日本の文学賞

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落花

山本周五郎賞

落花

澤田瞳子

仁和寺の僧・寛朝が東国で出会う若き平将門を通じ、武士の世の胎動を描く歴史長編。荒ぶる土地、戦場の熱、中央と東国の緊張を背景に、のちに謀反人と呼ばれる男の姿を力強く立ち上げる。

平将門平安時代武士の胎動東国歴史長編

作品情報

平将門という荒ぶる存在を通して、武士の世が生まれる瞬間を描く。

『落花』は、仁和寺僧・寛朝の視線を通じて、東国の風土と平将門の存在を描き出す。中央の価値観だけでは測れない土地の力と、人々の欲望や誇りがぶつかり合い、武士の世へ向かう歴史のうねりが長編の骨格を成している。

レビュー要約

  • 戦場の音や土地の荒々しさを生かした筆致が印象的で、歴史上の人物を単なる反逆者ではなく時代の変化を体現する存在として描く点が読みどころになっている。

書籍情報

出版社
中央公論新社
発売日
2019-03-16
ページ数
410ページ
言語
日本語
サイズ
14 x 3 x 19.6 cm
ISBN-13
9784120051746
ISBN-10
4120051749
価格
1870 JPY
カテゴリ
本/文学・評論

将門という男は、なぜかくも激しく不器用なのだ! 音楽に取り憑かれ、「至誠の声」を求め旅に出た仁和寺の僧・寛朝。 荒ぶる坂東の地で出会ったのは、古き法に背き、ならず者と謗られる人物だった――。 土豪、傀儡女、群盗……やがて来たる武士の世を前に、混迷を生きる東国の人々。 その野卑にして不羈な生き様に接し、都人はどんな音を見出すのか。 父に疎まれ、梵唄の才で見返そうとする寛朝 逆賊と呼ばれても、配下を守ろうとする将門 下人の身にして、幻の琵琶を手にせんと策略を巡らす千歳 「至誠の楽人」の名声を捨て、都から突然姿を消した是緒 己の道を貫かんともがく男たちの衝突、東西の邂逅を、 『若冲』『火定』の俊英が壮大なスケールで描き出す!

澤田瞳子 1977年京都市生まれ。同志社大学文学部文化史学専攻卒、同大学院博士前期課程修了。2010年『孤鷹の天』で小説家デビュー。同作により第17回中山義秀文学賞を最年少受賞。13年『満つる月の如し』で第2回本屋が選ぶ時代小説大賞ならびに第32回新田次郎文学賞を受賞。近年の著書に『若冲』(第9回親鸞賞受賞)『腐れ梅』『火定』など。

レビュー

  • 本と共に心に残る。お買い物。

    発売当初〜気になり読みたい!と思いつつ忘れてました。ひょんなことからご紹介頂き注文!対応が早く!丁寧な梱包で安心致しました。読むのが楽しみです。有難うございました。

  • 最新の出版を読む前に

    中古で購入しましたが、申し訳ないほど綺麗でした。読みやすく、これからどう展開するのかが楽しみです。

  • 澤田さんの古代物語ワールドを堪能できます

    本の帯のキャッチフレーズ風に言えば、「目くるめく澤田ワールド。時は平安中期、所は坂東。野に海に繰り広げられる戦闘の中で見つけた『至誠の声』とは・・・。」でしょうか。 お経に節をつけて唱える梵唄(ぼんばい)、漢詩の朗詠、琵琶の音、香取の海(霞ヶ浦)に浮かぶ傀儡女船(遊女船)、野を駆ける盗賊、そして平将門の乱。歴史の通説とは違う物語ですが、古語を駆使した簡潔な文で、黒沢明のアクション映画さながらの迫力あるシーンが描かれます。 物語の展開で数か所、納得性にちょっと疑問を感じるところがありますが、梵唄(声明)の名手の僧侶・寛朝が坂東の野で探し、聴き、見つけた妙なる音、「至誠の声」の提示は素晴らしいものでした。

  • いつもの澤田さん

    直木賞を受賞した著者の作品は過去に2、3読んだことがある。「若冲」は別として「腐れ梅」の読後感は良くなかった。 本書は、平将門を題材としており、舞台も常陸、下野や下総とそれなりに土地勘もあるところなので、期待して読み始めたのだが、やはりどうも面白くない。やっとのことで最後まで読み終えた。 巻末には参考文献のリストが収められており、それを見ると相当な準備が投入されている。著者の経歴を見る限り、おそらく最近の歴史学の成果も反映されているのだろう。そしてテーマの選択も類書には見られないもので、悪くない。仏教と音楽という切っても切れない関係にある2つの存在が本書の基底に置かれている。 ところがだが、出来上がった作品は面白くない。仏教と音楽というテーマが、この時代の文脈ではそうとうにわかり難いもので、この歴史小説の読者を引き付けるためには、それなりの創造的な昇華を必要とするのだが、つまるところわかり易く消化されていないのだ。 将門の描き方も平板だ。周りの係累の抗争に無理やり引き込まれてしまった人物という扱いだ。最近の歴史学会の定説はそうなのかもしれない。ただこれでは本作品の中心人物たりえない。歴史的な人物でもある寛朝もあくまでも傍観者の域を出ないのだ。寛朝が東国に現れた理由もどうも一般読者にはわかり難い。 全編を通して流れる東国と都の対立というストーリーも平板なもの。そこに霞ヶ浦を根城とする自由な存在としての「傀儡女船」という新味を加えてみたのだが、最終的に出来上がったストーリーラインはよくわからない。戦闘シーンに至っては、驚くべきことに、残酷な描写がかなり頻出するのだが、その美的昇華への努力にもかかわらず、とばし読みになってしまう。 この著者の作品、また読むことがあるのかな。

