作品情報
普通であることからこぼれ落ちた三人が、それでも愛の形を探し続ける。
江國香織初期の代表作。笑子、睦月、紺の関係を中心に、傷つけ合いながらも離れがたい人間関係を描き、繊細な感覚と静かなユーモアで読ませる。
レビュー要約
-
作品の背景と構成を丁寧に追う読者から支持されている。主題の重さに対し、叙述の落ち着きと人物の輪郭が読みどころとして受け止められている。
書籍情報
- 出版社
- 新潮社
- 発売日
- 1994-05-30
- ページ数
- 213ページ
- 言語
- 日本語
- サイズ
- 14.8 x 10.5 x 2 cm
- ISBN-13
- 9784101339115
- ISBN-10
- 4101339112
- 価格
- 605 JPY
- カテゴリ
- 本/文学・評論/文芸作品/日本文学
私たちは十日前に結婚した。しかし、私たちの結婚について説明するのは、おそろしくやっかいである――。笑子はアル中、睦月はホモで恋人あり。そんな二人はすべてを許しあって結婚した、はずだったのだが……。セックスレスの奇妙な夫婦関係から浮かび上る誠実、友情、そして恋愛とは? 傷つき傷つけられながらも、愛することを止められないすべての人に贈る、純度100%の恋愛小説。
レビュー
-
トラ天ちゃんの紹介で知りました
すごい小説です。人を選ぶし、読み終わるまでかなり苦しかったですが、彼らの幸せを願わないわけにはいきませんでした。心に余裕が無い人にはおすすめしません。
-
結局、最後の最後は自分でどうにかするもの
学生の時に通学で読んでいた本。 精神不安定の主人公の書類上の夫はゲイで恋人持ちの医者だ。 ヒロインは夫ともに生活はしてはいるが、夫は夫でもなく恋人でもない距離がある。 「僕は何もしてあげられないんだよ」という夫のセリフは彼女と世界の距離の様だった。 周りはきっと、彼女と話をして悩みを聞いてくれる。気にかけてくれる。 でも。自分の心はほんとうのところ、自分でどうにかするしかない。 「僕は何もしてあげられないんだよ」という夫を前に、自分で自分の心との折り合いをつけられたときにはじめて、彼女は夫の同じ場所に立つことができるのかもしれなく、周囲の人と同じ世界に入れるのかもしれないと思った作品。 恋をするにも結婚をするにも、というか。どんな形であれ人と付き合うということは(恋や結婚だけではなく)、まず自分の足で自分で立つことなのだなと思った作品。
-
優しい気持ちになれました
この本が出版された時代と今ではきっと捉え方が違うだろうなという印象を持った。 性的マイノリティや精神疾患について今より馴染みのない世の中で、衝撃だった読者も少なくないと思う。 自分らしくいて、かつ、誰かと一緒に生きていくこと両方を大事にしようとすると、どちらかが欠けてしまうこともある。 私が私でいるって難しいことだなと切実に思ったけれど、この作品は、いつの時代の人間にとっても、自分らしくいることに怯えてしまう人間に優しく手を差し伸べてくれるようなものだった。
-
最高です!
