作品情報
『わたしたちに許された特別な時間の終わり』は、大江健三郎賞で評価された岡田利規の作品です。
『わたしたちに許された特別な時間の終わり』は岡田利規による大江健三郎賞の受賞作。新潮社から2007年に刊行された作品で、受賞時に示された題材と語り口を通じて、人物の選択や時代の空気を描く。 受賞作としての位置づけに加え、題名から立ち上がる印象と作者の関心が読みどころになる。
レビュー要約
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刊行情報や紹介文からは、受賞時に評価された題材の明確さと読み進めやすい構成がうかがえる。人物や状況の輪郭を追いやすい点が読みどころになっている。
書籍情報
- 出版社
- 新潮社
- 発売日
- 2007-02-24
- ページ数
- 151ページ
- 言語
- 日本語
- ISBN-13
- 9784103040514
- ISBN-10
- 4103040513
- 価格
- 872 JPY
- カテゴリ
- 本/文学・評論/文芸作品/日本文学
三月の5日間,わたしの場所の複数
1973年横浜生まれ。1997年にソロ・ユニット「チェルフィッチュ」を旗揚げ。2005年「三月の5日間」で第49回岸田國士戯曲賞を受賞。演劇というシステムに対する強烈な疑義と、それを逆手に取った鮮やかな構想が高く評価され、とらえどころのない日本の現状を、巧みにあぶり出す手腕に注目が集まった。受賞作「三月の5日間」を小説化し、初めてのオリジナル小説「わたしの場所の複数」とともに収録した『わたしたちに許された特別な時間の終わり』が、初小説集となる。
レビュー
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岡田利規が手掛けた演劇作品を観たくなるね
さすが劇作家って感じの小説。 えぇ...って感じの段落の切り替えがあって、あまりにも衝撃的で、頭の中で脳みそが1回転した感覚になった。
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買いです。
高橋源一郎氏だったと記憶するのですが、演劇関係者の書く小説が面白いとの記事がきっかけで、数年前に何冊か読んだものの読み残していた最後の一冊です。中編2作、渋谷が出てくることを除けば、何ひとつ自分と共通点はありませんが、何かを思い出させられて、じわりとやるせない気持ちにさせられる作品でした。第二回の大江健三郎賞を受賞した関係で解説をものした大江健三郎氏の、(自分の、もしくは自分と同タイプの)小説の将来を憂いた文章も、それとはまた違った意味で、氏の独特の文体で緩衝されてはいますが、じわりとくる悲しさを湛えていて、読みごたえがありました。
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ありがとうございます
好き嫌いが分かれそうです
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小説として、どうなのか。
芝居で観れなかったので、 本で読んでみようと思いました。 独白的な文章だけでつづられ、 会話はない。 2作の中編。 1作目の『三月の五日間』は、 ある男と女が、 出会ってから、 渋谷のラブホテルで一緒に過ごした、 という話。 その後にも、先にも、 続くドラマはない。 2作目は『わたしの場所の複数』は、 主人公の女が、 頭の中で思いついたことをのべつまくなしに書きたてる。 それは、 誰もがしてることであり、 何の変哲もない日常に起こりうる、 特別ではないこと。 その積み重ねで、 時に人と出会い、 時に何かに気づいたりする。 ただ、こちらはくどすぎて、 読むのが大変だった…。 総じて、 文学である以上、 読ませることが必要だと思う。 ここまでくどくて、 読みづらいというのは、 使命感以外に、 最後まで読むことが難しかった。 やはり、舞台で聞きたい言葉なのかな、と思った。
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大江健三郎賞受賞作品。しかし最後にある大江氏の選評も含め、この本の魅力は難解。
大江健三郎賞受賞作品らしい。 本屋さんで偶然目にし、この機を逃せば、おそらく私に2度とこの本を手に取らないだろうと、購入。 題名に魅かれたのだが、この題名の作品はない。 「三月の5日間」「わたしの場所の複数」という2つの中編小説を収めている。 「三月の5日間」は、アメリカが、イラクへの宣戦布告をし戦争に突入する時を、地理的心理的にはるか離れた日本の男女の側から描く。 設定、登場人物ともにありえそうでありえないと思いつつも、不思議な切実感がある。 2人芝居で1時間半ほどのステージで、魅力的な俳優が演じれば、意外と楽しめるかもしれない。 「わたしの場所の複数」 アルバイトで生計を立てているらしい若夫婦の妻の側から描かれた夫婦愛?か。 酔っ払いのわけのわからない話を、無理矢理聞かされている気分になった。 この作品は、作者が呑みながら口頭でだらだらと録音したものを、文章に起こしたのではなかろうかと疑ってしまう。 そういう手法があっていいとは思うが、とにかく、この作品の魅力は私にはわからなかった。 純文学の範疇に入る作品なのだろうか? よくわからずにいる私は、まだまだ勉強が足りないらしい。
