作品情報
百間の言葉と日記を手がかりに、ひとりの作家の輪郭が濃くなる。
中央公論新社の単行本。内田百間の作品と日記を読み込みながら、その人柄と時代背景を立体的に描く。
書籍情報
- 出版社
- 中央公論新社
- 発売日
- 2021-06-21
- ページ数
- 567ページ
- 言語
- 日本語
- サイズ
- 14.2 x 3.9 x 19.7 cm
- ISBN-13
- 9784120054396
- ISBN-10
- 412005439X
- 価格
- 3960 JPY
- カテゴリ
- 本/文学・評論
「風といふより、音ぢやないですか」――没後50年を迎えた内田百間の残した作品と戦前・戦後の膨大な日記を、稀代の日記読みが丹念に読み込む初の評伝。「恋文」「恋日記」の時代から結婚、そして別居、学生たちとの深い交流、高利貸しとの付き合い、飛行機と船と汽車、名作誕生の経緯など、周辺の事実と照合しながら、その「わがまま」な人生を再構築する。なお、「百間」の号は出身地・岡山の百間川に由来し、当人も戦中のある時期までは「百間」を使っていたので、本書では「百間」で統一する。 序章 ロッパ日記から百間日記へ 第一章 捨て子の母、野心家の父 第二章 初恋日記 第三章 素琴先生と仲間たち 第四章 此縁談調へ難し 第五章 百間成婚、君に先んぜらる 第六章 帝国大学は出たものの 第七章 漱石先生の死 第八章 海軍機関学校とスペイン風邪 第九章 大正八年春、家計破綻す 第十章 豚小屋の法政大学 第十一章 『冥途』と隣家の殺人事件 第十二章 関東大震災と高利貸 第十三章 債鬼におわれて三千里 第十四章 芥川の死と砂利場の日々 第十五章 法政航空研の「陽気な秘密」 第十六章 百間の空想は偉なり 第十七章 法政大学の空騒ぎ 第十八章 『百鬼園随筆』と風船画伯 第十九章 二二六事件から「相剋記」へ 第二十章 事変前夜の桑原会 第二十一章 支那事変と「東京日記」 第二十二章 日本郵船の夢獅山房 第二十三章 太平洋戦争と錬金術 第二十四章 東京焼盡、滂沱の涙 第二十五章 掘立小屋からの脱出 第二十六章 サラサーテの盤に阿房列車 終章 摩阿陀会の黄昏
山本一生 1948年生まれ。近代史家、競馬史家。東京大学文学部国史学科卒業後は、富士石油入社し、おもに線形計画法を用いたシステム開発業務に携わる傍ら、競馬の歴史や文学、血統に関する翻訳やエッセイを発表した。1997年にフリーになると近代史に転じ、恩師である伊藤隆東大名誉教授のもとで『有馬頼寧日記』の編集に加わり、その後は「日記読み」として戦間期の日記をもとに時代を読み解く試みを行っている。 『恋と伯爵と大正デモクラシー:有馬頼寧日記1919』(日本経済新聞社)で第56回日本エッセイスト・クラブ賞受賞。 その他の著作としては『哀しすぎるぞ、ロッパ:古川ロッパ日記と消えた昭和』(講談社)、『水を石油に変える人:山本五十六、不覚の一瞬』(文藝春秋)、『日記逍遙 昭和を行く』(平凡社新書)、『増補 競馬学への招待』(平凡社ライブラリー)、『書斎の競馬学』(平凡社新書)、『競馬学の冒険』(毎日新聞社)、『ああ、あたしのトウショウボーイ』(青土社)などがある。
レビュー
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百間すらまとめる気がなかった、人生の集成 百間ファンは必読
山本一生という人の本で、分厚い。値段も3800円+消費税で決して安くはない。中を見てみると、日記を主体に百間の生活で何が起こったのかを事細かに調べているようだ。これは買わねば。 で、購入。 帰宅して読みだしたのだが、ある種の奇書と言ってもいいのではないかというような本だった。 内田百間は恋日記を振り出しに戦後までとぎれとぎれの時期もあるが日記を残している。そのうえ、昭和初期からは生活実態を反映させた随筆もたくさん書いている。それに加え、同時代人の日記、批評を集め照らし合わせる。 百間ファンにはおなじみの、金貸し。随筆では当然仮名だが、そのひとの実名や戦前どこで商売していたか、なども当時の新聞広告を基に調べたり。 前半の山場は中学の時の同級生の堀野、その妹の清への初恋である。 清への恋慕については、恋日記の一部も読んでいたし、堀野氏の妹ということも把握していたが、そもそも作家の日記自体を真剣に読み込まないし、忘れてしまっていたことがはるかに多く、知らなかった!と言うことが実に多い。 しかし、私も30年にわたって読んできた作家なので、ほんとに全然知らなかった、というのはほんの少しだ。 