日本の文学賞

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聖なるズー

開高健ノンフィクション賞

聖なるズー

濱野ちひろ

動物を性愛のパートナーとする人々をドイツで取材し、著者自身の性暴力体験とも向き合いながら、愛、暴力、同意、他者理解の境界を考察するノンフィクション。強い違和感を出発点にしながら、偏見そのものを問い返す構成になっている。

ノンフィクションセクシュアリティ動物性愛同意暴力

作品情報

禁忌の奥へ踏み込みながら、人間にとって愛と暴力はどこで分かれるのかを問い続ける。

第17回開高健ノンフィクション賞受賞作。集英社から2019年11月に単行本として刊行され、のちに集英社文庫版も出た。犬や馬をパートナーとする人々への取材を軸に、著者の傷の記憶と文化人類学的な問いを重ね、人間にとって愛とは何かを掘り下げる。

レビュー要約

  • 扱う題材への拒否感を避けず、むしろその反応を通して人間中心の価値観や他者理解の限界を考えさせる点が評価されている。著者の取材姿勢の真摯さと、問いを単純な結論に閉じない構成が印象に残る。

書籍情報

出版社
集英社
発売日
2019-11-26
ページ数
280ページ
言語
日本語
サイズ
13.4 x 2.4 x 19.4 cm
ISBN-13
9784087816839
ISBN-10
4087816834
価格
1200 JPY
カテゴリ
本/ノンフィクション/思想・社会/その他

衝撃の読書体験! SNS、ネットで話題沸騰!! 2019年 第17回 開高健ノンフィクション賞受賞作 「2020年Yahoo!ニュース|本屋大賞 ノンフィクション本大賞」「第19回 新潮ドキュメント賞」「第42回 講談社 本田靖春ノンフィクション賞」「第51回 大宅壮一ノンフィクション賞」各賞ノミネート! 犬や馬をパートナーとする動物性愛者「ズー」。 性暴力に苦しんだ経験を持つ著者は、彼らと寝食をともにしながら、 人間にとって愛とは何か、暴力とは何か、考察を重ねる。 そして、戸惑いつつ、希望のかけらを見出していく──。 【開高賞選考委員、驚愕!】 ・「秘境」ともいうべき動物との性愛を通じて、暴力なきコミュニケーションの可能性を追い求めようとする著者の真摯な熱情には脱帽せざるをえなかった。――姜尚中氏 ・この作品を読み始めたとき、私はまず「おぞましさ」で逃げ出したくなる思いだった。しかし読み進めるにしたがって、その反応こそがダイバーシティの対極にある「偏見、差別」であることに気づいた。――田中優子氏 ・ドイツの「ズー」=動物性愛者たちに出会い、驚き、惑いながらも、次第に癒やされていく過程を描いたノンフィクションは、衝撃でもあり、また禁忌を破壊するひとつの文学でもある。――藤沢周氏 ・人によっては「#Me Too」の「先」の世界の感性があると受け取るのではないか。この作品を世間がどのように受容するのか、楽しみである。――茂木健一郎氏 ・多くのファクトに翻弄された。こんな読書体験は久しぶりだ。――森達也氏 (選評より・五十音順) 【目次】 プロローグ 第一章 人間と動物のアンモラル 第二章 ズーたちの日々 第三章 動物からの誘い 第四章 禁じられた欲望 第五章 わかち合われる秘密 第六章 ロマンティックなズーたち エピローグ あとがき 【著者プロフィール】 濱野ちひろ( はまの・ちひろ) ノンフィクションライター。1977年、広島県生まれ。2000年、早稲田大学第一文学部卒業後、雑誌などに寄稿を始める。 インタビュー記事やエッセイ、映画評、旅行、アートなどに関する記事を執筆。 2018年、京都大学大学院人間・環境学科研究科修士課程修了。現在、同研究科博士課程に在籍し、文化人類学におけるセクシュアリティ研究に取り組む。

ノンフィクションライター。1977年、広島県生まれ。2000年、早稲田大学第一文学部卒業後、雑誌などに寄稿を始める。インタビュー記事やエッセイ、映画評、旅行、アートなどに関する記事を執筆。2018年、京都大学大学院人間・環境学科研究科修士課程修了。現在、同研究科博士課程に在籍し、文化人類学におけるセクシュアリティ研究に取り組む。

レビュー

  • イッキ読みしました

    冒頭で著者自身の過去の経験書かれてます。 その内容があまりにショッキングで最初からググっと引き寄せらて、そのままイッキに完読しました。 まるで三つ星レストランのフルコースメニューのを食べてるときのように、イッキ集中してました。 ありがとう。ほかの作品も読んでみたいです。

