日本の文学賞

← 受賞作品一覧に戻る
そして殺人者は野に放たれる (新潮文庫)

新潮ドキュメント賞

そして殺人者は野に放たれる (新潮文庫)

日垣隆

重大事件の加害者が心神喪失や心神耗弱を理由に刑を免れたり軽くなったりする問題を追うノンフィクション。司法、精神医療、被害者感情のずれを鋭く問う。

ノンフィクション司法精神鑑定犯罪責任

作品情報

裁かれない殺人をめぐり、法と責任の境界を問い詰める。

日垣隆の調査報告。複数の事件を追いながら、刑事責任能力をめぐる制度の運用と、社会に戻される加害者、取り残される被害者側の問題を扱う。

レビュー要約

  • 設定や題材への関心が強く、人物の迷いや社会的背景を丁寧に追う読み方が目立つ。展開の重さや専門性を負担に感じる読者もいるが、読後に残る余韻を評価する声がある。

書籍情報

出版社
新潮社
発売日
2006-10-30
ページ数
318ページ
言語
日本語
ISBN-13
9784101300511
ISBN-10
4101300518
価格
53 JPY
カテゴリ
本/社会・政治/法律/司法・裁判/刑法・訴訟法

「心神喪失」の名の下で、あの殺人者が戻ってくる! 「テレビがうるさい」と二世帯五人を惨殺した学生や、お受験苦から我が子三人を絞殺した母親が、罪に問われない異常な日本。“人権"を唱えて精神障害者の犯罪報道をタブー視するメディア、その傍らで放置される障害者、そして、空虚な判例を重ねる司法の思考停止に正面から切り込む渾身のリポート。第三回新潮ドキュメント賞受賞作品。

レビュー

  • 刑法39条の不備を糺す

    同著者による新潮文庫のノンフィクションものとは趣の違う本。 我が国の刑法の不備を糺す問題提起のリポートである。 ノンフィクションよりは読むのに時間がかかった。 我が国の現刑法に定められた39条の心神喪失、心神耗弱の規定。 その規定が、起訴された凶悪殺人の刑減軽に乱用されている。 つまり、犯罪を犯した者は、アルコールを飲用や覚醒剤を使用した上での犯罪なら刑も軽く済むと踏み、弁護士も被告の権利擁護の方便として心神耗弱を持ち出す。判決にもそれが反映される。 では、その犯罪者は自らの治療に専念し、再び犯罪を起こさぬよう慎んで暮らしているか。 実は、その処遇制度が不十分で、精神病院に入院しても数ヶ月で退院し、治療がうやむや。 心神耗弱で、不起訴や無罪となったあとの処遇制度が不十分である。 本リポートはそこに切り込んだ。  我が国では本書出版後、「心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律」(平成15年)が制定された。心神喪失又は心神耗弱の状態で、重大な他害行為を行った人に対して、適切な医療を提供し、社会復帰を促進することを目的とした制度である。施行の状況に関する報告は国会に提出され、厚生労働省と法務省でその報告の検討もおこなわれている。

  • 被害者視点の参考書

    精神障害者による犯罪報道の中でも、無視されがちな被害者側の視点を抉り出したり、精神鑑定のいい加減さを明らかにしたという点では評価できる一冊です。刑法39条の問題点を考える腕は、必ず参考にしておきたい一冊でしょう。 ただ、この本だけを読んで精神障害者を論じることは危険です。 これは、こうした特定の人々の犯罪の問題を扱う本に共通する問題なのですが、特定の人々の一般像を紹介しないまま犯罪事例だけを数多く取り扱う場合、特定の人々が危険であると言う「印象」を読者が受けてしまうことがあります。精神障害者に対する偏見の最大の原因は、マスメディアによる精神障害者に関する情報が犯罪報道に偏っているため、人々に精神障害者の偏った「印象」を与えているいることなのです。 つまり、こうした本は特定の人々の一部の情報を示したものですから、読者は自分が偏った情報を受け取っていると自覚し、偏見を抱いてしまう可能性を頭において読むべきです。できれば、精神障害者に関する他の書籍も参考にしてください。 なお、心神喪失などの問題点は、本来精神障害者の危険性から論じられる問題ではありません。責任能力などの法哲学の問題から始まっているのですから、その哲学の正当性から論じる必要があるのです。残念ながら、そうした哲学の正当性の問題には詳しくないようです。

  • 法とはこれほど理不尽か

    非常に辛辣な言葉で書かれている。 あえて辛辣に書かれているのだが、反感は全く覚えない。 ということは、現在の刑法がいかに私の感覚からかけ離れたものになっているか、ということである。 刑法第39条。 心神喪失または心神耗弱の場合には無罪、または刑の軽減がなされる。 この条文があるがために、例えば意図的に覚せい剤を使用し、または意図的に酒による酩酊状態に陥って殺人を犯した場合でも、刑の軽減がなされる。 心神耗弱状態だからだ。 「自分で」覚せい剤を使用して、人を殺しても刑が「軽減」されるのだ。 故に自ら覚せい剤を使用し、連続殺人を犯しても刑の軽減がなされ、死刑にはならず、無期懲役と言う十数年で社会復帰出来るシステムとなっている。 そして、殺人者は同じ過ちを繰り返す。 また、著者は精神鑑定不要論も展開している。 いちいちごもっともである。 殺人を犯して取り押さえられた犯人の医療費が我々の税金でまかなわれ、被害者の医療費は全て自己負担という摩訶不思議なシステムが、この近代国家、法治国家日本に存在している

