作品情報
『輝ける闇』は、個人の経験を通して時代の陰影を読ませる作品である。
開高健の『輝ける闇』は、受賞当時の文学的関心をよく示す作品である。人物の心理、生活の手触り、社会の変化が重なり、静かな緊張を保ちながら読者を物語の奥へ導く。
書籍情報
- 出版社
- 新潮社
- 発売日
- 1987-07-01
- ページ数
- 257ページ
- 言語
- 日本語
- ISBN-13
- 9784103049067
- ISBN-10
- 4103049065
- 価格
- 649 JPY
- カテゴリ
- 本/文学・評論
Amazon.co.jp: 輝ける闇 : 開高 健: 本
レビュー
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良書
筆者の体験を通じて生々しい戦争の現実が伝わってきます
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アメリカ帝国ベトナム侵略従軍記
1802年に現在のベトナムとほぼ同一の領域を最初に支配した統一政権の阮朝(越南国)は、清国に朝貢して形式上従属しながら自国を「中国」と呼んで世界の中心に位置すると称し、自国と清は兄弟で対等であると見なして国家を存続させていた。1858年にナポレオン3世がフランス遠征軍を派遣してコーチシナ(ベトナム南部)を植民地にした事を起源として、1882年にトンキン(ベトナム北部)占領、それを基にした宗主国清の介入による清仏戦争(1884〜1885年)での清の敗北の結果の天津条約(1885年)で清が宗主権を放棄した事を経て、1887年にインドシナ連邦としてフランス領インドシナ(仏印)が成立し植民地とされた。阮朝自体は1945年まで続いた。 第二次大戦中の1940年にナチス・ドイツがフランスを占領した事から、ドイツの同盟国日本は同年に仏印北部に、翌年に仏印南部に進駐して在来の仏印政府との共同統治体制を布いた。其の年に、ホー・チ・ミンは「ベトナム独立同盟会(ベトミン)」を組織してその主席に就任した。 1945年に日本が敗北してベトミンが北部のハノイで蜂起して8月革命を始め、南部のサイゴンでの民衆蜂起等を経て同年に「ベトナム独立宣言」を発表し、ホーは「ベトナム民主共和国」を建国して国家主席兼首相に就任した。しかし、旧宗主国仏や米英中ソ等の連合国側諸国が承認しなかった。ポツダム協定により南北に分割されて、北部に中華民国軍、南部に英軍が進駐した。その直後に仏国が南部の支配権を奪取して、インドシナ一帯の再支配を目論んだ。ホーは北部の国民党軍(中国)の進駐が長引く事を恐れて仏国を受け入れたが、仏国とのベトナム独立についての交渉を重ね、1946年に一旦は独立が承認されかけたものを仏のコーチシナ共和国樹立という分離工作によって破談し、同年末に仏がベトナム民主共和国に攻撃して第一次インドシナ戦争が始まった。1954年に仏国が敗北してジュネーヴ協定が締結され、北緯17度線で南北に分割され、北部はベトナム民主共和国、南部はベトナム国が統治する事となり2年後に再統一の全国選挙が予定された。 しかし翌年、ジュネーヴ協定に調印しなかった米国が名目上ドミノ理論(ある一国が共産化すれば、周辺諸国も共産化される)を唱えて、共産主義を嫌悪する資本家や宗教家、自由主義者等と図って、南部に「ベトナム共和国」の政権を発足させた、経済的・軍事的支援を行った。ジュネーヴ協定で定められた再統一の全国選挙を南部のベトナム共和国がボイコットし、反対勢力を弾圧する独裁政治を行った為、それに抵抗する形で1960年にベトナム労働党の支援のもと、「南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)」が結成された。其れによってベトナム戦争が始まり、ベトコンは介入を始めた米国と激しく戦った。ベトコンは主要都市と幹線道路を除く農村地帯をほぼ完全に勢力下に置いた。 1965年に米軍がベトナム民主共和国へ北爆を開始し、50万人の大軍を投入して本格的となった。米軍は軍事関連施設のみを爆撃の対象と言いながら、実際には病院・学校・民家・キリスト教会・農業施設等、枯葉剤やナパーム弾を用いて「皆殺し作戦」を行なった。枯葉剤は戦後に健康被害や出産異常を引き起こし、焼夷兵器のナパーム弾は広範囲を無差別に焼き尽くした。又、米軍やその他の同盟国軍による一般村民への戦争犯罪として、無差別機銃掃討や大量殺戮、女性に対する強姦殺害、家屋の放火等があった。後に、ベトナム女性との混血児(ライタイハン)が確認されている。又、其の米国に対抗する為に、前線へ出た男性の民衆に代わって後方では婦人部隊が組織され、農作業の際にも銃を所持し、町の警備に当たる等をして、民衆全体が米国に対して抵抗し独立に向かって戦った。 