狂うひと ──「死の棘」の妻・島尾ミホ
島尾敏雄の『死の棘』に描かれた妻、島尾ミホの生涯と創作を、日記、手紙、草稿、関係者取材からたどる評伝。夫婦の神話化された関係を解きほぐし、ミホ自身の作家性と苛烈な生を前景化する。
作品情報
『死の棘』の向こう側にいた女性を、資料と証言から読み直す評伝。
新潮社の単行本として 2016 年に刊行され、後に文庫化された。Amazon JP、NDL 系書誌、出版社公式の確認対象は受賞時点に近い単行本で、ISBN-13 9784104774029 と ISBN-10 4104774022 を確認した。紙書籍のため ASIN も ISBN-10 と同値で補完した。
レビュー要約
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膨大な資料を読み解く密度と、既存の文学史的イメージを更新する視点が高く評価されている。島尾敏雄への厳しい読みを含むため重い読後感もあるが、ミホを一人の表現者として立ち上げた点が強い印象を残す。
書籍情報
- 出版社
- 新潮社
- 発売日
- 2016-10-31
- ページ数
- 672ページ
- 言語
- 日本語
- サイズ
- 14 x 3.5 x 19.7 cm
- ISBN-13
- 9784104774029
- ISBN-10
- 4104774022
- 価格
- 3000 JPY
- カテゴリ
- 本/文学・評論
戦後文学史に残る伝説的夫婦の真実に迫り、『死の棘』の謎を解く衝撃大作。 島尾敏雄の『死の棘』に登場する愛人「あいつ」の正体は? あの日記には何が書かれていたのか。 ミホの書いた「『死の棘』の妻の場合」は、なぜ未完成なのか。 そして本当に狂っていたのは妻か夫か──。 未発表原稿や日記、手紙等の膨大な新資料によって、 不朽の名作の隠された事実を掘り起こし、 妻・ミホ生涯を辿る、渾身の決定版評伝。 目次より 序章 「死の棘」の妻の場合 第一章 戦時下の恋 第二章 二人の父 第三章 終戦まで 第四章 結婚 第五章 夫の愛人 第六章 審判の日 第七章 対決 第八章 精神病棟にて 第九章 奄美へ 第十章 書く女 第十一章 死別 第十二章 最期 「死の棘」あらすじ/島尾敏雄・ミホ年譜/主要参考文献
1961年熊本県生れ。北海道大学文学部卒業。編集者を経て文筆業に。『散るぞ悲しき』で、2006年に大宅壮一ノンフィクション賞を受賞、同書は米・英・仏・伊など世界8カ国で翻訳出版されている。著書に『昭和二十年夏、僕は兵士だった』『昭和の遺書──55人の魂の記録』『百年の手紙──日本人が遺したことば』『廃線紀行──もうひとつの鉄道旅』『愛の顛末──純愛とスキャンダルの文学史』など多数。
レビュー
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書く人と書かれる人、文学の業に、圧倒された1冊。
私は、「死の棘」を読んだこともないし、島尾敏雄についても何の知識も持っていなかったが、書評を見て購入しようという気になった。 買ってよかった。 とにかく、力の入った1冊で、なかなか時間はかかったけれど、ようやく読み終えた。 読み終えることができてよかった。 本書の著者、梯久美子さんも 対象になっている、島尾敏雄夫妻も ここまで書く人、書かれる人としての覚悟を持っているのが、文学なのだろう。 しかし、この島尾夫妻は、それぞれにすごい。 私は、どちらかというと、ミホの肩を持ちたい。 敏雄は、ただの甘ちゃんのM男としか思えない。 ミホは、最初は、狂う人を演技していたのだろうな。 島尾夫妻の子供たちは、島尾夫妻の文学への狂気の犠牲者なのだろう。 ミホは、おそらく、自分も含めて、家族は、敏雄への、捧げものと考えていたのだろう。 まるで宗教、殉教だなあと思った。 評伝を書くことに同意した、島尾夫妻の長男伸三氏も、父母の文学にささげた人生を認めているのだろうと思った。 とにかく、圧倒的で、すごい1冊。
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やっぱり巫女っぽいよ
いやー面白かった。あまりに文学的でありすぎた変人夫婦の、あまりに多面的な心の真実に、真っ向から誠実に切り込んでいるように感じた。二人の膨大な著作や日記、メモを縦横に引用しているので、もはや島尾敏夫/ミホの作品は読まなくていいかなとすら思えてしまった(未読です)。でも唯一読みたくなったのは、ミホが子どもの頃の思い出をもとに書いた2冊だ。インテリだったり主婦だったり作家だったりいろいろな面のあるミホだが、やはりどこか「南島の巫女」の雰囲気を常にまとっていて、そこが作家としても主人公としても一番の魅力だったんじゃないかと思った。
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良かったです
読み応えあり
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圧巻! 著者の執念のようなものさえ感じる大部!!