それは映画チゴイネルワイゼンの原作である、サラサーテの盤、のモデルである旧友との決別である。 それも生活の不始末が主な原因のようだが、、、、、 内田百間と言えば借金、というのは看板になっているようなものだが、それにしても大正年間というか、結婚後しばらくしてからの借金生活はひどすぎる。 山本夏彦の文章で百間について、というか東大卒の人たちの連帯感について書かれたものがある。 東大卒の人たちは自分たちが特別な階層であることを意識していて、その仲間内の結びつきは強く、外部の者にはうかがい知れないものがある。仲間内の不始末は可能な限りカバーしていこうという連帯感を感じる。 しかし、とことんまで手を差し伸べて、どうにも見込みがないとなったら、突き放さざるを得ない。わたし(山本)は仲間から除外された人をかつて見たことがある。「人間の姿をしていなかった」と恐ろしい言葉で締めくくられている。 そして、山本夏彦は内田百間も仲間に不義理を重ねて、その間際まで行っていたのではないか、と書いている。 そう書かれても不思議ではないような、というより、なんで、こんなふるまいをして交際が続くのだろうか、という記述が多い。 それにしても、なんとも面白い本だ。 30年百間の文章を継続的に読んでいると、自然と登場人物を覚える。 子供のころ、川原で遊んだ鼻の悪いふーさんという遠縁の女の子。 少年のころに離れ小島の療養所で、亡くなった従姉。見舞いに来た百間をじっと見て、立派な人におなりななさい、と残して。 中学生でありながらビール泥棒をして、不良への道を進み、北海道で亡くなった同年代の少年(百間にはおじさんにあたるのか)土井という名前だった。 片腕を無くした従姉 蛇を怖がる山のおばさん。 破軍星のひと。 二銭記で京都駅に見送りに来てくれる岡山の柴田先輩 偶像破壊の曽根 京都にのたり込んだときの友人中島 蝙蝠傘の骨で漢文を示しながら教えてくれた先生 磯、、、、という字が名前にある書道の先生 門田屋敷に住んでいた幼稚園の先生 すみれのはなが開いたというお遊戯を教わった、のちに自殺した女の先生。 後から後から出てくる。 郷里を出、大学にはいって、夏目家へ出入りするまでで、こんなにたくさん出てくる。 その後、法政大学関係、国鉄関係、琴関係、高利貸し、幾人もの人々が出てきて、それぞれに印象が残っている。何度も読んでいるうちにわたくしの個人的な「思い出」に近くなっている。 その人たちの一面。百間の文章には表れなかった一面を知ることが出来て、そうだったんですか、と感じたり。お元気でしたか、と思ったり。 まるで本当に昔から知っていた人に再開したかのような、心地の良い時間だった。 もちろん知らなかった、ということも多い。 長野初が再婚していたとは全く知らなかった。住み込み書生の内田保という人の存在はかすかに知っていたが、途中で見限られたとは知らなかった。戦後の住宅建設でのごたごたもなんとなく知らなかった。 京都の中島氏の娘が中西珠子という議員になっていたなんて、知る由もなかった。Webで調べてみると2008年に89歳で亡くなっている。 戦前、百間は金もないのに手ぶらで京都にぶらっと出かける。中島の家の近所までくると買い物にでていた奥さんとでくわす。百間は近所を散歩するような恰好なので、奥さんも調子がくるって、おや内田さんどちらまで、とまるで町内の知人であるかのように挨拶して、それから、あれこの人は東京に住んでいるのでは、とうろたえるのである。 そして家にいくと、娘二人が階段の手すりにまたがって、来たよ来たよ内田のおじちゃんがきたよ、とはしゃぐ。 とても幸せな戦前の京都市北部、学者の住む住宅地の情景がすでに映像となって私の脳に残っているのだ。 その娘が戦後議員になって、13年前まで健在だったとはなあ、、、、、、 いやあ、この本を読んだ感想を書いていくときりがない。 実は私もこんな本が書きたいと思ったこともあったのである。 特に法政の学生たちの一覧はほしいと思ったことがあり、手を付けかけたのだが、冷静になるとやってられるか、とそこから先へは進まなかった。 本当に欲を言えば、この本も人物別に箇条書きした別表が欲しかったが、それは多くを望みすぎだろう。 だが、この本の読者は非常に限られた人になるだろうから、あれば喜ぶ人の割合は多かっただろう。ということで、私が作ろうかな、と思うほどである。 この本から漏れていた人も多い。 夜道を散歩しながら星を仰ぎ「あれくらいの装置ならなんとか作れるなあ」と話した明治の理系の秀才。何度も読んだ文章なので、暗唱はできないものの、一部記憶に残っていて、かれらが明治の終わりの本郷台、舗装されていない夜道を青年の客気を隠そうともせず夢を語りながら歩いている情景がこれまたリアルな記憶として残っている。 