又、南部のベトナム共和国の第2代・3代大統領グエン・バン・チューは強烈な反共主義者であったが、南ベトナム国内での麻薬の不正取引の元締めであり、しばしばベトコンからも麻薬を入手していた。更に南部の政府は不正や汚職が蔓延し、軍も堕落し士気が下がって規律の維持も難しくなり、一般市民は米軍に媚び諂って売春等が流行り、全てが腐敗していた。 次第に国際世論が反戦・反米となり、且つ米国がベトナム戦争に莫大な戦費を費やした事から、退陣に追い込まれたリンドン・ジョンソンに代わったリチャード・ニクソンが1969年に大統領に就任して撤収を模索し始めた。借金国に転落した米国は、1971年にドルの金本位制を撤廃して紙幣と金の兌換を停止してドルが「紙切れ」となり、以降、民間銀行であるFRB(米連邦準備制度理事会)によって憲法や議会に拠らずに、民間人が自由に幾らでも輪転機でドル紙幣を発行出来る様になってしまった。1973年には泥沼化した戦争を終わらそうとして、1月27日にパリ協定(ベトナム和平協定)がベトナム民主共和国(北ベトナム)、ベトナム共和国(南ベトナム)、南ベトナム共和国臨時革命政府、アメリカ合衆国の間で調印されてベトナム戦争終結を約した協定を結んだ。又、第一次オイルショックでの景気停滞や不況で打撃を受け、ニクソン政権が残したウォーターゲート事件やジョン・F・ケネディー政権が進めたアポロ計画の月面探査への膨大な出費もあった事等もあって、ジェラルド・フォード大統領は軍の派遣や軍事援助を拒否し、1975年にサイゴンが陥落して戦争が終結して南部のベトナム共和国は崩壊した。北のベトナム民主共和国が主導して南北統一を実現し、翌年に「ベトナム社会主義共和国」が成立した。そして、米国は其れ以降、世界一の借金大国である。日本のお金は米国へ流れ、貸したお金が返ってくる事は無い。 ホー・チ・ミンはベトナム戦争中の1969年に亡くなられたが、共産主義の実現よりも民族解放・ベトナム独立が生涯の主要課題であった。又、腐敗や汚職、粛清に無縁で、禁欲的で無私な指導者であった。更に、自らが個人崇拝の対象になる事を嫌っていた。自伝の類を残さずに亡くなられた為に、自己の業績について殆ど語らないという伝統がベトナムに生まれた。現在存在する霊廟や墓所、銅像、エンバーミングした遺骸は、ベトナム労働党政治局がホーの遺言を無視して作ってしまった物で、ホーはそれらの物は個人崇拝に繋がる為に望んでおらず、遺書には火葬後の遺骨を北部・中部・南部に分骨して埋葬する事と、戦争勝利後の農業合作社の税金を1年間免除することが書かれていた。その高潔な人柄から民衆から尊崇を集めて愛され、慈愛に満ちた風貌から「ホーおじさん」と民衆に親しまれた。(参考文献:ウィキペディア) 本書の著者は、1964年に南ベトナムの米軍に同行して取材を行なった。現地での直接取材でベトコンからいつ襲われて殺されるかもしれない状況にて米軍側からの視点に立って取材した。米軍の北爆が開始されて前記のような米軍の残虐行為が問題となって、国際世論の米国批判が高まる前であったことや、米国との同盟国としての日本の立場、本書の中に出てくる病院での奉仕に来ていた米人のクェーカー教徒の言う「…堕落…傲慢、無知、侮蔑、恐怖、無神論…」が米国とその他南側の同盟国軍に存在する事、米国追従国家日本の特にメディアの姿勢等も影響にあった様な内容であるように感じる。南部の腐敗は伺えたが、米国帝国主義による北側への無差別爆撃等の虐殺、侵略行為については、本書からは全く解らない。ベトナム側の視点に立ち、その様な米軍の悪の「真実」が解る様な内容の方が私にとっては良かった様に思い、残念である。知識の余り無い人にとっては、視点を持つ、或いは主人公の側が正義の様に勘違いされ、相手の敵が悪者と勘違いされかねない。 参考動画:「NDN(株)日本電波ニュース社」のホームページ([・・・])や、YouTubeチャンネル・「NihonDenpaNewsTV」にて1960年代に撮影されたドキュメント映画(のダイジェスト版?)が公開されている。其の中にはホー・チ・ミン主席への単独インタビューも在る。こちらの方から真実が伝わって来る。
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ベトナム戦争従軍記の古典的名著
学生時代に推薦図書の定番だった開高健の作品を、50年遅れて読みました。愛読対象がフィクションからノンフィクションにシフトした時に、やはり避けては通れない作家と思ったからです。忘れかけていた泥沼のベトナム戦争の記憶が蘇ります。そして神秘的なもう一つの沼地の探検に羨望を覚えました。この部分はフィクションかもしれませんが。
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迫力の書き下ろし
開高健の代表作。純文学なのに読み始めたら冒険物語のように目が離せなくなる迫力の書き下ろし。戦時下の極限状態に置かれた人間の赤裸々な姿には共感できる部分が多い。