600ページを超える大部である。 しかし、どこにも無駄が感じられない。著者の執念とも思える取材と そこから生まれた緊迫感のある文章。 奥野健男や吉本隆明らによってつくられた島尾ミホのイメージを 覆すというか一変させるというか……。 ミホへのインタビューは未完に終わるのだが,その後発見された膨大な資料を 著者はおそらく何もかも忘れるほど没頭して読み込んだのだろう。 でないと、ここまでのノンフィクションはできない。 ミホを狂わせた17文字とは、何だったのだろうか。俳句だったのだろうか手紙の一節だったのだろうか。 いずれにしても「文字」によって、彼女は突き動かされる。 『死の棘』の凄さの秘密を見る思いの力作である。
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濃密な一冊
感銘しました。 電車で読みふけり、目的の駅を通り過ぎてしまうことが何度かありました。 対象に寄り添うのに冷静な著者の文体に惹かれたのは、この本の前に読んだ散るぞ悲しきでしたが、今回も、通底する冷静なあたたかみに魅せられながら、読了いたしました。 終わりに近づき、どう締めくくるのかと楽しみにしていましたら、あっけなく、ぷつりと終わりました。そう感じました。 きっと、それは、もっと読みたい、読んでいたい、このしたたかな知力に触れていたい、という気持ちの高まりのせいだったと思います。
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私ね、島尾の骨を食べましたのよ
2016年の最大の文学的偉業、梯久美子(かけはしくみこ)による島尾ミホの評伝「狂う人」を読むにあたり、島尾敏雄の17年間にわたり書きつづけられた長編「死の棘」を取り出してみた。昭和52年出版の世の中を震撼とさせたこの黙示録に、当時、生きるエネルギ-が全部吸収されてしまうかのような衝撃を受けたのを覚えている。その2年前の昭和50年に刊行された東欧紀行「夢のかげを求めて」は、この国でこれまでに書かれた紀行文の金字塔とでもいうべき作品だった。多くの日本人にとって振り子の振れ幅の一番端に位置するポーランドやチェコという、普通ならばわきにどけておく国々の人々が、ページから忽然と目の前に立ち現れる。「死の棘」はそれとのギャップが大きすぎてすくんでしまったのだ。 「死の棘」は、夫の浮気を知り精神に錯乱をきたした妻のミホとともに夫が千葉県の国立国府台病院精神科の閉鎖病棟に入院するところで終わる。ミホの評伝であるこの「狂う人」は、そこにいたる過程をミホからの聞き取りを中心におきつつも、語られていない多くの出来事を文献により推測しながらミホの半生を丹念に検証していく。そのうえで、小説の終わったあとのことが本の1/3を占める。閉鎖病棟でのふたりの生活(といえるだろうか?) が克明に記録されている。退院後に、ふたりは禁忌にとりまかれた東京を離れ、移住先の奄美大嶋にわたる。「いくら島尾が心を入れ替えても、その裏切りは、島尾が女とともに踏んだ土地に刻印され、消えることがない。」からだ。 奄美での生活。次第に落ち着きを取り戻していくふたり。ミホもまたさまざまな作品を書き残すようになる。奄美の因習や閉鎖的な共同体での怨念や狂気を奄美の方言や表記法を多用して書かれたミホの小説は、その文章の「呼吸するように自然に外界と呼応しあう感覚」の新鮮さにより本土の多くの読者をひきつけている。 昭和51年、二十年間暮らした奄美を去り鹿児島の指宿を経由してその後神奈川県茅ケ崎に転居する。