作品情報
名作の影から現れた贋作が、殺人事件の真相を揺さぶる。
『坊っちゃん』を下敷きに、文学史的な素材と殺人事件を結びつける作品です。贋作をめぐる謎を通じて、テキストの真偽と人間の思惑がからみ合います。
レビュー要約
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漱石作品への親しみを推理の遊びへ変える発想が評価される。原典を知っているほど細部を楽しめるが、軽妙な文学ミステリとしても読める。
書籍情報
- 出版社
- 中央公論新社
- 発売日
- 2003-10-01
- ページ数
- 350ページ
- 言語
- 日本語
- ISBN-13
- 9784122042810
- ISBN-10
- 412204281X
- 価格
- 1 JPY
- カテゴリ
- 本/文学・評論/エッセー・随筆
Amazon.co.jp: 中国に学ぶ (中公文庫 み 22-20 BIBLIO) : 宮崎 市定: 本
レビュー
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最大で最後の文章家
軍隊生活を過ごした人は 誰しも経験したことであろうが、 兵隊の苦楽は指揮官・隊長の才能によって大きく左右される。 すぐれた指揮官の下にいると、 大した苦労もせずに 全体の成績があがって、 もっと上の偉い人からの おん覚えもめでたい。 ところが下手な隊長の下に配属されたならば、 それこそ災難である。 右往左往させられて、無駄な労力に精根をすりへらしても 一向に成績が上がらないのだ。 平時の検閲や演習でもそうだから、 本当の戦争の場合だったらば、 指揮官の良し悪しは、 部下にとって生命の安否に関係してくる。 P127より ・・・・虐待されて死ぬ子供たちがかわいそうだ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 学問上の業績については知らないが、 30年に一人の名文家、 天才的な文章家である。 この日本語をお手本にして残りの人生を送りたい と思う。 ほかに文章家っていたかな。。 武田泰淳とか? あ、鶴見俊輔もおるか。 でも、途中で眠くなってまうんよなあ。 いちさださんは、決して中だるみしない。 最後まで明晰につむいでいく。 ノッペリしてなくてツイスト・転調があるからなんやろなあ。 それは、紙が貴重な時代に、「これだけは書いとかんと死ねない」 と決意して 血をニジマセながら 文章(漢字)を書いていたであろう 過去の中国人たち(司馬遷やら司馬遷やら・・・司馬遷やら。つか西遊記とかは無駄だらけやな。つても無駄こそ フィクションのダイゴミやけど。ほか、中国で名文家とされてるゆうたら・・ 諸葛孔明・曹操?) に学んだ結果なんやろなあ。 ・・もういちどまとめとこう。 一字一句というか一字一字ユルガセにできない状況で 文を綴っていた昔の中国文人たちに学んだ からこそ宮崎さんはすばらしい名文家になった。 と、推論してよかですか? つか、「ほんとうに・自分のあたまで・考える」って ほんとうは、どうゆうことなんかなあ。 こんな駄文書いてる場合ちゃうで。 じゃ、またな
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中身も良いが早くて良かった
思っていた以上に中身も良かったが早く着いて良かった。読み応えがあった。
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とっつき易いが宮崎市定は他の本から
京都大学名誉教授にして日本を代表する東洋史学者、宮崎市定が、長年書き積もった雑文のなかから自ら選択して一巻の書としたもの。内容は、思想、歴史・民族、人物、書物、時事等多岐にわたる。 次の一文が目に留まった。「過ぎ去った古いことなどを研究して、現実の忙しい世の中に何の役に立つか、といった疑問をしばしば投げかけられる。これに対して私は、忙しい世の中ほど、歴史という学問が必要だと考える。いったい、ある人の人生観というものは突きつめて行くと、それはその人の歴史観なのである。忙しい時こそ、人生の問題が問われねばならぬが、人間が人生について考えるとき、思考の材料となるものは、すでに過ぎ去りはしたが、ただし、たしかに存在した事実よりほかにはない。」 中国史をある程度知っている人間が、宮崎史観に照らして考えるとこうなるんだというおどろきや発見を楽しむための本である。