出てくる登場人物それぞれに共感でき、物語に吸い込まれる作品です。ほっこりしました。
-
笑子ちゃんに憧れたなあ。
何十年前?読みました。こんな恋がしたくて憧れた。
-
心地よさ
二人の関係に、物質的なものを感じないかといえばそうではない気がする。一方で、パートナーシップとは物質的なことではなく社会的なことや精神的な安心だ、と言われるのとも違う、到って落ち着いた対応の取れる心の充足がある。 なんだろうか、生産的ではないところにありながら、共依存でもない、危うさと落ち着きの両方をもつ関係。セクシュアリティのことは何か恣意的なものでしかないだろうが、笑子と睦月の関係には、羨むばかりのセクシーさを感じました。 自分の状況に置き換えてみると、さして離れてはいない関係性を感じます。時代がこの話についてきたのかもしれません。
-
純愛を行き過ぎるとこうなるのか
数年前に読んだときは変な夫婦って思っただけだったが、今読んだらとても感動してしまった。人の価値観というのは本当にそれぞれなのだ。 つまり言いたいことは、妻の笑子には愛にセックスは必要なく、愛する人に恋人(同性)がいても構わないと本気で思っている。何故ならお互いそれでも愛があるから。夫の睦月は、そんな夫婦生活に疑問を感じながらも、恋人の紺と付き合いながら、奥さんとして笑子を支えつづける関係。ちゃんと二人には愛があるのだ。嗚咽するほど、毎日苦しむほど本気なのだ。そして紺や睦月の周りの友人も、少しその夫婦に疑問を感じながらも認めて見守っている、という不思議な話ではあるけど、純愛という観点から見るとなんら不思議ではない話でもある。親のために結婚して子供を産む、というプレッシャーの中で、本当にそれで子供を持っていいのだろうか、なんてわざわざ考えるのは純愛過ぎるけど、素敵な話。実際、現実的に、なんとなく流れで結婚して流れで子供作りましたなんて人は結構多いはず。それもそれで1つの幸せかもしれないけれど。 このストーリーの良さを知ってしまうと、スリル満点で起承転結がはっきりしてる物語とのギャップがありすぎて目眩がしてしまいそうだ笑
-
なんだか、羨ましいような、眩しいような、そんな複雑な気持ちになります。
江國香織氏は既に文壇の重鎮と言ってもよい方だと思いますが、辻仁成氏と男女対になって書いた『冷静と情熱のあいだ Rosso』位しか、自分は読んだことがありませんでした。 今回「きらきらひかる」という題名から何故か目が離せなくなり、読んでみることに・・・。 本作は、アルコール依存症で精神病気味の妻と同性愛者の夫の生活を描いた作品です。(同性愛者をゲイと書かずにホモと書いているところに時代を感じますし、30年近く前にこんな小説を書いていた著者はやはり凄いとしかいいようがありません。1991年刊行) 生物学上の性では相容れることができない二人の、深く愛し合うがゆえの感情の揺れが見事に描かれています。 同性愛者を好きになってしまったアル中で精神病気味の妻。その妻を深く愛し、どこまでもやさしい夫。しかしながら彼は妻を抱くことができない上に昔から付き合っている恋人が・・・。 お互いに、相手の特異な部分まで含めて深く愛している筈なのに、全てを何故か上手く共有できない、そんなもどかしさが、作品から滔々と伝わってきます。そこにイラつき、妻は故意に残酷な言葉を夫に投げつけ、夫はそれが理解できるだけに更にやさしくなって行く。結果、お互いがしてしまった事に深く傷つく・・・。純粋ゆえの残酷なスパイラル。 また、彼ら二人だけの世界であれば、きっと完成していたであろう愛の形も、社会通念という壁に度々阻まれ、それにも彼らは深く傷つき疲れ果てて行きます。 長年連れ添った夫婦が、相手の存在に何故かイライラして、売り言葉に買い言葉で喧嘩をする、のとは訳が違います。 物語は、お互いに傷つけ合い、それを度々修復しながら、自分たちは、自分たちなりの愛の形しか示せない、そうやって生きて行くしかないのだ・・・。真の愛とは常に不安定だけど信じて行くしかない、云々と夫が悟るところで話は終わります。 なんだか、羨ましいような、眩しいような、そんな複雑な気持ちになりましたが、「こんなにピュアにならないといけないのであれば、残念ながら自分には真の愛を紡ぐ資格は全く無いなぁ」とひとりごちるのが精一杯でした・・・。(哀) ちなみに、作者はこの題名を、入沢康夫という詩人のキラキラヒカルという作品から取ったそうです。その作品があとがきに引用されていましたが、その詩からも自分は目を離せなくなりました。ちょっと興味を持ったので、近いうちにその詩集も読んでみたいと思います・・・。見た目も、音も綺麗な詩です。
関連する文学賞
- 紫式部文学賞 第2回(1992年) ・受賞