「家から茅ケ崎駅まではタクシ-で5分ほどだが、島尾は駅につくとすぐに電話で「○時○分の東京行きに電車に乗ります」と知らせてくる。帰りにも、東京駅から克明に電話連絡があり、茅ケ崎駅に着くと、タクシ-乗り場に並んでいる人の数を伝え、家に到着する時間をミホに伝えたという。この分刻みの報告を「ミホはそれを自分への愛情の証として語った」。 島尾は体調を崩し、再び鹿児島県に転居。昭和61年に死去した。「私ね、島尾の骨を食べましたのよ」。「狂うほど夫を愛した妻にふさわしい別れの儀式のように思ったのである。」と梯は書いている。 なんといっても、第一章、奄美の加計呂麻島に赴任したばかりの若い島尾敏雄と島の長の娘であり巫女の血を継いだとされるミホとの逢瀬についての記録は印象的だ。「ヒルマ、ハマベニ行クト、ミホの座ッテイタトコロガ凹ンデイタ」。それをみて、今日の夜にまた来るに違いないと思いこみ、島尾は兵舎を抜け出してそのくぼみの横に座り、一晩中星明りの下で待つ。「ハマベハ闇バカリ、ハゴイタ星ハ大分タカク空の上に上ツテイタ。ヤガテ気味ワルイ金星ガギラギラ光リダシタノデ、ヌケガラノヨウニナッテ帰ッタ。星ガ流レル。」こう記した島尾の手紙は、翌日、ミホの勤務している学校に届けられた、という。
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著者の取材と筆力には深く感じ入ったものの、割り切れない気持ちが残った
『死の棘』のモデルとなった島尾敏雄・ミホ夫妻を丹念に追ったノンフィクション。 ミホ夫人の伝記を書く依頼を受けた著者は(結局、これはミホから断られるかたちになったが) 彼女の死後に残された大量の資料をひもといて『死の棘』の真実に迫ろうとしている。 奄美大島出身であるミホの家系や養父母の人となりを掘り起こし、 ミホの狂気の原因となった島尾敏雄の情事の相手を特定し(本著では仮名で記されている)、 文学仲間や親戚にまで話を聞いて彼女の実像に迫るという徹底ぶりには驚かされた。 島尾夫妻を描いた本としては、現時点では最高の一冊だろう。 吉本隆明や奥野健郎の唱えた「ミホ=聖なる存在」という図式に 女性の立場から異を唱えている点が印象に残り、ミホ夫人が「自分を正当化するための 物語をつくりあげた」と指摘している箇所にははっとした。 そして著者の取材や筆力に感心すればするほど、夫妻の「愛の物語」を神格化しようとしたミホ夫人や 自らの芸術のために夫人を利用したともとれる島尾敏雄に対する 割り切れない気持ちがつのっていくのを抑えられなかった。 幼い日々に父母の激しい諍いに苦しんだ長男の島尾伸三氏は 「この人たちは何をやっているんだ」と思った、とある編集者に打ち明けたと聞く。 両親の確執の間できわめて暗い子供時代を送った伸三氏と妹のマヤさん(失語症で苦しんだ)に思いを馳せると、 梯氏の尽力に感銘を受けつつも、島尾夫妻は文学という業に憑かれた哀しい人々と感じられてならなかった。
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許されざる梯の偏向
(1) この書を読んで印象に残ったこと。 1. ユカリッチュ(琉球士族)大平夫妻の教養とその生涯 2. 天女マヤの昇天 3. ムレヌタハベグトゥ(らい者の呪文) 4. 南島の名家の子女の嗜みから漂う品位 5. あきんどの階層に育った繊細な文学志望の男の無残 6. 明晰な奄美近世史の叙述 7. 犯罪的な梯の偏向(梯の恥部) (2) 以下は上記(7)の周辺に関する感想である。 (イ) 奇書である・・・タイトルからしてすでに疑惑に満ちている。「意図的に狂うひと」 といい たげである。