日本の文学賞

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決壊 上巻

芸術選奨文部科学大臣新人賞

決壊 上巻

平野啓一郎

現代社会に起きる暴力的な事件を通じて、人間の幸福と悲しみ、共同体の壊れやすさを問う長編小説。倫理と感情の揺らぎを大きな物語構造で描く。

現代社会暴力倫理

作品情報

決壊は、平野啓一郎の受賞歴と結びつく長編小説として読まれている。

現代社会に起きる暴力的な事件を通じて、人間の幸福と悲しみ、共同体の壊れやすさを問う長編小説。倫理と感情の揺らぎを大きな物語構造で描く。

レビュー要約

  • 題材の個性と文体の手触りを評価する声があり、ジャンル性や詩的な密度をじっくり味わう作品として受け止められている。

書籍情報

出版社
新潮社
発売日
2008-06-26
ページ数
382ページ
言語
日本語
ISBN-13
9784104260072
ISBN-10
410426007X
価格
1300 JPY
カテゴリ
本/文学・評論/文芸作品/日本文学

デビューから10年、平野啓一郎が連続殺人に挑む、新たな代表作誕生! 2002年10月全国で犯行声明付きのバラバラ遺体が発見された。容疑者として疑われたのは、被害者の兄でエリート公務員の沢野崇だったが……。〈悪魔〉とは誰か?〈離脱者〉とは何か? 止まらぬ殺人の連鎖。明かされる真相。そして東京を襲ったテロの嵐!“決して赦されない罪”を通じて現代人の孤独な生を見つめる感動の大作。

