日本の文学賞

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さよなら、サイレント・ネイビー ――地下鉄に乗った同級生

開高健ノンフィクション賞

さよなら、サイレント・ネイビー ――地下鉄に乗った同級生

伊東乾

『さよなら、サイレント・ネイビー 地下鉄に乗った同級生』は、伊東乾が地下鉄サリン事件の実行犯となった大学時代の同級生を起点に、事件の背景と人間の分岐点をたどるノンフィクションです。個人の記憶と社会的事件をつなぎ、なぜ普通の学生が重大犯罪へ向かったのかを問います。

地下鉄サリン事件同級生マインドコントロール戦後社会

作品情報

同級生の大罪を通じて、事件と人間の分岐点を問うノンフィクション。

集英社から刊行された問題作です。著者は、大学で隣にいた人物がテロ事件の実行犯になった事実を出発点に、個人史、教育、思想、組織への依存を重ね合わせ、裁かれるべきものは何かを読者に突きつけます。

書籍情報

出版社
集英社
発売日
2006-11-16
ページ数
352ページ
言語
日本語
ISBN-13
9784087813685
ISBN-10
4087813681
価格
405 JPY
カテゴリ
本/文学・評論

衝撃のノンフィクション・ミステリーの登場! 選考会騒然、評価二分。刊行前から各メディア取材殺到。現役東大助教授・伊東乾が存在をかけて追いつめた「同級生の大罪」。裁かれるべきは、はたして誰なのか。第4回開高健ノンフィクション賞受賞作。

レビュー

  • 村上春樹「アンダーグラウンド」へのアンサーソング

    「アンダーグラウンド」で村上が世間側=善の立場に依って書いているというのは、 伊東乾氏の半ば意図的な誤読である。 彼が折に触れ憤りを表明している豊田亨の紹介文に関しても、 あの紙幅であの内容を書けば誰でもそうなるという程度のもので、 特に指摘すべき事実誤認は無いし、文章的修辞による意図的な歪曲も無い。 本書「さよなら、サイレント・ネイビー」を読むとわかるのだが、 伊東氏はそもそもが村上ファンで、 大好きな村上なら友人(と自分)のことをきちんと理解して書いてくれるはずだ… と期待して読んだところ、意外と普通の記述だったのでがっかりしたのだ。 (「アンダーグラウンド」は実行犯についての本じゃないから当然である) 当時の伊東氏の世界観では、村上はもっと親身になって書いてくれるはずだった。 それで半ば逆恨みをしつつ、ならばと自分で書くことにして、 村上に対してこんな批判的なことを書けば話題になってベストセラーになって 著者からの反応もあるだろうと待ってたら普通に無視されたので、 それ以来村上批判者のクラスタに入ってネチネチ言ってるわけである。 時代的にも「ねじまき鳥クロニクル」「アンダーグラウンド」の時期の村上は ほとんどあらゆる方面から論難されていたので、批判者の列に並ぶのは容易であったろう。 しかしそれでもなお、伊東氏は村上と志を共有していると私には思える。 その証拠に、「さよなら、サイレント・ネイビー」の主張の核心にあたる マインド・コントロールへの対抗についての見解は、 驚くほど「アンダーグラウンド」のそれに似通っている。 批判者というギミックを敢えてかぶりながら、本質的には同じベクトルの主張をすることで、 村上の思想に対する援護射撃を行っていると言えるだろう。 伊東氏は今なおTwitterやウェブ上のコラムで村上を痛罵することがあるが、 根拠の薄弱さや、推論と事実を混同したまま進める半狂乱的な論考、 その帰結として異常なまでに高まったスノビズム的な言動は、 まさにマインド・コントロールの危険性を身を以て読者に示すための、 真に迫ること類いまれなパフォーマンスであり、その熱心さは心を打つ。 非常に情念のこもったアンサー・ソングとして貴重な読み物になっており、 「アンダーグラウンド」との併読を強くお勧めできる一冊である。

  • オウムの狂気と戦時中の体制は地続きだった

    地下鉄サリン事件の実行犯と同級生だった著者が、友人に寄り添いながらオウム事件を考えた一冊。 元オウム信者の豊田亨氏と著者は東京大学の出身。著者は戦時中の父親の体験をたどり、戦争を鼓舞したのは東大と海軍だったこと、戦争とオウム事件はマインドコントロールの上に成り立つ点が共通しており、国家の体制とオウムは切り離されたものではなくむしろ地続きだったことに気づきます。 豊田は教祖と決別し悔恨の日を送りましたが、多くを語らず実像が広く知られることはありませんでした。沈黙は美徳ではなく、悲劇を繰り返さないために心の内を語ってくれないか。著者が豊田に宛てた手紙が心を打ちます。

