作品情報
戦後の記憶と責任をめぐり、和解の条件を歴史から問い直す一冊。
古代から近現代までの対立克服の考え方を導入し、第二次世界大戦後の日本とドイツの差異、英国との関係修復、中国との和解の難しさを論じる。政治史と倫理の両面から戦後を読み解く。
レビュー要約
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日英関係を中心に具体例をたどるため、抽象的な理念にとどまらず読み進められる。日本と周辺国の関係を考える入口として受け止められている。
書籍情報
- 出版社
- 中央公論新社
- 発売日
- 2005-07-26
- ページ数
- 208ページ
- 言語
- 日本語
- ISBN-13
- 9784121018045
- ISBN-10
- 4121018044
- 価格
- 9 JPY
- カテゴリ
- 本/歴史・地理/日本史/一般/日本史一般
捕虜処遇問題で悪化した英国との関係は好転し、ここにきて中国との関係はなぜ悪化したか。講和の歴史を辿り和解の可能性を探る。
レビュー
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歴史と理論ふまえた「戦後和解」の展望
日本で最初に「戦後和解論」を展開した著作である。 戦後平和構築の歴史を古代にさかのぼり、各時代の価値観を示し、戦後の感情対立という政治処理の最も困難な問題の「本質」に迫る。 「赦して忘れる」指導者中心の和解観から、「赦すが忘れない」という戦争犠牲者を主体とする和解観が、いかにして第二次世界大戦後に完成したかがよく理解できる。 そのうえで、日英和解をインセンティヴな事例として、日中和解という難問に取り組み、明確に「展望」を示している。「和解」に向けたポジティヴ・シンキングな議論が展開されている。英語圏での言論活動も積極的にしているようにみえる。 国家レベルの「和解」の問題を、鳥瞰的かつ客観的に分析した好著である。文章も読みやすい。
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日英と日中の差はどこにあったのか
中盤は英兵捕虜の過酷な取り扱いについての対立と和解の話 日本側からしたら植民地主義の加害者なのは一緒だろ、って感覚があり そういうところでなかなか和解は進まないと思われてたとこもある しかし現場にいた軍人同士が時代を越えて和解したり 日本側の捕虜収容所のあった集落の住人が収容者を慰霊したりする、という 草の根の活動が実り、和解の機運が出てきた 同時に経済的なつながりや天皇・女王という王室外交もあって 社会の各位置からの和解の動きが一つの流れになっていった 民主主義と市民の自由な活動があってこその結果であると説く 対して中国は「軍事指導者の罪であり人民に罪はない」という建前に忠実であり 中共にとっては国共内戦を経ての建国神話と密接に繋がるところがあった そのA級戦犯が祭られる靖国参拝なんかは建前が崩れるのでやめてほしいところがあり そこから話がこじれていったのでは、という感じ ゼロ年代くらいの本なので、中国が大人になれば、という希望をもっていたけど 結果として建国神話的な構造が固着したまま専制国家になりつつあり 日英の関係改善とは真逆になっていてどうしようもないなあ、という現状 もう一つはウォーク運動の一環として西側旧宗主国での責任を追及する声が若者からあがってて 日英和解の外側にあった問題が吹き出した感があるよね
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認識をあらためるには最適
今まであやふやに理解していた戦後和解という点での認識を改めるには最適の本でした。色々な議論を理解するための基礎となる本だと思います。
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この本の理屈では日中和解は絶望的
国と国とが和解するためにはお互いが成熟した民主主義国で多様な価値観を持った 人々個々が民間交渉することが初めの必須条件らしいが、これでは北朝鮮や中国は もとより韓国とも戦後和解なんて夢のまた夢だなあ。 これらの国が成熟した民主主義国になるなんて考えられないし。 ところでこういう本を読むといつも思うのだが、いわゆる帝国主義国家だった 英仏蘭等とアフリカやアジアの植民地との「和解」というのは聞いたことがないのだが そういう概念はお互いにないのだろうか? それはともかく戦争に一般庶民が関わることが多くなるに連れ、和解はどんどん困難に なっていくという歴史部分はおもしろいし、最初に書いた和解の条件もなるほどと思わせる。 一読の価値はあると思います。
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東京裁判は二流?
東京裁判の評価が二重じゃないかな、東京裁判は植民地主義を裁いていないので二流だといっているが判決自体は正当であるとしている。だいたい植民地主義は東京裁判では裁けないよな、筆者もわかって問題提起しているズルイよな。 中国は戦略として東京裁判、靖国問題を利用して日本の常任理事国入り阻止、日米離反を目指しているのがよくわかりました、又それに同調してしまう国内の一部の方々がいるのが。 英軍捕虜への虐待は戦争犯罪としていますが、なぜそのような行為を日本がしたのか書かれていないな、自分で調べてみます。
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現時点では無理な日中和解
本書にはまず、古代からの講和の変遷が述べられている。続いて、戦後処理というものが統一された理念の下に行われるのではなく、東京・ニュルンベルク両裁判の比較から、戦勝国の都合に合わせられてしまうことを指摘している。また戦後和解の実例として、旧軍人を中心とした民間人主導で行われた日英のケースが挙げられている。次に、日中の戦後和解に話が及び、著者は靖国参拝中止にこだわる中国側の理に理解を示すが、抗日戦勝利以上の政権に正当性を与えるものが生まれない限り、日中間に戦後和解の好機は訪れないだろうとも言っている。日中和解の具体策が提示されているかのごとき筆致にもかかわらず、この条件がかなり絶望的だったので、本書全体から漂う戦後和解を楽観視するニュアンスとは逆に、日中間の戦後和解の難しさを痛感させられてしまった著作である。
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和解の後でなすべきこととは?
書店に並ぶ嫌中・嫌韓本。著者はこのような状況を「「売れる」から日の目をみるのだ。」とみている。他方、買う人がいるから需要があるわけで、買う人がなぜ拡がっているのかに対する考察が、更に必要なのではないだろうか。 民間の個人が進める戦後和解活動の最大の強みは、ジャーナリズム・政府に対するタフさにある、と著者は論じている。そのタフさは一方で、排外的思想においても同様、いくら論理的に批判されてもなくなることはない。インターネットをはじめとするメディアによって更に増長される。民間において経済・文化交流があってもである。いや、逆に盛んになれば、その反発として起こりうる。そこをどう乗り越えるのか。(その視点が欲しい。) とすると、和解は最終ゴールではなく、通過点に過ぎない。それは未来において、両国が共存共栄していくための通過していくべき地点である。著者の語る「正義を追い求めるだけでは和解は成就しない。」は、妥協を前提にすれば間違いではない。しかし、未来を見据えるとき、和解の後も両国は「正義を追い求める」ことを忘却してはならないだろう。
関連する文学賞
- 石橋湛山賞 第27回(2006年) ・受賞