意図的に狂って島尾を終生苦しめ、島尾はミホの発作が怖いがゆえに ミホに「忍従」した、と。全巻を貫くのはこの諸悪の根源はミホにあり、といわんばかり のスタンスである。この書はおどろきに満ちている。著者たる梯の偏向へのおどろき である。 (ロ) おどろき(1)・・・本当におどろくのはミホに関する真偽の判断の根拠をつねに島尾の日記 に求めていることである。これがこの書の唯一の方法である。確たる「日記論」があっての ことではない。ミホが何を言っても、そのことが島尾の日記に書かれていなければミホの言 っていることは、疑わしい、演技ではないか、狂言くさい、というわけである。おどろくべきことだが、梯には日記に「書かれていないこと」への視線がまったくないのである。この書中における島尾の日記の断片をみるかぎり、島尾は父親に敬語を使っている。当然すぎるほど自然だ。百姓の三男が丁稚奉公から身を起こし刻苦勉励して商売を成功させ、長いこと学資を送ってくれいまや結婚後の生活までまる抱えしてくれている親である。この親を卑しめるような文句を日記に記すとは考えられない。たとえば、「カナカ族」とか「土人」といった言葉を親たちから浴びせられて辱めをうけたとミホが訴えても、「島尾の日記には書かれていない」からといってミホの言を疑問視する。つまり、島尾の日記が真偽の判断の根拠になっているのである。 島尾が親を卑しめるようなことを日記に書くはずがないことにはいっさい視線を向けようとはしないのである。はじめからお終いまで島尾一族と島尾に対して腰が引けているのはなぜなのか、まことに不可解である。最初から島尾一族と島尾を免罪しているのである。 犯人を免罪すれば他に犯人を求めざるをえなくなる。実際、「227頁」は本書最大の疑惑のページである。「侮蔑の視線」などといっているが主語がない。文脈から判断するかぎり、なぜか知らぬが梯は島尾一族を免罪したくて免罪したくてしょうがないわけだから、主語は島尾家の「外」の神戸人ということになる。神戸人がミホを凌辱したと言いたいらしい。 ではなぜ 「493頁」 の事態が発生したのか。「493頁」では、遠路はるばる奄美まで息子 や孫に会いに来た島尾の父にたいして、ミホは頑として門戸を閉ざし息子にも孫にも合わせなかった、と書かれている。侮蔑の様相をすこしでも知っているものならばこの梯の犯罪的な偏向からくる撞着を許さないだろう。島尾の父親や一族がミホを辱めたことを疑う余地はまったくない。 (ハ) おどろき(2)・・・昭和20年までの日本社会は大きなデコボコがあった(身分制社会)。 そのデコボコに対応した社会通念が社会を支配していた。梯は「家柄・血統・分限者・拝 み屋」といった死語がまだ生きていた時代をそれでもって活写する抜きん出た能力をもっ ている。ところが、島尾一族や島尾に対してだけは一切を不問に付している。実に不可 思議である。明治以後、「帝大」レベルでは学者も学生も大半が士族出身であった。丁 稚奉公から 出たあきんどを親にもつ学生は稀中の稀である。しかも内心文学を志して いる。「挙動不審」で「ややこしい」性格が形成されない方がおかしい。くちには出して言 うまいが、島尾は自家と大平家の文化の違いを誰よりもよく感じとっていたはずだ。島尾 がミホに 「引き寄せ」 られたのは、自分の育った階層にはないものをミホがもっていた からである。一目瞭然、ミホの相聞から香り立つものは南島の良家の子女の嗜みから漂 う品位である。 (文学少女」云々はまったくの見当違い) 島尾はミホの引力を「呪詛」と文学的に昇華 した。