  • 社会問題として読んで欲しい

    複数のケースを扱っているので一つ一つの案件は概略程度の全体像について書かれているのだが、上手くまとまっている。本著をきっかけに刑事事件の問題について深く踏み込んで考えるには格好の読み物。

  • 現在日本社会に継起する同様の事件に対する本質的な対策を提示する書物

    市立図書館で借出読書したものですが、自分の蔵書として購入することにしました。大変示唆に富み、発表するまでの真摯な、問題に対する姿勢にも感銘を受けました。

  • 取材力の高さと,考察の甘さ,もう少しバランスに配慮して欲しい.

    幾つかのレビューでも評されている通り,事実関係 の取材に対する日垣の姿勢には,他のジャーナリスト の追随を許さないほどの徹底さが窺えます.本書に挙 げられた数多の事例はいずれも,刑法39条を考える に当たって無視できないものばかり.資料としての価 値を否定する理由はありません. ただ,日垣自身が認めているように,拾い集めた事 実から結論を導き出す過程,つまり評価の過程があま りにも杜撰で,浅薄で,この部分がどうしても,星の 数を押し下げさせてしまいます.事例紹介の後に1文, いずれも辛辣な言葉を選んで批判を添える訳ですが, その1文が,刑法39条とは関係のないところに向け られているものは論外として,日垣の主張に直結しそ うなものであっても,どのような立場を拠り所にして いるのか,それがおよそ見えて来ないのです. 事実の羅列からは何の評価も生まれえないのですか ら,辛辣な言葉の裏には,何らかの価値観が伴ってい るはずです.それにもかかわらず,刑法39条が前提 とする思想と日垣の価値観とがどのような形で衝突し ているのか,本書は何も語っていません.現行制度を 動かすどころか,提言としての体を備えていないよう に見えます. 事実を伝えるのがジャーナリストの役目だというの であれば,それに徹するのも1つの在り方だと思いま す.本書も,資料として出版されていたのなら,迷わ ず星5つを付けていたところですが……,場当たり的 な批判を繰り返して,物書きとしての底の浅さを自ら 露にしてしまっている点で,残念ながら,星3つには 到底届きません.

  • 責任能力が認められないので無罪

    ? ならば、責任能力のない人間がシャブ、アルコール、自動車、包丁などのデンジャーなアイテムとともに天下の往来を我がもの顔でのし歩いていた責任は誰がどのように取るのか? いったい、どうなってるんだ! 凄惨な事件に対するビックリ判決。誰もが感じる義憤。その『どうなっているか』の部分について、詳しく啓蒙してくれるのがこの本です。 今日も今日とて、日本法曹会からグレイトなサプライズが飛び出しました。自殺の道連れとして五人もの無辜の市民を殺傷しようとも、それが“悪魔の命令”なら無罪ッ! 民意が圧倒的なら司法の判断も影響を受けざるを得ないのは過去の判例からも明らかなこと。この一冊、もっと読まれるべきでしょう。