  • 感動的な書き手

    2日で読み終えた。非常に読みやすい文章で感動した。問いに対する手がかりを掴むまで問い続ける根気強さと理性が尊い。性暴力のトラウマを呼び起こす描写もあり、少し注意喚起を必要とするが、読んでいくうちにどんどん引き込まれていく。ぜひおすすめしたい。

  • 気になる部分

    本著の存在は知っていた。さりながら手にとることはなかった。最近文庫化されたものを目にし、躊躇いながらも手にとり、手にとりながらも棚にもどし、思いきって購入し、購入したものの逡巡しつつようよう頁を捲りはじめた。嫌悪感、おぞましさで、比喩ではなく嘔吐感を覚え。さりながら、読み進んでゆくうちに、自分のそういう反応を見直すような具合になっていった。何もそれは、ズーフィリアに対する偏見がなくなっただとか、充分理解できた、という意味ではなく。自分自身にある、人間のエゴと言えるようなものに気づかされた、と言えようか。著者は自身の性被害から、セクシュアリティーに関心をもち(という言い方は雑駁すぎるし、無神経だがお許し願いたい。詳しくは本著をお読みいただくほかないため。)、動物性愛の団体である「ゼータ」のあるドイツへ渡り、団体に属する、または、関わりのあるズーフィリアの人々から話を聞いてゆく。その話と、著者の思いや考えを記したものが本著となる。はっとさせられる部分がたくさんあった。当たり前と、違和感なくもっていた動物の向き合い方に、はたしてそれは当たり前なのだろうか、と疑惑をもたされもした。私は日本しか知らないため日本に限定して話を進めるが、犬や猫には二、三歳の知能があると言われること。子どもの扱いであること。ために去勢が当たり前に行われているのではないか、という指摘。ここで注がいるかと思うが、ズーフィリアの相手となるのはほぼ大型犬か、馬だということ。二、三歳の知能からあるという言説から推察できることでもあるが、子どもと見なし、いつまでも子どもでいて欲しいという願望が働いているということが見えてくるようだ。センシティブな問題であるし、私自身考えを煮詰めてあるわけでなく、読んで思い、考えするだけであるから、それに対して言及するだけのものをもたず、課題をあたえられた思いがする。「ズーとは、セックスに終始する話ではない。動物、人間、社会、すべてに絡んで問いを発する。その問いかけは始まったばかりで、まだまだ終わることはないだろうと私は感じる。」「ズーであることとは、『動物の生を、性の側面も含めてまるごと受け止めること』だった。」著者が彼らと向き合うことで得られた、いや、築かれた関係性に、胸があたたかくなり、読む前には予想もしなかったが、意想外に読後感がよかった。気になった、というか、なんというか、肩透かしに近い思いがしたのは、タイトルになっている「聖なるズー」、そうゼータを揶揄して語った人が、ゼータにはないものがあると語ったことで、彼のその話、その世界に触れられるのだろうと思って読み進めていたのだが、結局そこには触れらずじまいであったことだ。何らかの理由があって彼とは接触できなくなったのだろうか。もしくは著者が拒否するようなことがあったのか。タイトルにするだけの発言をした人物であり、気になりはする。

  • 愛の物語として

    大変興味深く、様々な感情を想起させる本だった。 アブノーマルだと決めつけ忌避することや、精神疾患のカテゴリで語るのは簡単だ。しかし、人間の最も柔らかく大切にすべきセクシャリティの部分を、社会的に定められた常識に当てはめることの残酷さ。それを私たちは理解しつつあるのではなかったか。現代社会における寛容と不寛容の構造を、改めて突きつけられた思いだった。 多様性と一言で括る乱暴さは百も承知だ。だが、犬を性的対象として見るあなたはおかしい、と断ずることが、現に「そうある」人たちにとって一体何の意味があるのか。 LGBTを例に取らずとも、細かく言えば誰しも何かの性的嗜好や傾向を持っている。 セクシャリティとは本来、縦にスパスパと切って取れるように区分けされるものではなく、もっとグラデーションの様に徐々に変化していくものだと感じさせられた。 最も、こう言えるのは小児性愛などとは異なり、最終的には相互の愛が揺るぎなく存在する前提があってのことだ。しかし、その愛を証明する手段は無いに等しい。そこが議論を呼ぶ一因であることは間違いないだろう。 著者にとって、この本を書くこと自体が癒しの旅路であれば良いと思うとともに、動物を愛し家族として共に過ごす一人として、愛の形そのものを考えてみたいと思う一冊だった。

