作品情報
『井上成美』は、阿川弘之の表現の特色が凝縮された評伝小説である。
『井上成美』は、阿川弘之による評伝小説。人物の選択と時代の圧力を物語の推進力にし、緊張感のある展開のなかで人間の意志と孤独を描いている。
書籍情報
- 出版社
- 新潮社
- 発売日
- 1992-07-29
- ページ数
- 724ページ
- 言語
- 日本語
- サイズ
- 14.8 x 10.5 x 2 cm
- ISBN-13
- 9784101110141
- ISBN-10
- 410111014X
- 価格
- 1100 JPY
- カテゴリ
- 本/文学・評論/文芸作品/日本文学
一億総玉砕だけは避けねばならぬ。孤高にして清貧。日米開戦を強硬に反対した、最後の海軍大将の反骨心溢れる生涯。「海軍提督三部作」。 帝国海軍きっての知性といわれた最後の海軍大将・井上成美。彼は、無謀な対米戦争に徹頭徹尾批判的で、ドイツとの軍事同盟も一度は潰させ、兵学校校長時代は英語教育廃止論をしりぞけ、敗戦前夜は一億玉砕を避けるべく終戦工作に身命を賭し、戦後は近所の子供たちに英語を教えながら、清貧の生活を貫いた。 「山本五十六」「米内光政」に続く、著者のライフワーク海軍提督三部作堂々の完結編。 本書「解説」より この阿川伝記を読み進めてゆくと、この根っから批評家的人物、アンチ・ヒーローともいうべき井上の頭上に、次第に栄光の冠が輝きはじめるのを認めずにいられない。自己劇化、自己栄光化には縁遠い気質の持主であり、きわめて潔癖にこれを斥(しりぞ)け、拒否しつづけた人物の生涯に、いつか仄かな後光がきざし始める。これはまことに感動的な瞬間であり、敗戦後にこういう軍人がいたのか、戦前、戦中、戦後を通じてこれほど見事な鮮烈さで己れを貫き通した日本人がいたのかと、ぼく自身は、涙を抑えがたかった。 ――佐伯彰一(文芸評論家) 阿川弘之 (1920-2015) 広島市生まれ。1942(昭和17)年、東大国文科を繰上げ卒業し、海軍予備学生として海軍に入る。戦後、志賀直哉の知遇を得て師事。1953年、学徒兵体験に基づく『春の城』で読売文学賞を受賞。同世代の戦死者に対する共感と鎮魂あふれる作品も多い。芸術院会員。主な作品に『雲の墓標』『舷燈』『暗い波濤』『志賀直哉』のほか、『山本五十六』『米内光政』『井上成美』の海軍提督三部作がある。
レビュー
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揺るぎない非戦の声
海軍の中将で軍国教育に異議を唱え実践していた人物で、当時としては先進的、合理的な考え方には驚かされまた頷くところが多い。陸軍のような熱く勇ましい感じはなく、論理的、理性的な人物像、金銭面において繊細で潔癖な一面は印象深く、惹きつけるものがある。井上中将が開いた英語塾はほとんど金銭を受け取らないことやお歳暮などのいただき物も返礼に困るからもらえないなど徹底していたようだ。贈与論的な視点で考えると、何かをもらった時の負担感に敏感だったのだろうか。太平洋戦争開戦を批判しながら開戦を止められず無数の犠牲者を出してしまった責任感が影響しているのだろうか。伊豆の長井に隠棲していた時も、兵学校長時代の教え子たちが井上に生活費を受け取ってもらうために、会社の顧問になってもらい顧問料として払っていたなど知恵を絞っていた。戦後は窮乏した暮らしを送っていたが、それでも居住まい佇まいはきちっとしていたのは、ヨーロッパの倫理規範ノブレスオブリージュを旨としていたためだろうかそんな印象がある。 本の流れは時系列に進むわけではなく、井上中将の戦後の暮らしぶりなどから場面が展開していき、開戦前に起こるいくつかの事件から開戦、南洋諸島での戦線と進み、まるで一つの映画を観ているようだ。文章はスラスラ読めて、洗練された文章に唸る。現代史、昭和史を知らない人にもわかるように、史実は詳しく説明がある。一方で、井上成美の人と為についても様々な逸話が盛り込まれていて、戦争小説という枠には留まらない。伝記小説というにも言葉足らずで、井上成美の視点で制作された巨編映画という印象である。 教育や主義の観点から含蓄のある言葉が色々紹介されていて、読み応えがある。しかし戦争小説や回顧録でよく見られるような人物賛美、戦争賛美のような側面はなく、高らかに謳い上げて感動に導くような内容ではない。