  • 感情的対立を煽るだけの悪しきジャーナリズム

    論証が不十分で,構成が破綻しており,しかも取材不足の杜撰な本。レビューにあるまじき長さとなって申し訳ないが,以下の文章は,これらの点を敷衍したものです。 人を殺しても,犯行時に「心神喪失」(刑法39条1項)であれば無罪となる。引き起こした結果を見ると,違法な行為ではあるけれども,責任を問うことはできないからだ,というのが39条に関する学界のコンセンサスである。 これは,正当防衛(36条1項)で無罪になるのとはワケが違う。正当防衛とは,緊急状態にあって,違法な攻撃を,自力で排除することを特別に認める規定だ。文字通り,「正当」(=違法でない)な行為である。ゆえに,正当防衛に対して正当防衛で反撃することは許されない(背理である)。 これに対して,心神喪失者による攻撃に対しては,正当防衛で反撃することが許される。39条1項は,責任を問わないと言っているだけで,「違法でない」とまでは言っていないからだ。 こんなふうに,(客観的な)違法性と,(主観的な)責任の問題を区別して論じるのが,近代刑法の基本原理だ。 本書の著者は,「何人も,故意に基づく凶悪犯罪に対して,責任と刑罰を免れるべきではない」(p.85)と述べる。何よりもまず,結果の重大性を見逃すな(p.13,p.137参照)というわけだが,これは違法性と責任の問題を混同している。果たして理にかなった結論が出るだろうか? この考えによれば,たとえば,「Xが自ら覚醒剤を注射して心神喪失となり,Vを殺害」という場合でも,Xに殺人罪が成立する。内心の状態が何であれ,(人の死亡という)重大な結果を引き起こしたのだから。では次のケースはどうか。「YがXに無理やり覚醒剤を注射し,心神喪失となったXがVを殺害した」。この場合も,重大な結果を引き起こしたのはXだから,Xに殺人罪が成立するはずである。結果の重大性という面からは,この2つのケースは全く同じである。結論を異にすべしという意見は,(Vの死亡という)結果ではなく,(覚醒剤の注射という)行為に着目しているのである。言うまでもなく殺人罪は,「殺人」を罰するための規定であり,違法薬物の使用を罰するのではない(なお,「Yを罰すればよいではないか」では答えたことにならない。問われているのは,Xの責任である。この回答は,「(殺人罪が成立するのは)XかYのどちらかだ」という誤った前提に基づくものだ。実際には「共犯」という犯罪類型がある以上,Xが責任を負うか否かに正面から答えなければならないのである)。 ここまでマジになって反論するのも大人気ない気がするが,要するに責任能力論は理性と感情の折り合いがつきにくい分野なのである。が,だからこそ理性的な議論が必要なのに,著者は説得的な論証を放棄して,“被害者(遺族)に鞭打つな”(p.65,p.93)と感情的対立に逃げこむのである。 元来,精神障害者の犯罪をめぐる議論で主戦場となっていたのは,保安処分に関してだった。保安処分というのは,責任を問わない(刑を科さない)けれども,放っておくと危険だから,隔離するなどして治療しますよ,という制度だ。これが人権侵害かどうかが争われていたのである。 本書の構成が破綻していると評したのは,本書が,39条論と保安処分の関係を的確に捉えていないからだ。「殺人者は野に放たれる」のは許せん,と言っているわけだが,その内容は,次の2つに分かれる。 A:心神喪失者も有罪とすべきだ(39条論) B:心神喪失者は隔離・治療すべき(保安処分論) 従来の専門家は,論点Bに対して議論していた。Aの問題は,上述のように茨の道だからだ。それにBが認められれば,社会の安全は守られるのである。それなのに,矢鱈とややこしい議論を整理もせずに持ち込んできたのが本書だ。言ってみれば,鳥人間コンテストにプロペラ機で参加するようなもので,はっきり言って迷惑だ。 実際には,本書は,ほぼ完全に無視されているが,精神科医の小田晋が,本書に対して反論を行っている(『 刑法39条 』)。この反論は,本書に理解を示しつつも批判するというスタイルで,一見どっちつかずの印象を与えるが,要するに上記Aについて反対,Bについて賛成,というすっきりとした態度である。 それでも,論点Aに関しては,たとえば“被害者の視点”などをうまく盛り込めば,それなりの議論になった可能性もある。だが結局,著者の貧弱な取材能力では,それも叶わぬ夢である。序章で,遺族の人に都合10回も取材しているにもかかわらず(p.9,p.13),有意義な情報はほとんど得られていない。法律家や鑑定医に対しては,きちんとした取材をする勇気もない。不起訴処分で遺族が無念に思うのは当たり前だ。不起訴にした検察官にこそ,取材すべきなのである。検察官は,「公益の代表者」(検察庁法4条)であり,訴追権限を独占する(刑訴法247条)。説明責任が発生するのは自明であり,もし取材を拒否されれば,その旨を書いて,実名を挙げてあとは好き勝手に批判すればよいのである。本書は,こんな簡単なことすらしていない。そんなに検察官が怖いのか。 本書を指して「綿密な取材がされている」などと評する者の知力を,私は本気で疑っている。本書では数多くの事件が紹介されている(多すぎるのが一番の問題だ)ものの,大半は新聞記事や公判記録をそのまま写したものだ。著者が,賢明にも「調書と精神鑑定書と取材により」(p.289)と区別して書いてあるように,他人の文書を書き写すのは取材に入らない。綿密な取材がなされた本というのは,『 でっちあげ―福岡「殺人教師」事件の真相 』や,『無実』( 上 ・ 下 )のような本をいうのである。 “日本の異常性”を示すために挿入される国際比較も,典拠が示されていないものについては,全く信用に値しない。「心神喪失認定による不起訴が,日本以外の国のおおむね100倍にも達する」(p.120)というが,そんなデータがあるなら是非とも示して欲しい。専門家ですら,「米国においても,精神障害を理由とする不起訴処分が行われているとのことであるが,その数は不明」(清井幸恵「米国における訴訟能力と責任能力」判例タイムズ1202号,p.106〔2006年〕)と述べているのに。特殊ルートで手に入れたの? ついでに言えば,本書はスイス刑法12条を賞賛して引用しているが(p.297),条文を読む限りでは,これは本書が別の箇所で「珍理論」(pp.212-215)として批判する,「原因において自由な行為」を明文化したものである。条文だけ引っ張ってきても,運用の実態を見極めなければ,意味のある調査とは言えない。 結局のところ,本書は,社会に対していらぬ誤解をばらまいただけである。よって,本書に対する評価は★1つである。これ以上の評価など,ありえない。

関連する文学賞