  • いま私が立っているこの世界で、かつて、たしかに生きた人たちの物語

    読売新聞の連載をとびとびで読んで、『若沖』で話題(直木賞候補になってた)の著者だし本になったら読みたいな、と思っていた作品。 主人公は二人。私でさえも知っている平清盛と、寛朝という、徒然草でおなじみ「仁和寺」のお坊さん。仁和寺の法師といったら、お調子者だったりうっかり者だったりというイメージしかなかったのですが(兼好のせいだ)、この寛朝は生真面目で、悩みの多い「音楽家」。彼が究めようとしているのは、琴でも琵琶でも笛でもなく、梵唄(ぼんばい)です。 ボンバイ。このイマイチ聞き慣れない音楽ジャンルが、数年前、友人に誘われて聴いた声明(しょうみょう)と同じものを指している、と気づいた瞬間、私はこの物語の虜になりました。 それまで足を踏み入れたこともなかった築地本願寺に溢れる、幾重にもかさなったお坊さんの声。歌のような、お経のような、不思議な音階の連なりが、大きな大きなうねりになって、圧倒された私は、もうこれはただ頭を垂れて手を合わせるしかない……という気分になったものでした。あんなに感激したのに、その後すっかり忘れてました。不信心でお恥ずかしい。 ともあれ、この物語全編を貫くのは「音楽」です。寛朝の追い求める「至誠の声」、将門が戦場で響かせるさまざまな音、その他の登場人物も皆、それぞれの音楽を携えています。音楽の素養なんてろくにない私ですが、この作品を読んでいる間、どんなシーンにも、高く低く音楽が流れているのを感じました。この作家さんは、音楽と共に生きて死ぬ人間の業の深さを丹念に描写することで、インクの乗った紙の束に「音楽」を生み出そうとして(たぶん)、そしてそれは成功している、と、思います。 漢字はたくさんだけど難しい単語はそう多くはなく、登場人物のセリフは平易で、とても自然。丹念に選び抜かれた(これは間違いない)言葉の連なりを気持ちよく辿っていくうちに、物語はぐんぐん進みます。 それにしても、登場人物の内面を含む描写の細やかなこと。想像だってことは承知してるんですけど、私には、目の前で起こっているものごとをそのまま書き留めている……くらいに感じられました。平安時代って異世界なんかじゃなく、現在と地続きなんだなあ。こんな実感をもっと早く持てていたら、興味を持って日本史を学べていたかもなあ。 澤田瞳子さん、すごい。他の作品も読みます。

  • 海音寺将門に裏から挑む快作!

    英雄史観的かつ英雄叙事詩的な海音寺潮五郎『平将門』に比べて、乱に翻弄される官人や僧侶、傀儡女たちの視点から描かれる生々しい戦禍としての将門の乱。かなり最新の研究成果も取り入れていると思う。 三里離れた山上から俯瞰する将門と秀郷の戦いが斬新。 最初、会話文のヘタクソさで乗りにくかったんだが(海音寺将門の台詞の妙! いや、彼が上手すぎるのだ)、最後は珍しく泣きながら読んだ。 海音寺潮五郎『平将門』という比類なき巨壁がありながら怯まず挑んだ快作。 素晴らしいと思います。

  • 承平・天慶の乱の新解釈、良いと思います。

    平安時代の貴族社会の没落と武士勢力の台頭の時期、僧・寛朝の目を通して、関東地方の混乱ぶりを活劇風にえがかれた展開を、大変面白く読むことが出来た。寛朝自身の生い立ちが、貴族社会に浸かった生活だったのに対し、当時の関東は、別世界の様相であったと思う。梵唄の名手、琵琶の名器を求めて彷徨う姿が、戦場の喧騒の中で聞こえる「音」に凝縮されていく部分は、梵唄を知らないものにも、無常観とともに伝わってくる。 平将門や平貞盛との交流場面も、新しい社会の幕開けとして大人物であったような風格を想わせている。 最近の書店では、歴史小説・時代小説のジャンルが隅に追いやられているような気がしている。彼女(著者)の作品をすべて読んでいる私は、何か文学賞を取って欲しいと願っている一人です。健闘を祈ります。

  • この時代の背景が良く分かる

    平 将門は平安中期の人物で下総、常陸方面の人なのに、神田明神に祀られていたり、首塚も大手町にある。 この本を読むと時代背景が良く分かります。

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