井上は現実を見据え、理のないところには、はっきりと否と明言して、周りの強烈な圧力にも屈しなかった。 井上成美中将は自身前線の将よりも教壇に立つ方が向いていると言っていた。本書の半ば辺りは江田島兵学校の校長時代のことが描かれていて、自由な思潮を重んじ陸軍の影響による統制教育を覆していく。以前は自由な校風だったものが、ある時期から軍国教育の影響で教員も学生も考え方が変化していた。皇国思想、国体護持、自己犠牲の精神などにより学生は頭がカチカチになり顔は狐のように何かに取り憑かれていた。 井上成美が兵学校長に就任した際の逸話は様々紹介され、軍国教育に染まるのを阻止しようとした。教育参考館に掛かっていた66人の歴代海軍大将の肖像写真を、日本を戦時状況に追い込んだ国賊が含まれているとして全て降ろさせたという。そういう人物を生徒に敬仰させるわけにいかない。過去の生徒の日誌を点検した際に、友達とムーランルージュを観に行って楽しんだことに対し、分隊監事による猥雑な所への出入りは禁止だとコメントがあった。井上校長はむしろ逆で、休暇には面白い芝居でも見て大いに笑ってきてほしいと考えていた。休暇に遊んできた記録を糊塗して嘘つくことまで起こり、井上はこれは詐欺の訓練だ、いずれ陛下の前でも平気で嘘をつく者が現れると、休暇日誌を分隊監事に提出することをやめさせた。 兵学校の教官に対する研究会では井上校長は一日一回は腹の底から笑える機会を作るように教官に伝えた。戦争の決死の覚悟を植え付ける教育とは真逆で面白い。また教室内での武勇伝のような実戦談は禁止された。若手教官は自分の武勇伝を語りたがるが生徒の勉学の妨げになるという理由だった。外国語が敵性言語だとして廃止された時にも、どこの国の海軍に日本語しか話せない将校が居るかと批判し、英語の廃止など絶対許可しないと突っぱねた。 陸軍生徒からの激励文通についても、陸軍第一国家第二の危険思想で、神がかりの信念は妄念にもなるとして文通を禁止した。 一系化問題に対する井上少将の対応もはっきりしていた。一系化問題は兵科将校と機関科将校の間に生じた差別によって海軍内部が崩壊する危機であった。機関科将校は罐(かま)焚き油差しと呼ばれて兵科将校から差別されていた。機関学校卒の海軍士官は大将にはなれず、戦闘中、艦長などが戦死して兵学校卒少尉と機関長の中佐が生き残っていた場合、艦船の指揮を執るのは若い少尉となる。大正13年には村上格一海軍大臣がこの問題に取り組んだが、東郷平八郎元帥の反対によって潰えた。井上少将は機関科の不満には理解がありこの問題を解決する必要があると考えていた。また東郷のように大将の中でも終身現役のような存在についても、この人事制度への口出しのように間違った方向に作用させる元帥には批判を行っていた。昭和12年に米内光政大将の下、井上少将は東郷没後(昭和9年)でもありこの問題解決のため調査を行ったというp207。 機関学校では電気工学などの基本が教えられ応用が利くが、兵学校ではそれぞれ機器の取扱い法を教えているだけで応用ができない。精神面では機関学校ではボイラールームなどが脱出しにくいため死を覚悟し従容とせよという教育がなされていて、井上少将は批判的に捉えている。一方兵学校の教育では死を美化したり従容を装って死を迎える必要はないと教えていて、井上はその方針は是だとしている。 一系化問題はその後山本五十六次官の賛成だったが、艦隊派(戦争強硬派)の軍令部総長伏見宮と嶋田繁太郎中将の反対により数年の留保となってしまう。 風雲急を告げる昭和19年度から兵学校生徒の教育年を縮めて前線に早く送り出すことが、海軍省大本営発表海軍戦備考査部において決められようとした時、井上校長は目先の丁稚教育だと批判し動いた。これ以上の年限短縮されたら教育に自信が持てないという電報を会議前に届くように依頼。この強い反対によって年限短縮は保留となった。井上校長は生徒たちがこの太平洋戦争に生き残ったとしても、その後の一生を台無しにしないように計らっていた。 現代の日本では実践教育として、就職してすぐに使えるかどうかが求められることが多い。その結果目下役立ちそうにない学問は削られたり、学生の動機としても弱くなる。そういう層が世に出て久しいとしたら、教養のない社会は出来上がりつつあるのだろうか。 その後、戦局は悪化して陸軍と海軍強硬派が息巻いている裏で、終戦工作が練られ、井上成美が海軍中将に戻った際にも高木惣吉に終戦研究を密かに依頼する。陸軍、憲兵による暗殺の脅威の中、工作は一年以上の期間を要することになる。本書では後半に向けて激動の時期が描写され、終戦後の井上成美の貧窮が語られる。こないだ読んだ『濁流』(山本有三)、『失敗の本質』(半藤、保阪)などでも終戦工作の葛藤が語られる。井上成美は勝ち目のない戦争を始めた者を終生許すことはなかった。敬意をもっていた山本五十六大将ですら是としなかった。非戦のためには言葉一つ、発言一つまで繊細に注意を払わなければ、後戻りできないことになる。重要な教訓である。