  • 貴重な一冊

    獣姦というワードの言い換えを模索している会社があり、へーと思いながらSNSを流れていたらこちらの本がおすすめに流れてきました。読みたいと思った時が読み時ですので、Kindleで購入。筆者が批判的な立場になるのかと思いきやそういうわけでもなく、何でも受け入れるわけでもなく、中立でもない。本当に一人の人間として動物性愛者たちに向き合っている作品だと思います。文章がとても読みやすかったです。

  • 自分の中の多様性キャパシティの限界に触れる

    得難い読書体験となった点で、読んでよかった一冊。ただし、内容、書き振りに全面肯定かというとそうではないという一冊。 内容は動物性愛者(ズーフィリア)へのインタビューをまとめたもの。 普段、なるべくは多様性はあった方が良いと思っていました。が、ズーフィリアは違う、と直感的に思ってしまう自分の匙加減の基準はなんなのだろうと考え込んでしまいました。 それは、端的には性的嗜好において人と動物の一線を超えてはならんだろ、という思いなのですが、後の世でズーフィリアが多様性の一部として認められるようになれば、ヒューマニズムのパラダイムに囚われた老害と言われるようになるのかもしれません。 本書を通して、ある価値観を受け入れられない人の気持ちが痛いほどわかるようになったというのが、個人的な学びです。自身の許容範囲の境界線を感じました。 一方、作者の方自身が性被害のサバイバーで、その経験が調査対象の選定、執筆の強い動機になっている、という背景にも考え込んでしまいます。 当然、インタビューを受けている方々は、同意があって本書に記述されているのですが、作者のリハビリのために他者を晒しているように私自身は感じてしまい、他人を手段として使うことなかれというカントの言葉が頭をよぎりました。 ただし、こんな風に思われるであろうことは容易に想像がついたにもかかわらず、自己開示を本書内でしたのは作者の誠意なのだとも感じており、これまた自分の中の倫理観の境界線に触れた点です。 長々と書きましたが、読んで良かった一冊です。

  • 自身の身体と性のあり方を問い直す一冊

    一気に読了した。 もし優れた本が読む前と読んだ後に見ている風景が変わってしまうものなら、わたしには本書はその一冊だった。 著者が受けたDV、動物性愛と言った目立つトピックに目が行きがちだし、タブーとされている物がこの本だけで分かると考えるなら本書は全くそう言う内容ではない。 人間が人間同士で言葉や身振り手振りでコミュニケーションを充分に取れていて、それ故に性愛が対等なり了解可能なものだと思ったら全くそんなことはない。 本書に取り上げられるのは動物に十分配慮したズーフィリア(動物性愛者)たちである。 筆者が取材したドイツの彼ら彼女らが正しいとか正しくないとか断ずることは筆者と同じく出来ない。 ただ本書を通じて分かるのはある意味「本能の壊れた」人間の性愛が如何に奇妙なもので理解が可能なのかどうかをズーフィリアを通じて、反対に問い返されることだ。 何よりも愛と性と身体の行為は一致しているのかどうか、という果てのない問いである。 確かに動物性愛を公言する世界的にもマレな人々を取材しているが、本書は決してタブーや性への興味本位で読まれるべきものではない。 本書には正解も結論も明示されていない。ただ可能性だけが示されて終わる。 濱野さんへ 労作お疲れさまでした。 調査、しかも自身に返ってくるものはご負担の大きいものだと思います。 聖ではないもの、俗なるものも文字通り身を張って調査されたなかでの必然は文化人類学としてもご本人としても必ずあったでしょう。 おそらくヒステリックな反応も生み出しかねない一冊では有りますがわたしは身体、自身の性丸ごと問い返すインパクトを受けました。 ご無理のない範囲で、続章をお待ちしています。

  • 評価不能の意味の三つ星 まずは立ち読み試してみて

    ひさしぶりに評価不能。 動物を性の対象にする人たちのノンフィクション。 私の理性を越えて来る。ただただ嫌悪感しかおきない。 この本の作者も含めて精神的に不安定な人が登場しすぎる。開高健ノンフィクション賞受賞の文字に惹かれたが、私には評価不能 賛同は全くできない。 動物の権利や幸せを無視して勝手に、人間が暴走しているだけなのではないか。 本自体は丁寧に作られているが、内容を不愉快に思う人もいるので立ち読みをまずはオススメします。

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