東京で再会した中学の同級生の省さん。 中学から早稲田に進み女遊びで千人斬りをするなど羽を伸ばし、しかし事業は次第にうまくいかず台東区か江東区から百間の家まで歩いてきて、一粒一滴、と己の境遇を笑い飛ばそうとするがうまくいかない。最後には郷里岡山の甥の家に転がり込むが、その後(おそらく)入水した人。 ま、この人のことは最後が自殺、と書いているので、かりにどのような人生だったかわかったにしても第三者が記しにくい、と言うこともあったんだろうな。 この文章の最初に「奇書」と記したが、その気持ちはここまで書いてきてより強まった。 百間は著名人であるが、その交友関係は著名人あり非著名人あり。 その人たちもまた日記を残しているから、多様な、複眼的なこの本が書かれるのだが、そうでない人間(私)の55歳までの人生にもいろんな人が錯綜し、小ドラマがあり、多少のもめごとや慶事があり、死ぬ人もあり、疎遠になる人も、新しく知り合う人もいる。 つまり、この本は内田百間の人生をなぞっているようなものなのである。 作者の山本一生は猛烈な百間ファン、というよりもむしろ日記文学に熱中している人のようで、あとがきにはこの百間の本に二年かかった。次は吉野作造だ、と書いている。 複数の日記を中心にある時代の人物を描くことに取りつかれたのではないかと思うような情熱だ。
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百間の息遣いまでもが聞こえるかのよう
内田百間。借金まみれの名文家。個人的なことを書けば高校時代の畏友が好きだった作家。わたしにとっては何か近寄りがたい危険な雰囲気を漂わせる人物である。似たり寄ったりなイメージをあるいは多くの人がもっているかもしれない。しかし、これはあくまで「イメージ」である。 この500頁を超える詳細な百間の評伝を読んだとき、靄がかっていた内田百間という人物の声や足音がすこしずつはっきりと聞こえてくるような気がした。それほどに詳細な「百間評伝」なのである。 淡い初恋、芥川龍之介との交流、法政大学・航空部での活躍……。「そんなことがあったんだ」の連続である。いつしか近寄りがたい百間は、なにやら飲み屋で話し込んだあとの気心しれた人物になったかのように錯覚しはじめる。それは言い過ぎだとしても、なにやらほっておけない知己の人物のように錯覚しはじめる。これは筆者の文章力のなせるわざだろう。いまなお多くの人の心をひきつける人物は、当然、生前も多くの人をひきつけ、そうして実際に生きた日々のなかから借金だけでなく名文も生み出していったのだ。そのことが腑に落ちる。 この著者のこれまでの著作もそうだが、個人の日記を手掛かりに人物や出来事を同定し、さらに、気になれば主人公だけでなく脇役についてまでもとことん調べる。途方もない労力がこの500頁には注がれている。こうした仕事がなければ、百間の人生のいくばくか(あるいは多くが)永遠にわからないまま、まさに靄のなかに失われてしまっただろう。 百間が好きな人はもちろんぜひ読んでほしい。でも、どちらかというと百間をあまり手に取ってこなかった人、あるいは、まったく手に取ってこなかった人に手に取ってほしい本かもしれない。こういう人生を歩んだ人の文章とは一体どんなものか、きっと読みたくなる。そして、その周囲の人びとについてもどんどん気になっていく。 ちなみに、私は内山保という人物が読後も気になって仕方がなかった。彼はその後、いったいどんな人生を歩んだのだろうか――。『週刊読書人』の対談によれば、『内田百間外伝』の構想があるという。そこで語られることを期待したい。
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感想
著者山本一生(やまもと・いっしょう)氏は、私と同年の1948年生まれである。本の紹介欄には、近代史家、競馬史家とある。競馬の歴史や文学、血統に関する翻訳やエッセイを発表。関連の著作もあるとのこと。 近代史家としては、『有馬頼寧日記』の編集に加わり、その後は「日記読み」として戦間期の日記をもとに時代を読み解く試みを行っている。と記されている。(有馬頼寧とは日本中央競馬会の理事長を務めた方で、競馬の「有馬記念」は、氏の競馬関連の功績を称え名付けられたレースとのこと。競馬には全く不案内であり、「有馬記念」についても全然知識が無かったが、調べて初めてその意味が分かった。) 本書の帯には、「(百閒)没後50年、初の評伝」とある。成程私の読んだ限りでは纏まった評伝は見当たらない。