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書き方がとても面白い
私は作家志望だ。ただしもう七十に近いので、もちろん陽の目を見ることはないだろう。七、八年前まで自分のことを書いていた。自分の苦しかった過去のことを思い出して形に残しておこう、なかったことにはしたくない、と意気込んでいた。そして一通り書いてしまった今、書く素材が少なくなってしまった。たぶん「私はこんなにつらい日々を送ってきました」式に書くことに、私は飽きたのだろう。そんなときにこの小説を知った。 <夫にメールをしてみようかと、わたしは思った。でも、わたしの手はこのとき、特に、動いたわけではなかった。> 私はこの小説の書き方の面白さを誰かに伝えたい。でも、もう読了して一か月になるので、丁寧に振り返る根気がない。誰かに伝えたいと思うのだけれど、伝える能力がないと思っているので、取り組まないだけなのだろう。物事を深刻にとらえるのも、軽くとらえるのも、どちらも大事だ、とにかく自分を偽りたくない、と思っている方は気に入るのではないだろうか。
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大江賞に見合う駄作
第2回大江健三郎賞受賞作らしい。第1回受賞作は読んでいない(何だったかも覚えていない)。今回は、「それに釣られて」読んでみた。 駄作である。何が言葉の機能か? 保坂和志までが褒めている。高橋源一郎などは、「イラク戦争についての最も優れた日本語の小説だ」とまで評している。オイ、オイ。 アメリカ合衆国のイラク空爆前後の時期、東京都の繁華街渋谷が舞台。しかし、一言で言えば若者風俗にイラクの戦も使ってみましたというだけである。 話者の思わせぶりな視点のチェンジや、現代若者言葉の使用や、淡々としているが饒舌体風(その実、所謂饒舌体ではないが)の文体が前衛もどきの雰囲気を醸し出していると考えるナイーヴな読者もいるのだろう、多分。こういうのに弱い(わかると思い込んでいる)人もいるのだろうが、2003年の現実、ことさらに2003年のイラク戦争と同期させる必要などはまったくない、うすっぺらな言葉の連なりとしか言う他はない駄作だ。電車で騒ぎ、渋谷をうろつく若者が、イラク戦争などに何らの関心もなく、デモ行進なんてものはダサと思っているし、その行動原理は理解の範囲外であるという厳然たる事実は、事実である以上、それを批判してもこの際意味はない。しかし、低俗愚かな彼らの風俗を描いていても、優れた小説は稀にはあるし、それを通して戦争状態のニッポンの現実を描くことも可能である。本書は愚かな人間の貧相な言語活動(老若男女概ね誰しもそうだ)の可能性をではなく、誠に中途半端なフィーリングを描いているに過ぎない。保坂評は全文を読んでいるのではなく、本書オビの惹句を見ているだけであるが、この作品に「これを書いた人の存在はずっと消えない」ほどの価値があるとは到底思えない。少なくともこの作品はすぐに消え去る消費物であろう。 こういうのを「わかる」ことが、文学・小説をわかることではない。こういうのを「わかる」ということが、小説の衰退を招いている元凶のひとつであるとすら言っておいてもよい。作家も読者もお互いを甘やかし、衰退するままに任せ、閉じられたサークル化が進んでいるのである。 いずれにしても、近年の大江に見合っているではないか。
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実に実に奇妙で面白く、まさに現代のお話。。。ただ一点
これはなんとも奇妙で、斬新な話だなぁ。このスタイルこそ、まさに現代の純文学なのかもしれない。いつ終わるともなく、まるで酒場の隣の席の知らない人が、だらだら物語るように、でも、その話は面白く、興味深く、でもだらだらだらだら独白するように続く。 いつの間にか、話は隣の別の人が受け取ってしているような。 途切れなく、ふと気がつくと視点が、話し手が、かわって行く。世界を見る目が違う角度になっている。でも、同じ空間と時間を共有して、こちら側とあちら側とから見ているような。 とっても不思議で、実験的で、斬新で、面白い小説でした。 ならなんで、☆4つかって。。。 正直、巻末の大江健三郎の解説が、語りすぎなんだともう。 大江健三郎賞受賞作だし、大江が語りたい気持ちはわかる。 別の見方をすれば、小説買ったつもりが、なんと大江のエッセイまで付いてくると思えば、2倍おいしいのかもしれない。 でも、語りすぎだよ。絶対に先に読んではいけない。先に読んだら、もうそうとしか読めなくなります。いささか大江も年をとり、おせっかいになったのか。非常に興味深い解説であり一級のエッセイなんだけど、やっぱりこれは別のところでいいよ、と思う。 だからごめんね。 ☆一個減らした。人によっては、逆に(大江の文章を読めて)☆一個増やすかもしれないけど。
関連する文学賞
- 大江健三郎賞 第2回(2008年) ・受賞