日本の文学賞

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愚道一休

渡辺淳一文学賞

愚道一休

木下昌輝

『愚道一休』は、幼い千菊丸が腐敗した禅寺での修行を経て、詩僧・一休宗純として権威から離れ、民衆の中に身を投じるまでを描く歴史小説。

一休宗純禅求道室町時代人間性

作品情報

禅と業と煩悩に翻弄された一休宗純の、愚かでひたすら美しい生涯。

将軍の寵臣の思惑や五山の権威に直面しながら、一休は本当の救いと人間のあり方を問い続ける。戦乱と飢饉の時代を背景に、破戒と求道のあいだで揺れる禅僧の生を描き、第10回渡辺淳一文学賞を受賞した。

書籍情報

出版社
集英社
発売日
2024-06-05
ページ数
448ページ
言語
日本語
サイズ
13.1 x 3 x 18.8 cm
ISBN-13
9784087718690
ISBN-10
4087718697
価格
2200 JPY
カテゴリ
本/文学・評論/文芸作品/日本文学

【第10回渡辺淳一文学賞受賞】 【第44回新田次郎文学賞受賞】 「立派なお坊さんになるのですよ」。 母の願いを受けて、安国寺で修行する幼い千菊丸だが、禅寺は腐敗しきっていた。怠惰、折檻、嫉妬、暴力。ひたすら四書五経を学び、よい漢詩を作らんとすることをよすがとする彼の前に将軍寵臣の赤松越後守が現れ、その威光により、一気に周囲の扱いが変わっていく。しかし、赤松が帝の血をひく千菊丸を利用せんとしていることは明らかだった。 周建と名を改め、建仁寺で詩僧として五山の頂点が見えたのにも拘わらず、檄文を残して五山から飛び出し民衆の中に身を投げる。本当の救いとは、人間とは、無とは何なのか。腐敗しきった禅を憎み、己と同じく禅を究めんとする養叟と出会い、その姿に憧れと反発を同時に抱えながら、修行の道なき道をゆくのだった。己の中に流れる南朝と北朝の血、母の野望、数多の死、飢餓……風狂一休の生そのものが、愚かでひたすら美しい歴史小説の傑作。 【著者略歴】 1974年奈良県生まれ。2012年「宇喜多の捨て嫁」で第92回オール讀物新人賞を受賞。2014年、単行本『宇喜多の捨て嫁』を刊行。2015年に同作で第152回直木賞候補となり、第4回歴史時代作家クラブ賞新人賞、第9回舟橋聖一文学賞、第2回高校生直木賞を受賞した。2019年『天下一の軽口男』で第7回大阪ほんま本大賞、『絵金、闇を塗る』で第7回野村胡堂文学賞、2020年『まむし三代記』で第9回日本歴史時代作家協会賞作品賞を受賞。他の著書に『人魚ノ肉』『敵の名は、宮本武蔵』『宇喜多の楽土』『炯眼に候』『戦国十二刻 終わりのとき』『戦国十二刻 始まりのとき』『信長 空白の百三十日』『戀童夢幻』『応仁悪童伝』『孤剣の涯て』『戦国十二刻 女人阿修羅』『剣、花に殉ず』などがある。

レビュー

  • 出でよ令和の一休宗純。愚道は求道である。

    一休宗純はこの国で一番有名な僧侶といってもいいだろう。 もちろん渡れない橋や屏風の虎で有名な、頓智の天才が圧倒的なイメージだが勿論これは後世の創作。 本当の姿がまた一筋縄ではいかない。何しろ僧侶どころか庶民レベルでもとんでもないお人なのである。僧なのに酒や肉をたしなむのは当然、遊郭で歌えや踊れやのどんちゃん騒ぎ。尊敬していた兄弟子には口汚い罵詈雑言を浴びせるわ、高僧の葬儀にはとんでもないボロを着て現れるわ、懇ろにしていた遊女の屍を荒地に放り出し野犬や烏がついばむに任せるわ、現代の常識で見ればとんでもない、どこの宗派でも破門は確実の破戒僧なのである。 子供の頃は普通に母の願いでもある出世を夢見た一休は、なぜこうした奇矯な行動に走ったのか。それは五山十刹と呼ばれる格の高い禅寺とその僧侶たちのあまりの堕落にある。上っ面だけ言葉や身なりを着飾っても、内面の腐敗は目を覆うものがあったのである。あまつさえ師兄の養叟でさえそちらになびこうとしている。 これは何もかも一から壊すしかない、一休が選んだ道は「風狂」であった。仏教の戒律からかけ離れた行動をとることにより、悟りの境地を開くのである。常人には受け入れがたい思想であるが、彼は群衆に向かって艶歌を語り、禅問答を吹っ掛ける。いつしか「生臭坊主」一休の周りには彼を慕う庶民であふれかえる。 振り返って令和の世は政治家のみならずスポーツ選手や芸能人にも品行方正でなければならないという謎ルールがはびこり、それに反しようものなら国民からSNSという警策で袋叩きにあいかねない。 まことに困難極まりないが、それをものともしない現代の一休宗純の登場を無の境地で心待ちにしたい。

  • 史実とフィクション

    「小説すばる」に連載され、新田次郎文学賞、渡辺淳一文学賞を受賞しており評価は高い。直木賞で候補にすらならなかったのは残念だろうが、直木賞だといくらか減点されて落とされる可能性があると思った。題名通り一休の伝記小説だが、赤松越後守や山名宗全といった武士との関係をフィクションで描き、禅の公案についてもなるべく娯楽的に解釈している。大変な努力をして書かれているが、史実のからみあうところに作られたフィクションが、時に違和感をもたらしている。「南泉斬猫」や「蜘蛛の糸」の話が挿入されるのは娯楽小説として分かりやすくするためだろうが、南泉斬猫のほうは、そのあとの、あとから帰宅した弟子が頭に草履を載せたところまで書かれていないのが不審なのと、「猫児を争う」を、猫のとりあいをしたととるのは間違いで(三島も間違えたようだが)、猫に仏性があるかどうかについて争ったのだと思う。もっともそれがこの小説の傷なのではなく、ちょっとある種の大河ドラマのように、主人公が都合よく歴史的事件にいあわせ過ぎるということが問題なのではないか。なお「宇喜多の捨て嫁」の著者らしく、諱の扱いが極めて慎重なのはつい微苦笑を誘われた。

  • 人間ドラマが好きな人に向いています

    一休さんてそんな人生を生きてきたのか~。もちろん、フィクションも多分にあるんだろうけど、人間一休さんに触れられた気になりました。仏教の話でもあるけど一休さんの人生に焦点をあてているので歴史を知らなくて十分読める。読後感がいい。

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