作品情報
ありえたかもしれない家族の姿を、並行世界の交錯として描く思想小説。
批評家としての東浩紀の問題意識を、並行世界と家族の物語に変換した作品。可能世界の形式が、父と子、責任、暴力の主題を運ぶ。
レビュー要約
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情報社会論と家族小説を結びつける構想の大きさが評価される。物語の入り組み方を難解と感じる読者もいるが、批評的な主題を小説形式で押し広げた点に強い印象を受ける反応がある。
書籍情報
- 出版社
- 新潮社
- 発売日
- 2009-12-18
- ページ数
- 372ページ
- 言語
- 日本語
- サイズ
- 14 x 2.5 x 19.8 cm
- ISBN-13
- 9784104262038
- ISBN-10
- 410426203X
- 価格
- 941 JPY
- カテゴリ
- 本/文学・評論
2035年から届いたメールがすべての始まりだった。モニタの彼方には、まったく 異なる世界の、まったく異なるわたしの人生があるのだ──。壊れた家族の絆を取り 戻すため、並行世界を遡る量子家族の物語。 批評から小説へ、ゼロ年代のラストに放つ東浩紀の新境地!
レビュー
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不能の肯定
ぼくが人生で一度出会うか出会わないかレベルの小説。ぼく自身のバイブルとも、ぼくの願望の肯定書とも言えるのではないか。 いささかネタバレを記せば、注目すべきは終盤の劇的なシーン。主人公住人は、一連の並行世界の騒動が、「汐子」という風子の作り出したアバター(?)による介入によって仕組まれていたことを知る。その介入は、悪的なものでなく、善的なものであり、その現実も虚構もない粒子的世界(=運命)における一連の流れの円環を閉じてしまえば、滅びゆく別並行世界も、理樹も幼い風子も全て救われることを理解する。その円環を閉じてしまえば、大体はハッピーエンドである。 しかしそれを住人は拒否する。誰を救うとか誰に愛されるだとか誰のために生きるだとかそんなことはすべて忘れてしまえ、と。 ———しかし、そんなのはくそくらえだ!理掛と風子、きみたちに最初で最後、父親らしいことを言おう。ぼくはきみたちの父親でもなんでもないけれど、最後にいちどだけその役割を引き受けて言おう。よけいなことは考えるな。運命のことは考えるな。だれを愛するべきなのか、だれに愛されるべきなのか、なにも考えるな。そんなことを考えていたから世界は滅びたのだ。だれも幸せにならなかったのだ。 運命のその牢獄が汐子のせいなのであれば、汐子を消してしまえばいい。 友梨花のせいならば友梨花を消し、ぼくのせいならばぼくを消してしまえばいい。 きみたちふたりにはそうする権利があるのだ。もとの世界と歴史に戻れなくなるのなら、ここで生きればいい。並行世界からの干渉で記憶を失うのであれば、失ってしまえばいい。他人の身体を使わないと生き残れないのであれば、使い続ければいい。どうせあらゆる生は別の生の可能性を犠牲にしているのだ。これからはぼくときみたちと友梨花の四人で、この世界で生きていこう。そして友梨花の教団をますます大きくしよう。あの風子を立派な子に育てよう。この滅びゆく偽物の世界を肯定しよう。 だからぼくは汐子を消去する。 ぼくたちが帰還する可能性を消去する。 きみたちのうえに奇蹟を起こすために消去する。(東浩紀『クォンタム・ファミリーズ』) それでは誰も救われない。今まで風子や理樹がしてきたことは無意味になるし、幼い風子は死ぬし、並行世界はこのまま滅びゆく。 しかし、新たな物語は始められる。 意味もなく成果もなく、誰もかれもが救われなかったとしても、しかし人生だけは再起動することができる。そこには希望もない、絶望もない。ただ「始まる」。 それは、最後の並行世界の住人が時効が成立している強姦事件の罪を償うために自首する場面に端的に現れている。彼の行動は意味もなく、周りの環境を破壊し、自らを破壊するものであるが、しかしそれでも何かは「始まる」ことができている。 ゲームのプレイヤーはゲームであることを忘れた時に、もっとも強くなれる。それは確かにそうだが、ゲームを続けていくためには、時にはゲームをリセットしなければならない時もあるのだ。虚構の物語を生きるために、その虚構自身を捨てる必要があるように。人生が再起動されることによって、人生が破壊され、人生が破壊されることによって、人生が再起動するように。 終わりのないゲームはゲームではないし、始まらないゲームもゲームではない。 そしてその思いはぼくとも共通し、この小説に書かれている結論は、すべてぼくの生き写しなのだ。ぼくの根源的な欲望なのだ。 これこそが文学だ。 これこそがいのちだ。
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美少女ゲーム+現代思想+SF