レビュー

  • 神は死んでも愛は死ななかった

    アンチ・ドストエフスキー文學の傑作である。 神が死んだことでドストエフスキーも死んだからだ。 ミステリ的構造をもつ巨篇である。厳密には純文学作品だ。ゆゑに、最小限のネタバレは御容赦いただきたい。無論、あらすじがわかっていても面白い物語こそ偉大である。中心人物は弟の沢野良介と兄の沢野崇および悪魔だ。弟の沢野良介はばらばら遺体として発見される。兄の沢野崇は事件当時、恋人と密会していたことから悲劇にまきこまれてゆく。一見、ひとつの殺人事件をめぐる単純なるドラマだ。後半におよぶと、弟の沢野良介の悲劇を濫觴として、連続殺人事件、模倣犯による連鎖的殺人、悪魔による都内同時多発テロというように、純文学でえがけるかぎりの壮大さをみせてゆく。 我我読者は、ドストエフスキーの模倣だと錯覚する。 たしかに形式上はドストエフスキー的だ。物語の前半で、ドストエフスキー的に、精緻に登場人物のプロフィール=横顔がえがかれる。後半で一気呵成に事件を叙述してゆく。上巻では、一見、無理矢理に挿入したドストエフスキー的議論がふたつなされる。一方は、あきらかに形而下学と形而上学の対比の問題として物語につながっている。一方は、パクス・アメリカーナ対イスラム原理主義の対峙に託した善悪の問題として物語につながる。なによりも、クライマックスとなる悪魔の動画で物語られる『神』についての議論は、一見して、ドストエフスキー文學における犯罪者の独白にそっくりだ。そのうえで、実際には、根本的に、本作はドストエフスキーと対極的だといいたい。 神の死んだのちにドストエフスキーの倫理は通用しないからだ。 二〇〇〇年代の文壇では、しきりに『ドストエフスキー文學のポリフォニー(多声音楽)性』という論点が話題になっていた。本作も、たくさんの人物が登場して会話や議論をする。ドストエフスキー文學と相違するのは、家族や親友と対照的に、『社会的な会話のほとんどがうわすべり』だということだ。多声だが音楽になっていない。なかんずく、『なんでひとを殺してはいけないのか』『自分が殺されてもいいのならひとを殺してもいいのか』と尋問する少年に、大人たちが『だれひとりとして』核心的なこたえをだせないのは致命的である。すべては偽善で、欺瞞で、金儲けのこたえでしかなかった。 ドストエフスキーならば、神学によってこたえをだしただろう。 柄谷行人は『明治維新によりインテリゲンチャとしての武士たちが武士道というアイデンティティを喪失したことから、おおくが基督教徒に転向し、これが日本人の道徳観になった』と論じていた(『日本近代文学の起源』第三版)。実際の宗教は問わず、日本人にとっての道徳とは基督教である。『なぜひとを殺してはならないのか』という問題に、日本人は無意識的にせよ旧訳聖書にそう書かれているから殺してはならないという信仰でこたえるしかない。実際に言葉にすれば、『殺してはいけないから殺してはいけない』となる。 これは、あながちまちがってはいない。 証左として、基督教徒である佐藤優は『トートロジー(同語反復)がトートロジーだからただしいというかんがえは、基督教徒でなければ理解しがたい』とのべている(《群像》2019年5月号)。無論、このこたえで現実の日本人に『ひとを殺してはいけない』と納得せしめることはできない。ドストエフスキーには可能だったろうが、平野啓一郎にはできない。 『神は死んだ』のだからだ。 小林秀雄は『「白痴」についてⅡ』を発表したのち『基督教を理解できなければドストエフスキーを理解できない』という諦念により、ドストエフスキー研究から日本古典文學研究へと転向した(「小林批評のクリティカル・ポイント」山城むつみ)。平野啓一郎もおなじだ。批評家ではなく『小説家』として、初期の題材とした基督教から転向し、『神の死んだあとのドストエフスキー』になろうとした。神が死んだあとの小説家というだけでも、ドストエフスキーと平野啓一郎は対極的だ。 ドストエフスキーの倫理は、悪魔によって蹂躙される 悪魔はいう。『神なんていない』『幸福こそ現代の神だ』と。悪魔は『不幸』だった。沢野良介は『幸福』だった。だから、殺人事件がおこった。悪魔も沢野良介も共通している。『なぜだろう』とおもうのだ。『なぜおれは不幸なのだろう』『なぜおれは幸福なのだろう』と。『この一枚の薄紙にして巨大なる壁』がふたりを乖離させた。 沢野良介は神によってではなく悪魔と対峙する。 悪魔は沢野良介にいう。『不幸だといえ』『不幸だといえば生かしてやる』と。沢野良介は本作のクライマックスであろう《愛のさけび》によって結果、殺される。たしかに『沢野良介の肉軆』は殺された。同時に、《愛のさけび》によって『沢野良介のこころは殺されなかった』のである。『沢野良介は殺されたが負けなかった』。『悪魔に勝った』のだ。 悪魔はいった。 『幸福は遺伝と環境できまる』と。『自分はシステムのバグなのだ』と。『だからおまえを殺すのだ』と。このくだりはほとんどゲーデルの不完全性定理である。『いかなる論理システムにもかならずゲーデル命題が存在するがゆゑに不完全』なのだ。 神でなければ救えない致命的なエラーだ。 沢野崇は『すべては遺伝と環境による』と悪魔の言葉を諒承する。沢野崇は『肉軆は殺されなかった』ものの『こころは殺された』。沢野崇は『悪魔に勝てなかった』『悪魔に負けて』しまった。沢野崇は最終的に発狂(ストレスによる統合失調症の陽性症状を発症)する(個人的な統合失調症体験からだが、此処の描写は非常にリアルである)。 沢野崇が悪魔に勝てなかったのは『なぜだろう』。 終盤、兄の沢野崇は弟の沢野良介の端末に電子メールをおくる。『Permanent fatal errors(永続的な致命的なエラーです)』と自動返信される。『なぜひとを殺してはいけないのか』という少年の問いに我我が沈黙せざるをえないかぎり致命的なエラーは永続的につづいてゆく。『神』という論拠は死んだのだからだ。 神は死んでも沢野良介の愛は生きていたことが救いだ。 衝撃的で感動的な巨篇といううたい文句はうそではない。

