作品情報
能を大成した世阿弥の半生に、芸能と権力の光と影を重ねる。
1963年発表の戯曲で、第9回新劇岸田戯曲賞を受けた作品。新潮文庫版は山崎正和著『世阿弥』として刊行され、NDL SearchでISBN 4-10-117001-0、236ページ、新潮社、1987年11月刊行を確認できる。紙書籍のISBN-10からASINを同値で補い、978接頭辞のISBN-13へ換算した。
書籍情報
- 出版社
- 新潮社
- 発売日
- 1974-12-01
- ページ数
- 236ページ
- 言語
- 日本語
- ISBN-13
- 9784101170015
- ISBN-10
- 4101170010
- 価格
- 1175 JPY
- カテゴリ
- 本/文学・評論/戯曲・シナリオ
Amazon.co.jp: 世阿彌 (新潮文庫 や 9-1) : 山崎 正和: 本
レビュー
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緊張感に満ちた格調高い歴史劇 シェイクスピアを思いだした
〇 見物人の評価に依存する自分は空しいと芸能者は悩み、見物人は自身が高みに押し上げた芸能者が気になって休まらぬ・・・こんな堂々巡りが悲劇に仕立てられたのが『世阿弥』である。 〇 簡単に答えの出せないテーマ、隙のない物語構成、格調高く示唆に富むセリフ、効果的に使われる視覚と音響の仕組み。読み終わってもずしんと心に応えるものがある。これをかけた舞台を見ればなおさらだったろう。これぞ演劇のお手本だと思った。 〇 もうひとつの『野望と夏草』は、『世阿弥』以後の総決算をこの作に注ぎ込んだと作者自身が語ったそうだが、その気分は『世阿弥』の延長上にあり、テーマはさらに大きく複雑になっている。ただその分だけ印象の鮮烈さは薄くなったかもしれない。 〇 時代の演出者に徹した後白河院が、その筋書きに従って行動し滅んでいった信西、清盛と対比される。はたしていずれが勝者だったのだろうか。エピローグには運命にしたがって行動した者の神々しさが滲みだしているから、作者は行動者に軍配を上げたようにも見えるし、どちらにも哀しみがあるのだと痛み分けにしたようにも思える。 〇 それにしても、30歳で『世阿弥』を書き、36歳で『野望と夏草』を書いた山崎正和という人は、なんという才能に恵まれたのだろうと思う。
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劇場で観たい
戯曲は芝居になってこそ息づくもので、文学としてはどうかと思ったが、これだけのレベルだとさすがに読める。作品は「世阿弥」と「野望と夏草」の2作が載っている。「世阿弥」は足利義満と世阿弥の関係を「光と影」になぞらえ、「野望と夏草」は後白河法皇を中心に、平清盛、藤原信西たちの「野望」をかき分ける。 なお「世阿弥」は昭和38年秋、俳優座日曜劇場の第17回公演として俳優座劇場で上演され、演出/千田是也・観世栄夫、音楽/林光、主役の世阿弥を千田が演じて好評を得た。「野望と夏草」は昭和45年春、劇団雲の第23回公演として第一生命ホールで上演され、演出/関堂一、装置/清家清、音楽/別宮貞雄、振付/坂東三津五郎、主役の後白河法皇を芥川比呂志が演じた。
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能楽師は「花伝書」を読まないほうがよいのでは
21歳のときに読んだのかなあ。ひどく感激したのを覚えている。 山崎正和という人はひどく芸風というか、世の中への現れ方が多彩な人だ。でも、この『世阿弥』1作で世に名を残せる。 再読するまで綾が張られた鼓を打つというシーンが頭の中にあった。最終幕の、そのまた最後だと思っていた。ところが第1幕だった。 キモは世阿弥の仕掛けた「花伝書」という罠だった。
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現代に通じる役者の業
世阿弥元清が主人公なのだが、周辺人物との強い絡みが印象的。 まずは足利義嗣。ちょっとおバカなくらいストレートに挑戦的なのが…アレなんだが、父・足利義満を超リスペクトしていて、進んで義満の影法師になろうというあたりは面白い解釈だった。 ただ史実の本人にそこまでヤル気があったかどうか…謀叛と捉えられる事件を鵜呑みにして解釈するのは正直ギモン、まぁ義満の志を受け継ぐ者としての自覚はあったと思うので、義満の語りを最小限にして次世代へその役割を担わせた手法をこそ評したい。 数少ない登場にも関わらず、全幕通して強烈な存在感があるのは、足利義満だ。主人公世阿弥、義嗣の光として、死してなお彼らを影法師にし続ける義満は、鳴らない綾の鼓を、鳴らないとわかっていて世阿弥に打てと命じ、「鳴るも鳴らぬもその方づれにわかることか。所詮はこの鹿苑院の光の影じゃ。」と一蹴する。 義満亡き後も、世阿弥は義嗣の事を大胆にも"義満のにせもの"呼ばわりするほど、以後も義満に囚われ続け、そのすさまじさたるや息子の観世元雅に嫌悪感さえ与えるほど。しかもやがて観世太夫にとってかわる音阿弥の存在すら、亡き義満の挑戦と受け取っているあたり、元雅の気持ちには読者も激しく同感できよう。 この元雅、世阿弥に内緒で義嗣を匿ってたり、南朝方の伊勢北畠氏や大和の越智氏に渡りをつけて義嗣を守るとかいっちゃうところで、後南朝的な展開をものすごーく期待してしまったんだが、このエピソードはそれ以上膨らむことなく、最終的に「世阿弥に抵抗してるようで父の愛を求めてた」的な母の言葉で片づけられちゃったのが…ちょっと残念だ。世阿弥と義嗣を影法師に見立てて最後まで引っ張ったなら、二つの影法師に深く関わる元雅にもうちょっと突っ込んだネタを放り込んで欲しかったと思う。 世阿弥をとりまく光と影、闇の対比と、存在の認識に関する曖昧さは、舞台における役者と観客の関係性をも明らかにしてゆく手段ではあるのだろうが、史上名を馳せた人物の像というものも、同じく危うい一面を持っている事を改めて強く感じさせる作品だった。
関連する文学賞
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