つくづくレビューに恵まれない作品である。 でもそれがクォンタムファミリーズという作品だ。 この本を手に取る人はおそらく東浩紀の ・SF作家として ・思想家として ・オタクとして のいずれかの面に興味を持っている人でしょう。 だからこの本を読むと自分が注目していなかった側面を見つけて戸惑う。 結果、様々な想いを綴ったレビューが書かれることになる。 壮大な失敗作?ハイブリッドな思弁小説?それともSF/文学の確定記述の貯蔵庫から生まれたシミュラークル? わからない・・・でもいろんな妄想を掻き立てる小説であることにはに違いない。
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家族テーマの傑作SF
まず、この物語の先入観として東浩紀にはかわいい娘が二人いるということがある。 これを知っているか知らないかでは話がちがってくる。 ぼくは知っている人として読んだが、知らない人が読んだらどう思うか難しい問題だ。 まるで、孤独な男が架空の家族を作り上げて物語を書いているかのように思うかもしれない。 そんなところが魅力的だ。 家族関係について妄想をもたらすことが精神病患者には多いが、 ネットで公にその関係を公開している東浩紀とその家族の関係が妄想であると思わせる記述には、 はっとさせられるものがある。 そして、登場人物である父は悩み、自分は狂っているとすら言及し、 妻と子供に対して、その関係性を疑い、幻想の中へと落ちていく。 これは、古今東西の小説を見ても稀有な成功例であり、唯一「百年の孤独」が 「クォンタムファミリーズ」より刺激的に幻視しているといえるかもしれない。 ああ、思い出した。「死者の代弁者」も家族テーマの傑作であった。 自分の妻の産んだ子供が実の娘だと信じられない。そんな悩みはよくある男性の悩みである。 我が父も、ぼくら兄弟が本当に自分の息子なのかを疑い、母をなじっていた。 父と子供の関係とはそれほどまでに疑惑の濃いものであり、 それを描き出した東浩紀の「クォンタムファミリーズ」はまさに期待されていた家族小説といえるであろう。 そして、このあいまいな関係性しかもたない家族を肯定する結末によって結ばれるこの物語は、 父と子供の関係、夫と妻の関係のかくもあるべきという姿である。 例え、疑惑があろうとも、その疑いを娘に向けるわけにはいかない。 せいぜい妻に向ける程度が許される程度であろう。 実の娘に「おまえなんかおれの子供じゃない」といっていじめてしまうのは、 いくら狂気にとりつかれているからといっても、父として失格であるのはまちがいない。 だから、妻には、いくら嘘であっても愛していると告げ、生きていくしかないのが父なのである。 だから、東浩紀の「クォンタムファミリーズ」は素晴らしい家族小説である。 ただ、難解な小説かもしれないので、文章は読みやすいが中高生程度の量子力学の知識はもって読んだ方がよいであろう。 東浩紀がツイッターで会話をしていたのが当たり前の2009年に読んだなら、より一層幻想的な小説であっただろうが、 それが忘れられていく中でもし読み継がれるなら、この父と娘の物語はどう読み解かれていくのであろうか。 あの時のツイッターのブロック騒動も一大文芸的場面であったといえよう。
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ここまで書けたらあとはこれを支える物を話す、のか
前のレビューの方の言葉に「強姦(…中絶)」という表現を見つけ、少しだけ不思議に念いました。 私たち日本人の女子の名は「子(こ)」を基調としていた時代から、夢いっぱいに「音(ね)」や「花(か)」などに韻を踏むものに移り変わってきているようにおもわれます。氏は過去の因習を「渚(なぎさ)」と言う新しい名の女性に託し「妻・友梨花(ゆりか)」の感情を揺るがす。女性的な精神と肉体には一番の精神的「強姦」はすでに見えているかもしれません。物語という言葉のなかでなら、どうせやるなら精神と肉体とバランスを持たねばヒトの脳は狂ってしまうほどだとしたら。 次の世代の女の「子」たちは、惰性的な恋愛感情ごときは吹き飛ばしてしまうかの如くその名に「風」や「汐」を含みながら家族を取巻き、女親としての彼女たちの因縁は増幅される。この物語り外なら日々の暮らしで紛らわされ、どうでもよくなってしまうところですが、諸社会問題的に氏の内側はソトなのでしょう。「強姦」と名指しされる描写は主人公男性の重大な物語です。とつぜんには社会問題にし難いため、薄ら笑いから爆笑でからかわれ続けるたぐいの。 「同時テロ報道」から描き始める近親愛の脱構築現象としては書き方が難しいことも順を遡る不思議な件があちこちにきらめきます。「夜中の遊園地」は宮部みゆきには殺人現場のように使われてしまいますし、村上春樹の近著には「やったかやらないか」よくわからない強姦が描かれていますが。男性の欲の文章化に男性である氏が挑むのには当たり前とはいえ度肝を抜かれましたが、情はヨミ手に任せ、欲と情が別々にクリスタライズされても、最愛という形容の中の女性の業には、されすぎはない、というところに家族になってからの愛を支える男性の命をさらに支える骨太さがあるとしたら、精神的「強姦」問題をいい加減にしない、という分もどこかにとあるとおもうのですが。 さいごに、この本のレヴューは恵まれているとおもいます。
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小説=語りえぬものを語ること