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独特の文体が好き
この本を下地にしてベトナム戦争の本や映画を読んだり見たりすると更に奥深くなると思います。三島由紀夫が実際に経験したなら大した小説じゃあないと言ったらしく大嫌いになりました。
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言葉が押し寄せてくる
元々「オーパ!」や「日本三文オペラ」などが非常におもしろく好きでした。 期待して読み始めた「輝ける闇」は、小説というよりもルポの要素が強く印象深いシーンは数多いのですが、 時折挿入される過剰な比喩が読みにくく途中まで退屈に思っていました。 しかし、ある青年との別れのとき、目頭が熱くなり体が震えてしまいました。 私にとってはそのページを読めただけでもこの小説を読んだ価値がありました。 読み終えた本を閉じると、心のなかを掻き乱す映像がいくつもよみがえってきます。 とっつきにくい文体とテーマ、時が経ちすぎ馴染みのなくなった用語や言葉もあるでしょうが、 読み進めていけばこの小説には現代を生きる我々の心にも訴えかける何かが必ずあります。 三島の言うように想像で書けたら確かにすごいですが、 体験して描いた真に迫る小説というものはもっとすごいことだと私は思いました。 ただどうしても暗く重い話なので、これ一作を読んで嫌いになってしまっては勿体ないです。 初めて手に取る場合は明るくユーモアにあふれた別の開高作品のほうがおススメできます。
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ルポ『ベトナム戦記』への批判に応えて書かれた長編小説。『戦記』と読み比べるのも面白い。
開高健(1930~89年)氏は、大阪市生まれ、大阪市立大卒の小説家、ノンフィクション作家。『裸の王様』で芥川賞、『玉、砕ける』で川端康成賞、一連のルポルタージュ文学により菊池寛賞を受賞。 開高氏は、ベトナム戦争初期の1964年末~65年初に100日間、臨時特派員としてサイゴン(現ホーチミン)に赴き、「週刊朝日」に毎週ルポを送稿し、また、帰国後本人がまとめて『ベトナム戦記』(1965年)を出版したが、本書は、そのときの体験をもとに書かれた長編小説で、1968年に出版、1982年に文庫化された。毎日出版文化賞受賞。また、後の『夏の闇』、『花終わる闇(未完)』に先駆ける「闇三部作」の第一作である。 私はノンフィクション物が好きで、『ベトナム戦記』がその評価の一方で、様々な議論を呼んだことを知っており、『ベトナム戦記』は暫く前に読んだのだが、開高氏はそれらの批判も踏まえて本作品を書いたとも言われていることから、今般読んでみた。 因みに、批判というのは、吉本隆明氏が、開高氏は、戦後の(表面的には)平和で民主的な日本において、思想的に殺されてしまった人々に思いも至らず、ベトナムまで行って、ベトコン少年兵の公開銃殺を見なければ、「人間の死や平和と戦争の同在性の意味を確認できなかった」と指摘したことや、ジャングルでの作戦に参加して九死に一生を得た部分の記述について、ノンフィクション性へ疑問(要するに、記述に創作が含まれているのではないかという疑問)を呈する向きがあったこと、等である。 そして、本書を読んでみると、『戦記』にあった、サイゴンの街中でベトコン少年兵が公開銃殺されたことも、自らがジャングルでの作戦で九死に一生を得たこと(200人いた大隊のうち、生き残ったのは17人だったということも同じ)も出てくるし、文章一節丸ごと極めて類似している部分すらある。だが、一方で、主人公である日本の新聞記者の情婦で、本書の主要な登場人物である素娥については、『戦記』には登場しない(実際の開高氏には、似た存在がいたらしい)。そして、全体としては、本書は(当然ながら)主人公の心情の変化に主眼が置かれた内容となっている。 フィクション作品とノンフィクション作品(ルポは、ノンフィクションの中で「報道」の趣を重視した1ジャンルと言えようか)の違いは、形式的には、創作・虚構を含むか含まないかの一点にあるが、その狙いについては、明確な線引きをするのは難しいし、意味もないだろう。開高氏が、ベトナム戦争取材を題材に(結果として)ルポと小説の2作品を書いたことが成功だったのかはわからないが、読み手としては、小説的なルポとルポ的な小説を読み比べる面白さを味わえたことは喜びと言えるだろう。 (2025年1月了)
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汚れていた
本にシミ汚れがついていた。注文から到着まで非常に遅かった。
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