作品情報
義経の疾走と孤独を、歴史の大きな流れの中に描く長篇です。
安部龍太郎公式サイトと CiNii Books で新潮社単行本上巻の ISBN を確認しました。作品は上下巻構成のため上巻識別子を代表値として記録し、下巻も刊行確認済みです。
レビュー要約
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義経像の躍動感と合戦描写の読み応えが評価されている。上下巻の大作で、人物関係と時代背景をじっくり追う読者向きの重厚さがある。
書籍情報
- 出版社
- 新潮社
- 発売日
- 2004-12-22
- ページ数
- 459ページ
- 言語
- 日本語
- ISBN-13
- 9784103788058
- ISBN-10
- 4103788054
- 価格
- 184 JPY
- カテゴリ
- 本/ノンフィクション/歴史・地理・旅行記/歴史/日本史
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レビュー
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頼朝 & 義経
ちょっと珍しいツーショットって感じですね。それぞれ別々に書かれた小説はありますがこの二人を題材にした小説は無かったと思います。 特に興味深いのは北条政子です。いかにも伊豆の田舎者っといった表現でかかれているため本当は関東言葉丸出しの田舎娘だったのかもしれません。鎌倉幕府の屋台骨が作られる過程及び頼朝家族の様子がリアルに 描かれており興味深いものがありました。
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当方には
安部さんの作品は好きですが当方には少し難解な感じでした 上下巻はまとめ買いが◎。
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天馬、翔ける の読後感
鎌倉幕府成立までの経緯を裏話を織り込んで書きあげた小説である。 源頼朝、義経、北条時政、政子、弁慶のイメージは既存のものとは異なる。 人間的な弱さ、愚かさが強調されており、生き方にも迷いがある感じで構成されている。 その中にも、頼朝の冷徹さ、義経の活躍、時政のタヌキ、政子の亭主操縦、弁慶の忠実さは既存のイメージにあっている。 後白河法皇は”浄土の帝”を引き継ぎ、自分の理想にむけて、周囲の人を操っている。 上下を読み終えた感じは物足りなさを感じる。 その理由は、英雄伝説ではなく、人間の物語だからとは思うが安部龍太郎小説としては今一の感想である。 人間の物語として再構成するのはよいが人間性に対する深みが感じられない。
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方言がいい。
>安部龍太郎さんの本です。 義経と頼朝、二人を描いています。上巻は、木曽義仲の息子義高を殺すまでで終わっています。 義経は天才だけど、周りを気遣えない。 頼朝はかなり屈折していて、周りを気遣いまくる、という感じでしたね。 網野史学の山の民っぽい感じの話がでてきて、奥州藤原氏は俘囚の王で、全国に散らばった蝦夷たちの末裔が、義経をひそかに支えている、というような流れです。 また、方言がかなり効果的に用いられています。 基本、東国弁(関東弁)と西国弁(関西弁)は別言語のように通じなくて、通訳が必要だったとか、 なかなか面白いですね。 しかも、北条政子が名古屋弁っぽくて、「えっ?」と思ったんですが、調べてみると、伊豆弁って名古屋っぽいみたいですね。 北条政子はかなり性格悪そうというか、強かで、不美人で、頼朝は実は北条政子あまり好きじゃない、というのが面白いです。 しかも、浮気しており、亀姫とバックでヤっている場面(426㌻)は、思わず笑っちゃいました。 なかなか面白いです。
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より人間味あふれる義経が描かれているが
これまでの義経を扱う小説は、義経に肩入れしすぎた結果、現実離れした感が否めませんでした。 対して本書の義経は、功名に逸るかなり自分勝手なおぼっちゃんという印象。 さらに頼朝の小心ぶりと陰湿さはかなり強調されています。 そのおかげか現実味は増していますが、どこか読みづらさを感じました。 あまり人物の内面に切り込まないために、人物の行動に共感できないからかもしれません。 少なくとも、本書に描かれる義経や頼朝はあまり好きになれません。
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うまいのですが、中途半端な感が・・
歴史小説がどれくらい史実に忠実かというのは微妙な問題で、あくまでもフィクションなので、忠実だからいいということもないし、かけ離れているからいけないということもないと思います。記録がはっきり残っている明治以降ならともかく、それ以前のことに関しては、これが100%事実だと言い切れるものはほぼないからです。 ということは、あとは個人の好みになってきます。義経、頼朝、静、北条政子など、彼らは有名人であり、いいか悪いかは別として、ある程度それぞれのイメージが定着してしまっているので、それとは異なる人物に描かれていると、すんなり受け入れるのはやはり多少抵抗を感じてしまうかも。この作品では、義経は戦の才はあるけれど、無謀で強引で、時には勝利のために村を焼き払って人々の生活を犠牲にしても気にかけない冷酷さを持っています。北条政子は田舎弁丸出しでずんぐりした容姿のみっともない田舎娘に描かれているし、頼朝は、そんな政子のバックについている北条氏に気兼ねして、言いたいことも言えない鬱屈を抱えて、寵愛している妾が殺されても文句ひとつ言えません。個人的には、いいと思う部分も、これはちょっとどうかなと思う部分も両方ありました。 鎌倉幕府は最初、源氏の幕府として立ち上がったものが、次第に北条氏の力が強くなり、それが決定的になったところで、源氏の血筋は絶たれてしまいます。暗殺などで排除された頼家、実朝、公暁などは時政や政子にとって血を分けた子や孫なのに、この後、尼将軍と呼ばれた政子をはじめとして、北条氏は平然と幕府の運営に乗り出します。この小説を読んでいると感じられることですが、これは政子の頼朝に対する復讐だったのではないか、と。流人の立場を脱しようと北条氏を利用したのに、何度も愛妾を作って政子を裏切り、伊豆の田舎者として見下し冷遇した、その恨みが政子の中には積もり積もっていたのでは・・・だから、自分が生んだ子でも、頼朝の血も引く息子などより、自分の一族北条氏の方が大切になってしまったのでは・・と思わせるような展開です。もし鎌倉幕府の北条氏化が政子の怨念だったとしたら、まさに歴史の裏には女ありというところでしょうか。 また、始まりの部分は、定型化された人物がギクシャクと動いているようで、いまいちこなれていない感じだったのですが、一の谷、屋島、壇ノ浦の戦のあたりになると、生き生きと話が動き出します。このあたりはとてもよかったです。が、ネタばれになるので詳しくは書きませんが、ラストがなんとも中途半端です。この小説を読む人はたぶん、義経が平泉の戦で亡くなったことや、北行、またはチンギス・ハーン伝説などがあることをすでに知っていると思います。それがわかっていて、そこへ至るずっと前の時点でぷつんと小説を終えたのはどうしてでしょう?このあたりの作者の意図がよくわかりません。作者は義経を描きたかったと思うのですが、どういうふうに描きたいと思っていたのでしょうか。
関連する文学賞
- 中山義秀文学賞 第11回(2005年) ・受賞