作品そのものから、百閒と彼の人生は凡そ見当がつくのだが、それらは繫がりを欠いていて、本書によって初めてそれらの連関が、つまり、私にとって未知のことがはっきりとした。この書を著す迄2年の歳月を要したとは著者の言である。本書の巻末に掲げられた多種多様な参考文献を見ただけでも気が遠くなる程で、単なる「日記読み魔」ではない。 随分前から百閒が好きで、単行本は出来得る限り手に入れ、全集(福武書店版33巻)や百閒論も(何冊か)入手した。しかし百閒と出会ってから40年以上経つというのに、これら全部に目を通してはいないと言う怠け者振りなのである。 山本氏との差は雲と泥、鯨と鰯どころではない。忸怩たる思い頻りである。 氏の文献渉猟のごく一例を掲げたい。 それは、小林秀雄の百閒評(東京日記)の記述に伺える。この評は小林の全集(新潮社2002年版)第5巻文藝月評ⅩⅤ と、全作品(新潮社2003年版)10の文芸月評ⅩⅤにある。共に「東京朝日新聞」へ掲載された。その年月は昭和十三年一月とあり、日にちの記載はない。しかし山本氏は「昭和十三年一月十日」と日付を特定する。これは当時の新聞そのものを閲覧しなければ判明しない事柄と思われる。氏の腐心振りに思いを馳せた。前言した「単なる『日記読み魔』ではない」を繰り返したい。 もう一つ。 百閒の「昇天」は、十九の若さで「肺病」で死ぬおれいと言う女性が主人公の小品である。寂寞、寂寥のトーンの見事な持続を有する、私の好きな作品である。「笑顔」という「昇天」を補遺する、これも小品があり、「笑顔」からおれいが芸妓だったこと、生まれつき内気な性質であったことなどが知られる。しかしおれいの身上についてはこれのみに留まる。 山本氏の本著十四章「おれいのこと」から、おれいの「肺病」の入院先が杉並の和田堀村にあった救世軍杉並療養所だったこと、おれいは王子にいた半玉の芸妓で百閒の馴染みであったこと、おれいは百閒の後のこひ夫人の妹で常磐津の上手なこひとおれいと百閒の三人で家を持って住むようになった。との刮目すべき事柄も浮き彫りにされる。 但し、だからと言ってこれらが分かっても、作品の価値に影響が及ぶ訳ではない。 最後に「百間」の表記について。 本書の表紙、及び本文には引用箇所を除き「百間」が用いられている。氏はその理由をこう記す。「本書は内田百間の日記を通して、昭和十年代、さらには昭和戦前から戦間期を語り伝えようという試みのひとつである。」「なお『百間』は、内田百間の故郷、岡山の百間川からとった雅号である。戦後になってからは正字である『閒』を使って『百閒』と表記することが多くなったが、この物語の扱う範囲は大半が戦前のため、あえて『百間』で通したい。」とある。 備仲臣道(びんなか・しげみち)氏の「内田百閒 百鬼園伝説」( 皓星社2015年版)によれば、「混乱を避けるために地の文では百閒で通しましたが、時代によって百間のときと百閒の場合があります。」「文筆で生活するようになってからも、ずっと百間をつかっていましたが、百閒になったのは一九五十(昭和二十五)年の『贋作吾輩は猫である』以後のことで、前年の「戻り道」では両方が混用されていました。『間』は『閒』の常用漢字で、門が閉じても月光がもれるさまから、隙間の意味を表す」とのこと。 また、百閒の母校岡山中学(現岡山県立朝日高校)同窓会公式Webの「人物列伝」によれば、「昭和14年『鬼苑横談』を発表した頃から、『百間』を『百閒』に変更したようです。」とあり、山本氏の「百間」の根拠は充分裏付けられるのである。 のではあるが、「百閒」を愛読する私にとっては、やはり深く馴染んだ「百閒」で通したいのである。書店で本書の表紙「百間」を目にした時、強い違和感を拭い難かったのは事実である。この違和感は本書を読了した今も残っている。「百間」では備仲氏が述べる「門が閉じても月光がもれるさまから、隙間の意味を表す」の雅な様が伝わって来ないのである。 さて、百閒没後50年。この書に登場する方々の内、ご存命のどなたかはいらっしゃるのか知らん。 寡聞にして存じ上げないのである。
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人の名は正確に。百間でなく百閒だ。ダメだこりゃ
百間って嘘の名。☆ゼロ。 それを平気で出版するとは、驚きだ。 作者も出版社の編集者も質が問われる。 内田百閒は「百間」ではない。「百閒」だ。 即時回収して修正出版が望まれる。 本にすること自体が恥ずかしいのでは?
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