日本の文学賞

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雪男は向こうからやって来た

新田次郎文学賞

雪男は向こうからやって来た

角幡唯介

ヒマラヤに棲むとされる雪男を追う捜索隊に加わった著者が、探索行の現場と、雪男に魅せられた人々の証言をたどるノンフィクション。未確認の存在を追う行為を通して、探検、信仰、執念、合理性の境界を描き出す。

探検ヒマラヤ未確認生物信念と懐疑

作品情報

雪男を探す旅は、存在の証明だけでなく、信じる人間の姿を照らし出す。

集英社から2011年に単行本、2013年に集英社文庫で刊行。雪男探索をめぐる60日間の行程を軸に、現地で出会う証言、過去の探検家の足跡、著者自身の熱と冷静さの揺れを重ねる。探検記であり、信じることの心理を追う記録でもある。

レビュー要約

  • 雪男そのものより、雪男を追う人々の語りや行動に読みどころを見出す声がある。冒険記としての高揚と、現実的な探索の地味さを併せ持つ点に反応が分かれる。

書籍情報

出版社
集英社
発売日
2011-08-26
ページ数
336ページ
言語
日本語
サイズ
13.8 x 2.9 x 19.4 cm
ISBN-13
9784087814767
ISBN-10
4087814769
価格
1869 JPY
カテゴリ
本/文学・評論

雪男は本当にいるのか。なぜそれを捜すのか。 ヒマラヤに棲むという謎の雪男。その発見に情熱を燃やす人たちがいる。捜索隊に誘われた私は、雪男を探し続ける人々の奇妙な体験談にも引き込まれていく。延べ60日を費やした捜索の結果は…?

レビュー

  • 楽しい時間になります

    角幡さんの経験を少しだけでも本から体験出来た気持ちになって不思議でした。極寒の中で待ち続けるその忍耐力とそれがしたいという興味心、精神性に惹きつけられました。

  • 個人的 Kindle版デビュー作

    雪男が本当に居るかどうかは判らないが、これだけたくさんの日本人クライマーが目撃している事を、本書で初めて知った。 著名なクライマー達が語る物語の一遍は、雪男なんて眉唾ものと考えていた自分にとって驚きであり新鮮であった。 著者のエッセイ以外の作品を初めて読んだが、事実上の処女作にして良い作品だと思う。読み応えもあった。 面白くてついつい引き込まれて、降車駅で慌てた事が何度もあった。著者の他の作品も愉しみになってきた。

  • すぐに届きました

    新しい本がすぐに届きました。

  • とにかく安かった

    中古本でとにかく安かったです。 頑張れ!角幡唯介

  • 著者には雪男は来たのだろうか?

    「極夜行」で著者を知り、2冊目として本作を読んだ。実に面白かった。 著者が何に惹かれているのかを考えることが本書を読むということである。 著者自身も言っている通り、著者は雪男そのものに惹かれて雪男探索隊に入ったわけでも ないし、本書を書いたのではないと読む方が僕にはしっくりきた。 勿論探索行が失敗に終わってから一人で山に残り雪男を探したという著者は雪男自体にも 興味は強いことは間違いない。但し、より著者が惹かれたのは雪男自体ではなく「雪男に 取り憑かれてしまった一連の人達」である。色々な方々がなぜ雪男というものに強く惹かれ、 人生そのものが変わってしまったのか。それが本書を書いた著者のモチベーションであったに 違いない。 雪男に取り憑かれてしまう人々は、かような志向と性向を持った方である。本書の題名は「雪男は 向こうからやって来た」であるわけだが、まさに雪男にやって来られてしまった人達の悲劇と喜劇が本書で 展開される筋である。本書は短篇集とも言えるが、それはかような人達の一つ一つの物語を編み上げた タペストリーにも似た本の作りになっているからだ。 では著者のところには雪男は来たのか。色々な見方があると思うが著者自身は雪男は 自身には来なかったと考えていると僕は断定したい。勿論来かかったことは確かだろうが、 著者は本書を書くことで雪男を相対化し、相対化したことで、雪男に取り憑かれなかった のではないだろうか。 それにしても面白い著者を発見したと思っているところだ。もっと角幡という方の本を読むことにした。