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海軍の良識と日本人の評価
正直言って、井上成美提督のことは良く知りませんでした。「米内・山本は知ったつもり」程度の知識はありました。本書を読んで、井上のような提督がいたから日本は滅びなかったのだと理解しました。珊瑚海海戦が当時の海軍主流には不評だったようですが、産經新聞社発行の「珊瑚海海戦」と合わせて読むと、むしろ日本海軍が珊瑚海の戦闘を冷静に分析せずに井上の責任にしてしまったことがミッドウェイ海戦の大敗北に繋がったようです。本書361ページの「珊瑚海電文綴」の記述は井上と南雲に対する当時の海軍全般の評価が良くわかります。決して「物量に負けた」のではなく「作戦面でも精神面」でも負けたことが良くわかりました。
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敗戦の責任総括
戦間期〜戦中の日本の、今泉澄と陸軍を中心とする右翼煽動とテロ活動による社会不安、本土決戦政策に向かわせる敗戦の責任を総括する一助となります。エピとして東郷平八郎の退役後の活動には失望しました。
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素晴らしい人がいたもんです
日本にこんな素晴らしい人がいたから戦争が少しは早く終わったのかと思います。
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素晴らしい。
阿川弘之提督三部シリーズの中で最高傑作です。 復刊を望みます。
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名作です。
むかし読んだ本。読み返そうと思って探していましたが、書店では なかなか見つからなかったので助かりました。阿川弘之氏の提督三部作。名作です。
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郷土の大先輩の波乱万丈の一生に感動しました。
海軍大将の戦後の困窮に、海軍兵学校の有志が支援を申し出、これを峻拒する高潔さ。有志の知恵の限りの申し出に、しぶしぶ応じる頑固さ。近隣の姉弟に僅かな謝礼で英語を教え続ける粘り強さ。晩婚の夫人の一風変わった人柄の妙。海軍省次官として対艦巨砲主義の愚を指摘して戦艦大和の修繕を止めさせ、駆逐艦などの小艦艇の修繕を優先させる合理主義。東南アジア侵略戦争が米英との戦争の発火点になるとして反対する勇気。 惜しむらくは、仙台の少年時代の生活がほとんど描かれていないこと。昭和天皇が井上は学者で戰下手だからねと、作戦も失敗を庇った言葉。読後の爽やかさに思わず涙しました。
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勝てば英語が要る、負ければなお要る、どちらにしても英語が要るという発想
帝国海軍きっての知性、当初から対米戦争に反対し、終戦工作を成し遂げた海軍大将の物語である。終章まで、戦前戦中と、退役した戦後の話が交互に描かれている。 武功は華々しくない。知謀を巡らし果敢に決断した戦場の提督ではないようだ。が、敗戦後の日本に大きな影響を残した旧軍人の1人なのは間違い無い。 井上成美らしさを最も感じるのは第11章だろう。当時の世情に左右されず、敗戦を予測し、軍人としての立場に徹しながら、戦後を見通した教育を遺した。 軍人として勝利に向け突き進むわけではなく、責任から離れ批判に終始するわけではなく、最善の未来のために自身が出来ることをやり切り、無私を最後まで貫いた私の人、と言えるだろう。
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