それを受けた梯の文学的呪詛論(345頁)はたった4行だが立派なもので彼女の知 性がもっとも輝く瞬間である。 (ニ) おどろき(3)・・・以下の光景を目撃したことがある。被差別者の集会にたった一人で乗 り込んで来た神戸の在日朝鮮人の高校生がマイクを前にして満座の聴衆に向かって 「お 前らどななツラさらして のこのこ出て来とんねん!お前らがワシらをいちばん差別して きたやないかい!」 一人で満場を圧倒した。会場が静まりかえったことはいうまでもない。 いちばん差別されたものがいちばん差別するという不条理を糾弾した。 さて、裕福になり生活に余裕ができるとあきんどは必ず 「欠けたもの」 を意識するよう になる。誰かを侮蔑することでその穴を埋めようとするのは広くみられる現象である。息子 の嫁を謗る場合、息子の不在のときが当然ひどくなる。しかし、ミホは事後いつかは夫に 訴えているはずだ。息子の居る場で遠回しに辱める場合もある。いずれの際も島尾は黙っ て下をむいていたのではないか。ミホの言う「夫の冷たさ」 である。党員作家井上光晴な らば親と抗ったであろうが島尾は粗野な井上とは違う。黙って下をむいていたにちがい ない。しかしその沈黙こそが、島尾にとっては「地獄」であり、ミホにたいしては巨大な「負 い目」となったことはまったく疑う余地がない。 (奥野などが惜愛してやまなかったのは 島尾のそういう資質ではなかったのか) ゆくゆくミホの「しもべ」か「奴隷」となることでその「負い目」を贖うよりほかなかった はずだ。島尾の奄美の知人の夫人が「島尾先生はこわいくらいにミホさんにやさしかった。 こんな旦那さんがこの世にいるのかと思いました」 と言っているのはそのことである。 「しもべ」となること によってはじめて「人間」たりえたのである。 ところが梯は終始、島尾がミホに「忍従」したのはミホの発作が怖いからであり、挙句 のはて「ミホの束縛を・・・受け容れてきた島尾が晩年には疲れ切っていたことがわかる」 (550頁)などと書くのである。最初のボタンを故意に掛け違えているからどこまでいって も悪意の誤謬はつづく。わたしはまさか吉本や奥野といった天下のアホの言う世迷言を お利口さんが真に受けるとこういうことになるのかな、と思ったり したが、どうもそうでは なさそうである。 すくなくとも彼らには、たとえば古代人の苦悩が行き着いた三位を一体 とする虚構を認知する底力があったが、梯のミホ論にはそれはない。 ミホを悪人に仕立てるために島尾を不問にし免罪したと考える。この書はミホにたいする 著者の意趣返しの臭いがする。いちどは島尾にたいするミホの存在を「圧倒的」といい ながら、終始その圧倒性を否定しようとしているかの感がある。 最後の一文(661頁)はまことに奇異である。ミホに感謝しそのすぐれた作品を読むよう 推奨しているが、おそらくこの書がミホへのオマージュにならなかったことへの 埋め合わせとしてこの一文を付け加えたのだろう。しかしいずれにしても、ミホの 評伝をなぜ書きたいと思ったかが最後までわからなかった。 (3) わたしが想像する天上のマヤさんの囁き。 「ホラネ ホラネ アタシノトウサン オカシイデショ。ニッキヲナゾルカタチデシカショウ セツガカケナイナンテ ニセモノヨ。トウサンハ オカアサマガ モノヲカクノヲ キラッ テイマシタ オカアサマハ テンサイダカラ ミンナノカンシンガ オカアサマニアツマ ルト コマルデショ。トウサンハ ツマラナイ ショウセツヲカクタメニ オカアサマノテン サイヲ クイホロボシテシマイマシタ。 カワイソウナ オカアサマ。デモトウサンハ ヤサシイカラ アタシハ トウサンガスキデス」