  • 雪男を見る人間と見ない人間

    この本に関しては厳しいレビューを書いてる人もいる。 まあ、雪男が出てくることを期待して読むと肩透かしを喰らうだろう。 スリル満点の命懸け冒険談を期待してても肩透かしを喰らうだろう。 わしゃどちらも期待してなかったので、満足だった。 しかし、捜索隊が撮影した足跡がなぜ雪男のものだといえるのか、もうちょっと検証してほしかった。 (ヒマラヤに住む他の動物の足跡の写真と比較して、どれとも似てないとか…) よって、星は1つ少ない4つにした。 興味深いのは、日本人登山家もけっこう雪男を目撃しているということ。 フィリピン・ルバング島の残留日本兵小野田寛郎氏を発見した鈴木紀夫氏に至っては、 6回も雪男探索でヒマラヤ遠征をした挙句、グルジャヒマール南東稜コーナボン谷源流部で雪崩により死亡している。 ところが、その誰もが決定的な写真撮影には成功していない。 ことごとく失敗していて、まるで得体の知れない超常的な力によって、雪男の撮影が妨害されているようだ。 また、著者が現地の人にインタビューすると、 さんざ「雪男なんていない」と否定されてしまうエピソードには、苦笑せずにはいられない。 まるで、日本のどこかの山奥にいまだに最強のニンジャ戦士が隠れ住んでいると信じている外国人みたいだw 著者自身は、雪男探索隊に加わったにもかかわらず、その存在に懐疑的なのもおもしろい。 よって、本書は非常に公正な立場から書かれてある。 著者によると、人間には、雪男を見る人と見ない人の2種類がいるそうだ。 確かにそうだろう。わしも雪男を見ることのできない人間に分類される。 科学の世界では、解けない問題に夢中になり、一生を「棒に振る」ということはよくあることだし、 「見てはいけないもの」を見てしまったがために、それに取り憑かれてしまうということは、誰にでも起こりうることだ。 「常温核融合が起こっているというデータが出てしまった」 「雲を見てると地震が予知できるような気になってしまった」 「ユリ・ゲラーのしょぼい手品を見て、超能力は実在すると確信してしまった」 「夜空に光る謎の飛行物体を見て、宇宙人は地球に来ていると確信してしまった」 「探査機から送られてくる月や火星の写真には、宇宙人の建造物が写っているような気がする」 「9.11アメリカ同時多発テロは米国政府による自作自演の大陰謀であることに気づいてしまった」 「東日本大震災は人工地震兵器による攻撃だったことに気づいてしまった」 「世界はイルミナティに支配されていることに気づいてしまった」 などなど… 度を越すとトンデモになってしまうが、答えのない問いに夢中になることは「人生を棒に振る」ことなのだろうか? 叶えられない夢はすべてくだらないことなのだろうか? 人の生き方として考えると、果たして、どちらが幸せなのだろう? 雪男がいると信じてヒマラヤまで行ってしまう生き方と、 そんなものはいないと決め込んで、部屋に籠もって惰眠を貪っている人生と? 夢が叶えられなくても、その過程で本人が幸せならそれでいいような気がしてきた。 少なくとも、わしにとっては「ヒマラヤに雪男を探しに行く」というのは許容範囲だ。 わしも、機会があれば、ヒマラヤに行ってみたいと思うもの。 しかし、叶えられなかった夢は夢にしか過ぎないというのも事実である。 夢からはいつか醒めなくちゃいけない。

  • 素晴らしい作品!

    角幡唯介さんの本は殆ど読みましたが、この本が1番好きです。

  • テンションの低い冒険記

    著者本人もジャーナリストとして書いたといっている通り、客観的な視点で関係者のインタビューがまとめられており、冒険の部分はいたって少ない。しかし書きようによってはもっと面白くできる話ではないか?著者自身の立ち位置がハッキリしないので、テンションが読んでいる我々も上がらない。先輩の高野秀行の文章を参考にすべき。残念。

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