  • それを防ぐためにできること

    【さよなら、サイレント・ネイビー】それが起こったのは、なぜか?。防ぐために出来ること。 「凶悪犯罪」と呼ばれる事件が起きる。 逮捕された犯人について、マスコミが群がって報道する。 犯行の動機、犯人の生い立ち、被害者やその家族の声・・・。 しかし、しばらくすれば、どこかに忘れ去られ、また次の「凶悪犯罪」が注目を集める。 テレビのワイドショーでの取り上げ方に疑問を持つことはある。 しかし、「凶悪犯罪」そのものについて、深く考えることは少ない。 「犯人は裁かれて、罪を償うべきだ」と思うだけで、そこで終わってしまう。 そこから先を考えることは少ない。たとえば、このような「凶悪犯罪」が起こった背景や、似たような犯罪が二度と起きないようにすればどうすればいいのか?などと考えたことはなかった。 地下鉄サリン事件。 あの事件からもう10年以上経った。 「さよなら、サイレント・ネイビー」は、東京大学准教授である伊東乾氏が書いたノンフィクションである。伊東氏は、地下鉄サリン事件の実行犯である豊田亨氏と大学時代を共に過ごしていた。 「なぜ、あの事件は起こったのか?」 そして、 「似たような事件を二度と起こさないために、何ができるのか?」 この本のテーマは、この2つに置かれている。 前半は、冷静な視線で、「なぜ?」のテーマを追いかける。 後半は、加害者となってしまった友人と向き合い、2つ目のテーマについて答えを探っている。 地下鉄サリン事件に留まらず、一連のオウム事件、太平洋戦争、ルワンダの大量虐殺・・・。 人が人を殺す背景にあるものは何か。それを繰り返さないために、起きてしまったことから学び、二度と起きないようにするために何ができるのか?。 後半は、「戦争」に人生を左右された著者の父母についても触れている。 著者は、被害者にも加害者にも近いところにいた。 そして、人は、紙一重で被害者にも加害者にもなりうることを肌で感じているのだと思う。 最後の章に入ると、「なぜ、この本を書こうとしたのか?」「この本を通して、何を伝えたいのか?」が胸に迫ってきた。 重みのある一冊だった。

  • 少なからぬショックを受けました。

    サリン散布実行犯、豊田被告の親友が書いた本です。 読み進めるうちに、無関係だと思っていた自分の半分が、あのカルトと同じような思想に通底している気がしてきて、気分が悪くなりました。 『行為は気づきに先立つ』 後で罪悪感に駆られるのはこういうことか、と思いました。 一方に動き出すと手に負えなくなるマスメディアの抱える問題。個人が十字架を背負う事で万事解決する風潮。それを追認するような司法制度。一部の戦犯だけを裁いても、構造的な問題は残ったままです。 このままでは同じような事を繰り返す、と筆者は主張し、起こったことを丹念に調べて蓄積し、失敗を繰り返さぬように役立てるべきだと綴っています。 全体を通じて、友を信じ、真実に迫ろうという思いが伝わってきます。 今、我々が抱えている国際問題、社会問題、教育問題・・・本書を読むことで立ち止まることができ、では自分に何が出来るのか、を考えさせてくれる一冊だと思います。

  • お人形遊びと拭いきれない著者のエリート意識の残滓がひたすらキツい

    「サイレント・ネイビー」とは、日本陸軍に対して黙って任務を遂行し特攻で死んでいった日本海軍を指す言葉です。 著者の同級生でオウム信者となり地下鉄サリン事件に関わった豊田享元死刑囚(2018年執行)の寡黙な姿を、 海軍のそれと重ね合わせています。 主旨としては、オウムの反省を失敗学的に今後の日本社会に生かせないか、ということが言いたいと理解しました。 私が肌に合わなかったのは、 作中で「相棒」と呼ばれ、タメ口で話してくる女子大生の存在。 作者にとって都合の良い「相棒」との対話は、 作中で言及される麻原彰晃と豊田のそれのようでした。 実在していても気持ち悪いし、 イマジナリーフレンドだとしても気持ち悪いです。 また著者がマルチな才能を持った優れた人材であることは理解しましたが、 著者とブーレーズとの対話や度々なされる物理方面への脱線は、 オウムを描くうえで必要な記述とは思えませんでした。 作中であげつらっている「エリート」感がひしひしと伝わってくるのが皮肉でした。 途中途中で出てくる論文の目次風のメモ(これも提示の仕方が不愉快)を、 せめて最後にでもまとめてほしかったなというのが感想です。 サリン事件の実像に迫るうえでは、 作中で批判されている村上春樹『アンダーグラウンド』の方が、 私にはよっぽど適しているように思いました。

  • 歴史における、逃れられぬ過ちの根源。

    この本の根底に主張される著者の真意を、理解する事はたいへん難しそうです。 どの時代にも常識、正義・多数意見・民主主義の主役である大多数の平凡な感性、その時代を支えた一市民の集合体。 時代は上記の中で、かもし出される法曹界を含めた、いつの時代にも陥る正義と悪・罪と罰の輪廻、悲しき誤謬の繰り返しを見つめる、驚くべき普遍を突きつける作品です。 入れ子状になった罪、裁かれると錯覚している過去の時代の異常と常識、現在の正義の有無を言わせぬ大多数の狂気。 そこから学べるモノは「永遠に大多数は過ちを犯している!」と云う沈殿した事実です。 さよなら、サイレント・ネイビー ――地下鉄に乗った同級生

  • 永年ポケットに仕舞っていたテーマだった

    優秀だった青年達が何故? 永年ポケットに仕舞っていたテーマだった。 殆ど汚れのない中古品だったが入手出来てよかった。

  • オウムに入った内的な問題の解明が不十分に感じた

    なぜオウムに入ったのか、という点については、マインドコントロールが強かったという点が強調されていて、豊田氏の内的な問題については、十分には解明されてない感じがした。安直かもしれないが、科学者・研究者の現状・将来性の不満というより、いわゆるリア充じゃなかったというのが大きいのではないか。好きな女性や彼女がいたら、このようにならなかったと思われる。母親や家族との関係や友人関係も言及が薄いので、わからないが、孤独だったのではないか。オウムが性を利用したという点の言及はあるが、豊田氏が個人的にどのような悩みを持っていたのか、自分でも認識することができないのか、語られることがなかった。著者も豊田氏も、どのような女性観を持っていて、どのように性愛を享受していた、あるいはしていなかったのか、一般的には語りたくないところであろうが、もう少し語ってほしかった。

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