【語りえぬものについては、沈黙しなければならない】byウィトゲンシュタイン しかし、それを語って聞かせようというのが、小説的試みになるのかと思う。 筆者は、現代思想批評で名を馳せる論者で、本作にもその豊富な知識が援用されていて、おもしろく、 パラレルワールドという陳腐なSF設定をアカデミックな理論構成で説明してやろうという企みは、通常の 作家にはないもので至極意欲的だが、恐らくそこは成功していないだろう。 それよりも性(倒錯的)や暴力、家族に関わる描写がよく、旧来的な作家的作文と思えるような部分が 引き立っているのが、不思議なくらいだが、なるほど文中に言及されるPKディックや村上春樹はもとより、 中上健次、村上龍、大江健三郎などの作例がそこここに感じられて、これは筆者の文学に対するオマージュにも 成っているようだ。 対して現代思想を用い、小説の大体を構成しているSF部分は、当初から破綻含みの結末を 覚悟の上で描かれたものかと思う。援用される現代思想は、既に自らの過ちを認め、その終焉を宣言されたとも 言われており、筆者は、正直にこの状況を反映させながら、小説自体も(不可避的に)躓かせてしまっている。 いずれにしても豊かな内容の作品で、本作の重要なモチーフのひとつにウィトゲンシュタインもあるかと思う。 その著書『哲学探究』のなかで、 「家族的類似」とは、ゲーム」(独: Spiel)という語をとりあげ、「ゲーム」と呼ばれている全ての外延(対象)を 特徴づけるような共通の内包(意義)は存在せず、実際には「勝敗が定まること」や「娯楽性」など部分的に 共通する特徴によって全体が緩くつながっているに過ぎないことを指摘し、これを【家族的類似】と名付けた wikiより では、【家族】というものは、畢竟、【家族的類似】なのだろうか?? _こんな問いが胸を突きます。 本作にこうして穿って伺えるよう、現在は、多くの意味で哲学思想の転換点に差し掛かっているようで、 西洋に於いて神学が科学へと成り代り、現代文明の成果をその思想より工学に見よう筆者には、共感したい。 人間存在が科学されて行ってしまう昨今、現代人の不安は尽きないのだけれども、しかしやはり家族とは、 唯一無二の現実であり、本作にも日常的な倫理感性を伝える終章にそのことが実感されるので、どうかご安心あれ。 哲学の終焉を越えて尚、語りえぬものについて語ってみせる行為(小説)とは、何よりもまず現実によく試練され ながら再び組み直されてゆく思想(創造)の機会であり、それは安易に権威化するような象牙の塔には成りえない。 そういうことを眼目としながら、筆者も小説という表現を試したような気がするし、それならそれで新しく、 賢明で果敢な対応であると思う。 本作評価は、☆三つでご勘弁。 探究(1) (講談社学術文庫) 論理哲学論考 (岩波文庫) 精神と物質―意識と科学的世界像をめぐる考察
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酷い・・・購入費を返して欲しい
ひどい・・・ ユーズドで買ったのであまり威張れないけど 本当に、ひたすら時間とお金を無駄にしたと言う感想。 パラレルワールドなんてパロディにするにも陳腐すぎる設定に、どんどんパラレルワールドを重ねれば分かりにくくなるのは当たり前。 関係代名詞だらけの文章がわかりにくいのは理の当然で、作者としては頭が良いのを自慢したいのかもしれないが、本当に、わかりにくいストーリー。 難しくして前衛を気取りたいのかもしれないけど、自分と言う存在が、2つのパラレルに、4つのパラレルに、と、パラレルワールドを増やして行けばわかりにくくなるのは当たり前。 朝生とかで泣きそうになりながら頑張っているし、結構、楽しみにしていたのに・・・ もっとまじめに読者に理解させる文章を選んで、ちゃんと推敲してから書いて欲しい上、人物描写は本当に酷すぎる。今時の携帯小説でももっとまともだと思う。 こちらの頭が悪くて、わかりにくいのだと思いたいが、 購入した中古の本では、前の読者の方がいろいろメモしていて、下線やメモ書きで、必死に理解しようとした後が残っていて、 「ああ、やっぱり、気合いを入れてメモしながら読んでも、誰にでもわかりにくい小説なんだ」と、素直に納得できる。 作者は、放射能が怖くて、東京から逃げ出したりしているそうだが 現在の降下レベルでは、内部被曝と会わせても、がんも奇形も増えない範囲なことは事実なので、まあそう言う人なのでしょう。 悪い事は言わない。東京ではなく、日本から出て行って、小説を日本語で書くのは止めた方がベストと思う。
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傑作ハードSF
一気に読まされた。 思想家・東浩紀の様々な”種”に触れられる作品だった。 扱ってるSFの題材の量子論もすごくよかった。
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次世界空間
はじめなんの話かわからなかった。 が、読み進めていくにつれ深みに入りはまりました。
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