  • 事件は始まったばかり

    まだ、上巻をよみおわったばかりです。いじめにあっている少年とバラバラ事件がどう関わりあっていくのか、下巻の展開を読み進めています。

  • ドストエフスキーの亜流

    僕はこの小説を読みながら、「どうもドストエフスキーを意識しているのかな?」という印象が読みながら頭から離れなかった。次々に盛り込まれるテーマ、登場人物の過剰なモノローグetctc・・・。読後に他のレビュアーの方のレビューを読んでいたら、実際著者はドストエフスキーのスタイルを意識してこの作品をものしたらしい。だが、僕は上巻から盛り込まれすぎたテーマが後半にどうまとめるのか気になっていた。率直な印象をいうと上巻の完成度が低い。主人公崇の友人や同僚との観念的な芸術論や国際政治論も難解なだけで、主人公の人格描写としてストーリーラインに巧く融合していない。そして前半で家族問題もふくめたテーマを広げすぎた結果、それを下巻でまとめようとしているが、確かに下巻は前半のある意味伏線となったような家族問題らや「悪魔」と称する人間の問題もしっかり構成できている。しかし、一番欠けているのは、ドストエフスキーにみられる登場人物のある意味病的な人格の描写やモノローグにあるような、作品全体を貫く緊張感をたたえた筆力だ。このような多岐にわたるテーマを盛り込んだ場合、読者をひきつけつづけるのは前述した筆力が必須となるし、それがストーリーテリングの核となると思う。残念ながら本作にはそれがない。そのパワーがないと、こういったスタイルの小説は「理に落ちる」結果に終わる。著者の平野啓一郎氏が一切の手抜きなく本作をものしたのはよくわかるし、現代をとらえた大力作であることは間違いない。だが、折々に挿入される特に崇の長セリフのような言葉も盛り込みすぎたテーマに収拾をつけるための「理に落ちる」結果に終わっているような結果にしか見えないし、前述した筆力の欠落からどうも引き付けられない読書となったのが本作の率直な印象だ。 追記・本作発表前に『 真説 ザ・ワールド・イズ・マイン (1)巻 (ビームコミックス) 』という圧倒的におもしろい漫画が発表されているが、平野氏はその作品も意識していたのではないかな・・・。

  • 何が決壊したのか

    人間の弱さは過去に徹底的に暴き出されているが、現代ではそれは巧妙に隠蔽されている。そして、それ故の愚かさは民主主義のもと、時に権利として正義にさえなる。他人の愚かさは理解できても自らのそれは理解されない。逆に人間の強さは、高潔さではなく脆さ、いかがわしさとして認識されるか、または例外として扱われ共感の対象にはなり得ない。 自分が何者かわからないのは共通しても、その深刻さは人それぞれだ。それは同時に、自分がいかに邪悪かという認識においても当てはまる。 自らにも、そして他者に対しても誠実であろうとするほど自らが悪魔であることを自覚せざるを得ず、他者はその存在を疎ましく思う。自分を保とうとすれば欺瞞に陥り、他者に対して無関心で、ときに平気に傷つけていることに気づけない。しかし、そうでなければ正気を失いかねない。 人生を肯定しようとすれば、その代償を払う羽目に陥り、それを他者は皆、無意識に望む。その死が期待され実現されることは、公然の秘密だ。そしてルサンチマンによって、幸福を語る者は生贄になる。不幸こそ格好の餌食なのだ。 果たして、我々は地獄に居るのだろうか?

  • フィクションです。ですが、本当の話かと錯覚してしまいそうになります。

    感想 登場人物のいろんなところに共感できてしまうので、 物語にスッと入り込んだ感じです。 崇やその友人との会話は難解で、 そこはついていくのがやっとなんですが。。。 智哉は「悪魔」に簡単にコントロールされてしまった感じもしますが、 智哉が学校や家庭で置かれていた環境や、「悪魔」と対峙した状況を考えると、 無理もないかなと思い直しました。 「悪魔」が簡単にコントロールできる人物として、 智哉を選んだということもできるわけで、そう考えると納得です。 すなわち、これはフィクションですが、 実際に起こりえる話ってことになります。おー恐っ。

  • 早く届き、しかもきれいでした。

    早くて綺麗でした。 満足です。

  • 感情を揺さぶられる

    普段意識していないような、無意識のレッテル貼りが自分にもあったんだと最後に気がついた。タイトル通り色々なものが決壊していく。厳しい内容だけど今の日本に実際ある問題が反映されているので、読んでよかった。悪意がある人はほぼ居なくて、それぞれが善意と思ってすれ違っていく様が悲しい。

  • 21世紀文学

    平野啓一郎を読むのは2作目です。消費されるのではない、咀嚼して呑み込むのに骨が折れるうえ消化しきれないものがいつまでも残るような文学です。現代日本を背景として描かれるのは、文学的主題としてはあまりにも普遍的な「悪」。物語の奥行きと叙述の肌理の細かさとは不均衡に荒削りなところを感じて当初は戸惑いましたが、月刊誌の連載として書かれたことを知って納得しました。遡及的に修正できないという形式もむしろこの物語にはふさわしく、結果としてこれでよかったのだと思います。できれば物語世界にその都度同期するように、連載として読みたかったと思いました。現代をきちんと書こうとする作家に出会えたこと、その誠実さに、救われる思いがしています。その誠実さが、「決壊」で垣間見せた深淵をさらに抉ってみせる決壊後の物語を可能にしてくれることを心から願っています。

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