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現役で読めば役にたち、隠居になって読むと著者の生きかたを羨む
本書を読むのは三度目である。最初は40代の後半、広州駐在時である。多くの人に出あった。紅衛兵だった人、紅衛兵にいじめられた人、中越戦争に出征した人、国営企業の資産を着服した人、資産をカナダに移した人などなど。彼らを理解するのに、「Ⅴ章 時事」が役立った。今でも覚えているのは次の文章だ。《百年後とは言わない。五十年ほどたってから、北京に日中友好の回顧記念碑が立てられたとしよう。その中の日本人は決してゲバ棒をもったヘルメット姿などではありえない。必ずや、眼鏡をかけて本を読んでいるに違いないのである。》 その意気に、評者は勇気つけられた。 二度目は50代の初め、中国国営企業に派遣されたときだ。まわりは共産党員ばかりであった。通訳も党員で、党・企業に都合の悪いことは訳さなかった。部長講話の時は、全員がノートをひろげて筆記していた。後で都合が悪くなった時、己をまもるためだと聞かされた。あの時こう言ったじゃないか、と言い返すわけである。本書はここでも役だった。宋以降の一千年の歴史は官僚制の歴史である、文化大革命でやりだまにされた実務派とは官僚であるなどなど。かっての士大夫、いまの共産党、官僚制はいまも続いているのである。 三度目の今回は65歳、退職し隠居の身である。夜中3時に起き、新聞二紙とニュースレターを読み、家事を手伝い、昼寝をし、本を読み、7時に晩酌をはじめて9時には寝る。あらため本書を読み、学問の魅力を味わせてもらった。そして、著者の生き方をすばらしいと思った。学問をつづけ、面白いと感じつづけ、お迎えがくる。《人間、七十まで生きて存分働いた以上は、もう誰にも泣き悲しんで貰う必要はない。淡々として死に、淡々として告別して去って行く。それがいいな、と自分にも言い聞かせたことであった。》『遊心譜』
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史家の「雑文」
冒頭で「雑文を物するは史家の為すべき仕事にあらず」といいつつあれこれを語る。 「人物」の章では、中国の学者について、「あらゆる素地、教養があって、その中でもとりわけ得意とする分野が専門」であると言う。 中国史から古代日本、さらには西洋にまで通じた著者にして言える言葉であろう。 内藤湖南についての文章では、後発の思想化が、我が思想の源流を昔へ昔へと積み重ねて行ったとする「加上説」を説明する。 この「加上説」と『古事記』『日本書紀』について語ったものが興味深い。 歴史家の態度、ドイツ学会の様子。碩学の風を感じることが出来ます。
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日本の中国学の泰斗 - 宮崎博士のエッセイ集
日本の中国学は、内藤湖南と共に宮崎市定を抜きにしては語れない。宮崎博士の業績は全集になっているが、中公文庫でも「雍正帝」「大唐帝国」「アジア史概論」、岩波文庫でも「史記を語る」等の名著が手軽に入手できる。「アジア史概論」にみられるように宮崎博士は研究を中国だけの閉じた世界と捉えず、日本、朝鮮、東南アジア、インド、イスラームそしてヨーロッパ文化との比較を常に意識しながら、この中国文明の本質を探るという態度が一貫している。もうひとつの特徴として宮崎博士の著作は、学術論文という枠を超えて、読み物として味わう独特の、文体を持っていることである。読みやすいことは言うまでもない。この中国古代から文化大革命まで色々な話題を扱ったエッセイを集めた本書「中国に学ぶ」でも、博士の闊達な語り口に引き込まれる。エッセイ集で、一貫した編纂方針のある本ではないので、自分の興味のある文章だけ拾い読みするだけ得るものは大きいだろう。
関連する文学賞
- 朝日新人文学賞 第12回(2001年) ・受賞