両義的なタイトル
狭い歩道や駅のホームでスマホに見入りながらこちらに向かってくる人とぶつかりそうになることがある。こちらはまっすぐ前を見てまともに歩いているのに、相手の方は全然前を見ていないから仕方がなくこちらが避けてあげる。でも、悪いのは相手の方だ。まったく腹が立つ。 誰でも一度はそういたことを経験している。 この小説は、そうした言うなれば“普遍的な憤り”をきっかけとして書き起こされている。だから主人公は、冒頭でながらスマホをしながら自転車に乗っている中学生に「ぶつかったる」とわざと当たって転ばせる。終盤では駅のホームでやはりスマホをしながら歩く邪魔な男に体当たりして怪我までさせてしまう。 このレビューを書いている私は、この書き手をデビューのときからいいなと想っているのだが、新人賞を獲ったときのインタビューで高瀬さんは、「むかつく、やってらんない」という何らかの世の中に対する思いが作品の原動力になっていると話しておられたのがとても印象的だった。今作もやっぱりそうした書き手個人が感じた憤りが物語の起点になっているのだろうが、それは万人が入り込みやすい普遍的な入り口にもなっていて書き手のセンスの良さというか巧さを感じさせる。 デビュー作の『犬のかたちをしたもの』でも、女は子供を作るものだという概念や愛情抜きにでも子種を仕込んだり妊娠したりできる男や女への憤りが起点となっている。けれどもこの書き手のすごいところはそれだけにとどまらず、幼いころ偏愛した愛犬の喪失の痛みと今でも蘇る愛犬の幻影といったやはり多くの人が持ち合わせている感覚とを二重螺旋のようにより合わせながら物語を展開させていた。その上で物語を構成する要素の両方を「犬のかたち」と両義的に見事なタイトルに象徴している。 次作の『水たまりの中で息をする』も同様で、偏執的に水を恐れて都会の社会に適応ができなくなった夫が、皮肉なことに逃避先の田舎で洪水にあって流されてしまう。それを、洪水の後水たまりの中で生きながらえる小魚になぞらえて、病んだ人間と実は病んでいるかもしれない社会とを、あるいはまた病んだ社会では生きていけない夫が水に流されて逆にどこかで生きながらえているかもしれない可能性とを両義的にタイトルで象徴していて見事だった。 芥川賞を獲った『おいしいごはんが食べられますように』も、ほんわかしたタイトルと表紙の絵柄にすっかり騙されて買って後悔した人も多かったようだが、これも、いかにも弱々しい女性社員が、仕事ができなかったり休んだりするのの割をくった主人公が、なんなんだこの女と感じた憤りが起点だ。同時にそれだけではなく現代社会のあらゆる人間関係が一つ残らず気持ち悪くてよく考えたら腹が立つものであることを描き切っていた。このときもタイトルは表象的な意味とは裏腹に深遠で両義的なものだった。 それで、ようやく最新作であるこの『いい子のあくび』である。 最初に書いたようにながらスマホへの憤りが物語の出発点であり表面的には終盤まで貫かれた物語の背骨のような柱である。しかし、いつものようにそれだけではない重要なファクターがその柱に無数にまとわりついている、それが何かを読み解くヒントはいつものようにタイトルに象徴されている。 親からも先生からもとても「いい子」と思われていた幼かった主人公も、校長先生の長ったらしいお話の最中にはいつも退屈しまくって、素直に聞いている顔とは裏腹にあくびをかみ殺していた。 そうした、顔とは裏腹な内面。しかも、普通の友人、親しい友人、ただの上司とかの相手が違う場面場面ごとに自分の「顔」と「内面」が全く違っていて自分でも一体どれが本当の自分なのか分からない。このことがこの物語に込めた書き手の真意なのではないか。そう確信した私は、《顔と裏腹な内面。それに気づいた主人公の自問自答》みたいな場面が何回登場するか読みながら数えても見たら、なんと僅か110ページ余りの中に17回も繰り返し描かれてる。私の独断的確信はだからたぶん間違いない。 やはり芥川賞作家で芥川賞の選考委員でもある平野啓一郎は、そうした人間関係の個々の関係ごとに人は「顔」を持っていて、そうした幾つもの「顔」の総体が自分なのであって、ひとつの本当の自分なんてものはないのだということを「分人論」として論理的に書いている。高橋隼子さんの『いい子のあくび』はその平野啓一郎の「分人論」理論を物語の中で登場人物を使って具現化したものともいえる(へたくそな説明ですいません。よくわからないひとはぜひ「平野啓一郎 文人論」でググってみてください)。 表象的な意味と深遠に含まれた大きな意味。 そうして巧みにタイトルに象徴されたヒント。 勝手な読み方かもしれないがそう思って読むと高瀬さんの作品はいつもぞくぞくするほどの魅力にあふれている。今私が次の作品を待ち焦がれている書き手だ。
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思っていたのと違った。
最初の2つ、ところどころ同じ思いをしました。気持ちの揺れや悲しみなどは共感できるところもありますが心の中で 死んでくれないかな…なんて思わない。誰しも表裏があるけど付き合っていけばいい子ぶっても綻びは出てくると思います。読んでいて嫌な気分になりました。私はこんな人になりたくないです。子どもたちにも読んで欲しくないです。
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女性だけが共感できる話ではない
私はAmazonのレビューを見てこの本を読むことにしました。レビューには、男には理解出来ない、多くの女性がこの気持ちの中で生きていることを知ってもらえる素晴らしいきっかけになる、といった意見が見受けられ、それに反発するような気持ちで、それなら俺が読んでやろうと思い、読ませて頂きました。 結論を言いますと、この話は男性でも大いに共感できます!実際、私も主人公と同じ気持ちになったことは何度もあります。ですので、ながらスマホしながら歩く人を何故自分が避けなくてはならないのか?といった疑問を抱いている方には性別関係なく読んで欲しい1冊です。
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