流跡
声、記憶、土地の感触がゆるやかに流れ込むように連なり、語りの輪郭そのものを揺らす小説。出来事よりも言葉の運動を前面に出し、生の痕跡がどのように残るのかを探る。
作品情報
『流跡』は、声、記憶、土地の感触がゆるやかに流れ込むように連なり、語りの輪郭そのものを揺らす小説。
声、記憶、土地の感触がゆるやかに流れ込むように連なり、語りの輪郭そのものを揺らす小説。出来事よりも言葉の運動を前面に出し、生の痕跡がどのように残るのかを探る。
レビュー要約
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設定や語り口の個性を評価する声がある一方で、展開の癖や文体の濃さを読む人によって重く感じる場合もある。
書籍情報
- 出版社
- 新潮社
- 発売日
- 2010-10-01
- ページ数
- 102ページ
- 言語
- 日本語
- ISBN-13
- 9784103284611
- ISBN-10
- 4103284617
- 価格
- 1430 JPY
- カテゴリ
- 本/文学・評論
第20回(2010年) Bunkamuraドゥマゴ文学賞受賞
レビュー
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朝吹真理子
文章が、流麗としていて生命の不可思議を究明している。 すばらしい。
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夢の断片
とても不思議な作品。夢の断片が連なっているような。 描写や形容のことばの使い方も独創的だけれど、それでいてあからさまな鼻に付くような存在感はなく、やさしく流れていく文体。 この作品が好きかどうかはわからないけれど、あっという間に読んでしまいました。
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唯只管
堀江敏行さんが推薦されていることから、処女作購入。渋谷ドユマゴにて排架をのみつつ、読む。これは何だろう?と感じ、シュルレアリスムじゃないかと思う。だから、曰く、筋道を考えずに、高速でつづる、自動記述で理性に左右されないんだって。こちらも負けずにそのつもりで唯只管読むこととした。これからも気が向けば、只管読むこととしたい。次は賞をいただいた作品を読むつもり。まだ買うとは決めていない。著者は将棋観戦記でも有名だが、棋譜を見ずに、将棋士の顔を唯只管見ておられたのが印象深い。唯只管がキーワードなのか?
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わからない
話が伝わってこなかった。 何の話なんだろう。
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いっこうに かかれている言葉が 咀嚼 できない。
文字がよめない。 本が読めない。 いったい どうなっているのだろうか。 いっこうに 言葉が 咀嚼 できないままだ。 いつの間にか、川に流されている。 いつの間にか 踊っている。 いつの間にか 家族がいて 子供がいて、 子供の発音がおくれていることで 妻が心配し、激怒する。 子供は アンパンマンしか言わない。 煙になったオトコの骨は頑丈だった。 そして、いつの間にか オンナになって 港にいた。 点滅する青い字が 何かを語りかけているようだが、 その意味さえわからず どこに行くのだろうか。 確かに、流れている。私の外ではなく 私の中に。 これだけ、わからない本を書くことができるのは、才能かもしれない。 流れているばかりで『跡』がない。題名とは 違った感じだ。 いうなれば『流流』ではないか。 さぞかし、得体のしれないものを 体内にもっているはずなのだが どこかで、それが 花を開いてほしいと思ったりする。 現在の登場人物の 距離感が 定まらないので 『跡』がかけないのだと思う。
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不思議な小説ですね。
いわゆる時系列の出来事はなにもなくて、いわば、筆者の(あるいは登場人物の)妄想もしくは幻想の連続ですね。ただ、全体の構成は非常に頭脳的だと思います。全体は大きく2つに分れます。前部は、幻視の果てに幻想の世界に絡め取られていく(肉体的にも精神的にも)主人公。後部は、前部と同じような幻視に魅入られて、なお現実に留まる主人公。それぞれの幻想をつむぎ出す言語感覚を楽しむのが、この小説を読む一番のスタイルかなと思います。時々はさまれるオノマトペの効果は、余韻のように次のイメージへの橋渡しになっていることでしょうか。導入部では、読者の立場の記述になっていて、読み進めない自分が描かれ、最終部分では、記述者の立場での苦悩のような記述があって、この全体を構成する逆転は、どういった意味があるのか、ちょっと理解不能です。 珍しい小説ですが、1作だけでどうこう評価はできないと思います。ただ、私はこんな小説も好きです。 次作はすでに書かれているようですが、読むことを楽しみにしています。
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天才の流露
横溢する想像力と、その十全たる具現を可能とする豊麗な語彙力・言語感覚・表現力は特筆と驚嘆に値するものであり、作者の卓絶した文学的才能が遺憾なく発揮されている。(表現力に関連して言えば、漢字の持つ語感やその視覚的効果、ひらがなの持つ語感やその聴覚的効果への繊細な配慮も素晴らしい。言うまでもなく、「常用漢字」などという縛りや「通例漢字表記される語は漢字で表記すべし」などといった通則は、新聞記者には有効であっても、文学者にとっては無効であり、また無効であるべきである。その種の表現上の桎梏からの解放により、高雅にして精妙な表現の可能性もまた開放されるからである。)「きことわ」も素晴らしい作品であったが、本作品を読むことで、作者の紛う方ない天才を更に強く印象付けられた。 「芸術の鑑賞は芸術家自身と鑑賞家との協力である。云わば鑑賞家は一つの作品を課題に彼自身の創作を試みるのに過ぎない。この故に如何なる時代にも名声を失わない作品は必ず種々の鑑賞を可能にする特色を具えている。しかし種々の鑑賞を可能にすると云う意味はアナトオル・フランスの云うように、何処か曖昧に出来ている為、どう云う解釈を加えるのもたやすいと云う意味ではあるまい。寧ろ廬山の峰々のように、種々の立ち場から鑑賞され得る多面性を具えているのであろう」 これは芥川龍之介の芸術論であるが、「流跡」もまた様々な観点から味読することの可能な、深みのある、汲めども尽きせぬ魅力を湛えた芸術作品であると私は考えている。いずれまた「流跡」「きことわ」を再読する際に、最初の時とは違う楽しみを得ることができるであろうし、それは芸術を鑑賞することの大きな醍醐味であろう。 処女作でこれほどの作品を物する作者の今後の活動に期待するとともに、卓抜した文学的才能を有する作者と同時代に生きていることを幸運にも、幸福にも思うのである。
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ブンガク的船酔い
流れる航跡のように、文章に酔う。そういう楽しみ方のできる小説、なんでしょうか。 文章力、描写などは並ではないということぐらいは私にもわかりましたが、 ごめんなさい、肝心の小説としては、さっぱりわかりませんでした。 一所懸命に物語に乗ろうとするのですが、 話の推進役である船頭らしき主人公の舵がふらふらしていて、私は船酔いしたようです。 これが生まれて初めて書いた小説の修作で、 この後の作品がどうなのか読んでみたいと思います。 小説もさりながら、江戸文学の研究書が読んでみたいです。 華麗なる文化人一族の美貌の国文学研究者が、閉塞する世界の純文学を救う? 文学であり、なおかつ多くの読者の心にせまる小説が書けそうな方。 期待感がふくらみますね。